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2006年10月21日 (土)

酒をやめる力、生きる力

今夜はホームグループのミーティングだった。
テーマは「神に生かされている」。
きのう考えていたことが引き続き頭の中にあった。
自分は次第にAAからフェードアウトして行ってしまうのだろうか。
今までと同じペースでミーティングに来続けるのはだんだん難しくなってきている。
仕事も家庭も大事だし、つぎつぎといろんな予定が入ってくる。
ミーティングには来続けたい、でも、でも、でも・・・。

仲間の話の中から「生かされている」という言葉が胸の中に飛び込んできた。
続いて、「自分の力で酒をやめているんじゃない」と言う言葉も。
その言葉が仲間の話の中から飛び出してきて、自分の胸の中に突き刺さってきた。
そのとき、答えが来た、と感じた。

そうなんだ。
ぼくはアルコールに無力だ。
飲酒をコントロールする力を無くした。何度も何度も酒の問題を克服しようとして、ことごとく失敗してきた。
あらゆる試みが敗れ、仕事もクビになる寸前で、いつも死ぬことばかり考えていた。
その自分がいま、酒をやめている。やめ続けている。
自分でやめられたんじゃない。
AAと、神に酒を止めてもらった。いま現在も止めてもらっている。
自分の力じゃない。
アルコールに無力なぼくを、AAと神が酒を止めてくれている。
生きる力を与えてくれている。
いま自分が社会の中で生きて行ける力はすべて、与えられたものなんだ。
だから、仕事や家庭とAAの優先順位なんて、そもそも悩むような問題じゃないんだ。

シンプルに考えよう。
悩むのは、揺れるのは、自分の中の原則が揺らいでいるときだ。プリンシプル。ルール。ファンダメンタル。なんでもいい。
原則がシンプルでクリアなら、よけいな迷いは生まれない。
ぼくはAAで生きる力をもらっている。それが大原則だ。支社、本部、家庭、日々のミーティング。こまかいところで迷うのは、その大原則が薄らいでいたからなんだ。
ぼくはアルコールに対して無力だ。自分で試みた方法はことごとく失敗し、AAだけがぼくの酒を止めてくれた。
忘れてはいけない、大事な事実。

もちろん原則が見つかったからと言って業務が減るわけじゃない。相変わらずミーティングやサービスに取れる時間は思うように行かないにちがいない。
でも原則がしっかりしていれば、ぶれない。揺れない。希望を持って生きて行ける。

それ以外にも、今夜のミーティングは仲間の言葉のひとつひとつが胸に染み込んでくるようだった。
しんとして、あたたかい雰囲気で、目に見えないAAの力が会場を包んでいた。
まるで神さまがそこにいるみたいだった。いや、ほんとうにいたのかも知れないな。
いつかまたきっと、ぼくは同じような問題で同じように迷うだろう。
その時は迷わずミーティングに行こう。仲間の話に真剣に耳を傾けよう。
答えはミーティングの中に見つかる。必ず見つかる。
先行く仲間がいつも言っていたように。

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コメント

お久しぶりです。
自分はカオルさんの悩みは本来良いものだと思いますよ。思うと言うか、当然の事で自然な事です。
思いなおしたところで申し訳ないのですが。。。

といいますか、「神に生かされてると思う謙遜」と、「AAミーティングに何も考えず出席し続ける事」は、イコールの時期もあるけれども、

イコールにならない時期が必ずやってくるからです。

まさに自立時期です。これをメンバーは根拠無く恐れから否定し、それをワガママと言ったり、飲む方向へ言っていると表現したりもするでしょう。そしてその中で洗脳され続け、「そうだ」と自分に言い聞かせるようになります。そしていつまでもミーティングを信じてミーティングに依存して生きるようになります。これは自由ではなくただの囚われです。

神からミッションをいただいたとして
みながみなAAでの働き手になるとは限らないのです。
離れるからといって飲むということもイコールにはなりません。AAを自由に活用しながら、世の中の色々な問題や責任に対して働きかけていくというミッションもあるのです。無論、色々なミッションがあります。
神は自由を与えたいと願っているのに
神の器を小さく捕らえ、ここから離れればなんとやら
と「恐れ」を基準にした生活をする事は

神に背中を向けることと同じです。
若しくは、神に変わって自分が人生をコントロールするという事になります。

自分は、同意を得たい為にコメントしている訳ではないので、是非ご参考までに聞いていただきたいだけです。悪気は無いので心配しないで欲しいと思います。

神は自由を与えました。
新しい器として成長したカオルさんを
神は何に使いたいとお思いでしょうか。
小さい中で考えないで下さい。
神は、私たちの知恵も知識も経験も超えているのです。
私たちを「作った」方だからです。

ネガティブでしたでしょうか・・・・

投稿: 良い悩みだと | 2006年10月25日 (水) 14:07

こんばんは、「良い悩みだと」さん。
コメント、ありがとうございます。お久しぶりですね。
今回のご意見、いつものように繰り返し読ませていただきました。

>みながみなAAでの働き手になるとは限らないのです。

ぼくもそう思います。
じっさい、AAで飲まない生き方を得、その後はAAを離れ、さらによい生き方をしている方もいるでしょう。
「AAを自由に活用しながら、世の中の色々な問題や責任に対して働きかけていくというミッションもあるのです」と言う言葉も、その通りだと思います。

飲まないでいるにはAAにつながり続ける以外にはない。AAから離れてしまえば飲んで死ぬか、飲まないにしろひどくみじめな生き方しかできない。

そういうありがちな伝説は、ぼくははなから信じていません。
回復とともに、自助グループと自分自身の関係は変化して行くものだと思っています。
AAを巣立って、さらによい生き方をしている方もいるでしょう。
適度にミーティングに通いながら、AA以外の生き甲斐や幸福に軸足を移していく方もいるでしょう。
AAとの関係が変わり、卒業していくひとがいても、そのひとがしあわせになったり自己実現できたりするのであれば、ぼくはそれは祝福すべきことだと思っています。

また、AAのやり方や一部の仲間に対して違和感を抱き、信念と決意を持ってAAから離れる方もいるでしょう。そういう方にも、ぼくは敬意を表して見送りたいと思っています。

AAで飲まない生き方を得て、その後AAに留まり続けず、オルタナティブな選択をするひとたち。一方、AAメンバーとしての生き方を保ち、伸ばしていくひとたち。どちらが良いとか悪いとか、ましてや上だとか下だとか、そういうことはないとぼくは考えます。

ただぼく個人は、いまのところAAメンバーで居続けたいと願っています。
AAプログラムと仲間とミーティングから得るものが、まだまだ自分には必要です。
将来的にはどうか?
それはまさに神のみぞ知ることでしょう。ひょっとしたらAAを離れたところで神のミッションを授かるかも知れません。あるいはAAで仲間の手伝いをするのがぼくの使命なのかも知れません。
ただ、いまのところぼくにはAAが必要だし、離れるつもりはありません。

いずれにせよ、もしオルタナティブAAな方々が旅の途中でふたたびAAに立ち寄ることがあったら、敬意を持って接したいなーと思います。
AAを離れたメンバーで、ぼくにすばらしい気付きをくれた方もたくさんいました。
彼ら(彼女たち)がもしAAに立ち寄ることがあったら、再会をよろこび、お帰りなさいと言って迎えたいですねー。
そして彼らの言葉に謙虚に耳を傾けたいと思います。

ネガティブだなんて、とんでもない。
ネガティブうんぬんの件は、済みませんでした。
また遊びに来てくださいね。

投稿: カオル | 2006年10月28日 (土) 23:11

確かにそうですね。
もし離れる必要がある場合は、
もっと確信を持てるでしょう。
離れる寂しさを感じながらも、前進すべき導きがあることが感じ取れるでしょう。霊的に受け取るものですからね。

否が応でもその方向に向けられるかも知れませんし
色々です。神の導く方法は。

自分も、何が良いか悪いか(上か下か)と言う話を
したつもりはありません、そんな風に聞こえましたか。自分には、「自分から見てどうか」、
と言う見解は、いつも特に無いのです。
そもそも良いか悪いかなどの観点を持つ権利など
必要ないですからね。人間の側に。
それぞれミッションが違うというだけのことです。

自分も、神の計画が実行されるときは
時にバッサリといくと言う場合もあったので、
驚く事がよくあります。

思えば当然ですね、自分が作った世ではないのですから。

投稿: 続・良い悩みだと | 2006年10月31日 (火) 10:17

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