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2005年3月14日 (月)

例の同僚が

例の年上の同僚が辞めることになった。
本部からの派遣でうちの職場に来ていたのだけど、自分で別の支社に話をつけて移ることになった。
本社の方には事後承諾。もちろんうちにも。
本社としても結局、彼の言い分を認めて異動を認めることに。
今月いっぱいでうちは退社、4月付けで別の支社に移る。
はぁ・・・。なんか気が抜けた。
本人はぼくにはなーんにも話がない。まいにち顔を合わせているのに。現場から又聞きした話によれば、どうも今週いっぱいでうちの勤務は終わるようだ。
終わるようだって言ったって、トップにもぼくにも何も告げていない。いちおうトップには辞めることと、残りの有給を全部消化する宣言をしたそうだけど。
もう少し彼に対し気持ちを通じる努力をすれば良かったのかな、と言う気もする。
反面、自分にできることはすべてやったようにも思う。彼とコミュニケーションを取る努力はした。それでも彼はトップとぼくに対し敵意と拒絶を向けるばかりで、いっさいの意志の疎通を拒んだ。ぼくが散発的に向ける彼とのコミュニケーションの努力は、ことごとく受け入れられなかった。1月末のトラブルの時にはぼくとトップにまったく筋違いの異議申し立てをし、ぼくもトップも現場も混乱し、傷つき、ヘトヘトになった。
彼がこれから向かう支社でも、また同じような摩擦が発生するだろう。彼はきっとまた、支社トップとそこの所属長を憎むだろう。
でも、もういい。
それはもう、ぼくには手の届かないことだ。どうすることもできない。
きょうも彼は職場から支給される昼食にまったく手を付けなかった。職場から渡されている連絡用のPHSを携帯しないため、現場から居場所を問い合わせる連絡が何本も入った。ぼくと何度か部署で顔を合わせ、ぼくはあいさつの言葉と軽い世間話を彼に向けた。でも彼は顔を上げようともしなかった。下を向き、無言で顔をしかめる彼。
拒絶。拒絶。彼がとらわれているこころの闇はいったい何なのだろうかと不思議に思う。なぜ彼はそのように憎み、怒り、敵意と拒絶を抱き続けるのだろう。
ぼくには分からない。
権力的なものに対する不信や怒りが根っこにあるのかも知れない。歳下のぼくが所属長であることに耐えられないのかも知れない。でも、あれこれ考えても推測の域を出ない。彼の闇をぼくは知ることができない。
魂の闇。
こころの闇。
「魂が病んでいる」と言う言葉を、比喩ではなく実感として彼に感じる。こころの闇が彼を動かし、彼の人間関係はますます枯れ果てて行く。
でもぼくにできるのは、彼の問題と自分の問題を分けて考え、ぼく自身が彼に囚われないようにすることだけだ。
怒らず、憎まず。彼の問題は彼の問題。
彼がこれから新しい職場でより良い生き方を手に入れられるように祈ろう。
神さまの意志が働くことを祈ろう。彼を許そう。いまは彼を許せなくても、いつか許せることできるよう、許せる日が来るよう祈ろう。
いつかどこかで顔を合わせたときに、彼に微笑むことができたら。
ほんとうに、そう思う。そうなりたいな。

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