父は何とか
入院してみる影も無くやつれていた父だが、きのう面会に行ったらすっかり元通りに戻っていた。
うれしい。良かった。
なんだったんだ、先日のやつれぶりは。いまにも死ぬかと思った。
まぁ元気になったとは言え、口だけで、まだまだ足は動かせない。当分はベッド上安静。
たぶんごっそり筋肉が落ちるだろうから、リハビリはしんどいことだろう。
とは言え、一山越した感が強く、安心した。
しかしこの分だと、両親の秋の旅行はムリだろうな。楽しみにしていたのに、何とも残念。
そう言えば。
きのう判明したのだが、何と我が両親はぼくが20代の頃、ちょっとした額の保険をかけていたという。
20代。アル中がひどかったころ。
ぼくはそう長いこと生きられないと思っていたそうだ。
飲んだくれた揚げ句、酒で若死にするだろう、と。
母曰く「アンタが死んで葬式代も持ち出しになるんじゃ、悔しいじゃない。だからせめてアンタの葬式代くらいになるようにと思って、保険をかけといたのよ」だって。
いまだから笑い話になるが、当時はとても笑えなかった。
ほとんど栄養を取らず、酒だけを飲んではぶっ倒れていた日々。
酒とロックに耽溺して、アパートの中だけが世界のすべてだった日々。
誰とも会わず、誰とも口をきかず、外界とのいっさいの縁を自ら断ち切っていた日々。
自分でもあれだけムチャな暮らしをしてて、よく生き延びたもんだと思う。
あのころよく、両親が心配してアパートを訪ねてきた。
アパートの外でぼくの名を呼び、ドアを叩く音が聞こえる。初めは遠慮がちに、次第に悲痛に。
ぼくは耳を塞ぎ、両親があきらめて立ち去るのを息を詰めて待ち続けた。
ふさいだ指のすき間から、両親の慣れ親しんだ声が聞こえてきた。
母の泣き声。父のため息。
しばらく経ってそっとドアを開けると、母が作ったぼくの好物が折に詰めてドアの前に置いてあった。
両親へ申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになって、涙があふれてくる。
「ぼくはダメだ、ダメだ、ダメになってしまった、もうダメだ、ダメだダメだダメだ」泣きながらそうつぶやいた。
そういう夜が何度も何度も何度も何度も、繰り返し続いた。
いまでもあの頃の話になると、まともに両親の目を見れない。
自分がこのひとたちをどれほど傷つけてきたことか。
だからいまは、わずかであれ、両親の力になろうと思う。
後回しになんかしない。いまできなければ、次回があるかどうかも分からない。
先のことなんて分からない。
いまできる埋め合わせを、いまやるんだ。
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