彼の問題、自分の問題
仕事の量が減らない。
火曜の仕事が、あすから9月いっぱいまでおやすみになる。
毎回、90分のプレゼンテーションのために資料の準備だのPowerPointのスライド作成だの、かなりの労力を費やしてきた。
しばらくおやすみになるから仕事の量が減ると思ったら、ゼンゼン減らない。かえって増えている印象。
やってもやっても、つぎつぎと仕事が舞い込んでくる。
一生懸命こなしてるからほめられたり評価されたりしているのかと言うとそういうこともなく。
「はい次これ。はいその次はこれ」と言う感じ。
むぅ・・・。
うちの支社トップは自分の意見を言わないタイプだ。
意見を聞いても、のらりくらりとかわされる。意見がないわけではない。ただ言わないだけ。
きっと意見をはっきり言ってまっこうから否定されるようなことが過去にあったのだろう。慎重に慎重に、まわりに意見を言わせて、だんだんに自分の考える方向に全体を持っていくのが彼のやり方だ。
そのため話を持っていくときには、彼が内心ではどう思っているのか、様子を窺いながらおそるおそる話すことになる。
仕事が少ないときにはそれでもいい。
だがこうも仕事が立て込んでいると、支社トップの顔色をうかがって、自分の方針が彼の方針とずれているのかどうか絶えずチェックするのが苦痛になってくる。
先日も、ある資料を「ぼくが作った方が良いですか」とたずねた。本社からの若手の研修が来る。その受け入れ態勢だのスケジュール表だのを作って、支社内に配布しなくちゃ行けない。
支社トップの仕事のようでもあり、ぼくの仕事のようでもあり。分担がはっきりしない。研修が来る期日はどんどん迫ってくる。支社トップが自分で作るような話は出てこない。支社トップにお伺いを立てた。
「わたしの方で作成した方が良いでしょうか?」
「はぁ、まぁ、それではお願いします」
そう言われたので一生懸命作った。
過去の資料を引っ張り出して、各方面にスケジュールを聞いたりしながら、かなりの時間と労力を費やして。
で、支社トップに渡した。
しかし、「はぁ、どうもご苦労さま」とあまり気乗りしないような返事。なにか彼の気に障るようなことをしたのか。資料の趣旨が彼の思惑とちがったのか。しかしそれ以上何も彼が何も言わないので、ぼくも何も聞かなかった。
で、次の日。
「きのうの会議の資料です」
そういって支社トップがぼくにいくつかのコピーをくれた。
その中には、支社トップが自分で作った(正確には関係書類を寄せ集めてコピーした)、研修受け入れ体勢とスケジュールが入っていた。
・・・・。
正直、非常にガッカリした。
忙しいさなか、かなりの時間と労力を費やして作ったんである。支社トップが自分で作るのなら、最初からそう言ってくれれば良かったのに。
あるいはぼくが作った内容に納得が行かないから、自分で作り直したのか。
引用元が同じだから、中身はほとんど同じなのだが。
そのまま、ぼくがその資料を作ったことは「なかったこと」になった。
研修の件は、支社トップの資料(くどいようだが、ただのコピーだ)を使って進めることになった。
ちきしょう。ちきしょう。作れって言ったから作ったんじゃないか。
使わない資料をわざわざ作らせるなんてひどいじゃないか。ひどいじゃないか。
むかしクリント・イーストウッドが囚人役の映画を観たことがある。
看守はイーストウッドに「そこに穴を掘れ」と言う。何の穴かは言わない。
イーストウッドがヘトヘトになって泥まみれになって穴を掘る。穴を掘り終わると看守はこう言う。
「それじゃ、その穴を元通りに埋めろ」と。
何の目的もない、純粋に無益な作業。徒労。ひたすら徒労。くじけそうになるイーストウッド。
目的の見いだせない、意味のない作業にひとは耐えられない。
徒労感。どうせやっても無駄だ感。これほど萎えるものはない。
ここ数日、この件がアタマから離れなかった。
支社トップが信じられなくなった。もう言われたことだけ、最低限のことだけやるようにしよう。自分の意志や意見は、表に出さないようにしよう。積極的に意見を出したりするのはやめよう、と。
でも、ミーティングで仲間の話を聞いているうちに、ハッと気がついた。
これは、支社トップの問題だ。ぼくの問題じゃないんだ。
口下手で意思表示が臆病で、部下と同じ資料をダブって作ってしまっても「なかったこと」にするしかできなかった支社トップ。コミュニケーション能力のある部分に何かが不足している支社トップ。
でもそれは彼の問題なんだ。ぼくの問題ではないんだ。ぼくがそのことに囚われる必要はないんだ。
そう、ぼくは囚われていた。頭の中がネガティブでいっぱいになっていた。
ひとの問題は手放そう。ぼくはぼくの問題に取り組もう。
そう思ったら、ミーティングの途中で急に何かが変わったような気がした。
こころが軽くなった。
ぼくはぼくが作るべき資料を作った。それを上が使うか使わないか。それもぼくの問題じゃない。ぼくは与えられた仕事を期限内に終えた。それでいいじゃないか。
この件で傷ついたのは、ぼくのプライドだけだ。誰かに迷惑をかけたり、損害があったわけじゃない。
ぼくが気にしなければ、それでいい。
支社トップも悪いひとじゃない。意思決定が弱かったり自分の意見を言わな過ぎるところがあるけれど、でも基本的には善人だ。周囲への気遣いがこまやかで、偉ぶったところのない、長所もたくさん持っているひとだ。
冷静に考えれば、今回の件は単なる行き違いだろうと思う。
でも、そうであろうとなかろうと、ぼくはいままでどおり、彼に接するようにしよう。彼や支社を支えるよう、積極的に仕事をしよう。
彼の問題は彼のもの。ぼくはぼくの問題に取り組む。
愛と共感と安らぎが、常にわれわれとともにありますように。できればユーモアとロックンロールもありますように。
ピース。
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