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2005年6月18日 (土)

ソウル・キッチン

ぼくがその店にはじめて足を踏み入れたのはまだ中学生のときだ。
まだオープンして日が経っていないその喫茶店は、早くもたばこの煙で壁の色は茶色みを帯び始めていた。
ぼくをその店に連れていったのは、そのころ少しだけつきあいのあった一学年年上のSと言う男だった。
Sはぼくの知らないニューヨークパンクや60’Sのバンドにやたら詳しかった。
口がうまく、いかに自分が高邁な理念を持ったバンドを作りたいかをとうとうと話していた。
彼の口車に乗せられ、その後20代の半ばまでさまざまなトラブルに巻き込まれるんだけど、それはまた別の話。

とにかくSに連れられてその店にはじめて入り、マスターのIさんを紹介された。
Iさんは小柄な男性で、にやけた表情でひょうひょうとした話し方をする。
SにしろIさんにせよ、ぼくから見れば博識で世渡りに慣れたオトナだった。いま考えればIさんはその当時まだ29歳で、まだじゅうぶん若者であったはずなんだけど。中学生のぼくから見ても、苦労して世の中を渡ってきた「オトナ」であろうことは想像できた。
そのウッディな喫茶店は、日が暮れるころになるとIさんがちょっとしたつまみを作り始め、ビールやお酒を出していた。昼夜を問わず、Iさんのコレクションの古いブルースやソウル、フォークソングが、でかいスピーカから流れ続けていた。
エルモア・ジョーンズ、サム・クック、オーティス・レディング、O・V・ライト、バディ・ガイ、アルバート・コリンズ、ティム・ハーディン、ボブ・ディラン、ヴァン・モリソン。
ぼくの耳にはどれも同じにしか聞こえなかった。けれど、いままで聞いてきたパンクロックとは明らかに異なる種類のエモーションを持つ音楽だと言うことはうっすらと感じた。
それからぼくはちょくちょく、学校の帰りにI氏の店を訪れるようになった。
Iさんの音楽の趣味に共感したわけじゃない。単にコーヒー一杯で何時間居座っても怒られず、あわよくば外のお客に出した料理のおすそ分けにありつける、それが目当てだった。

やがて高校に入って、その店はぼくの通学路の途中になった。ぼくとぼくの数少ない友人たちは、ますます彼の店へ出入りするようになった。学生かばんを開いているイスに積み上げて内輪の話に興じるぼくたちを、Iさんは注意することもなく、にやけた目で見ているだけだった。ときにはまだ看板も出していないうちから押し掛け、彼の昼食を分けてもらうことさえあった。出入りを制限されても文句は言えないくらいだったけど、彼はひたすら好意的だった。食事を分け与え、コーヒー一杯で粘っても追加注文を迫ることはなかった。なぜ彼がそこまで親切にしてくれたのか、いまだに分からない。
親となじめず学校でも孤立しがちなぼくに、なにかしら相通じるものを感じていたのかも知れない。ただ単にヒマだったから、変わり者の学生をかまっていただけだったのかも知れない。
店にはIさんのギターが何本か置いてあって、ほかに誰も客がいないときにはギターを弾いた。
ぼくが簡単なコード進行を弾き、彼がアドリブでソロを弾く。興が乗ってくると彼の歌も飛び出した。
歌うのはディランの曲だったり友部正人だったり武蔵野たんぽぽ団だったりした。当時のぼくには良く分からなかったがそんなことはどうでも良かった。世界に対する憎悪とやり場のない怒り、自分へのいらだちを抱えていたぼくにとってそれは日常から逃れることのできる、ほとんど唯一の場所だった。
Iさんはよくディランの「shelter from the storm」をかけていた。嵐からの避難場所。

そのころIさんとはいろんな話をした。店には昼間は(夜もだけど)ほとんど客が入っていなかった。ぼくも彼も、時間は刈り取って売るほどあった。
彼はあまり自分のことを話さなかったが、東京で大学生をやっていたこと、店をはじめる前はレコード店に勤めていたことなどを話した。ぼくはほとんど自分の話をしなかったように思う。自分が周囲とどうしてもなじめないこと、高校にも親にも違和感しか感じないこと、昼休みには誰とも口をきかずに1時間あまりじっと下を向いていること、世界がイヤでイヤでたまらないこと、何よりもそこで震えているだけの自分に耐えられないこと、そんなことをどうやって伝えたらいい?
でも彼は詮索したりはしなかった。
「好きなようにしたらいいよ」と彼は言っていた。「誰かのために生きているわけじゃない」と。
「その代わり、自分のことは自分で責任をとる。そういうもんだよ」と。

Iさんにはいろんなことを教わった。ピックの持ち方。ギターの構え方。たばこの吸い方。マスコミを信用しないこと。世の中には雑誌やTVにほとんど露出しない音楽家が山ほどいて、さまざまなアーティストがさまざまな音楽を作っていること。自分の目と耳で感じたことをたいせつにすること。それは彼の属する世代の共通感覚なのかも知れないし、社会の隅っこのところを渡ってきた彼の処世訓なのかも知れない。
ぼくはそんな風に彼に影響されながら、十代の半ばから二十代、彼の店を根城に過ごしてきた。ぼくの常識や物の考え方は、大半がこの店で形作られた。少しばかり考え方がいびつなのは、きっとそのせいなんだと思う。

きのう、久しぶりに彼の店を訪れた。
前の店は畳んで、新しい名前で別の場所でやっている。でもIさんの店であることには変わりない。
薄暗い明り、ウッディな店作り、壁にぶら下げられたLPレコードのジャケット。
いまだにカセットテープとレコードプレーヤーが現役でがんばっている。棚一面のレコード。そしてボブ・ディランの歌声。
最初に出会ったときにはまだ29歳だった彼も、いまはもう52歳かそこらだ。でも多少髪が後退したくらいで、彼ははじめてあったときと何も変わらない。彼の入れるコーヒーの味、でかい缶の灰皿、木のカウンターと壁のギター。
店を訪れる機会もめっきり減った。酒を出す店でもあり、AAにつながって最初の何年かはまったく足を向けなかった。いまはそもそも、彼の店に立ち寄る時間そのものがない。
それでも扉を開けると彼はにやっと笑い、「来たな」と言う。ハイライトのフィルターを噛みつぶしながら。
いつの間にか会話の内容も、昔話が増えてきた。それでも薄暗い昭明の下でギターの話をしたり共通の知人の話をしていると、最初に彼と会ったころに気持ちが戻っていく。
ソウルキッチン。
そんな言葉が浮かんでくる。
まちがいなくぼくのソウルキッチンはここなんだと、そう思う。

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