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2006年5月16日 (火)

カオルの夢

夢。
飲んでいたころ、ぼくの夢は「アル中が治ること」だった。
毎年毎年、初詣ででは何分間も手を合わせ「ことしこそこの病気が治りますように」と祈っていた。
でも、何も解決はしなかった。飲酒はどんどんひどくなり、無断欠勤と隠れ酒の日々が続いた。
何とかがんばって酒を飲まないようにする。あるいは少しだけ飲んで無理やり寝るようにする。
欠勤せず、定時の1時間前に出勤する。妻とケンカしないようにする。感情を押し殺して暮らす。
1日、2日、3日、何とか大丈夫。
1週間、なんとか節酒。でも、そこまでだった。せいぜい10日が限界だった。
連休前の土曜日がくせ者だった。
うっ積していた感情が、積もり積もった飲酒欲求が、連休前の週末に一気に押し寄せる。
ウォッカ、ジン、安ウイスキー。
飲み始まると、あとはもう断片的な記憶しか残らない。何もかもが幻影のようにうつろで他人事のように思える。断片の、途切れ途切れの記憶。そして連続飲酒のジェットコースターが終わったときには連休はとっくに過ぎ去っていて、週の後半になっている。
激怒する妻に隠れてどうやって飲み続けられたのか。
職場には何と説明したのか。あるいは説明していないのか。
外が薄暗いのは夕暮れなのか早朝なのか。
何も分からなかった。分からなかったし、どうでもよかった。
連続飲酒が終わったあとに残るのは、どうしようもない不快さ、そして「また飲んでしまった」という巨大な敗北感。そして連続飲酒が始まる前以上の渇き。

初詣で祈りながらも、こころのどこかでは「もう二度と酒が止まることはない」とあきらめていた。
この病気と心中するか。さもなくば自分の手で人生を終わらせるか。どちらかしかないと思っていた。
でも、このまま死んでしまうのはイヤだった。こわかった。
死ぬことがこわかった。飲み続けて生きることもできなかった。飲まずに生きることはもっともっとむずかしかった。
死ぬことも、生きることも、前に進むことも、後に戻ることもできなかった。

いまぼくは、こうしてお酒が止まっている。
夢はかなったのだろうか。
あまり実感が湧かない。日々の些末なことがらに苛立ち、イヤなこと、思うように行かないことの連続だ。
酒が止まったからといって人生がバラ色になったわけじゃない。
それでもやっぱり、少しずつ夢はかなっているのだと思う。
飲まずに生きる。
困難に出会っても、自分自身を振り返る。仲間の声に耳をかたむけ、自分の過ちを正直に認める。
その繰り返しの先に、いまよりましな自分がかならずいるんだと思う。
自分を、他人を、ゆるせるようになろう。こころを開いて生きていこう。

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