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2008年3月29日 (土)

オズの魔法使い〜家のそばにないものは、遠くにもないから〜

映画「オズの魔法使い」を見る。
ハイテクのかけらもない、力技なSFXの数々。小人の国マンチキンでは、ほんものの低身長の方々が大量に出てきて驚く。制作は1939年だそうだ。いまだったらこんな映像は作れないだろうなー。
それはともかく。
この映画のテーマ。自分探し。青い鳥はどこにいるのか?幸せは、理想は、夢は、どこに行けば手に入るのか?
古くからのテーマであり、いまなお普遍のテーマである。
この問題の出発点は「いまここにある現実、いまここにある自分」に対する違和感、問題意識だ。現在の自分とその周囲の世界が色あせて見える。現状への否定的な感覚。ここじゃないどこか、自分じゃない誰かへの漠然としたあこがれ。
もちろん何事も、問題意識があるから成長があるんだけどね。
ささいなことで家を飛び出し、竜巻に巻き込まれた主人公ドロシーは不思議の国にたどり着く。そしてハートを求めるブリキ男、脳みそ(知恵)を求めるかかし、勇気を求めるライオンとともに悪い魔法使いを退治する。
その旅を通して彼らは自分たちが失ったと思っていたもの、自分にはないと思っていたものが、実はちゃんと自分の中に存在していたことに気が付く。
ライオンはちゃんと勇気を持っていたし、かかしは最初から知恵を持っていた。ブリキ男は熱いハートを持っていた。なくしたと思い込んで自信をなくしていただけだったのだ。
それは始めから彼ら自身の中にあったのだとも言えるし、旅を通して成長し、再発見することで獲得したとも言える。
そしてドロシーはこう言って、もとの家に帰ることを決意する。

家のそばにないものは、遠くにもないから。

名言なり。
内的な欠落の補完を外部に求めても、解決することはできない。なぜなら、欠落は内面の問題だからだ。自分の問題だからだ。
内的な欠落がある時、われわれはしばしばそれを「外側の問題」ととらえてしまう。うまくいかないのはまわりが悪いから。自分が不幸せなのは周囲が無理解だから。イヤなヤツばかりだから。
たしかにそうかも知れない。でも周囲に対する怒りや苛立ちといった感情は、間違いなく自分のものだ。ネガティブな感情に飲み込まれて極端な行動を取ってしまうのは、自分の問題だ。

ドロシーは最後に帰還の呪文を唱える。
There's no place like home. There's no place like home.
おうちがいちばん。おうちがいちばん。
そうくり返して、ドロシーはおじさん夫婦のいる「おうち」(現実)に帰還する。

青い鳥。幸せ。理想。夢。
自分のあり方を見つめ直す。自己を再定義する。そこに希望を見つける。
旅の目的地は、出発点に戻る。
だったらドロシーの魔法の国への旅は無意味だったのかというと、そんなことはない。彼女は現実に絶望して家を飛び出し、竜巻に飲み込まれ、魔法使いと戦って、やっとそのことに気が付くことができたのだから。
気付きを得るには、それなりの道のりを歩かなくてはならない。相応の対価を支払わなければならない。
苦労し、労力を費やすことでしか得られない気付きもあるのだ。

さて。
ぼくは依存症を通して、AAを通して、いったい何を気付けたのだろう。何に気付けるんだろう。
多くのことを学んだ気もするし、まだまだ何も分かっていない気もする。
答えはまだまだ先なんだろうな。ずっと先。虹の彼方に。

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