ハッピーバースデイ、マイスポンサー
AA(Alcoholics Anonymous)のスポンサー。
AAにつながった最初のころは、ほぼまいにち彼にメールを書いていた。来る日も来る日も、毎日毎日。日報じゃないんだから何もそんなにちまちま書かなくても良いじゃないかと、いまにしてみれば思う。でも当時、自分が飲まないできょう一日を過ごしていることを、AAの誰かに知らせたかった。知らせていないと不安だった。ミーティングに行けない日に「カオルは飲んでいるんじゃ・・・」と仲間にチラッとでも思われるじゃないかと心配だった。ましてやスポンサーに、飲んでいるんじゃないかと疑われるなんてことは耐えられないことだった。
回復初期の、強迫観念。
しだいにそんな強迫観念が取れてきてからも、ぼくはスポンサーにメールを書き続けた。
いつの間にかそれが日課になっていたし、スポンサーにメールを書きながらいちにちの行動を振り返っていると、思ってもいなかったような自分の欠点や特徴が見えてきたりもした。
まいにちまいにち、来る日も来る日も、ぼくはスポンサーにメールを書き続けた。
返事が返ってくることもあったが、返ってこないことの方が多かった。でもそれでもぼくは何も構わなかった。スポンサーにその日の自分の行動の振り返りを書くこと自体が、いちにちの終わり、クールダウンの手続きとして欠かせなくなっていた。
やがて、だんだんメールを書く頻度が少なくなってきた。
面倒くさくなってきた・・・と言うのが理由のひとつだ。
でもそれ以上に、あまり深刻にいちにちの振り返りを書かなくてもまいにちを生きていけるようになっていった、というのがおおきな理由だ。強迫観念が少しずつ取れていった。
子どもが自転車を覚えるように、少しずつ補助輪がなくともまっすぐ進めるようになった。
スポンサーはぼくがメールを書こうと書かなかろうと、顔を合わせても何も言わなかった。
ただときどき、短いけれど的確な意見を書いたメールが届いた。ぼくはそれを何度も読み返し、自分の欠点を見つめ、自分の考えかたが妥当かどうか、ほかの見方が出来ないかどうかを考えた。
そしていつだって、彼のアドバイスは実に的確だった。
相変わらずぼくはミーティングに通い続け、仲間の話を聞き続け、スポンサーの話を聞き続けた。
彼はぼくが聞いていようと聞いていまいと、自分の話を淡々と、時にユーモアを交え、時に熱く話し続けた。
それを聞くたびにぼくは飲まない生き方の目指すものを、気持ちを新たに確かめることが出来た。
先々週、そのスポンサーのバースデイミーティングが開かれた。
会場にはおおぜいの仲間が集まった。ひとりずつ仲間の話が進み、時間半ばでスポンサーはにこやかに、おだやかに、いつもと変わらないひょうひょうとした語り口で自分の話をした。
過去いかに自分が飲み、周囲を傷つけ、自分を損なってきたか。回復の過程で何を考え、いまどのように日々を生きているか。
今までに何度も何度も彼が話し続けたストーリー。
でも、彼が話すときの語り方、口調、穏やかな笑みはいつもぼくに落ち着きを与えてくれる。こうして文章を書いていても、彼が話す姿が目の前に浮かぶようだ。
そして。ぼくが信じてきたAAは間違いじゃなかったと感じる。AAメンバーであることに、誇りのようなものを感じる。
ぼくたちが目指すものは間違っていない。そう思える。
それはね、とっても素敵な気分なんだ。
マイスポンサー、遅くなりました。
ハッピーバースデイ。おめでとうございます。あなたが飲まないで生きてきたこと、ぼくに飲まない生き方の方向を指し示してくれたこと。ほんとうに感謝していますよ。とてもことばでは言い表せないくらいに。
こころから、おめでとう。
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