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2004年12月12日 (日)

地区委員会

午後からAA(Alcoholics Anonymous)の地区委員会だった。
とくに議題はなく、報告事項だけであっさり終わるだろう。そう予想していたのだが。意外に白熱する議案があって、結局3時間ちょっとかかった。
いろいろ思うところはあるけれど、AAってすごい勢いで変わりつつあるんだな、というのが実感。
ぼくがAAにつながってまだ3年9ヶ月くらいだけど、そのときといまではずいぶんと様子が違う。
ぼくがつながったばかりのころは、いろんなグループ内の決めごとに関して、いまひとつ新しい仲間が発言しやすい雰囲気ではなかったように思う。まだ良く事情が分からないのにヘタな発言をして浮いたら困る。黙っていよう。ぼくだけじゃなく、同じころにAAにつながった仲間はみな同じようにそんな空気を感じていたはずだ。
それがここ1年くらい、AAにつながって間もない新しい仲間が、グループや全体サービスに関してどんどん発言するようになった。発言しやすい雰囲気ができてきたのはうれしい。新しい仲間が全体サービスに関心を持ってくれて地区委員会や地域集会にオブザーバーとして参加してくれる。大歓迎だ。反面、今ひとつ飲み込めていない新しい仲間がAAのやり方と違う方向に話を持って行きかけたときに、それにうまくブレーキをかける言葉を探さなくてはならない場面も出てきた。まさか委員会の席上で、長々と伝統やステップについて説明するわけにも行かない。説明と共通理解は必要だが、集まりの席上でそれをやれば、なにかプレッシャーめいたものを感じるかも知れない。
こう言うときにこそスポンサーシップが大切だと思う。
スポンサー。
個人的な、飲まない生き方のガイド。自分より少しだけソブラエティ(飲まない生き方)の期間が長い仲間。
きょうの議案も、結論だけで言えば「各グループで情報を共有し、気をつけましょう。考え続けましょう」と言うことになるかも知れない。それだけ聞けば「なんだよそれ」と思う仲間がいても不思議じゃない。
でも、AAは各グループの主体性を重んじる組織だ。トップダウンは存在しない。強制も存在しない。サービスマニュアルもいろんな集まりで決まったことも、すべて提案ないし勧告だ。グループのことはそのグループが決める。
それでもAAが分裂しないでここまで来れたのは、われわれは分断されたのでは生きていけないと言うことが過去の経験から分かっているからだ。われわれは孤立したら生きていけない。たとえどんな極端なことを言うグループであっても、共通点を探り出し、手を携えて行こうとする。相手を非難したとたん、自分も傲慢という過ちを犯す。われわれの目的は他人を変えることじゃない。相手を理解しようとすること。怒りや非難や傲慢を手放し、自分自身の深いところに降りていくこと。相手を責めるのではなく、問題点をきれいにひとつずつテーブルに並べ、自分自身を点検すること。先ゆく仲間の経験に学ぶこと。耳をふさがないこと。そしてそれをほかの仲間と分かち合う(共有する)こと。これらのことは、けっして上品ぶった自己満足なんかじゃない。過去のAAのいくつもの苦い経験から、そうしていかなければわれわれは生きていくことができなかったからだ。怒りと傲慢と孤立の先にはアルコールの大海が待っていて、そこには死が渦巻いているからだ。
そんなさまざまなAAの共通理解の延長上に、きょうの結論がある。AAに来てすぐに理解できるものでもない。ぼくもいまだによく分からないところがいっぱいあるもの。
たしかにAAのやり方は、一般社会とちがうところがいっぱいある。
でも。それがどうした?
ぼくは飲んでいる間、一般社会から落ちこぼれていた。
一般社会とは、契約の社会だ。義務と責任の世界だ。契約を守らなければ、その対価を支払わなければならない世界だ。契約、報酬、ペナルティ。ハードでタフな世界だ。そんな世界でぼくたちは落ちこぼれ続け、挙げ句にアルコールの大海からAAの岸辺に打ち上げられた。
AAは共感と謙虚、思いやりといたわりの世界だ。安心して自分の弱いところをさらけ出せる場所だ。
ルールがちがっていて当然じゃないか?

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