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2005年1月31日 (月)

死ぬほどいそがし

死ぬほど忙しい。きのうは10時に現場から呼ばれて朝までトラブル対応。夜が明けてからは通常業務+トラブル対応。でそのまま夜勤に入って明日も朝から通常業務。こう言うときに限って夜勤も通常業務と同じかよけいにハードなくらいガンガンいそがしい。なにせまったく寝ていないものだから自分でもおかしくなっているのが分かる。言わなくっちゃいけないときに言葉が出てこない。人の話を聞いていると自然にまぶたが降りてきて、気がついたら眠りこけている。目の前でいっしょうけんめい話をしている人に失礼だと思うが、眠いんだからしょうがない。世間には「私って徹夜に強いんですぅ〜」などと言うひとがいるらしいが、まったくもって信じられない話だ。一日寝ないだけでこれだけの大ダメージなのに、二日続けて徹夜できる人はすごいや。
それにしても眠い・・・ねむい・・・ねむ・・・・。

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2005年1月29日 (土)

音が出ない

引っ越し後、少しずつDTM環境を整備している。当面の課題はキーボードだ。
Rolandの(正確には子会社のEDIROLの) PCR-80というMIDIキーボードを使っていたのだけれど、キータッチが悪いんだこれが。なんかイマイチな感じ。66鍵しかないから、ちょっと左手を低音の方に持って行くとあっと言う間に鍵盤が足りなくなる。「弾ければなんだっていいやい」と思って購入したけれど、やっぱり入力機器とかインターフェース類はしっくり来るものをよく選ばないとアカンね。ほんと、キータッチが自分に合わないとキーボードを弾くのが苦痛だもの。
で、いちど引退に追いやられていた同じくRolandのA-33というMIDIキーボードを復活させることにしました。77鍵だからふつうにピアノの練習もできるし、キータッチもなじんでいる。
が。
MIDIーUSBのインターフェースが動作しないんだよ!ああ!!おい!!
これまたRolandのUM1-Xというのを使ってみたんだけど、ドライバをちゃんと組み込んだのにパソコンがインターフェースを認識しない。ReasonもCUBASESX3も「ミディキーボードが見つからないよん」という冷たいメッセージを返すだけ。あああ・・・・。
ミーティングも遅刻するくらいにいっしょうけんめいああだこうだとやり直したけれど、けっきょくつながらず。トホホ・・・。仕方ない。また明日再チャレンジか。ここまで苦労して、もとのPCR-80には戻したくないなぁ・・・。

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2005年1月28日 (金)

さいごのM公民館

奇跡的に夜勤の人が早めに来てくれて、M公民館の最後のミーティングに参加することができた。M公民館はぼくが最初にAA(Alcoholics Anonymous)ミーティングを訪れた、思い出の場所だ。最後のスリップ直後に復帰した、再スタートの場所でもある。きょうがそこの最後のミーティングだと聞いてはいたけれど、きょうになるまですっかり忘れていた。仕事が終わるころにメールチェックをしたら、仲間から「きょうがM公民館の最後だよ」というメールが来ていて、それでやっと思い出した。
最初にこの公民館を訪れたとき、ぼくはここが人生の終着駅だと思った。仕事もクビになる寸前だった。奥さんも出て行き、ぼくは年上の女性の家に転がり込んでいた。酒が止まらなかった。入院、退院。また入院。上司に「クリニックに行って治療を受けるか仕事を辞めるか、どちらかにしてくれ」と最後通牒を言い渡されていた。クリニックに行けば自助グループに行けと言われるのは分かり切っていた。アル中の集まりなんて行きたくなかった。アルコール依存症者。だらしない、自分の意志では酒をやめることのできなかったひとたち。そんなひとたちの寄り集まりに行っていったい何が得られるというのだろう。ましてやその人たちの中で新参者として扱われるなんて、プライドが許さなかった。ムリヤリ自分を卑下した悲惨な話を強要されるのか。意に沿わない説教を呑まされるのか。茶碗を洗わされるのか。頭の中には、親族のじいさん連中の新年会のイメージしかなかった。こんなところに来るまでに身をやつした自分がイヤでイヤでたまらなかった。でも、クリニックのドクターからはAAに参加することを強要されている。行かなければ次の診察で最後通牒を言い渡される。職場にも「主治医の治療に逆らっている」と知れる。行くしかない。
思い切ってドアを開けた。地味な服装の人が多いなぁ。それがAAの第一印象だった。そして意外だったのは、若い女性がかなり多かったと言うことだ。少しホッとした。
最初のミーティングは、それ以外のことはほとんど憶えていない。でも、初めての時から「受け入れられている」という感覚があった。たしかに年齢の高めの人もいる。強面そうに見える色の黒い中年男性もいる。でも、ぼくはそこで何一つ強要されなかった。説教されなかった。最後までいろだとかここに座れとか言うことを聞けだとか、そう言うことはいっさい言われなかった。物静かで落ちついたひとたち。何を話しているのかよく分からないけれど、クリニックのドクターがそう言うのならばもう何回か続けて参加してみよう。
そして、次のミーティング。その次のミーティング。紳士的で礼儀正しい人たちの集まり、と言う第一印象は変わらなかった。このひとたちがアルコール依存症だなんて信じられなかった。彼ら・彼女たちは落ちついていて、控えめで親切なひとたちだった。緊張しているぼくにお茶やお菓子を勧めてくれたが、けっして押しつけがましいところはなかった。ぼくは最初の一ヶ月近く、名前を名乗らなかった。でも彼ら・彼女たちはぼくに名前を問うことはなかった。ただ率直に、自分が過去どうであったか、現在はどうであるかを抑制の効いた口調で語るだけだった。「このひとたちはひょっとしたらアルコール依存症でもなんでもなくって、医者にそう言われたからミーティングに来ている、ただの良い子ちゃんたちなんじゃないのか?」そう思ったことも一度や二度じゃない。でも彼らの体験を聞いていると、彼らがまぎれもなくアルコール依存症であること、そしてそこから回復して自分自身を取り戻していることに疑いの余地はなかった。
M公民館はそう言う、思い出の場所だ。会場はそのころと何も変わっていない。安っぽい薄地の茶碗。コーヒーセット。畳敷きの和室、薄っぺらい座布団。暗い蛍光灯。はじめてここを訪れたのがつい昨日のような、そんな錯覚さえしそうなくらいに何も変わっていない。ふすまを開ければ、あのころの自分の幻影に出会える、そんな気までしてきた。でももちろん、あれから4年の月日が経っている。4年も経ったんだ。あっと言う間の4年間。ぼくはその間に何回もスリップし、年上の女性と修羅場の末に別れ、いまの彼女と出会った。飲まない日々が積み重なると同時に職場でも少しずつ信頼されるようになり、またストレスも増えた。いろんなことがあったけど、AAミーティングから離れることはなかった。
気がついたら、あのとき会場にいた仲間はもうかなり少なくなっている。亡くなった仲間もいる。それでもきょうまでぼくはミーティングに通い続け、飲まない生き方を少しずつ歩くことができた。それは自分の力なんかじゃなく、まぎれもない、AAの持つパワーだ。共感と思いやりと温かみと希望。それはひとが何かからはい上がろうとするときに必要な、人間本来のパワーなんじゃないかと思う。M公民館はきょうでおしまいだけど、ぼくはまだまだ仲間を、AAを必要としている。
いつかまた、この公民館で仲間とミーティングをやりたいな。そのときにはどんな気持ちで、はじめてつながったころの自分を思い返すんだろう?

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2005年1月26日 (水)

やれやれの日々

披露宴をやることに決めて以来、がぜん忙しくなってきた。決めることが山のようにある。招待状の文面、用紙、封筒。どんな演出でやりたいのか。人前式でやるのか神式かキリスト教か。引き出物はどうするのか料理は、衣装は、あいさつを誰に頼むのか。
中でも頭が痛いのが招待客のリスト作り。あんまり縁の薄い人は呼びたくない。AAメンバーと職場とつきあいの残った友人数名、本部のトップ。それくらいでいいとは思ったのだけど。でもやはり、これからのつきあいを考えたら声をかけないわけにはいかない人もいる。
いちばんの悩みどころは、そう。例の年上の同僚。本音で言えば呼びたくなんかない。彼の非協調性のおかげで仕事が増えまくっている。拘束時間がどんどん増えて休日が少なくなっている。なおかつ、ちょっとコミュニケーションを取るたびに思いっきり傷つけられ、打ちのめされる。呼びたくない。でもわずか4人の部署。彼だけ外せば、職場でのうちの部署の非協調性をことさらに強調することになる。
いちばん理想的なのが、声をかけたけど彼が断る、と言うパターン。これを期待して、思い切って声をかけてみた。
結婚披露宴を上げるのですが、ご参加をいただけないでしょうか。
「そのころどういう予定が入っているか分からない。いま返事できない」
・・・・はい。
期待をしたぼくがバカでした。そのころの予定が分からない。そりゃぁそうでしょう。交通事故に遭うかも知れない。とつぜん仕事の急用が入るかも知れない。でもふつうのひとはそんなことは承知の上で参加か不参加かを返事するのですが。
とりあえず、招待状はふつうに渡すことにした。で、期日までに返事がなければご欠席と言うことにしよう。
それにしても、いちばん招きたくない人を招かざるを得ない。職場とは因果なもの。
彼を受け入れなさいって言うメッセージかね。やれやれ。

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2005年1月25日 (火)

カミングアウト!

つきあいの残った貴重な友人のひとりと晩ご飯を食べてきた。披露宴にも来てもらう予定だ。いい機会だから、アルコール依存症をカミングアウトすることにした。食事が終わって店を変え、コーヒーを飲みながら、少しずつ話をした。奥さんと別れた経緯、その前からアルコールの問題があったこと。奥さんの問題とともに、自分の強迫的飲酒のために家庭が壊れたこと。そして仕事も生活もどうすることもできなくなってクリニックにつながり、AA(Alcoholics Anonymous)につながったこと。いまは飲まないで生活していること。AAで自分がもらったこと。意志と命の方向性が変わったこと。などなど。
親しい何人かにはカミングアウトしているけど、何回やっても気後れしそうになる。恥ずかしいよ、そりゃ。仲のいい友人に「ぼくはアルコール依存症です。いままで黙っていたけど」って言うんだもの。驚くに決まっている。受け入れられないかも知れない。つきあいを絶たれるかも知れない。またひとり、友人をなくすかも知れない。でも、これはどうしても必要なこと。依存症とAAのことを隠したまま友人としてのつきあいを続けるのは、何だかとっても不誠実な気がする。適切な時期が来たら、ぼくが大切にしているひとたちには打ち明けていこうと思う。で、いまがその時期なんじゃないか、と。
さいわい、好意的に受け入れてもらえたように思う。ほっ。これも神さまの意志なのかもねー。

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2005年1月24日 (月)

結婚します

えー。
私事ではありますが、このたび結婚することになりました。相手はもちろんマイ彼女でございます。ブログで書くのも恥ずかしいのですが。
いやー。
長い道のりでしたよ。
そりゃもう、信じられないくらいいろんなことがありましたよ。
こうして結婚の段取りが着々と進んでいるのは、何だか自分でも信じられないッス。
予定日は4月3日。ぼくは再婚、いまさら親戚を呼んで式を挙げるのは恥ずかしい。披露宴なんてやらないでこっそり籍だけ入れちゃおうかと真剣に考えていた。でももちろんマイ彼女は最初の結婚。友人や職場から祝福されての門出にしたい。そして自分自身も、人に後ろ指指されるようなまねはせずに、正々堂々と胸を張って結婚したい。かつての友人たちの大部分は、アルコール依存症が深刻になっていくに連れて関係が絶えてしまった。むかしの友人たちの間では「また女に面倒を見てもらっている」「また問題を起こしてはオンナに尻ぬぐいしてもらっている」なんてウワサになっているとも聞いた。腹が立つ。でも、だからこそ、「あいつ、いつの間にかこっそりオンナと籍を入れてたんだってさ」なんて言われるようなことはしたくない。
そしてそんなネガティブなことじゃなく、なによりも。
ぼくはアルコール依存症になって、いまそこから回復の道を歩いている。アルコールの海の中で、ぼくは社会的にも精神的にも死んでいた。ただ機械的に職場に通ってミスだらけの仕事をして、帰ってきて奥さんとケンカして酒を飲んでいただけだった。何も感じなかった。生きている気がしなかった。入院、退院、入院。息が止まっていないだけの死人だった。
いま、そこをくぐり抜けてここまでカムバックしてきた。かつての友人たちとの交際は途絶え、腹立たしいウワサが聞こえてくるだけになった。でも、それでもいい。それはそれでいい。何もかまわない。それで彼らが一時の憂さを晴らせるなら、好きなだけ言わせておけばいい。
ぼくはいま、彼女と、仲間と、わずかに残った友人と、それなりに信頼を置いてくれる職場がある。お酒が止まってから育った、新しい関係。腹が立ったりしながらもAA(Alcoholics Anonymous)で学んだことを生かして育ててきた、かけがえのない関係。それをたいせつにしたいと思う。ぼくはそれをたいせつにしたい。ぼくは酒が止まってはじめて、ひととして成長することができた。お酒が止まってようやく、生きているという実感を得た。笑い、喜び、人間らしい感情を取り戻した。その過程につきあってくれたひとたちに感謝したい。できればその人たちから祝福を受けて、新しい生活を始めたい。
てなことで、披露宴をやることにしました。何も恥じることなし。おそれずに、誇りを持って。再婚、アルコール依存症。何を言われようと気にしない。そこをくぐり抜けなければ、いまの自分はなかったのだから。何を言われても、笑ってこたえよう。
しかしそれはともかく。式当日まで、やることが山ほどあるんだなこれが・・・。

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2005年1月23日 (日)

N魔はベストコンディション

きょうは2週間ぶりの休日!オマケに晴天!これはヤマに行くしか!かみさまありがとう・・・。
が。
いっしょに行く約束をしていたAAメンバーはおうちの都合でキャンセル。彼女も同行する予定が、これまた実家の都合でキャンセル。仕方なくひとりでN魔に滑りに行くことにしました。
ひとりスノボの良い点。
1.ひげも剃らず着替えもせず歯も磨かず、朝起きたまんまで滑りに行ってもゼンゼンオッケェ。
2.自分のペースで滑れる。
3.帰りたいときに帰れる。
ひとりスノボの悪い点。
1.さびしい。とくにほかのボーダーがきゃいきゃい男女楽しそうに戯れているのを見るに連れ。
2.コケてケガしてもひとりぼっち。
3.だんだん気持ちが暗くなってくる。なかなかイメージ通りに滑れないときなどとくに。
まー仕方ないよね。でもほかのボーダーが楽しそうに連れ立っているのを見るとちょっとさびしい気が。
しかしいちど滑り出してしまえばさびしいとかはゼンゼン関係なく、もうがんがん滑りまくり。
きょうの目標は「本数をこなす」「スピードになれる」「斜度になれる」の3点。身体が思うように動かない、後傾になる、腰高になるなどの欠点の多くは「頭では分かっているけど恐怖心で身体が引けてしまう」のが原因。これはもう一本でも多く、自分の限界にチャレンジしていくしかない。
で、上の方のコースを中心にとにかく本数をこなしていく。しかし当たり前だけど、目標を決めてハードに練習すればするほど身体が疲れてくる。1時間ちょっとで8本。だんだんターンがキレなくなってくる。うう。煮詰まってきた・・・。
と思ったら!
「カオル〜」リフトでひとつ後ろに乗っていたスキーヤーが声をかけてくる。おお、マイスポンサー!やっぱりきょうも!後半はマイスポンサーといっしょに数本。ラストはキッカーにレール。レールも練習台程度ならそれほど怖がらずに乗れるようになってきました。
やっぱりひとりで黙々と練習するのも良いけど、楽しむためには連れがいた方が良いですね。連れがいるとペースがつかめないときもあるけど、ひとりだとだんだん煮詰まってくる。やっぱり何事も楽しんでやるのがいちばん。
このシーズンも、ぼやぼやしているとあっと言う間に終わってしまう。ムリにでも時間を作って一本でも多く滑りたいな。

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2005年1月22日 (土)

さ、さむい

それにしてもアパートが寒い。灯油ファンヒータにエアコンをフルで回しているのに室内温度が17度というのはどういうワケか。頭寒足熱ならぬ頭寒足寒である。こう寒いと何をする気にもならない。ファンヒータの前から一歩も動けない。やらなくてはいけないことが山ほどあるのに。。。
ミーティングから帰ってくる途中、セルフガソリンスタントで灯油を入れてきたんだけど、灯油を入れている間にも手がかじかんできて死ぬほど寒かった。アパートにいる間はがんがんファンヒータをたいているからすぐなくなるんだ、これが。それなのにひとつも暖まらない。うーむ。やはりこのアパート、安普請なのか。
などと愚痴ばかりも言ってられない。どれどれ、CUBASESX3に火を入れるとしよう。
ロッケンロー!

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2005年1月21日 (金)

またもや新年会

もう1月も下旬だけど、またもや新年会。こんどは事務部門。部署の長としては出席しないわけにはいかない。帰ってきて11時過ぎ。いやはや、疲れました。終わって外に出たらぴうぴうの寒風。さ、さむい・・・。あすはまたまたプレゼンだけどなーんも、なーんも、んー、なーんもッッ!準備していないんだなーはっはっは〜。
仕方ない、きょうは早めに寝てあすの朝イチでまとめるしかない。なんだか最近、「直前にならないとやらない習慣」が身に付いてきているような気がする。日中準備をする時間が取れなかったから仕方なし。もっと前から事前に準備しておけば良かったんだけど、近ごろあまりに忙しいのでもう開き直るばかり。職場の雑事、頼まれた単発の仕事、ふだんの業務量の増加。この山を越えればきっとラクになるはず。そう自分に言い聞かせて乗り切るしかない。プレゼン、失敗したらごめんなさいだなぁ。はっはっは・・・・。

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2005年1月19日 (水)

部屋の片づけ

部屋の片づけが終わらない。引っ越しが終わってからもう2ヶ月近く経つのに、片づけが終わっていない。正確に言うと、引っ越し後1ヶ月目くらいからあとは、積極的に荷物を片づける努力をしていなかった。
当然のことながら、片づけをしていないので雑然としたままである。生活できるスペースが空いて、開梱を済ませていない荷物を一部屋にまとめた時点で停止している。「そのうちどうにかなるだろう」と高をくくっていたが、自分で片づけないのにどうにかなるわけもなく、当然のことながらそのまんまである。ほかにやることがたくさんあったし、そもそも遅くに帰宅して片づけをする気力がわいてこない。
恐ろしいことに、片づけをしていない部屋に徐々になじんでいく自分がいる。わりと身奇麗にしている方だと思うし、ワイシャツもちゃんと洗ってきちんと自分でアイロンをかけている。でも部屋の片づけだけが中途半端のままに停止している。
こりゃイカン。
と言うことで、きのうは彼女とともに部屋の片づけに取り組みました。
いやー。たいへんだった・・・。
まとめてもまとめても、次々と空き段ボールが発生する。開梱した内容を「とりあえず」その辺に放置しておくと、放置の一山がどんどん巨大化していく。片づけをしているんだか段ボールの中身をただ単に床にぶちまけているんだか、自分でもよく分からなくなってくる。片づけをしているはずなのに、なぜかかえって散らかってくる。ハンパじゃなく散らかってくる。0時を回ってくるころにはヘトヘトに疲れ果てて、そろそろ辞めようかと思う。が、途中でやめてしまえば当然、床やテーブルに散乱した大小さまざまな荷物はそのまんまになる。
がんばりましたよ。ええ、そりゃもう。がんばりましたよ。
努力の甲斐あって、何とかリビング部分と本棚のある部屋は片づきました。あとは楽器および機材類を残すのみ。これがいちばんやっかいだけど。
いやはや、おかげできょうは眠いのなんの。午後3時を過ぎたら頭がもうっとして仕方ない。きょうは早く寝ようっと。おっとその前にアイロンがけしてギター弾いてCUBASEいじって・・・。

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2005年1月18日 (火)

CUBASEむずかし

こういうことを言うと DTMをやっている人に笑われそうなんだけど、あえて言っちゃう。
みんなほんとーに、DAWソフトを使いこなしているのか?一介のアマチュアギター弾きが手を出して使いこなせているのか?ちらほら書いているけど、CUBASEを使い出してはや3年くらいになる。と言ってもときどき起動しては「よう分からんなー」と言って終了するという、開発者に見られたらはっ倒されそうな使い方しかしてこなかった。で、そのままマンゼンとアップグレードして、はや3代目。
CUBASESX3
その間に Liveを使ったり Reasonを使ったり、あっち行ったりこっち行ったり、ヨタヨタしながらもDTMにそれなりに慣れてきた。
が。しかし。それでもなお。
CUBASESX3、むずかし。
SX3になってACIDファイルが読み込めるようになって、格段に作業効率は良くなった。て言うかいままではループ素材を生かそうにも、曲のテンポに同期させると支障があった。タイムストレッチしてテンポに合わせても、そのあと2度3度とテンポを変化させると具合が悪くなる。細切れのスライスファイルを作ってテンポを合わせると、どうしてもカクカクして不自然な音になる。フェードインやフェードアウトの細工をして何とか不自然さをごまかすことはできるけど、とうてい聴いてて心地よいサウンドとは言えない。ループネタだけLiveに読み込んで同期させることもできるけど、二つのソフトを切り替えながら作業するのは面倒。て言うか苦痛。Reasonで使っているREXファイルならテンポチェンジにも対応できるんだけど。
そう言うわけでSX3になって、ようやくおつきあいできるようになったって感じ。ああ、こういうことを書くのは恥ずかしいなー。「わたしは高価なソフトを購入しても使いこなせず、それなのにアップデートだけしているおばかさまです」と言っているようなモンだものね。
でもさー。こういうDAWソフトで音楽作っているアマチュアの人って、だいたい社会人でしょ。みなさん、仕事して身の回りのことをやってギターの練習して、なおかつDAWソフトの(決して楽しいとは言えない)操作の習得作業を黙々とやっているのでしょうか?だってさー。ちょっと「アレ?入力したギターの音が出ないな?」とか「もうちょっとブライトな音にしよう」とかやってると、あっと言う間に30分とか1時間くらい経っちゃうもの。「経験値が上がって次回からはスムーズに作業ができるんだ!」と思うからやってられるけど、ふつーのギター弾きだったら「あほくさ、その間にギター弾いてた方がナンボかええわ」と思っちゃうんじゃなかろうか。だいたい、もくもくとパソコンで音作りしていると気持ちが萎えやすいし。
でも、ま、バンドでいっしょうけんめい練習しても、人間関係の失敗でなんの成果も残せないこともあるし。それに比べてDTMだけが無駄で苦痛な作業とは言えないかも。人生は無駄と失敗、試行錯誤の積み重ねです。何事もあきらめずに継続、だね。がんばりまっしょ。

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2005年1月17日 (月)

ホームグループ

1週間ぶりのミーティングだ。ミーティングのある曜日と待ち番や宿直の日とが重なって、ここんとこ回数が減っている。回数が減るとだんだん元気がなくなってくる。イライラしやすくなる。
きょうは1週間ぶりの、ホームグループ。
ぼくの住む市には現在、4つのAA(Alcoholics Anonymous)のグループがある。4つあるからと言って別に仲違いしているとか分裂しているとかじゃなく、4つのグループのどのミーティングに行っても、だいたい同じような顔ぶれだ。みんな重複して出席している。もちろんぼくも。
じゃあなにも4つに分けなくてもいいじゃないか。初めのころはぼくもそう思っていた。でもAAに足を運び続けていると、それぞれのグループの特色がだんだん分かってきた。みな同じように酒を飲まない生き方を続けているけれど、グループによってビミョーにカラーがちがう。
ぼくがホームグループを決めたのは、わがグループがいちばんおだやかでハッピーな雰囲気だったからだ。
のちにマイスポンサーとなる人物が同じグループに属していたのは、まったくの偶然だ。主治医からも「ぜひその方にスポンサーをやってもらっては」と言われていたので、彼がいるとは知らずにこのグループに飛び込んだのはほんとうにラッキーだった。べつべつのグループだと、きっといまとはちがう距離感だったろうから。
わがグループはお祭り好きだ。とにかくイベントが多い。夏の集い、焼肉、年越しミーティング、クリスマス。でも遊んでばっかりかというとそんなこともなく、アルコール依存症からの回復について、まじめに考えているメンバーが多い。深刻すぎず、ハッピーでアットホームな雰囲気。それがぼくのホームグループだ。
悩みもある。メンバーが少ない。市内の4グループの中では最少。どうしても会場を開けたり病院メッセージに行くのは特定の仲間に頼ってしまうことになる。かくいうぼくも、会場係は短期間、サブとして受け持っただけ。グループの役割をきちんとこなすことがキホンだと分かってはいるものの、仕事の都合でどうしても、恒常的に会場係を担当することができない。せめてもの埋め合わせに、茶碗洗いだけはやっているものの。
Hさん、いつも会場係から何から何までやらせてしまって、ほんとうにもうしわけなく思っています。そして感謝しています。イヤなことがあってもキレずにニコニコニコニコと笑っているあなたの姿が、なによりもソブラエティ(飲まない生き方)の本質をあらわしていると思います。ステップをやっていないとあなたはいつも言うけれど、そしてそれを言葉通りに受けとっている仲間もいるかも知れないけれど、そんなことはないとぼくは思います。ステップはじっさいに日常の中に使えてこそ意味のあるもの。分け隔てのないやさしさ、仲間のために尽くそうという姿勢、思いやり、謙遜、控えめな態度、相手の立場に立って考えようという姿勢、ユーモアの精神を忘れないこと、イヤなことがあってもめげないこと。
AAの精神、ソブラエティの本質をあなたの中に見、感じることも多いです。ほんと、感謝していますよ。
ということで、これからホームグループのミーティングに行ってきます。たのしみだーなー。

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2005年1月16日 (日)

ブラックアウトとタイムマシーン(3)

宿直で、ゆうべからずっと職場にいる。
午前中はバタバタ忙しかったけど、午後からは一段落。
PowerBookG4に小型のスピーカをつなぎ、iTunesで音楽を聴いている。
外は雪。
Ray Charlesの「You Are So Beautiful」を聞いていると、窓の外の汚れた雪まみれの国道も、何となく情景的に見えてくるから不思議だ。

昔から、夏よりも冬が好きだった。
冬の寒い日に、白い息を吐きながら外を歩くのが好きだった。
子どものころは肥満児で、体型がはっきり分かる夏よりは冬の方が、劣等感を感じなくてすんだ、と言うこともある。
冬の寒い日に襟巻きをして冬枯れの道を歩いていると、肥満児であることやクラスでバカにされていること、運動がまったくできないことなんてどうだっていい気がした。
街路樹の枯れた枝に雪が積もっていくのを見るのが好きだった。降り積もった粉雪が風にふかれて飛び散るのを見るのが好きだった。表通りを行き交うクルマが立てる、タイヤチェーンのりんりんという音が好きだった。
冬の静かな風景のなかを、靴がぐしょぐしょになるのもかまわずに歩いていくのが好きだった。

飲んでいたころの雪の記憶は、あまりない。
ぼくの飲酒がいちばんひどかった時期は、ちょうど結婚していた時期と重なる。仕事はしていたけれど、それ以外の時期の大半を飲酒に費やしていた。妻に隠れて酒を飲むためにあらやる努力を惜しまなかった。夫婦の関係はめちゃくちゃになり、ほとんど口をきかないようになっていた。
それでもそれなりに、関係を修復する努力はしていたつもりだった。でもたとえば、こんな冬の日に妻とどんな風に過ごしたか、いま考えてもまったく思い出せない。何か口実を作って、2DKのアパートの一部屋に閉じこもって酒を飲んでいたんだろうか。それとも入院していたか。そう、入院。結婚していた3年間、自分でも数えられないくらい何度も入院した。外科。内科。最後には外科の医者にさじを投げられて、内科に泣きついていた。飲んでからだがどうしようもないくらいにつらくなると、そのたびに病院に駆け込む。検査をすれば、当然肝臓はボロボロ。もくろみ通りに入院させてもらえる。で、しばらく点滴をしていると、1週間くらいで信じられないくらい身体がラクになってくる。退院。またディスカウントストアに走り、安いウォッカをしこたま買い込む。連続飲酒。再入院。冬場はとくにそんなことを繰り返していたような気がする。

結婚生活は2年と9ヶ月くらいしか持たなかった。
と言うか、最初から破綻していたと言ってもいい。妻はもともと精神的に不安定なひとで、ちょっとしたことでノイローゼ気味になるきらいがあった。ぼくはひどい酒飲みで、結婚前の半年くらいからどんどん、飲んだときとそうでないときのギャップが激しくなってきていた。妻がアパートに来ているときには酒を飲まないでそれなりに穏やかに接することができたが、いちどひとりきりになるとあっと言う間に連続飲酒に落ちた。風呂にも入らず、食事も取らず、ひげも剃らず着替えもせずにただただアパートのソファにひっくり返って酒を飲み、スーファミをやり続けていた。ブラックアウトの合間合間にゲームを進めるものだから、目が覚めたときにはゲームがどこまで進行していたかなんてまったく覚えていなかった。誰にも飲酒をじゃまされたくなかった。わずかに飲酒の合間にピーナツやヨーグルトを口にするだけで、あとはひたすら酒だけを流し込み続けていた。電話にも出なかった。誰かがじゃましに入ってこないように、ドアチェーンをかけっぱなしにしていた。そのたびに彼女はヒステリックになり、あるときは真夜中に何時間もドアをたたき続け、あるときはドアチェーンを破って泣きながら駆け込んできたっけ。

ひとりでおいておくと何をするか分からない。結婚していっしょにいるしかない。そうすれば馬鹿な飲み方も収まるだろう。結婚すればすこしは大人になって、馬鹿な学生時代の悪癖も修正されるだろう。

彼女とその両親はそう考えた。ぼくの両親もそう考えた。誰もその飲酒が病気で、性格だの結婚だので改善する問題でないとは思わなかった。始末が悪いことに、ぼく自身、結婚すればどうにかなると信じ込んでいた。アルコール依存症であることはとっくに感づいていたにもかかわらず。

結婚披露宴の夜が、結婚して最初のブラックアウトだった。二次会だか3次会だかの後半から、ぷっつりと記憶がとぎれている。そしてそれはほんの始まりに過ぎなかった。

新婚旅行はイタリアだった。飛行機に乗って数時間。機内サービスも一段落し、客の大半は毛布にくるまって眠りはじめた。ぼくは体中から汗をふきだしていた。手が、恥ずかしいくらいにぶるぶる震えている。動悸がする。ずきんずきんと眼球の裏側に拍動を感じる。目玉がいまにも飛び出してきそうなくらい。吐き気がする。ひどく気持ちが悪い。居てもたってもいられない。最後に酒を飲んでから12時間くらいが経過している。典型的なアルコールの離脱症状だ。傍らに眠る妻におそるおそる聞いてみる。
「スチュワーデスさんにワインを一本もらってもいいかな?」
「ダメ!」
ビックリするくらいの声で叱責が飛ぶ。仕方がない、あきらめてこのまま時間が過ぎるのを待つしかない。前方のテレビ画面を見る。イタリアまであと12時間。このまま脂汗を流し、狭いエコノミーのシートでふるえ続けるしかない。

離婚したのは平成12年の夏だ。妻がいなくなったアパートは、実に静かだった。それまでのつかみ合いの修羅場がウソのようだった。ぼくは心おきなくウォッカのビンを並べ、飲み始めた。もう酒瓶を隠すこともない。妻が寝静まるまで酒を渇望しながらふるえていることもない。好きなときに好きなだけ飲める。

アルコール依存症にしあわせな飲み方なんてない。とくに病気が進んでからは。飲めば飲むほど乾いてくる。飲むことは苦痛しかもたらさない。ブラックアウト、信じられないくらいのだるさ、手足を動かすことも寝返りを打つこともできないくらいの衰弱。飲むことは苦痛しかもたらさない。気持ちよく酔えることなんてもう二度とない。それでもわれわれアルコール依存症者は次の一杯に手を出さずにいられない。

AA(Alcoholics Anonymous)につながるのはもう少し先の話。
雪の夜は、過去がすぐ近くに感じられるよ。

かくしてわれわれは、絶えず過去へ過去へと押し流されそうになりながらも、流れに逆らう船のように、力の限りこぎ進んでいく
スコット・フィッツジェラルド「華麗なるギャツビー」

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2005年1月15日 (土)

ガス代が1万4千円?!

郵便受けがきらいだ。
勧誘のチラシが入ってくる。電気代やガス代の通知書が入ってくる。
あまり見たくない郵便が入ってくる。
現実逃避的に、極力郵便受けは見ないようにしていたんだけど。
きのう、たまっていた郵便物を取り出したら、「ガス代:14440円」の請求がっ!!
ひぃぃ〜〜っっ!!!
な、な、なんだってこんなに高額・・・。
アパートにいる時間は決して長くないのに、1万円オーバーとは・・・どゆこと?!
かるくめまいを感じながらよく見たら。
新しいアパートに引っ越してから、ガス代の口座引き落としの手続きをしていなかったんですね。
口座引き落としの申込書をもらっていたにもかかわらず、手続きするのを忘れていた。
まだ一回も払っていなかった。初回の諸費用+11月分+12月分。
ほっ。
1ヶ月分の料金じゃなかったんだ。よかったよかった。
これで安心・・・じゃなーいっ!!
郵便局に行って振り込み手続きをしなくっちゃ。
やれやれ、早く振り込まないと、この寒いのにガスを止められちゃうよ。
月曜の昼間にでも、外出して郵便局に行ってこなくっちゃ。
ううう、なんだってガス会社はいろんなところに分かれているんだろう。
電気も水道も、電話一本で引っ越し手続きが終わるのにー。
ガスだけは、引っ越すたびに新しいガス会社(代理店っていうのか)に手続きを取らなくちゃいけない。
インターネット時代なんだからさー、たのみますよー。まったくぅぅ〜〜。
忘れていた自分が悪いんだけどね。うーうーうー。

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2005年1月14日 (金)

新年会

現場の新年会でした。
招かれて参加したものの、現場のノリになかなかついて行けず。途中で帰ろうかとも思ったけど、トップもいたし主任も盛り上げようとがんばっていたし、帰るきっかけがつかめないまま最後まで参加。
途中からはカラオケになってそれなりに盛り上がったし、まぁ良いか。
と思ったら。
最後の最後、ぼくもよく知らない男性がトップとぼくにからんできた。
何が言いたいんだかよく分からないけど、酔って目が据わっている。怒っているんだか興奮しているんだか分からない。
こまった・・・。
最後はほかのスタッフに抱えられるようにして退場。
こういうのは初めてだったのでビックリ。
酔っぱらって支離滅裂になっているひとは、正直恐い。言葉が通じない。
ぼくもひょっとしたら、かつて飲んでいたころはこういう場面があったのかも知れない。
ふつうのひとは酒は楽しみのひとつで、人生のスパイスのようなものかも知れない。
でも彼やかつてのぼくは、そうすることができない。トラブルのもとでしかない。人生に制限を課す枷でしかない。
ぼくはぼくの飲まない生き方をたいせつにしよう。
それにしても明日以降、出勤してきた彼と現場でどう接すればいいのだろう。
やれやれ。つかれたよ。

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2005年1月13日 (木)

人前で話す

午後から外の仕事だった。頼まれたテーマに沿って、10人弱の前で40分ほど話をする。出されたテーマはぼくの専門外。でも引き受けた以上はどうしても話をしないといけない。
人前で話すのはわりと好きだ。
でも、だんだん回数が増えてくると「好きだから」と言うだけでは長続きしなくなってくる。
だれてくる。
モチベーションが下がってくる。
テンションが低い状態でもきちんと内容が伝わるようにしないと顧客に失礼だ。仕事である以上、テンションの高低でクオリティを下げるわけにはいかない。
となると、予習や下準備をしっかりやっていくしかない。
これがツライ。
もともと予習とか宿題とか、子どものころからきらいだった。
むぅ・・・。
毎回テンションが維持できればそれがいちばんラクなんだけどなー。よしう、きらい。
と言うことで、きょうも脂汗を流しながら人前で話してきました。
ときどき外に出ると良い気分転換になってきもちいいんだけどね。
あすは現場の新年会。
食べ過ぎないようにしようっと・・・。

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2005年1月12日 (水)

は、はずかし

きのうの写真はあのようにデカイ写真になる予定ではなかった。
その前の、Puffyやギターウルフよりもデカイ写真になっておるではないか。
はずかし・・・。
訂正しようにも、どこをどう直せばいいのかさっぱりわかりゃん。
こまった・・・。
スゲー自己顕示欲がでかい感じじゃないの。
ココログ、アップロードしたファイルの削除、分かりやすくしてよん〜。
こまったこまった。

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2005年1月11日 (火)

シーズン初N魔

snowboard01N魔スキー場へ行ってきた。
ここは県内でもハイレベルのボーダー、スキーヤーが集まるところだ。なにせボーダーは雪上を滑っているひとよりも空を飛んでいる人が多いくらいだ。女の子ボーダーでもふつうにワンメイクをキめてたりフェイキーですいすい滑っていく。
今回、どのスキー場のシーズン券を購入するか、かなり迷った。数えていないからはっきりした数は分からないけど、昨々シーズンも昨シーズンも20回はスキー場に行っているはずなので、シーズン券を購入しないと財布にきびしい。今シーズンは、思い切ってN魔にした。
N魔のパーク(レールやボックス、キッカーなどがそろえてあるエリア)にはとてもとても入れるレベルじゃないけど、うまいひとを見ているとやる気がわくんだよね。
上手なボーダーを見かけると、つい後ろをくっついて滑ったりして。イマイチ技術の向上に伸び悩んだときも、上手なひとを見ているとそれだけで気持ちがハイになる。
と言うわけでN魔。
今シーズンも、みなさん飛びまくっておりました。
今回はぼく、彼女、AAメンバー2名(女性1名、マイスポンサー)の4人。マイスポンサーのみスキーで、ほかは全員ボード。女性メンバーは昨シーズンからはじめて、今期で2シーズン目。自分ではヘタくそだと言っているがかなり上達したと思う。今シーズン3回目。
彼女はシーズン初回。マイスポンサーは5〜6回目。
N魔は広くてなだらかなおおきい緩斜面が1枚。それ以外は中斜面ないし急斜面ばっかし。
まずは足慣らし、みなで緩斜面を2本。その後はパークを見学に行ったり、ぼくとスポンサーは急斜面に行ってみたり。
いやー。
ひとりでもくもくと課題を決めて滑るのも良いけど、みなでわいわい滑るのもたまには良いね。
本数はそれほどこなせないけど、楽しく滑れる。ひとりで練習ばっかりしていると煮詰まって来ちゃうもの。
何となくバンドにも似ている。
個人練習は必要だけど、やっぱりアンサンブルが楽しい。アンサンブルの楽しさがないと、個人練習もやる気が失せる。萎える。
しばらくは練習に励んで、またみんなで行きましょう。
Nさん、うまくなりましたね。逆エッジは食らわなくなったじゃないですか。フォームが安定してきてるってことですよ。
マイスポンサー、相変わらず安定した滑り。体力が落ちたのトシだの言うけど、ぼくから見れば超上級テクニカル。今シーズン、行けるときはぜひご一緒させてください。
そしてMちゃん。
楽しくなければモチベーションは長続きしない。まず自分が楽しめること。ほんと、あなたには教わることばかりです。
ありがとうねー。

不肖ワタクシ。
せっかくパークに入ったのに見学だけというのもさびしかったので、ちょっとだけボックスに挑戦しました。
自分では重心を低くアプローチしているつもりが、写真で見るとありありと腰高。イケてなーい!
がんばるなり!!

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2005年1月 9日 (日)

Puffyとギターウルフ

guiterwolfきのうのPuffyのつづき。
彼女たちがテーマ曲を歌ったアニメ「TEEN TITANS」のテーマ曲はここから聞けます。
こちら
アニメテーマらしい♭5thを交えたマイナー調の曲。バットマンのテーマみたいなかんじ。
ま、それは良いのですが。
ビデオクリップを見始める。アミユミが宇宙をバックに歌い始め、アニメのシーンが挿入される。それはいい。
が、後半近くに衝撃のシーンが!
ギターソロの場面。まったく唐突に革ジャンにボーダーTシャツの男が山の上に降り立ち、ギターソロを弾きはじめる。
彼は・・・彼は・・・
ギターウルフ!!

ギターウルフさんたち

なぜギターウルフがPuffyのクリップに・・・。
て言うかアルバム2枚持っててライブも行ったけど、ギターウルフがまともなギターソロを弾いたの、初めて聞いた・・・。

ギターウルフのセイジさん、ソロを終えるとクールに背中を向けて去っていきます。
ううむ。
やるなギターウルフ。
すごいぞギターウルフ。
そこに立っているだけで意味不明だぜギターウルフ。

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2005年1月 8日 (土)

Hi! Hi! PUFFY AmiYumi Show!

puffy02ccell_showclip昼下がり、職場でテレビを見ていた。アメリカで通用する日本文化が紹介されていた。その中に突然、パンチの効いたキャッチーなロックンロールが!カラフルなアニメ、キュートでパンキッシュな小娘キャラがギターをかき鳴らしアンプに叩きつけドラムをたたく。
こ、これは・・・・?!
The Hi Hi Puffy AmiYumi Show
そういえば去年、パフィーがアメリカでアニメになると言うニュースをどこかで見た。
しかし正直、「ふーん」と言うだけの感想しかなかった。
「旬」が終わったアイドル。お茶の間に愛される小憎らしくてかわいい小娘キャラも、結婚や離婚と言ったワイドショー的なネタに汚されてしまった。アーティストで行くか知的ロックマニア向けキャラで行くか、はたまたアメリカ進出か。路線が定まらないままいつの間にかメディアから消えてしまった。
ぼくにとってパフィーはそう言う印象だった。アジアの純真もサーキットの娘も渚にまつわるエトセトラも、とっても印象的で好きだったけど。
でもこれ・・・。
良いじゃん!
大好きです、ぼく。こーゆーの。
パンクな悪ガキふたり組。はちゃめちゃだけど仲良しふたり組。
泣けるなぁ・・・。
大好きな映画、 タイムズスクエアを思い出しちゃいましたよ。
上のリンクのサイトではこの番組のテーマ曲が何曲か聞ける。もちろんパフィーが歌っている(英語で!)。
シャンプーや往年のジョーン・ジェットに通じる、正当派ガールズロック。
「Friends Forever」なんて曲もあって、ノリが良いけど泣ける。
自分的に、完全にツボ。感動。
ベタだけど、「ロックと友情」って泣ける名作が多いよね。 バンディッツとか。
Puffy AmiYumi Show、さっそくアマゾンでポチしました。
みんなでうたおう!
ハイハイ、パフィアミユミ、ショーウ!エビシンギン・イズ・パッシボー!
がんばれ PUFFY!!

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2005年1月 7日 (金)

なんだって正月なんてものが

なんだって世の中には正月休みなどと言うものがあるんじゃろ?
正月休みがあるから、その前後がムチャクチャ忙しくなるんじゃ。
そりゃーアアタ、1週間くらい正月休みがあるんだったら、その前後がスゲー忙しくったって耐えますよー。
でもたった3日の休み、そのうち2日間は土日ったらでんでんふだんと変わんないじゃないの。
正月休みはんたい!
正確に言うと、正月休み前後のいそがしいのはんたい!!

すんません、グチでした。
いかんね、感謝のココロが足りないね。
健康で元気に働けるしあわせを感謝しなくっちゃね。

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2005年1月 5日 (水)

600万ジャムおじさん

いつも拝見させてもらっているotamaさんのサイト。
一体どうなんでしょう
1月2日の記事。600万ジャムおじさん。すごいひとがいるものだ。
母親が送った瓶詰めのジャムが破損、宅配業者に賠償請求。
2ちゃんもすでに3スレ目
こんな分析サイトまで。
ここ
はぁ・・・。
電車男の例を出すまでもなく、じきに活字メディアにも登場するでしょう。で、大きなニュースがなければワイドショーでも取り上げられるでしょう。いまでさえすでに2ちゃんでは盛り上がっているが、活字や映像の分野で報道されれば本人、くだんの宅配業者の周辺にさらに騒動が起きるのは必至。
600万ジャムおじさん、きっと全国的に名前が知られるだろうなー。
でもって、ネットを知らないひとにも知れ渡り、全国的にたたかれるだろうなー。
荷主であるお母さまは、どんな気分なんだろう。
あらためて、ネット文化はわれわれの社会を大きく変えた、と思う。
ことはカンタンだ。ある母親が息子に手作りのジャムを送った。梱包が甘かったのかジャムの内圧が高まったのか、はたまた宅配業者の扱いが悪かったのか、届いたときにはビンが割れていた。
それだけのことだ。
でもってこの世の中には、ちょっとしたことをことさらに取り上げクレームをつける人間がいる。いまもいるし、100年前もいただろうし、おそらく100年後もいるだろう。
どんな組織にだって理不尽なクレームをつける顧客はいる。かならずいる。会社や組織はそれに対し、複雑な思いを抱きつつも実直に対応する。そしてそう言った事例の大半は、人の口に上ることもなく終了する。
それが、ネットの出現によって世界中に知れるようになる。マスメディアであれば誰かが止めに入るであろう個人情報の垂れ流しが、カンタンに私怨でできてしまう。
そして今回のように、騒動は当事者の手を離れて一人歩きしていく。ネットの土俵に上げたのはジャムおじさん本人だから、大騒ぎになってたたかれるのは自業自得だと思うが。

ほんと、彼の心に平和が訪れますように。

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2005年1月 4日 (火)

M山へ

今年はじめてのスノボに行ってきました。
以前にも書いた、M山スキー場。前回はガリガリのアイスバーンで、お尻をしたたかに強打して半べそで帰ってきたのでした。今回はリターンマッチだ!
閑話休題。
AA(Alcoholics Anonymous)のルールに習い、キホン的にこのブログも匿名・匿住所・匿組織に統一することにしました。前に書いた分はそのまま手をつけずに置くけど、以後なるべく特定の個人や組織の名前は出さないようにしたいと思います。
で、M山。
前回行ったときはメインのコースのみ開設だったけど、今回は全コースフルオープン。サイトを見る限り、雪質もよさそう。おお、前回の失点を取り戻すのだ。
道中は晴天で気温も高く「こりゃーべしょべしょの重雪かな?」と思ったけど、途中からガンガン吹雪いてきて、あっと言う間に真冬の雪景色に。スキー場に到着したときには完全に冬山の風景でした。
あいにく霧と吹雪でコースは視界不良。
ゲレンデは、ところどころにブッシュが見えたりアイスバーンだったり。
しかしメインコースは8割くらいはふかふかの圧雪。申し分なし。
しかし!なんと言うことだ!
パッド入りのタイツを忘れてきた!
発熱タイツに、腰・尻・膝にウレタンのパッドが入ったにくいヤツ。ぼくのマストアイテム。
アレがないと転んだときにお尻や膝をしたたかに打ってしまう。むぅ。進退窮まったか。
まー。アレだな。
きょうは雪もふかふかだし、転ばないか、転んでもそんなに痛くないだろう。
と、希望的観測に基づき滑りはじめたのですが。

やっぱり打ちました。ひざ。
3本目くらいの、滑り出し直後。
転ぶときはやっぱりぃぃ!!アイスバーンのところぉ!
アイスバーンは固いぃ!
固いところで転ぶとイタイぃぃ!!
あえて表現するなら、学校の廊下でもろに両膝から入ったような痛み。
おーーっ!ふぉーっ!くぅーーっ!!てやはぁー!

あまりに痛いのでそのままロッジへ。さいわい腫れたりブチたりはしていない。ただ痛いだけ。
売店へ直行し、膝用の防御パッドを購入。2500円は痛いが健康には変えられん。
すぐに滑走を再開する元気もなく、そのまま昼食。

しかし。ゲレンデの食堂の風景を見ていると、ほんとスキー場によって客層がちがうものですね。
M山は家族連れが多い。あと大学生っぽい若いあんちゃんたち。女性は2割くらい。女性同士やカップルは少なく、サークルでわいわい来ましたって感じが多い。家族連れはあんまりスポーティな感じがしない、一家の冬のイベントで来ましたって雰囲気。
これが凸山だといきなりカップル率が高いし、N魔だと男女問わずがんがんのハードなボーダーばっかりになる。昨シーズン、凸山ではまるで社交ダンスでも踊るようにしっかりと向かい合って抱き合って、ビギナーとおぼしき彼女に滑り方を教えているボーダーくんをずいぶん見かけた。ちょっとうらやましかった。一度ぼくもアレやってみたい。そのとき同行していた彼女にそう言ったら無言のまま陰険な目つきで見つめられた。つらかった。N魔だと、滑っているひとよりも空を飛んでいる人が多い。ワンエイティ(空中で横に180度回転)やサブロク(同じく360度回転)は当たり前で、空中ででんぐり返りをしているひともいた。そのあと顔から着地していましたが・・・。
M山はそう言うわけで、家族連れとさわやかサークルボーダーが多いです。

しかし、ボードウェアやスキーウェアに身を包んだ若者たちを見てもぜんぜん年齢が分かんない。
「お、かわいい少年だな。小学校高学年か中学生くらいかな」と思ってみていたら、やにわに仲間数人とたばこを吸い出したり。
やけに体格のいい若者だなと思ってみていると、突然かんだかいボーイソプラノで「おとーさーん!こっちー!おしょーゆ持ってきてー!!」と絶叫したり。考えてみたら今どきの若者って、小学生から大学生まで、みんなオサレな髪型してるものね。ほんと区別つかん。

などとカツカレーを食べながら深く深く考察し、午後の滑りへ。
やっぱり一年間のブランクは大きく、ショートターンがどうしてもうまく行かない。昨シーズンの終わりごろにはさくさくとショートターン、ひょっとしたらカービング、をキめていたのに。
行き詰まったらキホンに戻れ。
そう思って、後半はひたすらロングターン&ミドルターンの練習をしていました。
荷重、状態の上下運動、上肢の先行運動、後傾に気をつける、ボードの中心に重心を置く。やっているうちにだんだんとキホンを思い出してきたのでした。
と言うわけで、1.5キロのコースを10回ほど滑ってあがり。
帰りもがんがん雪が降っていたので、M山、これからも期待できそうです。

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2005年1月 3日 (月)

初売りだよー

○井のスパークリングセールに行ってきました。
今回の目標は「買いすぎないこと」。
例年、場の雰囲気に踊らされてあとで後悔するので。
いつも後悔する、どー考えても似合わない服。明らかにサイズが合わない服。
「自分に似合う服」ではなく「似合って欲しいと願う服」を買っちゃうんですね。
願望は願望でしかなく、家に帰ってバーゲンの魔法が消えたあとには後悔だけが残る。
今回は、R・ニューボールドタケオのみ回ってきました。ほかはさっと見て回るだけ。タケオもディスプレイを見てあんまり乗り気がせず、けっきょくニューボールドだけ。
パンツが2点と薄手のニットのインナー2点、きれいな色遣いのリバーシブルのニットパーカー、ジャージ。割引だとかなりお値打ちとは言え、ほんとは2点くらいで抑えるつもりだったのに。。。。
買いすぎちった。。。

しかしきのうも書いたけど、2年ほど前は目の色を変えて派手なアイテムをたーくさんたーくさん、つぎつぎと買いあさっていたんですね。金銭感覚が完全にいかれていた。経済感覚が吹っ飛んでいた。
そんなに買っても着ていく場所がないのに、同じようなハデハデパンツを何点も買ったり。
色の取り合わせとかはまったく念頭になく、単品でインパクトのあるアイテムを景気よく購入していた。
いかれていた。とりつかれていた。
ああ、あのころもっと節約していれば・・・。

きょうミーティングで仲間が言っていた言葉が頭に残っている。
自己顕示欲。
そのころの自分は、自己顕示欲に取りつかれていたんだと思う。
かっこいいと言われたい。ひとから一目置かれたい。ステキなひとだと言われたい。
そう言う気持ちの奥には、誰かに自分を注目していて欲しい、さもないと自分の存在が否定されてしまう、そういう言いようのない不安が隠れていたんだと思う。
だから着きれないほどのハデな服を購入することで、はかない満足を得ようとしていたんだ。
AA(Alcoholics Anonymous)につながったころ、こんなことを言われた。
「回復してくると、だんだん見てくれはジミになってきますよ」
そんなことあるかい。そう思ってひたすらカラフルな装いをしていたけれど。

いまもどこかにその気持ちは残っている。
でも、言いようのない不安は消えつつある。少なくとも、○井のバーゲンでそれを晴らそうという気持ちは。
服なんて、ただの服だい。
シンプルで品のいい、きれい目のアイテムを少しだけ。
それを大切に着ましょう。ていねいに着ましょう。
ワンシーズンに2,3回しか登場しないんじゃ、服もかわいそうだもんね。
6点も買っておいて言うセリフかって?
そのとおりですね。ごめんなさい。

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2005年1月 2日 (日)

スパークリングセールでし

年越しミーティングが終わってから、2時間ほど仮眠を取って宿直に入った。
が、もう眠くって眠くって。
結局、10時半には宿直室へ。さいわいにも起こされることなく、朝までぐっすり。
暖房に乏しい自宅アパートよりも、むしろ宿直室の方が快適に眠れたりする。
が、やはり職場で寝てるというのは気が休まらないものですね。朝は廊下を通る職員の話し声で目が覚めるし。
午前中は通常の6割程度の仕事でおしまい。
あとはトップが交代できてくれるのを待つばかり。
これから○井のスパークリングセールに行くのであります。

が。

もうあんまり洋服を欲しいと思う気持ちがない。
まったくないワケじゃないんだけど、半分ほど萎えている。
ブツヨクが冷えているのは良いことだと思いつつ、どこかさびしい気がするのもたしか。
買っても、あんまり着ないうちに諸事情で着れずじまいってパターンも多いからねー。
ちなみに今回の年越しミーティング、着ないまま終わってしまった洋服をビンゴの景品にばぁーっと出しました。
○井の新春スパークリングセールでブランド福袋を買っては見たものの、あまりにストレンジなデザインのために、タグも外さずにしまってあったもの。
1,2回は着たものの、極度にハデハデなためにもう着るパワーがなくなってしまったもの。
うおーし、こりゃービンゴの目玉だぜ!早い者勝ちだぜ!!うわーっはっはっは!!

でも最後まで余っていました・・・・。
最後にはいやがる女性の仲間に、司会がむりやり引き取ってってもらってました。

少なからず落胆。
そう言えば隣県から来た仲間にこんなことを言われた。
「カオルさんって、最初に見たころは派手な洋服だったわよねー。色もハデだったり、色遣いもぶつかってるって言うか、個性的というか」
はい・・・。
返す言葉もありません。そのとおりでし。
自分でも振り返ってみるとそう思います。そのころはその程度しか回復していなかったんです。
自分ではバッチリだと思っていたんですけどね。思い返すと顔から火が出るばかり。
洋服に凝るのって、自己愛の象徴だって聞いたことあるし。
もちろん、自己愛は足りなくっても多すぎても問題あるけれど、そのころのぼくはさまざまな不安と自己愛にとらわれていたような気がする。
早く回復しなくっちゃ、社会的にも金銭的にも失ったものを取り戻さなくっちゃというあせり。
そのくせ、AAの中にいると自分がちっとも回復していないことに気づかされて、劣等感にがっくりと落ち込んだり。
「自分はこんなハズではなかった」という思いと、自分に対するぬぐいがたい嫌悪感。
そう言う不安やイライラと、自分に対する否定的な感情との間でぐぅらぐぅら揺れていた。
不安と劣等感。
その裏返しの自己愛。
そう言うネガティブさとさまざまな交錯した感情が、当時の服に表現されていたような気がする。
いまは、多少は成長したのかも知れない。すくなくとも、当時の服を見て「こりゃちょっと着れねぇな」と思うくらいには。

と言うことで、自己愛と不全感について考えつつもスパークリングセールに行ってきます。
シンプルに生きるのだ、シンプルに・・・。

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2005年1月 1日 (土)

年越しミーティング

今年の年越しミーティングはたいへんな雪でした。
前の日から気温がかなり下がっており、当日は朝からかなりの冷え込み。
仲間数名とクルマに乗り合わせて現地に着いたのが11時半。道路は凍結、下り坂、カーブの連続。
チェックインして各バンガローに宿泊者の名前を張り出して、コーヒーセットや会計の用意などをしているあいだにもどんどん雪は降り積もってくる。気温もがんがん下がってくる。
さ、さむい・・・。
例年だと仲間が集まってくるうちにだんだんバンガローの中も暖まってくるんだけど、ことしはなかなかあたたかくならない。凍結防止のために水道がしめられちゃったり暖房の灯油が切れちゃったり、ほんと「真冬」という感じ。
それでもやっぱり宿泊イベントは良いね。
気持ちが温かくなる。
日常を離れられる。ふだんの日々を忘れてしまうんじゃなく、AA(Alcoholics Anonymous)のやり方を使って、きのうまでの自分のあり方を振り返ることができる。ちょっとした日々の棚卸し、祈りと黙想。
しんしんと雪が降り積もるなか、空気は澄み切ってて透明。
ふだん会えない仲間にも会える。
遠くから参加してくれた仲間、近くから参加してくれた仲間、いっしょにイベントを作ってくれた仲間、凍結路を飛ばして来てくれた仲間、真夜中に帰って行った仲間、ほんとうにおつかれさまでした。
これからも会い続けましょう。

・・・それにしても。。。
いつものことながら、年越しミーティングのあとは身体がツライです〜。
ごちそうとお菓子、ケーキに年越しそば、お餅などの食べ過ぎで胃がへろへろ。
たばこの吸いすぎでノドががらがら。洋服もたばこ臭い。でもって睡眠不足でぼーっとしている。帰りに仲間とお茶したけど、もう早く横になりたくって途中で帰りました。とっても名残惜しかったんだけどね。
アパートに帰って仮眠を取って、いまは職場。
仲間との希望と喜びに満ちたひとときのあと、無人の冷たいアパートの鍵を開けるのは何ともやるせない感じ。む。
次のミーティングが待ち遠しいです。次は3日だ。
おっとその前にあすは○井のスパークリングセールだ。
決戦の時なり。夕方、仕事が終わりしだい駆けつける予定。
ああ、シンプルに生きる予定が・・・。

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