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2007年6月 9日 (土)

猪野亜郎先生の講演を聞いてきた

猪野亜郎先生の講演を聞いてきた。
「断酒の家、所長?知らないなー」と、あまり乗り気でなかったのだが、フタを開けてビックリ。
あなたが変わる 家族が変わる アルコール依存症からの回復を書いたひとだった。
ぼくがアルコール依存症で専門クリニックに連れていかれた時、真っ先に薦められた本だ。
サブタイトルに「夫婦で読むテキスト」とあって、当時まだ独身だったぼくはあまり気乗りしなかったが、それでも依存症のことが分かりやすく書いてあって、とてもためになった。

講演は、三重県、愛知県の依存症治療の現状、初期介入の技法などが中心だった。
内容は分かりやすく、勉強になった。
印象に残ったのは、猪野先生がアルコール依存症の治療を始めるようになった原体験の話。
あるアル中の自宅を訪問したところ、アル中の夫が奥さんの頭をつかんで何度も柱に叩きつけているところに出くわしたそうだ。そしてそれを、2階から子どもが声を失って見つめている。
その光景が、いまも猪野先生をアルコール依存症の治療に向わせているモチベーションになっているそうだ。
似たような話は、ぼくもAAに通い始めたころたくさん聞いた。
いまの新しい仲間はそこまで行かないうちに専門クリニックや自助グループにつながってくることが多い。でも新しい仲間だってぼくだって、子どもの目の前で妻を打ちのめす、ひどく暴力的なアル中になっていたかも知れない。
言葉の端々から伝わってくる猪野先生のやさしさ、熱い使命感に、何だかとてもうれしくなった。

講演後、思い切ってぼくも質問をしてみた。
共依存について。
猪野先生は講演の中でも「共依存」と言う言葉を使わなかった。ぼくの質問にも、「家族は依存症の犠牲者であり、治療をする側は共感と愛情を持って接し、協力的な関係にならなければ」と答えていた。
そう言えば信田さよ子氏も以前、同じようなことを話していた。共依存症とは、アル中本人に巻き込まれていくうちに考え方や行動のパターンを変えざるを得ず、結果的にアル中の悲惨な状況に適応してしまった、一種の過剰適応のようなものだ、と。だから「共依存」と言う言葉でアル中の家族にレッテルを貼るのは、家族を2重に傷つけてしまう可能性がある、家族が病んでいたとしても、そこに共感をやさしさのまなざしを向けないといけない、と。

そのとおりだ。
ぼく自身、共依存という言葉を使う時、その対象に対してわずかにでも非難やさげすみの気持ちがなかっただろうか。「あのひとは、あの家族は、共依存だから」と言う時、相手にレッテルを貼っていなかっただろうか。
浅ましいことだ。
自分がさげすみを受けていると感じたときは、ひどく傷つくのに。
いろんな意味で勉強になった講演会だった。

愛と共感と安らぎが、いつもわれわれと共にありますように。

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