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2006年7月31日 (月)

帰ってきましたフジロック06

フジロックから帰ってきました。
いやはや、つかれた。
テント泊はゼンゼン苦にならなかった。キャンプみたいで楽しかった。
が、会場内がつかれた。
とにかくものすごいひと、ひと、人の波。
朝、キャンプサイトを出るのにも行列。ひとがあまりに多すぎて、歩道が渋滞。
トイレも、食事を買う屋台も、グッズショップも、何もかもが長い長い順番待ち。
人が多いから、ステージ間の移動にすごーく時間がかかる。お目当てのバンドを見ようと思ったら、相当早めに移動を開始しないと間に合わない。
でも、それでもすごくたのしい3日間でした。
全国のロック好きが集まって、ロックの天国の3日間。
ふだん見れないバンドをガツガツ見て回るも良し。アバロン後方の草むらで寝ころんでいるも良し。ところ天国の河原で水遊びしているも良し。フェス飯を食いまくるも良し。
開放的で自由で、なんだかその場所にいるだけで胸が高鳴ってくる感じ。
日が落ちると、会場のあちこちでいろんな光のアートが始まる。ほんの数時間しか客の目に触れないにも関わらず、そのひとつひとつに趣向が凝らされている。
それを見ているだけでも、来て良かったと思えてくる。

Fujirockcandle01

ぼくのベストアクト。
サイレント・ブリーズでのシークレット(なのかな)ライブ、ギターパンダ。
大好きなギターパンダがフジロックで見れると思わなかった。
マイクもギターアンプもない、草原の上での文字通りのアンプラグド。
疲れが吹っ飛んで、すごく元気になった気がした。

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2006年7月30日 (日)

ライブもたいへん、お風呂もたいへん

ライブもたいへん、お風呂もたいへん

お風呂に入れないのがさすがにツラくなってきた。
ので、苗場の温泉街の日帰り入浴にきてみた。
ゆうべテントに戻ってきたのが2時前。風呂起床が5時。ツラいけど人混みを回避するには仕方ない。
それにしても遠い・・・。
テントから40分以上歩いたろうか。ようやく着いた「雪ささの湯」、さっぱりといい湯でした。
きょうが最終日。フィッシュマンズ、楽しみだな。

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2006年7月29日 (土)

フジロック2日め

レッチリが終わってルーキーに移動してきたところ。
今夜も朝までライブが予定されているんだからすごい。
しかし足腰がクタクタ。

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2006年7月28日 (金)

ひと大杉・・・。

ひと大杉・・・。

矢野顕子前のオレンジ。いやはや、どのステージもすごい人。クロマニヨンズのステージでは、前列7列めにいたわれわれ。妻があまりに激しいモッシュのためリュックの中身を地面に落とすハプニングが。
カメラ紛失。
ゴアのレインウェア、グシャグシャ。
ケータイ、ボロボロ。
いやしかし死ぬかと思うくらい激しいモッシュで、奥さんが無事で何よりでした。ほんとに将棋倒しになるかと思ったもん。
午後はオレンジ後方の土手でまったりしてます。

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キャンプサイト

キャンプサイト

昨夜はバス待ち、テント設営その他で前夜祭は間に合わず。けさは曇り空。お天気、持つといいなー。起きるなりトイレ行列です。キャンプサイトだけでもすごい人。

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2006年7月27日 (木)

フジロックフェスに出発!

これからフジロックフェスに出発します。
荷物はきのうのうちに送っておいた。あとはリュックを担いで、苗場をめざすのみ。
天気は悪いらしいけど、でもなんかすごくワクワクしてきた。
たのしみだなー。

そう言えばきのうのミーティングでフジロックに行ってくる話をしたら、うちのグループのケーキ部長にえらいウケていた。
聞いたら、いままでに3回もフジロック行ったことがあると言う。
おお、ロックを聴くような人には見えなかったのだが・・・ましてやフジロックに行くようなひとには見えなかったのだが・・・。
ホント、ひとって意外な一面を持っているものですね。
月曜のミーティングで土産話ができるといいな。
それでは行ってきます。ドキドキ。

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2006年7月26日 (水)

やっと晴れた

ぐずぐずとはっきりしないお天気がつづいてたが、ここにきてやっと晴れ間が見えてきた。

Sunnyday01


仕事、結局終わっていない。
フジロックの前に片づけちゃいたかったんだけど。
あすの日中でできれば片づけたいが、おそらく無理でしょう。
完璧主義はやめよう。できなくても、よしとしよう。
あすからも、お天気が良いといいな。

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2006年7月25日 (火)

英語、終わったス

英語、何とか終わったス。
徹夜はしなくてすみました。ホッ。
で、けさ本部にまとめたものを持って行ったら、もっと締め切りのタイトな課題が入っていて。
結局、今回ぼくがまとめたものはもっと先にみなで検討することに。
やれやれ。近ごろ、こんなんばっかりだなー。
遅かれ早かれやらなければいけないことだったから、まずは終わって良かった良かった。
さて、あと一件、締め切りが近いのをやっつけよう。
泣いても笑っても、あさってからはフジロックが待ってるんだ。

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英語でヘロヘロ

本社関連の仕事が終わらない。
ただいま7月25日、火曜日。午前1時30分。
午前10時までに英論文に目を通してまとめ、持っていかなくちゃいけない。

While supported employment specialists may directly compensate for the effects of impaired cognitive functioning or symptoms on work, the potential for developing other compensatory strategies that are less likely to foster long-term dependence on vocational services should not be overlooked.

む、むぅ・・・。
だんだん構文を解読するのが面倒くさくなってきた。何だってこんなに長たらしいセンテンスなんだよー。もっと短い分で、分かりやすい単語で書けよう。書いてくれよう。ホント泣きたくなってきたなー。
時間は過ぎる。
解読は進まず。
そうだ!
翻訳サイトに突っ込んじゃえ!

支援された雇用専門家は害された認識の機能あるいは仕事中の徴候の影響を直接補っているかもしれませんが、職業のサービス上の長期的な依存を促進しそうでない他の補償の戦略を開発する可能性は見落とされるべきではありません。


ああ、やっぱり・・・。あまり期待はしてなかったが、やっぱり・・・。
翻訳サイトを当てにせず、自分できっちりやりなさいってことですね。
がんばりましょう。
これが終わればフジロックに行けるんだ!

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2006年7月24日 (月)

フジロックフェス、清志郎の代打はナシ

きょうのフジロックフェスの公式サイトに、主催の日高氏のコメントが掲載された。

FUJI ROCK FESTIVAL'06

喉頭ガンのために急きょキャンセルとなった忌野清志郎。
その後の病状も気になるが(きょう発売のAERAに何か載っているらしい)、フジロックも気になる。
まさかメインステージを3時間も空白のままにはできまい。
と。
思ったら。
日高氏のコメント。

それと彼の代わりのバンドは有りません。何故ならば清志郎は清志郎でその代わりは無いと思うからです。理解して下さい。

そ、そうか・・・?
たしかに忌野清志郎はほかの誰にも代役の出来ない、オリジナリティあふれる希有なアーティストだと思う。
しかし、清志郎という個性が代替不可能なことと、イベントの主催者がメインアクトの代替案を用意しないこととは別だと思うのだが。
まぁ、たしかに清志郎クラスのアーティストを急に用意するのもむずかしいんだろうね。

もう一つボーカリストの咽の状態が悪くキャンセルになった。Clap Your Hand SayYeahはJenny Lewis がカバーします。

こちらは代役を立てたか。

それにしても、この雨は一体いつ止むんだろう?

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2006年7月23日 (日)

彼の問題、自分の問題

仕事の量が減らない。
火曜の仕事が、あすから9月いっぱいまでおやすみになる。
毎回、90分のプレゼンテーションのために資料の準備だのPowerPointのスライド作成だの、かなりの労力を費やしてきた。
しばらくおやすみになるから仕事の量が減ると思ったら、ゼンゼン減らない。かえって増えている印象。
やってもやっても、つぎつぎと仕事が舞い込んでくる。
一生懸命こなしてるからほめられたり評価されたりしているのかと言うとそういうこともなく。
「はい次これ。はいその次はこれ」と言う感じ。
むぅ・・・。

うちの支社トップは自分の意見を言わないタイプだ。
意見を聞いても、のらりくらりとかわされる。意見がないわけではない。ただ言わないだけ。
きっと意見をはっきり言ってまっこうから否定されるようなことが過去にあったのだろう。慎重に慎重に、まわりに意見を言わせて、だんだんに自分の考える方向に全体を持っていくのが彼のやり方だ。
そのため話を持っていくときには、彼が内心ではどう思っているのか、様子を窺いながらおそるおそる話すことになる。
仕事が少ないときにはそれでもいい。
だがこうも仕事が立て込んでいると、支社トップの顔色をうかがって、自分の方針が彼の方針とずれているのかどうか絶えずチェックするのが苦痛になってくる。
先日も、ある資料を「ぼくが作った方が良いですか」とたずねた。本社からの若手の研修が来る。その受け入れ態勢だのスケジュール表だのを作って、支社内に配布しなくちゃ行けない。
支社トップの仕事のようでもあり、ぼくの仕事のようでもあり。分担がはっきりしない。研修が来る期日はどんどん迫ってくる。支社トップが自分で作るような話は出てこない。支社トップにお伺いを立てた。
「わたしの方で作成した方が良いでしょうか?」
「はぁ、まぁ、それではお願いします」
そう言われたので一生懸命作った。
過去の資料を引っ張り出して、各方面にスケジュールを聞いたりしながら、かなりの時間と労力を費やして。
で、支社トップに渡した。
しかし、「はぁ、どうもご苦労さま」とあまり気乗りしないような返事。なにか彼の気に障るようなことをしたのか。資料の趣旨が彼の思惑とちがったのか。しかしそれ以上何も彼が何も言わないので、ぼくも何も聞かなかった。

で、次の日。
「きのうの会議の資料です」
そういって支社トップがぼくにいくつかのコピーをくれた。
その中には、支社トップが自分で作った(正確には関係書類を寄せ集めてコピーした)、研修受け入れ体勢とスケジュールが入っていた。

・・・・。
正直、非常にガッカリした。
忙しいさなか、かなりの時間と労力を費やして作ったんである。支社トップが自分で作るのなら、最初からそう言ってくれれば良かったのに。
あるいはぼくが作った内容に納得が行かないから、自分で作り直したのか。
引用元が同じだから、中身はほとんど同じなのだが。

そのまま、ぼくがその資料を作ったことは「なかったこと」になった。
研修の件は、支社トップの資料(くどいようだが、ただのコピーだ)を使って進めることになった。
ちきしょう。ちきしょう。作れって言ったから作ったんじゃないか。
使わない資料をわざわざ作らせるなんてひどいじゃないか。ひどいじゃないか。
むかしクリント・イーストウッドが囚人役の映画を観たことがある。
看守はイーストウッドに「そこに穴を掘れ」と言う。何の穴かは言わない。
イーストウッドがヘトヘトになって泥まみれになって穴を掘る。穴を掘り終わると看守はこう言う。
「それじゃ、その穴を元通りに埋めろ」と。
何の目的もない、純粋に無益な作業。徒労。ひたすら徒労。くじけそうになるイーストウッド。
目的の見いだせない、意味のない作業にひとは耐えられない。
徒労感。どうせやっても無駄だ感。これほど萎えるものはない。

ここ数日、この件がアタマから離れなかった。
支社トップが信じられなくなった。もう言われたことだけ、最低限のことだけやるようにしよう。自分の意志や意見は、表に出さないようにしよう。積極的に意見を出したりするのはやめよう、と。

でも、ミーティングで仲間の話を聞いているうちに、ハッと気がついた。
これは、支社トップの問題だ。ぼくの問題じゃないんだ。
口下手で意思表示が臆病で、部下と同じ資料をダブって作ってしまっても「なかったこと」にするしかできなかった支社トップ。コミュニケーション能力のある部分に何かが不足している支社トップ。
でもそれは彼の問題なんだ。ぼくの問題ではないんだ。ぼくがそのことに囚われる必要はないんだ。
そう、ぼくは囚われていた。頭の中がネガティブでいっぱいになっていた。
ひとの問題は手放そう。ぼくはぼくの問題に取り組もう。

そう思ったら、ミーティングの途中で急に何かが変わったような気がした。
こころが軽くなった。
ぼくはぼくが作るべき資料を作った。それを上が使うか使わないか。それもぼくの問題じゃない。ぼくは与えられた仕事を期限内に終えた。それでいいじゃないか。
この件で傷ついたのは、ぼくのプライドだけだ。誰かに迷惑をかけたり、損害があったわけじゃない。
ぼくが気にしなければ、それでいい。
支社トップも悪いひとじゃない。意思決定が弱かったり自分の意見を言わな過ぎるところがあるけれど、でも基本的には善人だ。周囲への気遣いがこまやかで、偉ぶったところのない、長所もたくさん持っているひとだ。
冷静に考えれば、今回の件は単なる行き違いだろうと思う。
でも、そうであろうとなかろうと、ぼくはいままでどおり、彼に接するようにしよう。彼や支社を支えるよう、積極的に仕事をしよう。
彼の問題は彼のもの。ぼくはぼくの問題に取り組む。
愛と共感と安らぎが、常にわれわれとともにありますように。できればユーモアとロックンロールもありますように。
ピース。

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2006年7月22日 (土)

ウドーミュージックフェスがすごいらしい

ウドーミュージックフェス06がすごいらしい。
UDO MUSIC FESTIVAL 2006

オフィシャルサイトの「開演直前リポート」を見る。
キャンプサイト、ガラガラ。
だだっ広いキャンプエリアに、ざっと見50くらいのテントしか立っていない。すごく広々している。

2ちゃんねるのスレを見てみる。

ウドーストック 2006 UDO MUSIC FESTIVAL Part6
とにかくひとがいないらしい。
いない上に、ほかのロックフェスとはあきらかにちがう空間になっているらしい。

「2列めにシート広げてディレクターチェアに座っているヤツがいる」
「最前列からシート、イス広げてる」
「最前列でカップルがシートを広げ、ヌーノ・ベッティンコートのライブ中にサンドウィッチを作っている」
「モッシュどころかちょっと体当たっただけで怒り出す人いそう」
「土曜の午前中福島競馬って感じかな
音楽がどうこうって空気ではない」
「ちょw客自由すぎるww」

おお、おお・・・。
たしかウドーフェスは「ロックフェスの楽しさを、フェス未体験の30代、40代以上のオールドロックファンにも伝え、すそ野を広げる」というもくろみであったはず。
しかしこれでは「ロックフェス」ではなく「こどもの運動会」ではないか。
がんばれオールドロックファン!

・・・しかしひょっとして、日本でいちばん疲れないロックフェスかも。

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2006年7月21日 (金)

フジロックが近づいてきたが

フジロックフェスがいよいよ来週に迫ってきた。
暑いのか寒いのか。どういう天候を予想して装備を用意したらいいのか、予想がつかない。
全天候を想定すればいいのだろうが、持っていける荷物は限られる。
うーむ。
荒吐の反省を生かして、まず余計な衣類は持っていかないようにしよう。
ランタンも、大1コのみ。
あとは雨が降ろうがカンカン照りになろうが、不便な状況を楽しむ、と。
それにしても天気、どうなるんだろう?
どうか台風だけは来ませんように。
土砂崩れなどの災害が降りかかりませんように。

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2006年7月20日 (木)

仙台の横丁

仙台にはちいちゃい横丁があちこちにある。
飲み屋から定食屋、牛タンの店などが、わずかばかりの敷地にぎっしりと詰め込まれている。
表通りからふと道をそれると、まったく雰囲気のちがう裏町が広がっている。
こざっぱりとした表通りと、ゴミゴミしてて昭和の香りのただよう裏手の横丁。

ちなみに、あるお店の店先でこんなのを見つけました。

Yokochou02


ざっと見ただけで100種類以上はある・・・。
ちなみにこれはメニューの2枚目。ほぼ同じくらいぎっしり書き連ねたメニューが、もう1枚あります。
お店のひとはメニューの品名と値段、憶えているんだろうか。ナゾ。

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2006年7月19日 (水)

MacBook、入院・・・

で、不調のMacBook。
先日Apple Store Sendai Ichibanchoに持ち込んだところ、その症状はマザーボード関連の不具合ではないだろうか、とのこと。
点検・修理のためにあずかってくれるというが、しかしなにぶん仙台は遠隔地。
修理が終わったら宅配便で送ってもらえないだろうかと交渉してみたが、それは承れないとのこと。
また、修理が終わってから長期に預かるのもむずかしい、と。
宅配でのやり取りであれば、コールセンター経由の方がいいのではないか、との提案を出されました。

こう書くと何だかお店が不親切みたいだけど、途中の話し合いで紆余曲折あって、この結論にたどり着いただけで。
ジーニアス・バー(アップルストアの中にある、Macの問題を何でも相談してくれる部門。ほんとうに洒落たバーカウンターみたいになっている)のお兄さんは、非常に親切に相談に乗ってくれました。
自分で交換したメモリとHDDが搭載された状態で持ち込んだんだけど、トルクスドライバーとプラスドライバーを貸してくれて、純正の状態に戻すのも手伝ってくれたス。

で、18日の火曜の朝イチでアップルコールセンターに電話。あす20日に、職場に業者がピックアップに来てくれることになりました。
自分でメモリ・HDDを交換しているんで、無料修理の保証範囲外になる覚悟はしていたんですが、コールセンターからの折り返しのメールによれば、保証半以内だとのこと。おお、太っ腹。
あとは無事に修理が済んで、MacBook本来の性能を発揮してくれることを願うばかり。

しかし、メモリとHDD。どうしようかねー。
また壊れたらイヤだしなー。うーん。こんなことなら、高上がりでも購入時にスペックアップしておけば良かった。

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2006年7月18日 (火)

ケーキバイキングで玉砕

ケーキバイキング。
甘い物好きなら誰もがいちどは夢見たであろう、夢の舞台。
ふだんなら1コか2コしか食べられないケーキが、好きな種類を好きなだけ食べられる。至福のひととき。
が。
われわれはオトナになった。現実を知った。
食べ放題は、決して楽園ではないことも知ってしまった。
食べ放題に供される料理は、一品料理のクオリティには遠くおよばない。質より量。メインのダイナーで供されるものとは明らかにちがうクオリティの料理。パテシエが丹精込めて作ったものとは明らかにちがう形状のケーキ。
いちどは思い描いた夢。そして思い知った苦いゲンジツ。
万感の思いを込めて、われわれはこうつぶやく。
「食べ放題。かぁ・・・」と。

しかし。
ここ仙台、Fiore CowBellはちがう。
土日・祝日のみ開催されるケーキバイキング。
そこで供されるのは、ふだんショーケースに並んでいるア・ラ・カルトの数々である。
ケーキバイキングの参加者はショーケースの前に行き、ほかの客が購入するのとまったく同じものを「これ」と指さして食べることができる。
そう。ショーケースのア・ラ・カルトがすべて、ひとつ残らず、余すところなく、食べ放題なのである。
「お店に並んでいるケーキを、好きなだけその場で食べられたら・・・」
こどものころの夢が、まさにゲンジツとなってるのである。
こ、これは参加するしか!

一皿め。
最初の一皿だけ、ケーキを2品取ることができる。
まずは定番のイチゴショート。そしてその隣に並んでいた、一風変わったモンブランを注文。

Cake01


今回ぼくは「端から順番に注文」と言う方法を試みた。
ケーキ屋さんのケーキを、ショーケースの端から順番に食い尽くすのだ。ふふふ、店のものの驚く姿が目に浮かぶようじゃわい。
イチゴショートは、果実がたっぷり入っている。クリームも軽い味わいで美味しい。モンブランは、中に栗が入っている。見た目は軽いが、かなりこってりと濃厚な味わいである。
何の苦労もなく一皿めを平らげ、空の皿を掲げてショーケースに向かう。

Cake02


写真はバナナのケーキだが、これは3皿め。すみません、2皿めは食い気に走ってしまって撮り忘れました。2皿めがブルーベリー(だったか)のタルト。3皿めがこのバナナケーキ。
バナナケーキは、トップのバナナが軽く焼いてあって、それを甘い寒天でコーティングしてある。おいしい。この時点で満腹感が到来しはじめるが、まだまだここからが本番である。

Cake03


4皿め。アーモンドと抹茶のケーキ。甘い。抹茶の味がする。ローストしたアーモンドがカリカリしている。
この辺から、細かい味の違いがわからなくなってくる。「甘い」とか「酸味がある」とか「抹茶っぽい」とかの、大ざっぱな弁別しかできなくなってくる。頭が痛みはじめる。体中の血液に乳脂肪分と砂糖がじょりじょりに混じっている気がしてくる。
ま、負けるものか。

Cake04


5皿め。
チーズケーキのプリン。
チーズこってりのプリンの上に、チーズケーキが乗っかっている。
ふだんなら大喜びして食べているであろう一品である。しかし、ち、チーズがこってりなさってますね・・・ボリュームもけっこう・・・。
写真も明らかにピントがぼけているのだが、趣向を凝らして撮り直そうと言う気が起こらない。と言うかだんだんうまくものが考えられなくなってくる。何かこう、すべてが現実から遊離しているような感覚に陥ってくる。あああ。ケーキが甘い。世界が遠い。

Cake05

6皿め。
フルーツ盛り合わせのケーキ。
ここまでが限界でした。このケーキ、完食することができませんでした。
何とかフォークを持ち上げてケーキを切り取ろうとするんだけど、どうしても一定の場所から先に手が動かない。身体が言うことを聞かない。あああ。
「残しちゃダメだって、受付の人が言ってたよ」
妻の声がどこか遠いところから聞こえてくる。そんなことを言ったって、食べられないもんは食べられないんである。
「半分食べてあげよっか」
そう提案する妻。見れば妻も、かなりの数を食べている。やはり女性と男性では、甘いものに対する耐性もちがっているのか。

結局、半分食べると言う妻に、6皿めのほとんどを食べてもらった。
6皿。合計7コ。実質は6コと少し。
これがぼくのケーキバイキングの限界でした。
あとに残ったのは重たいお腹。甘いものを食べ過ぎたときの頭痛。そして自分の限界に挑戦したと言うここちよい疲労感・・・ウソ。ただ単に食べ過ぎてぼーっとしていただけです。

きょうの結論。
腹も身のうち。

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2006年7月17日 (月)

ステップミーティング

アップルストア Sendai Ichibanchoに行ってきた。
やはり、マザーボード修理になりそうだとのこと。
が、修理の受け取りにいつ行けるか分からないので、コールセンターにお願いすることになった。

帰ってきて、ホームグループのステップミーティングに参加。
月曜日のミーティングに出るのは久しぶりだ。
マイスポンサーに久しぶりに会う。
AAの機関誌BOX-916の今月号をお渡しする。自分では気がつかなかったが、先月号も渡していなかった。
2か月も会っていなかったか。ううむ。

きょうのテーマはステップ12。

「これらのステップを経た結果、霊的に目覚め、この話をアルコホーリクに伝え、また自分のあらゆることに、この原理を実践するように努力した」

ぼくのステップ12はまだまだ遠い。
でも、少しずつでも生活の中にステップを取り入れていきたい。飲まないで生きていくため、少しでも成長するため。
仲間とともに歩き続けよう。

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2006年7月16日 (日)

MacBook、不調なり

新しく買ったMacBookが不調だ。
作業をしているといきなりシャットダウンする。保存していなかったデータはパァ。
起動の途中でもいきなりシャットダウン。あるいは真っ白い画面にうっすらな縦縞が出て、それ以上画面が進まない。
自分で換装したメモリないしHDDが悪いのか。
appleのdiscussion boardsでも話題になっている。

Apple Support Discussions

Home > MacBook > 電源が突然落ちてしまいます。
Home > MacBook Pro > プチン!と落ちます

これといった解決法はなし。ショップ持ち込みが一番手っ取り早いらしい。
仕方なし。
あすにでも、Apple Store Sendai Ichibanchoに行って見るかね。
ああせっかくの最強MacBookになったと思ったのに。
自分でパーツを変更したバチが当たったのかな。むう。

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ホームグループのミーティング

きのうは久しぶりにホームグループのミーティングに行ってきた。
ミーティング自体、先週の日曜以来。ホームグループは2週間ぶりくらいだ。
久しぶりに顔を見る仲間もずいぶんいた。て言うか、ぼくの方こそ久しぶりだと思われていたにちがいないが。
司会を仰せつかる。何人かの仲間の名前が、とっさに浮かんでこない。
それでも仲間一人ひとりの顔を見、話を聞いていると、ホッとした気持ちになってくる。名前が浮かんでこないことなんてどうでもいいことのように思えてくる。

きのうのテーマは「気楽にやろう」。
AAではおなじみの言葉だ。
この言葉のあとには「でもやろう」と言うフレーズが続くそうだ。
気楽にやろう。
気楽に仕事して、どうしても業務がダンゴになってしまうときは煮詰まらず、目の前の仕事を片づけることに集中しよう。気楽に、怒らず、力を抜いていこう。
でもやろう。
AAに参加し続け、プログラムを使い続けよう。
日々の黙想と振り返りを忘れず、ミーティングで正直に自分の話をし続けよう。
仲間と過ごす時間をたいせつにしよう。

仲間の顔を見ながら、そんなことを考えていたのでした。

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2006年7月15日 (土)

やたら忙しい

元気に働けるのは健康のしるし。
そうは思うものの、こう忙しいとだんだん気持ちが煮詰まって来るッス。
休日は2週間に1日あるかないか。一回の勤務の拘束時間も果てしなく長い。
支社の業務量に加え、近ごろは本社関連の業務もだんだん多くなってきた。
ああああ。
当てにされるのはうれしいが、ちょっと仕事の量をコントロールしなければ。
頼まれると、ご指名をいただいたのがうれしくて、つい何でも引き受けちゃうんだよなー。
イカンイカン。

あす、あさっては久しぶりの休日だ。
またアップルストアに行かなくては。

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2006年7月13日 (木)

ココログ、大規模メンテナンス終了

11日午後2時からの、約48時間にわたるココログのメンテナンスが終了しました。
今回は、ココログ始まって依頼の大規模メンテナンス。
【特設】ココログレスポンス問題お知らせブログによれば、

データベースソフトおよびオペレーティングシステムのバージョンアップを行うことで、ココログデータベースの大幅なレスポンス改善

ってのが目的だとか。
たしかに、ときどき渋滞がひどくてせっかく書いた記事が吹っ飛んだりしたこともあった。
テキストエディタで下書きしてから乗せればいいんだろうけれど、なかなかそうもいかず。
この記事を書いている時点では、レスポンスは好調です。
がんばれ!ココログ!

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2006年7月10日 (月)

フジロック、アーティスト第10弾発表!

フジロックフェス、アーティスト第10弾発表!

・・・ギターウルフ。

いや、ギターウルフ、別に悪くはないんだけど。
ベースの方が亡くなって、新ベースにはずぶのシロウトを入れたという豪快ぶりには共感するんだけど。
そうですか。ギターウルフですか。
さすがにもう、これ以上の追加アーティストの発表はないよなー。
パティ・スミスとかビョークとかニール・ヤングとか町田町蔵とかYBO2とか、高齢ロックファンの涙腺が緩むようなアーティストをちょっと期待していたんですが。
え?そういうことを言うんだったらジジフェスに行け?
そ、そうですね・・・。

でもフジロック、あやしいファイアーショーや残酷サーカス(!)があるっていうし、どっちかっていうとそっちの方に期待が傾いてきましたよ。ええ傾いてきましたとも。

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2006年7月 9日 (日)

さげすみ

出張一日目。全国から同業者が集まる、ちょっとした大会の一日目。
その日の講演が終わって、会場からいっせいにロビーにひとがあふれ出した。そのまま同じ会場の別のホールで懇親会が始まる。ぼくはミーティングに出るため、懇親会はパスするつもりで出口を探していた。
すると、ロビーの一角に見知った顔を見つけた。
ひとりは先輩。もうひとりは後輩。
先輩はぼくが本部にいたときにお世話になった方だ。よく面倒を見てもらったし、気心も知れていた。
後輩の方は、むかし一緒にバンドを組んだこともあったヤツだ。よくバカなことを言ってはふざけあっていた。
両方とも、ここ数年会う機会がなかった。こんなところで会うとは。
一日目の日程が終わった解放感もあり、なつかしさもあり、思わず二人に話しかけた。
どうもどうも、ごぶさたしています。ひさしぶりですねー。お元気ですか。

ところが二人とも、どうも様子がおかしい。ぼくが話しかけた瞬間、ふたりともぎょっとして体を固くしたように見えた。
先輩は「おう・・・」と言ったきり、まるっきりあさっての方向に体を向けてしまう。
後背の方は「○○(ぼく)、いまどこの支社にいるの・・・」と言葉を返したが、やはり様子がおかしい。ひとなつっこくて言葉数の多い後輩が、それ以上何も言わない。たがいに目配せをして、ぼくの方を見ない。
少なくとも、先ほど二人で打ち解けて話をしていた雰囲気は一瞬になくなっていた。
こわばった表情で、気まずそうな、居心地の悪そうな顔で、ぼくの視線を避けている。
なんだ。なんなんだ。いったいどうしたんだ。

その瞬間、思い出した。
本部にいた最後のころ、そして前の支社に移ったころ。そのころぼくの酒は最悪の状態だった。
ウワサ好きなこの業界。ぼくのアル中が界隈の支社で尾ひれがついて広まっていたのは想像に難くない。いや、想像じゃなく、じっさいにウワサになっていた。
もう8年以上も前のことだ。そんなウワサはとっくにひとの記憶から消えているものだとばかり思っていた。
でも、このふたりのただならぬ態度は、まさに「困ったひと」から話しかけられた態度だった。

さげすみ。
ぼくはいま、目の前のふたりからさげすみの目で見られている。
かつて楽しい時間を過ごしたひとたちから、軽蔑され、不快感をあらわにされている。

ぼくは簡単にあいさつをして、その場を立ち去った。
先輩の方は最後までぼくを見なかった。何も言わなかった。
品川駅に向かう途中、いろんな思いが込み上げてきた。怒り。屈辱感。打ちのめされた思い。悲しみ。ショック。
彼らの一方的なさげすみに、もちろん腹が立った。でもそれ以上に悲しかった。
かつて親しくしていた人間からこんな態度を受けたことがくやしかった。

でも。
そのあとミーティングで話したら、少しずつ落ち着いてきたよ。
彼らとの短い遭遇を、何度も思い出してみる。何度思い出しても、やはりあれはさげすみなんだろうな、としか思えない。そのたびに、叫びたいような衝動に駆られる。いったいいつの、どんな無責任なうわさ話を信じるつもりか、と。ぼくのその後のことを何も知らないで、いい加減なうわさをしてるんじゃない、と。
でも、もういい。もういいんだ。
ひとは自らの信じたいことを信じる。彼らはぼくに関するひどいうわさ話を信じ、ぼくを軽蔑の対象と見る。
でもそれは、彼ら自身の問題だ。
ぼくはぼくの信じたいことを信じる。家族と、ごくわずかな友人と、仲間たちと、いま本部や支社で関わっているひとたちを。AAプログラムと、自分の信念を。
彼らを許すことができるだろうか?いまはできない。
でももう少し未来に、彼らのことを許せるようになっていたいな、と思う。
DOGVILLEは「ひとを許すなどというのは傲慢ではないか?」という重いテーマを含んでいた。ひとを許すなんて何さまのつもりだ、神にでもなったつもりか、と。
でも。それでもぼくは許したい。思い上がりでも傲慢でもなく。
だって、許さないと、ぼくは生きて行けない。そんなものを抱えたまま生きて行けるほど、ぼくはタフじゃない。
怒りや恨みを抱えたまま生きて行くのはイヤだ。自分をそんなもので変えてしまいたくない。
誰かが前にコメントをくれたように、ぼくはネガティブな感情に弱い。怒りや軽蔑をぶつけられると、どうしようもなくうろたえる。オタつく。
だからこそ、軽蔑に立ち向かったり、怒りに怒りで応えるようなことはしたくない。
無理解と不寛容。それに対し、自分も無理解と不寛容で応えるようなことはしたくない。

かつて彼らとぼくは楽しい一時を過ごした。でもそれはもう終わってしまった。あたたかさと思いやりは春の雪のように消えてしまった。
でも、これが最終回じゃない。チャンスはまたきっとやってくる。
そのときはきっと、とびっきりの笑顔で彼らと冗談を言いあうんだ。
そのときはかならず来るって、ぼくは信じている。

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2006年7月 8日 (土)

東京は暑い

東京は暑い

東京出張です。
ミーティングにも行ってきました。
ちがう街のミーティングもいいものです。出張自体は、ちょっとガックリ来ることがあったけれど、今日の分は無事終了。
写真はホテルからの夜景だけど、ゼンゼン分かんないですね。 早く帰りたいなー。

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2006年7月 7日 (金)

東京出張

あすから1泊で東京に出張だ。
東京に行くのは、何だか久しぶりだ。ま、見物に行けるでもなし、仕事の日程をこなして帰ってくるだけなんだけど。
夜、時間があったらどこかミーティングに行こう。
そう思ってAA関東甲信越オフィスのHPを開いたのだけど。

うう、地名がさっぱり分からない・・・。
城西地区とか城東地区とか書いてあるんだけど、城西地区ってどこよ?
城西、城北、城東、城南。
「城」に対して東西南北でエリア分けしているらしい。しかし「城」ってなんだ?皇居のことか?
皇居を主点に地域分け。そうだと仮定しても、自分の出張する場所(品川)が皇居から見てどっちの方向だかも分からない。
うーむ。
よく読むと、19時からの目黒会場が近いようだ。
あとは19時までに仕事が終わって会場に向かえるかどうか。
日本全国、どこに行っても仲間がいるってのは良いもんだね。ワクワク。

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2006年7月 6日 (木)

DOGVILLEの衝撃

スカパーでDOGVILLEと言う映画を見た。
衝撃。
小学生の時に映画館で「地獄の黙示録」を見て自分の中の何かが変わった、何かが変容した感覚を得た。
今回もそれに匹敵する衝撃だ。

「地獄の黙示録」で描かれていたもの。
人間には底知れない闇の部分があるということ、そもそも何が正しくて何が間違っているか、何が正義で何が悪貨など相対的で便宜的なものに過ぎない。むしろ立派なお題目や大義名分ほどウソ臭く腐臭を放つものはない。ひとの心の中には、だれにも理解できない、誰にも共有できない、決定的な何かがある。決定的な何か。
ひとを焼き殺すナパームの炎を美しいと感じたり、慈悲のためにひとを殺したり、自分に自分を正常だと言い聞かせるためにひとを殺したり。
鳴り響くドアーズの「ジ・エンド」と、戦場のまっただ中で踊るビキニのプレイガール。
コッポラの描いた美しい悪夢。

DOGVILLEには、映像的には何もない。舞台となるアメリカの田舎町「DOGVILLE」。そこは家々がチョークで描かれた「線」に過ぎない。だだっ広いスタジオの床にチョークで線が描かれ、わずかに数枚のドア、ベッド、教会の鐘、トラック、その他いくつかの家具が実在するだけだ。
にも関わらず、DOGVILLEは圧倒的に映像的な作品である。
DOGVILLEは「人間の心理を可視化する」ことに成功した初めての映画かもしれない。

ニコール・キッドマン演じるグレースはギャングに追われて寂れた炭坑の村ドッグビルに逃げ込んでくる。村人のひとり、インテリ気取りのトムは彼女に、かくまう代わりに村人の各戸に労働を提供するよう提案する。村人たちははじめは手伝ってもらう仕事などなく、援助など受け取れない、と言う。
しかし警察の指名手配書が回ってきたりギャングの捜索が頻回になるにつれ、村人たちは負担感を感じる。やがてグレースの労働を当然のことと見なし、より過酷な労働を当然のこととし、そして・・・

チョークで描かれた田舎町。犬さえも、床にチョークで描かれた記号に過ぎない。
はじめは「ただのアバンギャルド趣味」にしか見えなかったこの仕掛けが、あとでたっぷり効いてくる。
観客はこの映画の心理描写から目を背けることができない。
美しい田舎の風景やギャング時代を再現した豪華なセットは出てこない。登場人物たちの繰り広げる心理ドラマ以外に、何も見ることができない。
そして舞台装置の可視性、透明性が、登場人物たちの傲慢さ、ぶん殴りたくなるほどの偽善臭さをよりいっそう引き立てる。

「地獄の黙示録」を通過したあとで何かが決定的に変わったように、DOGVILLEを見たあとで、自分の中の何かが変わったような気がした。
なんだろう。いったいなんなんだろう。
独善的な村人たち。自分の価値観でしか物ごとを見ることができず、相手の価値観を想像できないひとたち。善意を受け取りながらもやがてそれになれ、よりいっそうの善意と援助を当然のこととして要求するひとたち。
底の浅いヒューマニスト、理想主義者のトム。「自分が村の人々に、意識の変革をもたらしてあげる」という独善。
彼らに骨の髄まで貪られ、自我が崩壊するほどずたずたに引き裂かれるグレース。
しかし物語の最後、「グレースこそがもっとも傲慢なのではないか?」という、驚愕のメッセージが伝えられる。
傲慢とは?価値観とは?ひとを赦すとは?ひとをたいせつにするとは?自分らしさとは?
謙虚さとは?自分と他人の境界とは?
AAでも取り上げられるテーマでもあり、人間の本質に関わるテーマだ。
それがこの映画で、ものすごーくネガティブに描かれている。

監督はビョーク主演「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のラース・フォン・トリアー。
登場人物に対し、本気で腹の立つ映画です。

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2006年7月 5日 (水)

MacBook購入の巻(2)

メモリの増設はオッケイ。
次はハードディスクの交換だ。
マニュアルに従って、バッテリー左奥の白い袖を引っ張ってハードディスクを引き抜く。トルクスドライバでマウンタからハードディスク本体を外し、120GBの2.5インチハードディスクに換装。ここまでは非常に順調だったのだが。

ん?
ハードディスクをスロットに押し込んだが、イマイチしっくりこない。ぎゅっと押し込めば入りそうだが、なんかこう、かちっと挟まる感じがしない。
こんなもんか。
そう思ってL字型金具をもとに戻すが、やはり少しハードディスクが出っ張っている感じがする。そのままねじで固定しようと思えばできないこともないが、やはり気になる。
んー・・・。
気になってまたL字金具を外し、ハードディスクを再度引き抜く。
ああっ?!
ぴ、ピンが折れてる〜!!
よく見ると、もとのハードディスクとぼくが買ってきたハードディスクは端子の形状が違っている。
(写真は換装前のもの)

Macbook09


気がつかずに装着してしまうとは、うかつだった・・・。
調べてみると、今回のIntelMacからSerial-ATAになったんだとか。
恥ずかしい話、Serial-ATAとかUltra ATAとかIDEとかの規格がよく分からない。
そのためにこんな失敗をしてしまうとは・・・。

結局、後日にSerial-ATAの2.5インチHDDを購入。無事に換装しました。
ピンが折れたHDDも、HDDケースに入れたところ無事に作動。ほっ。
しかし今回のMacBook。
ハードディスクとメモリの交換、かなりビミョー。
メモリはきちっとスロットに入ったかどうかなんとも心もとないし、HDDは狭いスロットに押し込む形なので、接続を直視下で確認できない。いきおいこういうミスを犯してしまいがち。
きちんと確認しなかったぼくが悪いのではありますが。
その後、メモリ2GB、HDD120GBを認識、現在のところ快調に動作しています。
よかったよかった。

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2006年7月 3日 (月)

今夜もPowerPointあらため

あすのプレゼンに向け、今夜もPowerPointざんまい。
と思っていたのだけど。
浮気して、keynoteで作っています。
apple remoteが使ってみたいのよー。
リモコンで操作して華麗なプレゼン。おおハイテク。
しかしkeynote、30日は無料だけどその後は8,800円。さて、どうしようか。
その前に、今夜も徹夜かなぁ。あああ。

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2006年7月 2日 (日)

MacBook購入の巻(1)

そういうワケで、仙台出張のついでに買っちゃいました。MacBook。
が、デフォルトのままでは使えない。何はともあれメモリとハードディスクのスペックアップだ。
アップルストアだとメモリを最大値の2GBまで上げるとプラス59,850円。
ハードディスクを最大の120Gに上げると、31,080円。合計9万円以上に。
どう考えても自分でパーツを買って来たほうが安い。よし、やるぜ!

何はともあれ、まずは安全祈願だ。

MacBookを神棚(キッチンテーブルだけど)に備える。

Macbook03

ついでにアップルケアプランもお備えする。何となく安全祈願に良いような気がするので。
しかるのち、玄関から神棚(キッチンテーブル)まで、安全を祈りつつ五体投置する。写真は妻。
Macbook04


ここまで行えばマックの神さまも怒るまい。どれどれ、さっそくパッケージを開けるか。
スリムな化粧箱を開くと、これまたオサレ気な発泡スチロールが。
Macbook05

開くとさらにリモコン類その他が見える。

Macbook06


ドキドキ。
さらに本体を薄紙ごと持ち上げると、おお、リストアCDがこんな箱に!

Macbook07


でざいんど、ばーい、あっぷるいんかりふぉーにや。
いきなりかりふぉーにやである。パソコンを購入したのに、突然かりふぉーにやを強調されるのである。
しばしパッケージの箱に顔をうずめ、かりふぉーにやの空気をかぐ。よく分からないが、まずはかりふぉーにやを満喫する。
しかるのちに、いきなりパーツ交換に入る。

本来ならいちど起動して問題がないのを確認すべきだが、起動したら各種設定をしないといけない。どうせハードディスクを交換するんだからムダである。動作チェックも、まさか出荷前にしているだろう。
てなことで、いきなり本体をひっくり返してバッテリーを外す。

Macbook08


バッテリー奥のL字型の金具を外す。
このとき、ねじ穴が要注意である。精密ドライバーでもふつうのドライバーでも、ネジ穴の深さがビミョーでうまく合わない。
結局、いちばん右側のねじ山を少しつぶしてしまった。とほほ。
メモリ自体は簡単に外れる。
L字型のバーを左に回すと、簡単にメモリが外れる。
が。
代わりのメモリを装着しても、どうもしっくり来ない。うまく金具に挟まっているのか、押し込みが足りないのか。
うーむ。
何度かメモリを着脱するが、挟まっているといえば挟まっているし、押し込みが足りないといえば足りない。ううむ、ううむ。
メモリに貼ってあるシールがいけないのかと思い、思い切ってはがしてしまう。が、はがしたあとでシールを読むと「このシールをはがしちゃうとメーカー保証は受けられないよん」と書いてあった。
がーん。

き、気を取り直してハードディスクの交換に進む。
が、ここでもさらに落とし穴が・・・(つづく)。

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2006年7月 1日 (土)

つらいことはあふれているけど

いまの支社に移ってくる前のことだ。
業務密度が高いことで有名なN支社に、ぼくは在籍していた。
本部で研修を1年間。そのあとでそのN支社に4年間。
N支社の4年間の間に、ぼくの酒はどんどんひどくなっていった。なにせもともと部署の人数が少ない。その上に、いちばん若手で動けるはずの人間がアル中で業務をすっぽかす。
無断欠勤。待機中の飲酒。数々の業務不履行。約束のすっぽかし。度重なる入院。
クビを言い渡されなかったのが不思議なくらいだ。

N支社の4年目の早春。ぼくはアルコール専門のクリニックに連れて行かれ、やっとどん底から抜け出しつつあった。
やれやれ、これからは仕事をがんばろう。
そう思った矢先、本社から転勤を告げられた。
異動したくなかった。ようやく酒が止まったばかりで、違う環境で一からやりなおす自信なんてなかった。
N支社は人員が少ない。異動したくないと言えば、周りはみな引き止めてくれるはずだ。

部長のデスクに行ってこう告げた。「もし部長が引き止めてくださったら、ぼくは異動しません」
部長は顔も上げずにこう言った。
「あのねぇ。たしかにうちはひとが少ないよ。○○くん(ぼく)の代わりも派遣されないし、ただでさえきつい仕事を残りの3人でやっていくのはたいへんだよ。でもね。それでもキミがいるよりマシなんだよ。あてにならないんだよ。勝手にしょっちゅう休まれるくらいだったら、3人でやったほうがまだマシなんだよ。分かった?」

ぼくはそれ以上何も言えなかった。クビではなく異動のあつかいだったのは、部長のせめてもの温情だった。そう気付くのはずっとあとになってからのことだ。
そのときはただただくやしくて、悲しくて、腹が立って、黙って部長のデスクをあとにすることしかできなかった。自分がいるくらいだったら、少ない人数で仕事したほうがマシなんだ。自分はいらない人間なんだ。やっかいものだ。お荷物だ。
怒り。自己憐憫。そして何とも言いようのない、胸に風穴の開いたようなさみしさ。

あれから5年経った。いまだにあの時のことを考えると胸の中がざわっとする。
仕事やアルバイトをクビになった仲間の話を聞くと、あのときの気持ちがよみがえってくる。自己憐憫と分かっていても、あのときの、自分という人間を丸ごと否定されたようなつらい気持ちは忘れようがない。
さんざん飲んだくれて迷惑をかけた職場でさえあれだけつらい思いをしたのだ。お酒が止まってシラフで働いているのにクビを言い渡された仲間は、どれだけつらいことだろうか。

仲間よ。それでも怒りを手放し、プログラムを使い、赦しと謙虚さを実践しようとする仲間よ。
試練に耐え、なんとか事態を客観視しようとする姿には、ほんとうに勇気づけられます。
あなたに敬意を抱き、力をもらっているAAメンバーがいることを、どうか忘れないでほしい。
きっとあなたの周りのひとたちも、そう思っている。
くじけても、いじけても、あなたならかならず成長できる。
ぼくはそう信じています。

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