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2006年3月18日 (土)

仲間がいる

ホームグループのミーティングに行ってきた。
じつはきのうショッキングなことがあって、かなりへこんでいた。
きょうの午後はボードに行く気にもなれず、仕事から帰ってきてずっとギターを弾いていた。
ギターの音色を聴いていると、つかの間つらい気持ちを忘れることができた。
気がついたら7時前。
出かけるのはおっくうだった。ずっとギターを弾いていたかった。
でも自分を奮い立たせて、クルマに乗ってミーティングに出かけた。
遅れて入った会場は、いつもと同じ雰囲気だった。
公民館の和室、薄っぺらい座布団、四角く並べられた机、コーヒーセットと献金箱。
何を話せばいいのか分からなかった。きのうの出来事を話すつもりはなかった。でも気がついたら、きのうの出来事を話し始めていた。

死は遠いところにあるなんてのは嘘っぱちだ。
日々の暮らし。朝起きて、ご飯を食べて、仕事をして、スタッフと冗談を言い合って。
そのすぐ隣に、死はうずくまっている。
地面の下を流れる暗渠の水のように、路地の蔭の小動物のように。
目に付かないだけで、それはわれわれのすぐそばに息づいている。
そしてふとなにかの拍子に、それは姿を現す。そして自分の取り分をしっかりとつかまえ、もとの場所に戻っていく。
分かっていたはずだけど、いざそれがやってきたとき、われわれは自分たちの無力さを痛感することになる。
そう。ほんとうに無力だ。
彼女はもう、二度と手の届かないところへ連れ去られてしまった。

ミーティングで話したら、少し気持ちが楽になった。
帰った後で、仲間の一人からメールをもらった。
自分の今をたいせつにするしかない。そう書いてあった。
ほんとうに、ぼくもそう思うよ。いまをたいせつにしよう。いまの自分を、いま目の前にいるひとをたいせつにしよう。
そして彼女の魂に安らぎが訪れるよう、祈ろう。
仲間がいてくれて、ほんとうによかった。こころから感謝だね。

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コメント

あっけなく(あるいは劇的に)亡くなってゆく仲間の死は、私たちにとって大きなメッセージなんだなあと受け止めるようになってきました。
私自身も毎日死と隣り合わせなんだと気がつかせてもらいました。

投稿: ぷみら | 2006年3月19日 (日) 21:14

こんばんは、ぷみらさん。
ほんとうに、ぼくもそう思います。
ふだんは気づきもしないけど、われわれの日常は自分たちが考えるほど死と遠いところじゃないんですよね。
死は常にとなりにある。いま大切にしている人も、あすもあさっても同じように会って話ができるとは限らない。
一期一会とか言うとそれまでだけど、だからこそいまの一瞬一瞬をたいせつに、ひとと会ったときは後悔しないような接し方をしたいな、と思いました。

投稿: カオル | 2006年3月21日 (火) 00:12

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