subways〜青春のきらめき〜
サマソニで1発目に見たのがThe subwaysだった。
The subways
きゃしゃな体つきの男の子が二人、同じようにきゃしゃな女の子がひとり。
男の子のひとりはドラムで、もうひとりはギターとボーカルだ。女の子はベース。
ステージに上がるなり、男の子はギターをかき鳴らし叫ぶように歌い始める。
女の子は髪の毛を振り乱して叩きつけるようにベースを弾く。
男の子の歌は一見シャウト調だけど、良く聞くとメロディがしっかりしている。
歌と叫びの微妙なすき間に、時折女の子のボーカルが掛け合いのように入る。
タイトでアグレッシブなドラムが、サウンドの屋台骨をしっかりと支える。
トリオはシビアな構成だ。
最小限パーツの構成だから、各人の技量がごまかせない。ミスや弾き間違いはそのまま観客にダイレクトに伝わってしまう。
逆にメンバーのアンサンブルがしっかり決まったとき、これほどスリリングな構成はない。
ツネマツマサトシのE.D.P.S.。
ブランキー・ジェット・シティ。
全盛期のストレイ・キャッツ。
どれもすばらしい演奏を聴かせてくれた。トリオでこれだけのサウンドが出せるのかと思う反面、トリオじゃなきゃこのスリリングなプレイはできないんだろうな、と思う。
The subwaysは全員が19か20の小僧っ子どもだ。
テクニカルなバンドじゃない。ベースはほぼルート弾きだし、ギターはコードストロークをかき鳴らすのが中心で、ソロらしいソロプレイもない。ドラムは手数が多いものの、勢いにまかせ過ぎている感がある。
それでも、この若造たちの演奏は、いや、彼らが伝えようとしている音楽は、ぼくのこころにまっすぐに届いた。
センチメンタルでメランコリックなメロディ。
絶叫と歌の間に込められた情感。
身体をふたつに折ってギターをかき鳴らし、髪を振り乱してプレイに込めた思い。
そう言うものがひとかたまりになって、何とも表現の仕様のないエモーションがステージから伝わってきた。
つくづく、ロックはテクニックじゃない、と思った。
もちろん彼らはしっかり練習している。個々のテクニックうんぬんより、「このバンドはみんな気持ちがひとつで、きっとまじめに何十時間もリハーサルをくり返しているんだろうな」と思えるなにかがある。
「きっとこのバンドは練習が終わった後も、何時間も自分の理想や将来について語り合ったりしているんだろうな」と。
そう言うバンドは強い。
1足す1足す1が100にも200にも1万にも100万にもなる。バンドのマジックそのものだ。
サマソニの一発目でこのすばらしいバンドに出会えたことを、ぼくはとてもしあわせに思う。
このバンドがこの先どうなっていくのか、誰にも分からない。
ボーカルギターの男の子とベースの女の子がやたらステージでくっついていると思ったら、この二人、婚約したという。おいおい、まだ19か20だぞ。
このバンド、長続きするのかも知れない。多くのバンド内恋愛の結末と同様、あっさり解散するのかも知れない。売れるかも知れない。まったく売れないのかも知れない。
それでも2005年8月13日の午前11時10分からの30分間、ぼくは彼らの出すサウンドに圧倒された。
彼らのエモーションに共感した。
それは紛れもない、たしかなことなんだ。
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