心が雨漏りする日には
中島らも「心が雨漏りする日には」読了。
奥さんの書いた「らも-中島らもとの三十五年」と併読していて、こちらを先に読み終わった。
中島らもが自分自身のそううつ病、アルコール依存症についてまとめたエッセイである。
病気のことはエッセイなどの中で散発的に書いてあったし、「水に似た感情」や「今夜、すべてのバーで」は相当体験が入っているんだろうな、とは思っていた。でも、病気の体験を経時的につづった文章は初めて読んだ。
壮絶だ。
彼は言う。「心が病気になったら病院に行って治せばいい」と。
病気なんかで自分の精神は左右されない。うつ病やアルコール依存症なんかに、オレの魂には立ち入らせない。
そういう決意、誇り高さが文章の合間からにじみ出てくる。
しかし反面、彼自身どんどんぼろぼろになっていく。仕事で上京したはずなのに、目的も目的地も見失って迷子になり、まるでまるで見当違いの場所で保護される。
文章はおもしろく、ひょうひょうとその経緯を語っている。しかしじっさいは彼にとっても周囲にとっても、相当キツイ体験だったろう。
主治医との葛藤も克明に描かれている。
いちどは対談集に掲載したくらい信頼していた主治医。次第にそれが不信に変わり、やがて主治医自身が妄想に支配されて転勤していく。そして主治医を信じて飲んでいた薬が、強烈な抗精神病薬のカクテルだったことを知る。
以前からエッセイなどに登場するこの主治医は、初めから奇妙だった。
直木賞の発表の最には、中島らものそばにくっついている。患者である中島らもとの対談が雑誌に載る。たとえそれらの行為が中島らも側からの提案だったとしても、医師としてあまりにも患者との距離感がなさすぎる。
また、アルコール依存症だということは明々白々だったにも関わらず、適切なアルコール医療を行っていない。自助グループも紹介されなかったようだし、アルコール依存症の経過や予後、合併症と言ったごくごく基本的な知識さえも主治医からは説明がなかったようだ。
生きていて欲しかったと思う。
十代後半からの愛読者として、彼の素敵なエッセイや文章からある種の生き方を学んだものとして、生き続けて欲しかった。
アルコールなんかで死んで欲しくなかった。
中島らもがAAに来ていたらどうだったろう。
AAで使われる「神」や「謙遜」という言葉を拒絶し、俺の生き方は俺が決めると拒否しただろうか。
それとも依存症の死の淵から帰還した、タフで凄味のある仲間たちの言葉の中に何かを見いだしただろうか。
でも彼は死んでしまった。
依存症関連の雑誌「ビィ」には稀有な才能の「よくある死」と書かれた。
そうだ。そうだね。
良く言われるように、アル中の平均寿命は52歳。よくある死因は肝臓などの内臓疾患や転落・吐物による窒息などの事故。
中島らもの死は、アル中の死に方としてはごくごく平凡な、その他大勢とまったく変わらない、ありきたりの死に方だった。
でも彼の才能は、間違いなく非凡だった。彼は思春期の若者と、思春期の尻尾をどこか切り忘れた者たちの味方だった。貧乏で金がなくてそれなのに働いて金を稼ぐことにどこか違和感をぬぐい切れなくて自分に自信がなくて大人社会へ迎合するのがイヤで大人になるのがイヤで自分を取り巻く世界とうまくなじめなくてなじめない自分が嫌いでロックや文学や演劇やアートやすべての反体制的なものにあこがれを感じていて美しいものが大好きで美しくないと思える社会や物事に妥協することがどうしてもできなくていつか世界が破滅する日を夢見ていつまでも終わらない退屈な日常に幻滅し続けて詩や物語に没入している時や美しい旋律やロックの大音量の中に身を浸している時に血の出るようなリアルさと高揚を感じる人々、要するにぼくやあなたの味方だった。
中島らもはわれわれに、ありったけの共感と支持を送り続けてきた。代弁者であると同時に親しい先輩だった。中島らもの文章を読むといつも、いつも身近にいて語りかけてくれるような気がする。彼の言葉、彼の思いをとても身近に、親密に感じる。
アルコールなんか蹴飛ばして、生き続けて欲しかった。80になっても90になっても、痛快なメッセージを送り続けて欲しかった。
今夜はもう一遍、彼のエッセイを読んでから寝ることにしよう。
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