AAの仕事
AAの仕事でイヤになること?
しょっちゅうあるよ。
良かれと思ってやったことに後から物言いがつくと、ガックリ来るよね。
仲間のためにと思って時間を割いて、労力を割いて、家族と過ごす時間を、時にはちょっぴり仕事時間を削ってやったことに、あとから批判が来るとイラッと来る時があったよ。いや、いまもあるかな。正直言うと。
あるサービスの集まりだったかな。オレは書記で、議事録をまとめる係だったのね。
会議の最中、リアルタイムで発言を打ち込みまくった。3時間ほどの会議で、けっこうな量のテキストになった。発言は話し言葉だから、そのまま文章にすると意味が通らない。仲間の意図を汲みつつ、B4一枚に収まるよう要約したんだ。
で、良くできたと思って得意満面でほかの仲間にチェックしてもらったのね。カオルさんスゴイ!よくやった!エライ!さすが!!ほかの仲間とはちがうわ!そんな称賛の言葉を心の底で期待しながらね。へへ。ヤなヤツだろ。オレ。
でもちがった。
そこはそんなニュアンスで言ったんじゃない。それはそんな意味じゃなかった。サービスの体系から言っても、その表現は間違っている。そんな物言いが十箇所以上ついた。
ガックリ来たね。ホント。だってさ、てっきり称賛の嵐だと思っていたのに、ほめられるどころかリテイクが山ほど入ったんだから。
直したよ。そりゃもちろん。でも直したら直したところが、またヘンなんなっちゃった。当たり前さ、サービスの体系や決まりごとと言った予備知識がオレのアタマの中には空っぽだったんだから。
直してはリテイク。直してはリテイク。
Wordのファイルが何回か往復しているうちに、だんだん腹が立ってきた。
勤務時間も相当使っている。議事録の出来上がりはどんどん遅れる。議事録の発送で周知すべきイベントも、あろうことか日程が過ぎてしまった。それでも修正作業は終わらない。や、作業は進んでいるんだろうけど、自分が精神的に持たなくなってきた。
で、オレは白旗を揚げたんだ。かなりイラっとしながらね。もうできません。これ以上いい議事録を作る能力も時間も、このカオルめにはございません。ごめんなさい。ってね。
そしたらね、仲間は気づかってくれたよ。そんなに負担だったんならあとはいいよ。こっちでやるよ。ゴメンね。
オレはホッとすると同時にこう思った。「そんなこと言うんだったら最初っからそう言ってくれよ」ってね。
でもね。
あとから思ったんだ。自分はなんであんなにイラつきながら議事録をまとめていたんだろうって。
せいいっぱい背伸びして、何でもかんでもできる有能な人間だって、周囲にほめて欲しかったんだね。
で、上手に背伸びしたもんだから、仲間もてっきり「カオルさんならできるだろう。もっと良い議事録を作ってくれるだろう」って思って、どんどん注文を出してきた。悪気があったわけじゃない。できるヤツがやってるんだから、もっともっと良くしようと思ってのことだったんだ。
ところがオレは、もともと竹馬の上につま先立ちで立っているような背伸びだったから、ちょっとつつかれただけであっという間に転んじまったってワケさ。
なんてこたない。自分の虚栄心で自分が潰れちまったんだ。
そのあとオレはこう思った。
がんばろう。もちろんがんばろう。AAも仕事も家庭も、何もかも。ベストを尽くそう。
でも、できないことは手放そう。自分は限られた時間と限られた能力しかない、ちっぽけな人間なんだ。ほめられたら舞い上がり、けなされたらガックリ落ち込む、なんてこたないふつうの男なんだ。
背伸びしないで、できないことはできないって手放そう。バンザイしちゃおう。
手放すのは勇気のいることだよ。背伸びするのはある意味カンタンだ。調子の良いことを相手に合わせて言ってりゃいいんだから。手放すのはその逆で、「自分にはできません」って言わなくっちゃいけないんだからね。
でもそれ、ステップ1そのものじゃないか。抱え込まずに、勇気を持って、愛を持って手放す。それがAAの最初のステップじゃないか。
オレはそう考えたんだ。
それで仲間に怒られないかって?
怒んないよ。
東京から来たNさんも言っていたよ。信じなよ。仲間を信じなよって。ステップ2だね。
そりゃ全員が怒んないかどうかはオレも分かんないよ。みんなふつうの弱い人間の集まりだからね。ふつう以上に弱い人間の集まり、かな。中には意地の悪いのやあら探しが好きなのだっているさ。そりゃ。
それでもね、仲間はね。信じる価値があると思うんだ。信じるって言うのは、なんて言うかな、自分の成長のカギだと思うんだ。
ひとを信じないヤツは、ひとからも信じてもらえないよ。傷つくのを恐れずに仲間を信じてみなよ。
できることもできないこともさらけ出して、手持ちのカードをぜんぶオープンにして、ガードを全部取っ払ってみなよ。
結果的に、オレはちっとばかり成長できたと思う。自画自賛かな?でもあのとき、仲間を悪く思って終わりだったらオレには何の内省も生まれなかったろうな。
いまもオレはエエカッコシイだし、傷つくのが怖くてすぐ体面をつくろうクセが取れないよ。弱虫の気取り屋のまんまだよ。
それでもね、仲間を信じるってことは前よりも少しばかりできるようになったと思うんだ。
あんたがこの文章を目にするかどうか分からないけど、あなたに読んで欲しくて、オレはきょう、かなりキアイを入れてこの文章を書いたよ。
きょうじゃなくても、あしたじゃなくても、オレの経験が少しでもあんたの役に立ったら、こんなにうれしいことはないよ。
じゃあ、また。ミーティングで会おうな。
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コメント
自分自身、煮詰まっていたので
この文章には正直やられました。
声をあげてわーわー泣いてしまいました。
自分がいかに他人を(すべてを)信じていなかったか
よく分かりました。
giftをありがとう。
信じてみます。
投稿: pao | 2008年2月26日 (火) 13:08
paoさん
何かを感じ取っていただいたようで、恐縮です。
一般社会ではむやみやたらに人を信じたり手放したりしてはマズイ場面も多々あるので、これはAAならではって面があります。
それでも人を信じる、手放すって考え方は、いろんな場面で使えます。
じっさいぼくは仕事でAAのやり方を使って助かったことが何度もありました。
giftなんてとんでもない。paoさんのコメントから、ぼくもいっぱい贈り物をいただいていますよ。
投稿: カオル | 2008年2月26日 (火) 21:33