分がりゃん!
きのうはちいっとばかし気弱になっていたけどもうだいじょうぶ。元気に仕事しています。例の女性の同僚からまた怒りをぶつけられるのではないかと思っていたけど、案に相違してまったく反撃なし。本部トップのところにぼくとトップが事情説明に行った件は知っているはずなのだが。てっきり逆鱗に触れるとばかり思って覚悟していたのに、逆にニコニコして不平も言わず、たいへん機嫌が良い。朗らかに、にこやかに。かつてないほど感情的に安定している。
なして?
どぼぢで??
どういうこっちゃ????
うーん分からん・・・先日はたまたま機嫌が悪かっただけなのか。いやいや、あのときに噴出したのはかなり本質的な問題だったはず。機嫌の良い悪いで解決するものではない。
が、しかし。機嫌が良いのはぼくとしても大歓迎だ。部署内のいろいろにわずらわされず、仕事に集中できる。やれやれ、良かった良かった。彼女、近いうちにまた大荒れするような予感はする。何せ意味不明の理由で怒り、意味不明の理由で機嫌が良くなるひとだから。でも、もうそれで良し。荒れたときには荒れたときで、また考えよう。なにも自分から問題を掘り返すことはない。AA(Alcoholics Anonymous)でよく言われていることのひとつに、「問題を作らない」というのがある。いろんな意味がある。狭量な正義感を振りかざして独善に走ってはいけないといういましめ。どれだけ相手に問題があろうとも、自分からトラブルを広げてはいけないという教え。でもぼくは今回、良く分かったよ。問題を作らないって言う提案は、その方が自分の身のためだから。自分が生きていける方法だから。問題を作るのは、トラブルに身を置くのはしんどい。つらい。孤独や怒り、ネガティブな感情が渦巻きはじめる。いっときは怒りや反発心でアクティブに動けても、問題が長期化するにつれヘトヘトになる。身も心も疲弊してくる。そうなると判断に狂いが生じ、ミスが多くなる。そのことがまたさらに感情を不安定にさせる。いいやそんなことよりも何よりも。ぼくはトラブルや怒り、拒絶や敵意の中で生きていけるほど強くない。怒りをぶつけられ続けて日々を過ごせるほど頑丈にできていない。そして自分自身、誰かを憎んだり拒絶したりし続けて生きていたくない。そんな日々が続いたら、ぼくはきっとおかしくなっちゃうだろう。誰かを憎んで暮らす日々にはもう戻りたくない。恨みや嫉妬にまみれていた日々には。自分が自分として生きていくために、自分の居場所をなくさないために。自分で自分の首を絞めないために。そのために、問題を作らないんだ。どれだけ相手に非があろうとも、どれだけ自分に正当性があっても。それはけっして不正に目をつぶるのでも、非道を許すのではない。怒りを捨てて、事態が解決することを第一に考えよう。決して自分の言い分が通ることではなく、相手を言い負かすことでもなく、問題そのものが解決するように。そして願わくば、自分を越えた大きな力の意志がなされるように。
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