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2006年7月 9日 (日)

さげすみ

出張一日目。全国から同業者が集まる、ちょっとした大会の一日目。
その日の講演が終わって、会場からいっせいにロビーにひとがあふれ出した。そのまま同じ会場の別のホールで懇親会が始まる。ぼくはミーティングに出るため、懇親会はパスするつもりで出口を探していた。
すると、ロビーの一角に見知った顔を見つけた。
ひとりは先輩。もうひとりは後輩。
先輩はぼくが本部にいたときにお世話になった方だ。よく面倒を見てもらったし、気心も知れていた。
後輩の方は、むかし一緒にバンドを組んだこともあったヤツだ。よくバカなことを言ってはふざけあっていた。
両方とも、ここ数年会う機会がなかった。こんなところで会うとは。
一日目の日程が終わった解放感もあり、なつかしさもあり、思わず二人に話しかけた。
どうもどうも、ごぶさたしています。ひさしぶりですねー。お元気ですか。

ところが二人とも、どうも様子がおかしい。ぼくが話しかけた瞬間、ふたりともぎょっとして体を固くしたように見えた。
先輩は「おう・・・」と言ったきり、まるっきりあさっての方向に体を向けてしまう。
後背の方は「○○(ぼく)、いまどこの支社にいるの・・・」と言葉を返したが、やはり様子がおかしい。ひとなつっこくて言葉数の多い後輩が、それ以上何も言わない。たがいに目配せをして、ぼくの方を見ない。
少なくとも、先ほど二人で打ち解けて話をしていた雰囲気は一瞬になくなっていた。
こわばった表情で、気まずそうな、居心地の悪そうな顔で、ぼくの視線を避けている。
なんだ。なんなんだ。いったいどうしたんだ。

その瞬間、思い出した。
本部にいた最後のころ、そして前の支社に移ったころ。そのころぼくの酒は最悪の状態だった。
ウワサ好きなこの業界。ぼくのアル中が界隈の支社で尾ひれがついて広まっていたのは想像に難くない。いや、想像じゃなく、じっさいにウワサになっていた。
もう8年以上も前のことだ。そんなウワサはとっくにひとの記憶から消えているものだとばかり思っていた。
でも、このふたりのただならぬ態度は、まさに「困ったひと」から話しかけられた態度だった。

さげすみ。
ぼくはいま、目の前のふたりからさげすみの目で見られている。
かつて楽しい時間を過ごしたひとたちから、軽蔑され、不快感をあらわにされている。

ぼくは簡単にあいさつをして、その場を立ち去った。
先輩の方は最後までぼくを見なかった。何も言わなかった。
品川駅に向かう途中、いろんな思いが込み上げてきた。怒り。屈辱感。打ちのめされた思い。悲しみ。ショック。
彼らの一方的なさげすみに、もちろん腹が立った。でもそれ以上に悲しかった。
かつて親しくしていた人間からこんな態度を受けたことがくやしかった。

でも。
そのあとミーティングで話したら、少しずつ落ち着いてきたよ。
彼らとの短い遭遇を、何度も思い出してみる。何度思い出しても、やはりあれはさげすみなんだろうな、としか思えない。そのたびに、叫びたいような衝動に駆られる。いったいいつの、どんな無責任なうわさ話を信じるつもりか、と。ぼくのその後のことを何も知らないで、いい加減なうわさをしてるんじゃない、と。
でも、もういい。もういいんだ。
ひとは自らの信じたいことを信じる。彼らはぼくに関するひどいうわさ話を信じ、ぼくを軽蔑の対象と見る。
でもそれは、彼ら自身の問題だ。
ぼくはぼくの信じたいことを信じる。家族と、ごくわずかな友人と、仲間たちと、いま本部や支社で関わっているひとたちを。AAプログラムと、自分の信念を。
彼らを許すことができるだろうか?いまはできない。
でももう少し未来に、彼らのことを許せるようになっていたいな、と思う。
DOGVILLEは「ひとを許すなどというのは傲慢ではないか?」という重いテーマを含んでいた。ひとを許すなんて何さまのつもりだ、神にでもなったつもりか、と。
でも。それでもぼくは許したい。思い上がりでも傲慢でもなく。
だって、許さないと、ぼくは生きて行けない。そんなものを抱えたまま生きて行けるほど、ぼくはタフじゃない。
怒りや恨みを抱えたまま生きて行くのはイヤだ。自分をそんなもので変えてしまいたくない。
誰かが前にコメントをくれたように、ぼくはネガティブな感情に弱い。怒りや軽蔑をぶつけられると、どうしようもなくうろたえる。オタつく。
だからこそ、軽蔑に立ち向かったり、怒りに怒りで応えるようなことはしたくない。
無理解と不寛容。それに対し、自分も無理解と不寛容で応えるようなことはしたくない。

かつて彼らとぼくは楽しい一時を過ごした。でもそれはもう終わってしまった。あたたかさと思いやりは春の雪のように消えてしまった。
でも、これが最終回じゃない。チャンスはまたきっとやってくる。
そのときはきっと、とびっきりの笑顔で彼らと冗談を言いあうんだ。
そのときはかならず来るって、ぼくは信じている。

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コメント

 カオルさん。もしかしたらカオルさんの妄想かもしれないですよ。というのは私も同じようなことを経験したからです。8年も会ってなかったからどう反応していいのかわからなかったのかもしれない。私の場合結局勘違いだった。だけど、私もカオルさんと同じようなことを考えると思う。事実なのか、私の妄想なのか分からなくなってくるんですよね。

投稿: ぷみら | 2006年7月10日 (月) 23:14

こんばんは、ぷみらさん。
そうですね、妄想かもしれませんねー。
よく考えてみたら、だんだんそんな気もしてきましたよ。
ぷみらさんの言葉ではっとさせられましたよ。
ありがとう。

こういう状況だと、とにかく劣等感が反射的に出てきちゃうんですよね。
事実なのか妄想なのか。むずかしいです。
飲んでたころの知り合いには近づかないほうがいい。
先行く仲間の言葉を、またしても思い知りました。

投稿: カオル | 2006年7月10日 (月) 23:33

カオルさん、御無沙汰。元気そうで、何より。
簡単に言うね。
彼らには、真実の愛がないんだよ。
それだけ。
表面的におつきあいしてく分には、きっといいやつだったんだと思うんだ。
でも。
この業界の特性もあるかもだけど。
愛がないんだよ。
それ以上でも、それ以下でもない。
カオルくんに対してだけじゃなくて、生活全般にそうなの。


だから。
そんなことに傷付かなくていい。
貴方の周囲には、真実の愛情を持っている人が
たくさんたくさんいるよ。
大丈夫。


いやいやいや。
うちの師匠の受け売りなんですけどね。
わはは。

投稿: あるしす | 2006年7月18日 (火) 18:45

こんばんは、あるしすさん。
ありがたいことに、日々忙しく過ごしているおかげなのでしょうか、今回のこともだんだん記憶から遠ざかりつつあります。
今回のふたりの不自然な態度がさげすみだったのか、それともぼくの妄想あるいは過敏な受け取りだったのか、いまとなっては確かめようもありません。
でもこういうことがあるとてきめんに傷ついちゃったり打たれ弱かったりするのは、やっぱり自分の弱点。
できればもっとタフになりたいなーと思うのであります。
そして、あるしすさんの言うとおり!周囲のひとたちをたいせつにして生きていきたいと思います。
囚われると、きりがないですものね。

しかし近ごろ忘却力がついたというか、近ごろいろんなことをどんどん忘れていくで、自分で自分に驚いております。
ミョウガを食べると良いんでしたっけ。
これ以上の物忘れはできれば食い止めたいものです。
きょうの晩ご飯はミョウガのみそ汁を飲んだんで、これでちょっとはだいじょうぶだー!はっはっは〜!

投稿: カオル | 2006年7月18日 (火) 20:58

数ヶ月・・・前でしょうか。
ネガティブなコメントをしていると言う感想をいただき、
さらに、あなたは批判に弱いと申し上げたものです。

もう元気になられましたね。
そう・・・・
人を赦すのは、洗練された技術と絶え間ない努力が
必要です。

時々休みますが、
また続けます。神ではないから、完成できなくても
続けるのです。それは傲慢ではありません。


生きるとは・・・愛すること
愛するとは・・・理解すること
理解するとは・・・赦す(ゆるす)こと
赦すとは・・・赦されること
赦されるとは・・・救われること


見た目ではないですね。
心の中の作業ですから。

今日もネガティブだったでしょうか。

投稿: ネガティブなコメント | 2006年7月20日 (木) 23:43

こんばんは、ネガティブなコメントさん。
前回のコメントはその後、何度も読み返しました。
鋭い指摘もあり、いまでは考える良いきっかけをいただいたと思っています。
ありがとうございました。
今回のコメント、ちっともネガティブじゃないですよ。
愛と共感の気持ちはたいせつだなってあらためて思いました。
またぜひ来てくださいね。

投稿: カオル | 2006年7月21日 (金) 19:26

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