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2005年12月16日 (金)

クリスマスとサンタクロースについて思うの巻

クリスマスの季節がやって来た。
今年もあちこちにクリスマスの飾り付けが並び始め、街角にクリスマスソングが鳴り響き出した。
TVをつけるとどこかの大学のハンドベル部の女の子たちが映っていて、まじめな顔つきでジングルベルを演奏している。
子どものころから変わらない、12月の風景だ。
が。
しかし。
チョイとばかり気になることがある。
近ごろどーも「サンタクロースは実在してて、クリスマスの夜にそっとプレゼントを置いて行く」と子どもに思い込ませるのが正解。てな風潮があるような気がする。
職場の事務方の女性たちも「毎年こどもにサンタを信じ込ませるのがたいへん」「去年は危うくばれそうになった」という会話で盛り上がっている。で、そこから派生して「自分たちは何歳までサンタの実在を信じていたか」という話になったりしている。
それはまぁそれで、クリスマスの雪のように無邪気な、たわいのない会話である。
しかし、近ごろなんだかそれが「唯一の正解」みたいな風潮を感じて、やや違和感を覚えるのだ。
サンタ実在ファンタジーは、今や日本全体の共通理解なのだろうか。

ぼくが子どものころ、サンタクロースは物語や寓話の世界の住人だった。決して実在の人物などではなかった。
親からクリスマスのプレゼントはもらっていた。が、うちの親は「サンタからのプレゼント」などとは言わなかった。
「親である自分たちが子どもに与えるプレゼントである」と、きっぱりと明言していた。
そこに寓話やファンタジーの入り込む余地はなかった。きっぱりと、はっきりと、うちの親が労働の対価たる金銭を得て、それによって家族であるぼくたち兄妹に贈与を行っていると、明確に宣言していた。
だからといってわれわれ兄妹が夢のないクリスマスを過ごしていたかと言うと、そんなことはなかった。
われわれは両親に感謝した。
プレゼントを通して両親のあたたかい愛情を感じることが出来た。
両親に感謝し、家族でクリスマス料理(なぜかすき焼きが恒例だった)を食べた。それはそれは格別だった。とてもとても美味しかった。亡くなった祖母からも参加し、みんなで互いのプレゼントを見せあい、お腹いっぱいすき焼きを食べ、父が買ってきたクリスマスケーキを食べた。
薄っぺらい45回転のソノシートをレコードプレーヤーにかけて「赤鼻のトナカイ」だの「サンタが町にやってきた」だのを、何度も何度もくり返し聞いた。
夕方、母親がクリスマスの料理の準備をしているかたわらでレコードを聴きながら、ちいさなクリスマスツリーの飾り付けを何度も付け替えた。いまでも思い出すと胸があたたかくなる。懐かしいしあわせな思い出だ。

・・・関係ないけど、子どものころのレコードにまつわる思い出ってけっこう甘酸っぱく懐かしい感じがしませんか?たしか村上春樹の「国境の南、太陽の西」にもそんなシーンがあったよね。

「サンタ実在ファンタジー」がなくてもわれわれは十分にしあわせだった。むしろ親の好意に感謝し、家族の一体性を確認すると言う意味では、うちの親は的確なクリスマス指針を敷延していたと思う。
サンタクロースと言う寓話上の人物ーいちおうセント・ニコラウス司教という実在のモデルがいるけれど事実上寓話世界の住人ーについては早くから知っていたし、善行は尊敬すべきものであり自己犠牲は崇高であると言うメッセージはちゃんと(どこまで「ちゃんと」かはともかく)理解していた。
サンタ実在ファンタジーうんぬんがなくても、ぼくはしあわせなクリスマスを過ごしていた。

もし自分に子どもができたら、実在ファンタジーは植え付けないようにしたいな。
家族を愛し、家庭を尊重し、プレゼントはその象徴なんだと話そう。
セント・ニコラウスの話をして、感謝と共感と隣人愛と思いやりについて話そう。
感謝の気持ちでこころが満たされると、思いやりとなってあふれる。そんなAAの話をしてもいい。
その方がいい。その方がしっくりくる。
何となくその方が、本物のサンタクロースのそばにいるような気がする。

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コメント

お久しぶりでございます。
そういえば、そのむかしむかしaikoって言うハンドルネームで登場した記憶がありまして・・・、ひっさげてきました。
クリスマスについて同感です。
事実と現実の中に平安と希望があるわけだから、何かを隠す必要とか、違う飾りにする必要はないんです。結局のところ、偽りをメッセージするという事は、現実を否定しているという事で、現実を否定すると言う事は、口ではそうとは言っていなくても、子供に対して無言のメッセージを送っている事になります。

「現実は、あまりいただけない」

少なからずも信じるものを持って生き始めると、こんな事をメッセージする必要はありませんよね。現実は素晴しいからです。苦しみも、悲しみも。

この「クリスマスの商業化」に洗脳された日本人は、「そこまで言わなくても」と大半が思うかも知れませんが、そんな事から最終的には全く気づかずに、大きな迷路へ突入してるのかもしれません。
ね。

投稿: aiko | 2005年12月26日 (月) 00:33

こんばんは、aikoさん。
コメントありがとうございます。や、単に「自分のクリスマスはこうこうこうだったんで、近ごろのサンタ実在ファンタジーはちと違和感を感じちゃう」ってだけの話です。日本人全体の傾向とか、そういう大きなことはぼくには良く分かりません。
「苦しみも悲しみも、現実はすばらしい」。
そうですね。ぼくもほんとうにそう思いますよ。
ジョン・レノンミュージアムのチラシに「この世から涙はなくならない。けれど、希望もなくならない」というようなことが書いてありました。ジョンの台詞かどうか分かりませんが、おおいにうなずける言葉でした。
希望を忘れずに生きていきたいものです。
また気が向いたら書き込んでくださいね。

投稿: カオル | 2005年12月26日 (月) 17:26

ありがとうございますー。またこっそりお邪魔します。なかなか来る事もないのですが、ほんとにふぅっと思い出して・・・

↑そですね、、、ちょっと話がでかくなっちゃいました。ゴメンナサイ。でもリアリティがあってすごく良いコメントだったと思いました。
希望もなくならない
確かにそうですね。
ジョン・レノンってやっぱりステキ・・・

投稿: aiko | 2005年12月26日 (月) 21:14

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