中学のクラス会
そもそもは去年の暮れに実家に届いた往復はがきだった。
中学の同級生からのクラス会の案内だった。今までも何度か届いたことがあったが、毎回欠席の返事を出してそれきりだった。
母が「たまにはアンタも出席したら」と言い、ぼくも「そうだね」となんの考えもなく返事をした。そのまま出席に丸を付けて、返事の投函を母に頼んだ。
が。
だんだんその日が近づくに連れて気が重くなってきた。
最後に中学のクラス会に出たのは、かれこれ10年も前だ。そのころぼくはバリバリのアル中で、久しぶりに会ったクラスメイトにろれつの回らない言葉でからみにからんだ記憶がある。
それからもいろんなことがあった。
ぼくが酒で数々の失敗をしたこと、入退院をくり返したこと、アルコール依存症のことは旧友たちの間では知られている。なにせ、前の妻が旧友の何人かに相談の電話をかけていたのだから。
出席したくない。
過去のクラス会でぼくのことが語られている光景が目に浮かぶ。声を潜めて「○○くん、アル中で入院してるんだってよ」「奥さんも逃げ出したらしいよ」と語られている光景が目に浮かぶ。ばっくれてしまおうか。しかしそれではなんの解決にもならない。自分のこころの重荷がますます重くなるだけだ。
意を決して、出かけることにした。
正月の3日。朝から気が重い。のろのろとネクタイを締めて会場へ出かける。
10分ほど遅れて会場に到着すると、すでに受付も片づけられてて歓談が始まっている。
総勢20人弱。幹事にあいさつをして会費を払い、はしっこのテーブルに座ると、もうどうしていいか分からなくなる。妻に電話してケータイを鳴らしてもらい、仕事を言い訳にして帰っちゃおうか。
そう思っていると、となりの男子が声をかけてくれた。クラスきっての悪たれで、何度も補導されていたヤツだ。中学を卒業した後も、ちょっとここには書けないようなハデな経歴の持ち主だ。
「いまどこでどうしているとか、いままでどうしてたとか、そういう話はやめようじゃねぇか。オレもちぃっとひとさまには言いづれぇからよう。なぁ!」
その言葉にホッとする。まさか彼の言葉に救われるとは。
彼としばらく話をしていると、そのうちかつての担任がグラスを持って席を移ってきてくれた。
あまりこちらの近況なんかは尋ねない。お子さんの話やら、いま赴任している学校の話、それからわれわれの担任をしていたころの話を楽しそうに語ってくれた。
それを聞いているうちに、だんだん気持ちがほぐれてくる。昔はさんざん反抗して突っかかっていったものだが。
しだいに座がなごんでくる。ぼくを手招きして呼んでくれるものもいる。
彼ら、彼女らと近況やら中学時代の話をする。酒のことも聞かれたが、「病気をして、それ以来飲んでいないんだ」と言うとさすがにそれ以上は聞かれなかった。気がついたら離婚のこと、再婚のことも、なんのこだわりもなく自分から話をしていた。
おそれは、自分の中にあった。
さげすまれるのではないかという恐れ。偏見と嘲笑にさらされ、プライドを傷つけられるのではないかと言う恐れ。
たとえほんとうにそうなったとしても、自分の中に確固としたもの(信仰と呼んでも差し支えないかも知れないが)があれば、ここまで恐れることはなかったんだ。
自分の中の恐れが嘲笑の幻影を生み、さらに恐れを増幅していた。
気がついた途端に恐れは消え、クラス会はただのクラス会で、ぼくはかつてのクラスメイトたちと久しぶりに話し、笑うことができた。
「慰められるより慰めることを、理解されるより理解することを、愛されるより愛することを、わたしが望みますように」という一節が頭に浮かぶ。
旧友たちは良き父となり、良き母となり、良き社会人となっていた。ぼくが反抗していた担任教師は、穏やかでやさしさのこもった言葉をわれわれに語ってくれた。
行って良かった。
2次会はパスしてアパートに帰る。緊張のあまり、ほとんど食べ物に手を付けることができなかった。妻とふたりでラーメン店に出かけ、クラス会のことを話す。
都合がつくなら、次回も参加しよう。もし理由を付けてドタキャンしていたら、きっと二度と行くことはなかったろう。
おそれ。やっかいな感情だね。
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