フィッシュマンズ「ザ・ロング・シーズン・レビュー」
GW中、何本か映画を観た。そのうちの1本がこの「ザ・ロング・シーズン・レビュー」だ。
これはフィッシュマンズと言うバンドの映画である。フィッシュマンズは、佐藤伸治と言う個性的なソングライター/ボーカリストがフロントマンだった。
99年に彼が亡くなったのと同時に、フィッシュマンズは解散した。
しかし昨年、突然フィッシュマンズは再結成する。ボーカルにUAやハナレグミの永積タカシ、クラムボンの原田郁子、山崎まさよしなどの豪華メンバーを加え、ライジングサン・ロックフェスなどでライブを行った。
この映画はその再結成ツアーの映像を中心に、フィッシュマンズの過去と現在を織り交ぜて構成されている。
言うまでもなく、この映画の主題は「佐藤伸治の不在」だ。
全曲の作詞作曲を手がけ、個性的な作品世界を構築した佐藤。ゲストが歌い、ドラムがテクニカルなフレーズを連発する。でもその中心には、その魅力的な作品を作り、歌った男がいない。
ステージのメンバーが豪華で人数が多いだけ、よけいにその不在が浮き彫りになる。
ドラマー、茂木欣一。現・スカパラのドラマー。
過去のフィッシュマンズの作品で聞く彼のドラムは、どこか頼りなく、力の抜けた感じだった。そしてそれがフィッシュマンズのここちよいダブ/レゲエサウンドに溶け込んでいた。
いま聞ける彼のドラムワークは、ひたすらタイトでアグレッシブだ。手数がやたらと多い。ドラマーとして成長したとも言えるし、佐藤伸治の影を振り払おうともがいているようにも見える。
それでもやっぱり、彼がタイコを連打すればするほど、このバンドの中心人物がいないことにリスナーの意識は行ってしまう。
映画はライジングサン・ロックフェスの映像から始まり、バンドとゲストボーカリストが奏でるフィッシュマンズの名曲の数々を映していく。しかしなぜか、どの曲も中途半端なところで映像が切り替わってしまう。佐藤伸治が生きていたころのオフショット映像も入るが、きちんとしたライブ映像はほとんど出てこない。佐藤とバンドメンバーの醸し出す、イイ感じにゆるんだ日常っぽい空気。
唐突にアニメーションが混じり(よしもとよしとも)、パソコンアニメが入り、そしてふたたび再結成ライブに映像は戻っていく。
この映画は、何も説明しない。
フィッシュマンズを説明しない。佐藤伸治を説明しない。その死を説明しない。再結成のいきさつもゲストについても説明しない。
フィッシュマンズについて何も知らない人が見たら、バンドをテーマにした中途半端な実験映画だと思うだろう。
それでも、いやそれだからこそ、この映画は佐藤伸治を、フィッシュマンズを、その楽曲の優秀さを表現している。
優しくてあたたかい、独特のメロディと言語感覚にあふれた歌の数々。
フィッシュマンズの曲を聴くと、いつでも少しさびしいような、あたたかいような、ホッとした気持ちになれる。
それは佐藤が亡くなろうが、ドラムのテイストが変わろうが、ゲストボーカリストが歌おうが、やはり変わらない。
そしてぼくは相変わらず、きょうもフィッシュマンズを聞いている。「いかれたbaby」や「ベイビー・ブルー」を鳴らしながらクルマを走らせる。
フィッシュマンズの音楽だけがかき立てる、不思議なエモーション。
佐藤伸治の歌だけが揺らすことのできる、こころの中のちいさくてやわらかい部分。
10年経ったって20年経ったって、きっとこの気持ちは変わんないよ。
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