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2005年6月 5日 (日)

The doors〜まぼろしの世界〜

doors2nd01
コッポラの映画「地獄の黙示録」を父親に連れられて見に行ったのは、11歳のころだったろうか。
おそろしい映画だった。
何よりも恐ろしかったのは「オチ」がないことだった。
カーツ大佐が抹殺されてもウィラード大尉が王国を脱出しても、悪夢が終わらない。
何よりも恐ろしかったのは、その悪夢がスクリーンのこちらにも伝染してきたことだった。
そしてその悪夢の中で、ドアーズの「ジ・エンド」が執拗に鳴り響き続けていた。
いっしょに行った父親は完全に退屈しきっていた。「リアルでスカッとする戦争映画」を期待して行ったのに、この映画には何のカタルシスもなかったからだろう。
そしてぼくの頭の中には「ジ・エンド」のサイケデリックなオルガンとジム・モリソンの地獄のような詩のつぶやきと、切断される水牛の首と木に吊るされたいくつもの死体と笑い続ける戦場カメラマンとナパーム弾の爆炎がぐるぐる回り続けていた。
コッポラの意図が観客を戦場の真ん中に置き去りにすることだったのなら、その意図はたしかに成し遂げられた。
ドアーズの「ジ・エンド」は、まるであの映画のために作られたかのように映像と一体化していた。

「strange days」(邦題『まぼろしの世界』)は1967年にリリースされたドアーズのセカンドアルバムだ。
ファーストアルバムは、狂気と美しさとリリシズムと疾走感が散乱し、レイ・マンザレイクのオルガンとクールなビートが鳴り響く、あやういバランスの上に成り立った傑作だ。
だけどこのセカンドは、ファーストに比べてインティメイトな感じがする。
個人的で、親しい感じがする。
もちろん「Love me two times」はジムの不安感、孤独感に満ちたシャウトが胸をかき立てるし、「when the music is over」は「ジ・エンド」に次ぐサイケデリックの大作だ。
それでも、「アンハッピー・ガール」や「月光のドライブ」は、若者らしいナイーブさとときめき、ロマンティシズムに満ちている。
ジム・モリソンとドアーズのメンバーはこのあとものすごい勢いで、狂気としか言えないような60年代のロックのスターダムにのし上がって行く。ジムの精神は壊れ、ロックスター、アイコンとしての自分と、ナイーブな詩人とのギャップに引き裂かれていく。
詩人であると同時にアジテーターであり、グラビアアイドルであり、夜ごとのライブのフロントマン。
常に才能を要求され、周囲から常に気の利いたひとことを期待され、観客からはつねに最高のパフォーマンスとハプニングを期待される。
引き裂かれてしまう前のジムの少年ぽさ、ナイーブでリリカルな面がこのアルバムには詰まっている。

ぼくはジム・モリソンになるのが夢だった。
破滅型の天才。
それ以上にすばらしいものはない。そう思っていた。
バンドで歌を歌い、酒を浴びるように飲み続け、でもジム・モリソンにはなれなかった。
ジムも生きていたら62歳。
62歳のジム・モリソンなんて想像できない。永遠のセックスシンボル。反逆と自由の象徴。
以前に購入したジム・モリソンのポスターは、丸めたまま開いてもいない。
でも丸めたままのポスターを見るたびに、ジムと彼の生き方を考える。
ストレンジ・デイズ。ジムの生きてきた日々はまさに奇妙な日々、まぼろしの世界だったのかも知れない。
彼と彼の残したアジテーションを考える。
ストレンジ・デイズ。

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