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2004年12月30日 (木)

年末だよ

世間では正月休みだの帰省ラッシュだの年末特番だの総集編だの大掃除だの今年はお世話になりました来年もどうぞよろしくお願いしますだののようだが、そんなことにはいっさい関係なく平常に仕事。
昼休みにテレビをつけたら「笑っていいとも!」もNHKの連続テレビ小説もやっておらず「ああ年末なんだなー」と思ったくらい。
それでも午後になると職場の玄関に鏡餅が備え付けられたり職員の数が激減したり(みなさん午後半休なんですね)してて、年末ムードが盛り上がる。
雪もどっさり積もっているしね。
それなのに。
ああそれなのに。
まったく年末という気がしない。子どものころはクリスマスとかお正月とか、あんなに特別ムードがしたのに。
なんでじゃろう?
理由を考えてみました。
1.やすみが少ないから。
2・・・。
2・・・・・。
2・・・・・・・・。
いかん!「2」が思いつかない!
まー。
今年も無事に終わりつつあるから、良しとしましょう。
ケガもなく、大病もなく、スリップすることもなく、一年を終えることができたこと、感謝します。
あすはいよいよ年越しミーティングだぜ。

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2004年12月29日 (水)

ステップ10だよこんにちは

ステップ10
「自分自身の棚卸しを続け、まちがったときにはただちにそれを認めた」
近ごろステップ10がイタい。
AA(Alcoholics Anonymous)の12ステップはアルコール依存症からの回復のステップだ。と同時に、生き方の問題を扱っている。ぼくたちにとってアルコール依存症から回復することは、生き方の問題に手をつけることでもある。言い方を変えれば、生き方の問題に手をつけない限りはアルコール依存症からも回復できない。12ステップを実行しアルコール依存症から回復を目指すことは、限りない成長の道のりでもある。

ステップ10は「怒り」を扱っている。
もちろんそれだけではないが、言われなく傷つけられたり、さまざまな悪に対する正当な怒りに対してわれわれがどう対処したらいいのか、を提案している。
生きている限り、腹の立つことは無限にある。
渋滞している道路でむりやり割り込まれたら腹が立つ。あおってやろうかと思う。
スーパーの身障者マークの駐車スペースに停めてあるヤン車を見るたびにむかつく。
ちっとも進まない福祉政策、施策と現状の板挟みになって現場で困っているひとを見るたびに政治や行政に対する怒りを覚える。
そしてもちろん、例の年上の同僚。
そう言ったときに、どう対処したらいいか。

ほかの提案と同様、AAのやり方はシンプルだ。
ステップ10はこう言っている。

自分の過ちは、認める。他人の過ちは、ゆるす。

そして、自制心を持つようにも言っている。
ふつうの人びとにとっては、怒りはちょっとした楽しみかも知れない。誰かに愚痴を思いっきりしゃべって、それですっきりと発散して気持ちを切り替えることができるのかも知れない。
でも、われわれアルコホーリクにはそれができない。少なくとも、ぼくにはできない。
怒りはより大きな怒りを招く。不満はさらに不満を呼ぶ。
愚痴を言っているうちに、より大きな怒りへとエスカレートしていく。
そしてその先にあるのは、飲んでいたときと同じ、社会からのドロップアウトだ。
そのときに酒瓶を手にしていようがいまいが。

怒りを手放したい。ほんとうにそう思う。
自分のあやまちは認め、他人のあやまちはゆるす。言葉で言えばカンタンだけど、実行するのは勇気がいるよ。
ぼくの場合、他人の傲慢にものすごく腹が立つんだよねー。
他人の失敗には、かなりひどい失敗でもわりと冷静に受け入れられるんだけど。傲慢なひとってダメ。例の年上の同僚なんて、その典型。
まーこれも、神さまがくれた試練なんだろうね。いちばん苦手なタイプがいちばん近くにいるって言うのは。
ゆるす。許す。赦す。
今年のテーマは「謙遜」だったけど、来年のテーマはステップ10だね。

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2004年12月27日 (月)

年賀状でくらくら

クリスマスも終わり、いよいよ年の瀬が迫ってきた。
と言っても、特段ふだんと変わることはない。仕事に行ってミーティングに行って、生活の雑事をして、その合間合間に趣味のことをする。言ってしまえばそれだけだ。
でもそのひとつひとつに、いろんなことがあるんだけどね。

平成16年、最後の日曜日。
何も予定は入っていない。天気も良い。体調だってバッチリだ。
ボードに行ってしまおうか・・・まてまて、やることがある。
年賀状書きである。
年賀状。
ここ数年、しんどい作業のひとつだ。ふだん気心が知れているAA(Alcoholics Anonymous)のメンバーとは年賀状のやりとりなんてしない。アノニミティ(匿名性)の問題もあるし、そもそも例年、年越しミーティングで年末年始はずーっといっしょに行動している。わざわざ年賀状を出すまでもない。
年賀状を出すのは、職場、本部のひとたち、親戚、わずかに残った友人数名。
あとは年賀状のやりとりをやめるきっかけを失って、儀礼的に賀状を交換しているひとがほとんど。きっかけがつかめないまま、10年近くも近しくしていないにもかかわらず、賀状のやりとりが続いているひともいる。
思い切って、まるで縁のないひとは今回からやめることにした。住所録からもすっぱり削除した。
それでも100名弱。おおお・・・。

結局、彼女の分も含めて180枚。
刷りましたよ、ええ刷りましたとも。
年にいちどだけ大活躍するソフト、その名も
宛名職人
180枚の表面と裏面。
けっきょく、ほとんど一日がかりになっちゃいました。
「やらなくっちゃいけないこと」ではあるけど、たまの休日が年賀状書きで一日つぶれるのはちとざんねん。
ま、仕方ないよね。やらないわけにはいかないし。

それにしても、かつての友人、中学時代の同級生でここ数年、いちども賀状をもらっていないひとがいる。こちらからは毎年欠かさず出しているんだけど。やめちゃっても良いんだ。けど、兄と交流があったり両親とも縁があったりして、やめるわけにも行かず。兄には毎年律儀に賀状をよこすんだけど、ぼくの方にはここ数年ナシ。
「きっと忙しいんだろう」
「住所録から何かの弾みで抜け落ちているんだろう」
などと思っては見るものの、「こっちは毎年出してるんだから、いちどくらい返礼をくれても・・・」と言う思いがどうしてもわき上がってくる。

あと、前の職場のある男性は「もう飲んじゃダメだよ!」とわざわざ書いてよこしてくれる。まぁ、ぼくが飲んで欠勤を重ねていた姿しか見ていないから、心配してくれてのことだとは思うのだけど。フクザツな気分。
ぼくが何を考えて飲み続け、どうやって回復の道を歩いてきたかなんて、彼は知らないものね。

ということで、考え出すと具合が悪くなります。年賀状。
あんまり深刻になり過ぎるな。笑えるようになれ。
とりあえずはきょうもミーティングだ。

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2004年12月26日 (日)

スノーボードとわたくし(2)

気が変わらないうちにと、急いでスポーツ用品店に走った。おお、まさか自分がスポーツ用品店でスポーツ用具を購入するとは・・・。自分で自分でおどろいている間に、気がついたらウェアを購入していた。ウェアは高価だった。さらに気がついたらゴーグル、手袋、発熱下着、インナー、ビーニー(ニット帽のこと)なども購入していた。この時点で、ただの一度もゲレンデに立っていないにもかかわらず、かなりのお金が吹っ飛んでいた。

むむぅ。すでに後戻り不能。
何が何でもモトを取らねば。

初回はゲレンデで板とブーツをレンタルすることにした。スポンサーはいずれボードを指南してくれると言っていたが、彼といっしょに行く前に多少なりとも心得を身につけておきたい。そう思って、スポンサーには「先に一度くらい行くかも知れません」とだけ告げておき、彼女とふたりでゲレンデに向かった。
で、クルマを運転し始めたとたん。メールが入った。「スポンサー:ゲレンデで待ってる」。ど、どうして分かったの・・・・。とりあえずムシしてクルマを走らせていると、またもやメール。「リフト下のゲストハウスで待っている」あ、あのう・・・。さらに10分も立たないうちに3本目のメール。「まだなの?はやく」あああ・・・・・。

ゲレンデに到着し、ボードのレンタル手続きを済ませる。直後、マイスポンサーが満面の笑みを浮かべながら近づいてくる。にこにこにこにこ。「きょうは良い日だ(なにが?)。てっぺんに行こう」そう言うが早いか、有無を言わせずにゴンドラに乗り込む。あわててあとにくっついていくぼくと彼女。何せこの時点で、板のはき方も滑り方も分かっていない。ネットで軽く下調べして「木の葉落とし」という技を最初にマスターしなければいけない、ということしか知らない。引きつりながら笑っている間にマイスポンサーはいろいろ心得だのゲレンデの楽しさだのを話してくれているが、まったく頭に入らず。
やがてゴンドラがてっぺんに到着する。板を持って降りる。
そこは断崖絶壁。はるか下方には日本で三番目に大きな湖がきらきらと輝いて見える。つい先ほどまであの湖の縁を通ってきたはずなのだが、いまは米粒のようだ。おお。おお。「じゃ、ぼくはちょっと先まで降りてるから。カオルもついておいで」陽気な口調でそう言うが早いかあっと言う間にスキーを履いて滑っていってしまうマイスポンサー。あとに残されるぼくと彼女。落ち着け落ち着け。ヒッシで自分に言い聞かせる。落ち着け落ち着け。おつつけ・・・おけけつ?

自分でも何がなんだか分からないままボードを装着。まずはかかとエッジでずりずりと降りる練習だ。が、これがむずかしい。想像できるだろうか。急斜面に両足のかかとだけでバランスをとって立つのが、どれほどむずかしいことか。5センチほど滑る。ころぶ。5分かけて立ち上がる。また5センチほど滑る。ころぶ。1時間ほどやっているうちに、だんだん転ぶのがマゾヒスティックな快感に変わってきた。
あのね。スノボで転ぶの。そうすると後頭部を強打するの。昼間なのにお星さまが見えるの。天使さんたちが頭の上で手をつないで踊っているの。ちーたったちーたったって、ぐるぐる笑いながら踊っているの。それが良いことなのか悪いことなのか、だんだん分からなくなってくるの。
先に滑っていったはずのスポンサーさんが、何度も何度も上からやって来るの。カオルーカオルーって楽しそうな声がするの。とっても不思議なの。

リフト乗り場のあたりまで降りてきたのは、開始後3時間以上経ってからであった。途中、雪だまりにつっこんでまったく身動きが取れなくなった。アリ地獄に落ちた昆虫の気持ちがよく理解できた。ウェアがぐっしょり濡れているのは汗なのか雪なのか。ずぶぬれで、へとへとだった。でもみじめではなかった。中学や高校で感じた劣等感はみじんも感じなかった。マイスポンサーはほめ上手だ。上から降りてくるごとに、「うん!うまくなった!」「すごく筋が良いよ!」「良く初めてでそれだけできるようになったね!」などと、数限りない賛辞を送ってくれた。結局、足の使い方がどうだとかよりも、ほめてもらったことがものすごーく力になった。スポンサーにほめられると、なぜだかとっても勇気が出る。

そんな風にぼくのスノーボードは始まった。
この冬で3シーズン目になる。どの程度上達したのか?よく分からない。
何とか中斜面でショートターンをこなすことができるようになった。ちょっとだけワンメイク(キッカーでジャンプすること)ができるようになった。
でもまだまだ下手くそだと自分では思う。コブが回れない。斜度がきつくなってくると連続ターンにならない。途中で止まっちゃう。スポンサーは相変わらず、うまいうまいとほめてくれるけど。
今シーズンは何とかフェイキーをマスターして、ワンエイティを決めたいなー。
それにしても、まさか自分がスノーボードをやるようになるなんて。3年前には夢にも思わなかったよ。
これも回復の一過程なのかも知れないね。

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2004年12月25日 (土)

クリスマスで

そう言えばきょうはクリスマスだ。
あんまり関係ないけれど、それでもクリスマスだ。
子どものころは楽しかったな、クリスマス。
サンタクロースなんて信じちゃいなかったけど、両親が買ってきてくれるプレゼントには胸が躍ったよ。
温かいチキン、それにバタークリームのデコレーションケーキ。
どうして「X'mas」が「クリスマス」と読むのか不思議だった。それがなんのお祝いなのか分からなかった。
でもクリスマスのレコードをプレーヤーに載せて、表からタイヤチェーンの「りんりん」という音を聞くとすこしだけ厳かな気持ちになった。
10代後半から20代は、つらいことばっかりだったな。失恋しては、ぶっ倒れるまで酒を飲み続けていた。

20代半ばのころ、男ばかり3人でデニーズでイブの夜を過ごしたこともあったっけ。
まわりは景気の良さそうなカップルや女の子連ればかりで、ぼくたちは会話もとぎれてひたすら壁際の席でたばこをふかし続けていた。
あのときのひとりは日本にいないし、もうひとりと来たらこの世にもいない。
「まぁこんなさびしいクリスマスはきっといまだけだよ」
「け、何年経っても変わりゃしねぇよ」
不機嫌にそうつぶやいたけど、そのわずか数年後には二度とその3人が集まることがないなど、思いもしなかった。
彼が家に火をつけた焼け跡のギター。
形見の品として人づてに渡ってきた。あちこち焼けこげてるけど、いまでもちゃんと音は鳴る。

冗談で「クリスマスにバイクで事故って死んだ友だちに捧げる曲」を作ったことがある。
冗談でも、そんな曲を作らなきゃ良かった。
クリスマスが来るたびに、デニーズの片隅のもてない男3人組を思い出す。
もうひとりはアル中になり、もうひとりは日本に見切りをつけた。
両親も、10年以上も彼に片想いしたままの女の子も置いて。

ほんと、クリスマスになるといろいろ思い出すよ。
メリークリスマス。
安らぎは得られたかい?
痛みは消えたかい?

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2004年12月24日 (金)

箕輪はガチガチ

先日、箕輪スキー場に初滑りに行ってきた。
スキーリゾート箕輪
今年は暖冬でなかなか地元のスキー場は滑走可にならないんだけど、箕輪は何とか人工降雪機でがんばっているらしい。うぉっし、一足先に足慣らしだ!
と、喜び勇んで行ってきたのですが。
もー。雪、ないの。
一面氷。
スケートリンクのようなガチガチの氷の上に、うっすらと雪が粉砂糖程度にふりかけてあるだけ。おっかないのなんの。
でもってこっちもシーズン初滑りだからこけるこける。アイスバーンだからエッジが効かない。よけいに転びやすい。転びやすい上にムチャクチャ痛い。
オマケにものすごい強風で、リフトは超徐行運転。15分かかる。リフトのフードの隙間から強風が吹き込んできて、樹氷に変身するかと思うほど身体が冷える。
イタイわ冷たいわで、厳しいシーズンスタートでした。
しかし、最後に滑ってからそんなに時間が経っていないと思っていたのに、もーすっかり身体が忘れちゃっているの。
昨シーズンの終わりに「ショートターンを会得した!」と思っていたのに、ぜんぜんターンが切れない。リズムが取れない。
またしばらく特訓しなくっちゃね。今シーズンこそはエアーを決めたい。
めざせ、ワンエイティ!

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2004年12月23日 (木)

スノーボードとわたくし(1)

スポーツがだいきらいだった。
元々運動音痴の上に肥満児で、さらに小学校の時のトラウマ体験があったりして、身体を動かすと言うこと自体がきらいだった。さらに言うとスポーツマンとか体育の教師とか指導員といった人種もだいきらいだった。ぼくをドッジボールのコートに立たせた教師はもちろん体育教師だったし、中学に上がってからも体育の教師というのは理由なく生徒を威圧する、おそろしい存在だった。体罰は言うに及ばず、バリカンで頭髪違反の生徒の髪をむりやりそり上げ、生徒が隠し持っていたウォークマンを無数に巻き上げた。体育教師に巻き上げられたウォークマンは二度と戻ってこないという噂だった。彼らは体育館の一室を根城にしていた。やむを得ぬ事情でその部屋を訪れると、たばこの煙とラジオの音が響く中から威圧的な形相をした体育教師が怒鳴りながらドアを開けた。ほかの教師とは明らかに一線を画していた。理屈とか話し合いとか正当な理由とかがいっさい通じない、暴力的な存在だった。
運動ばかりに血道を上げている連中はろくなモンじゃない。当時のぼくはそうかたくなに思いこんでいた。じっさい、そう思いこむだけの理由が目の前にいくらでもあった。運動なんてしている時間があったら、一冊でも多くの書物にふれ、一曲でも多くの優れた楽曲を聴きたい。身体を動かしてもなんにも残らない。ずーっとそう思っていた。つい最近まで。

ぼくにスノボを提案してくれたのは、AA(Alcoholics Anonymous)のスポンサーだ。1年のバースデイが終わって少ししたころ。
「なにか身体を使う趣味を持つといい」と何かの折、彼は言った。身体を動かす楽しさを知ると良いよ。ぼくは「ええそうですね、そのうちやってみたいですね」とニコニコ相づちを打ちながらも、内心はまったくやる気はなかった。もちろんスキーに関しても、ぼくはイタい思い出があった。寒くつらいゲレンデで不自由な板に翻弄されてぶざまな姿を衆目にさらす。そんな気はさらさらなかった。

ところが。
彼女が、冬はスノボを楽しむという。何となーくスポーツをやるタイプに見えないこともなかったんだけど、まさかよりによってウィンタースポーツをするとは・・・。ぼくがスポーツ全般をいかに嫌っているか、せつせつと彼女に訴えた。さらに自分が体育教師やスキー教室でいかに痛めつけられたかを、ことさらに抑揚をつけて彼女に説明した。だいたい重力にしたがって上から下に「つー」と滑ることの、いったいどこがどう楽しいのか。こどもの滑り台と変わらないではないか。いい大人のやることではないではないか。われわれにはもっとほかにやるべきことがたくさんたくさんあるのではないか。下から見上げるようにヒクツな目線でせつせつと訴え続け、その結果。
「ふーん」と彼女はストローの袋をくるくるといじくりながら言った。「ま」。
「ま、やらないんだったら」別にどっちでも自分はまったく興味はない。そう言いたげに彼女はオレンジジュースをジルジルとすすり上げた。
「あたしは友だちと行ってくるけどね」
返す言葉が見つからず、そのまま待っていると彼女は鼻の頭をぽりぽりかきながらこう言った。
「その間はべつべつだね」

その瞬間、スノボ挑戦がケテーイ。
(゚∀゚)ラヴィ!!

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2004年12月22日 (水)

バンドの打ち上げ

バンドの打ち上げでした。
バンドメンバープラスマツケンのみなさん。
トップも来てくれて、たいへん盛り上がった良い打ち上げだった。
今回のバンドは、自分としては不十分だったと思う点もいっぱいあるんだけど、でも満足しています。
以前だったら「メンバーのアレが悪かった、これが実現できなかった」とマイナス要因をたーくさん考えちゃって不全感が残っていたと思う。
でも、いまはバンドもマツケンも、限られた時間と労力のなかでホントみんなよく頑張ったと思える。
感謝している。
ビル・Wの言葉で「感謝の気持ちがあふれて思いやりになる」と言うのがあったけど、ほんとうにその通りだと思います。みんなよく頑張った結果だもの、不満なはずがない。
少しずつ、AAのやり方が身に付いているのかなー。
大げさかも知れないけど、自分の意志ではなく大きな力の意志が実現されたように思います。
ほんと、感謝だね。
来年もまた、このメンバーでバンドなりダンスなりやれたらいいな。
ぼくらはみんな、成長できるんだ。

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2004年12月20日 (月)

ミーティングがないと

ミーティングがないとやっぱり調子が悪い。
イライラしなくて良いことで、ついイライラしてしまう。不安に思わなくても良いことでも不安に思ってしまう。怒らなくても良いことで怒ってしまう。
そんなとき、自分はまだまだオトナじゃないなーと思う。ビョーキが治っていないなーとも思う。AA(Alcoholics Anonymous)を離れたら、もとの独善的な考え方に戻ってしまうんだろうなとも思う。
きのうは彼女の遅刻で腹を立てちまったス。別に今に始まったことじゃないし、時間に遅れるのは彼女なりにあちこちに気を遣って結果的に遅れてしまうのであって、決して悪気があってのことじゃない。そう知っていながら、時間通りに行かないと機嫌が悪くなってくる。
ふだんなかなかいっしょにいられる時間が取れないのに、その時間を不機嫌に過ごしてしまう。自分で台無しにしちゃう。
よろしくない。
あとで思い返すと、ほんと、自分のこころの狭さにガックリ来る。例の同僚に理解と共感を・・・とか言う前に、まず自分のいちばん身近なひとを大切にしなくっちゃね。
きょうはまたまた一週間ぶりのミーティングです。
居眠りなんてしないで、しっかり目と耳を開いていよう。

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2004年12月18日 (土)

iMovie

日曜の夕方まで宿直です。
待機の間、iMovieでバンド&マツケンサンバのビデオを編集。
FinalCutExpressという上位アプリケーションがあるのにiMovieで作業するのはちと気が引ける。じつはビデオ編集を行うのは2年ぶり。去年、AA(Alcoholics Anonymous)の仲間と水遊びしたときにFinalCutExpressでビデオ編集を試みたんだけど、手順の回りくどさに挫折。それ以来、久しぶりのビデオ作業、すっかり手順を忘れている。
今回はFinalCutExpressには手をつけず、最初っからiMovieでトライ。
いやー。
やればやるほど泥沼。
iMovie、カンタンなのは良いんだけどあっという間にハードディスクの残量が減っていく。もとの素材の余分なところを思い切って切り捨てていくんだけど、切り捨てたところに限ってあとで必要になってくる。トランジション(場面転換)の糊代用に数秒分よけいにほしい、とか。
こういうときにノンリニア(非線形、非破壊)編集が強いんでしょうねー。
iMovieはがんがん素材のよけいなところを切ってがんがんならべて、トランジションやテロップはここぞと言うときに、あんまりタイミングを気にしないで使う。こまかいうじうじした作業はやらない。ビデオを撮ったときの勢いを失わないうちにDVD作成まですぐにやっちゃおう。そう言うアプリケーションなんでしょうね。ある程度全体のタイムラインが出来上がってから細かいところを手直ししたいとか、テロップのタイミングをかっちりあわせたいとか、そう言うことをやろうとするとスゲーたいへん。なおかつ、あとで必要だからともとの素材を残しておきたいのならかなりのハードディスクを空けておかないと行けない。
それと、OSXにしてから「アプリケーションが落ちる」ことってほとんどなかったんだけど、iMovieはわりと落ちやすい。今回の作業中もいちど「予期せぬ終了」があり、それからあとも保存に失敗したことがあった。そのたびにDVカセットから再度素材を読み込みし直し。
この作業が終わったら、ちと本気でFinalCutExpressを使えるようにしようっと。
でもビデオ編集なんて、年に一度やるかやらないかだもんなぁ・・・。

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2004年12月17日 (金)

雪が降らない

職場の出し物も無事に終わり、あとはこころ穏やかに年の瀬を待つばかり。
・・・とはなかなか行かず。
いろいろやることが残っている!
えーと、まずはマツケンサンバとバンドのDVD編集でしょ。
年賀状も書かなくっちゃ。
プリンタのインクが切れている。予備のインクを買ってあるはずだけどどこに行っちゃったんだろう。そうだ、まずは引っ越しの荷物整理をしちゃわなくっちゃ。で、インクを探して交換して年賀状を作成して・・・。おっとお歳暮の手配も忘れずにしなくっちゃ。カーテンもまだ吊していないし。て言うかその前にまだぜーんぜん段ボールだらけだし。ううむ・・・。
ま、いつか終わるでしょう。
明けない夜明けはないって言うからね。

それにしてもこの冬はあったかい。
例年だと、県内のスキー場がぼちぼちオープンするころなんだけど。今年はまだゼンゼン。2カ所ほど一部オープンしたスキー場もあるらしいんだけど、コンディションはかなり厳しいもよう。
早く滑りたいなり・・・。
スノーボードの話は、また今度。

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2004年12月16日 (木)

疲労でひろひろ

マツケン&バンドの疲れか、もうへろへろ。
ダメッス。
ふだん職場ではエレベータは利用せずにほとんど階段を上り下りしているんだけど、きょうは階段を使う元気もなし。エレベータに揺られながら「ああテクノロジーに依存しているなぁ」と、エレベータの壁にナナメに寄りかかりながら考えていたのでした。
近ごろはギターもあんまり弾いていなかったところにチョーキングしまくったため、左手の爪が剥がれたようになっておる。パソコンのキーボードを打つだけで痛い。
むぅ・・・。
きょうはこれから現場の方の忘年会。
早く帰るべね。

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2004年12月15日 (水)

マツケン、終わったなり

matuken
いやー疲れたぁーっ!
マツケンサンバ、とうとう終わりましたよ。いやー良かった良かった。
仕事で緊急が入って、もう間に合わないかと思った。でもケガの功名というか、かえって順番も大トリになったし。結果オーライだね。
事務の雄志で用意してくれた衣装(くどいようだが、ゴミ袋改造)もラテンぽくって良かったス。
ちょっとマツケンサンバのイメージとはちがうかも知れんが、和服は準備もたいへんだし踊りにくいモンね。
ゴミ袋衣装、バッチリだ!
と言うわけでマツケンも終わったし、きょうはゆっくり・・・宿直です。
トホホ。。。

ちなみに、マツケンに先駆けて行ったバンド演奏。
こちらはメロメロでした。
歌詞は間違えるしギターソロは思いっきりこけるし。練習ではいちども間違えたことがないところまで間違えちった。トホホ。トシかね。

年のせいにするなっっ!!
はっ?ハイヤーパワーさまっ?!!

何でもかんでも年のせいにするなっっ!!
トシに謝れ!!
ご、ごめんなさい〜〜〜っっ!!

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2004年12月14日 (火)

マツケンサンバ、最後の練習

われわれのハードな練習は熾烈をきわめた。
業務終了後、直ちに集合。セッティングを済ませると休憩らしい休憩も取らずにぶっ続けの練習に突入する。
ほとんど部活である。
いよいよあす。本番だ。
がんばるべ。

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2004年12月13日 (月)

いかんいかん

いかんっ!
ついこっちまでネガネガムードになってしまっている。巻き込まれている。いかんいかん。
物事の明るい面を見つめよう。

いよいよ職場のクリスマス会が明後日に迫っている。
今年の出し物はもちろん、マツケンサンバIIだっ!!
衣装部(総務)も強力な援護射撃をしてくれており、すてきな衣装(ゴミ袋改造)も出来上がった。
あとは今日明日、猛練習をするのみだっ!!

でも出だしの片足を上げて腰を「くいっくいっ」とする動作。
アレ、何回やっても足がふらつくんだよねー。あとの部分はだいじょうぶなんだけどなー。あそこだけフラフラするんだよなー。あ、あとサンバステップもイマイチ。上体が安定しないんだよね。もともと運動音痴だから、指導役の現場スタッフが何度お手本を見せてくれてもうまくできないの。や、運動音痴にかこつけるワケじゃないんだけど。
マツケンサンバ。
大勢の踊り手がびしっとキメを取るところにこの踊りの醍醐味があるのだ。なんとしてもマスターせねば。
そして例年やっている、職場クリスマスバンド。
マツケンサンバと完全にメンバーが重複しているため、こちらの方はまったくの練習不足。ぼくも含めて。
踊りの練習、1時間くらいやるとへとへとで。とてもそのあとからバンドの練習に集中できないの。
泣いても笑っても、残された時間は今日と明日だけ。
がんばるぞー!!
おーっ!!
キアイーっ!ふぁいとーっ!!

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暴力のかおり

またまた例の年上の同僚の話。定番ネタになっているような気がするが、しばらく続くかもです。
彼がお昼ご飯の給食にまったく手をつけず、昼過ぎになってたたきつけるように下膳している、と言うのは以前に書いた。きょうたまたま、彼の下膳のあとを見た。
職場の廊下に給食のカートが出してあって、各自そこに給食を下膳するのだが。
2時ごろ彼が部署に戻ってきて、たまたまぼくも居合わせた。
例によって早足で自分の分の給食盆を手に取り、片手でドアをすごい勢いで開け、外に出る。
そして「がしゃぁん」と大きな物音がして、彼が下膳したことが分かる。
彼はそのあと足早でどこかに立ち去ってしまった。もちろん会話はない。何か話しかけようと思ったが、正直言って恐い。おそろしい。給食のお盆をたたきつける物音に恐怖を感じる。
暴力のにおいを感じる。
で、ぼくもしばらくして現場に出かけ、その途中たまたま彼の下膳したお盆が目に入った。
まったく手をつけられずに冷めていったご飯、おかず。
その脇に、箸袋に入ったままの割り箸。
そして勢いよくたたきつけたためみそ汁がお椀から飛び出し、あたり一面に具が飛び散っていた。
箸袋。給食盆。カートのトレイ。箸袋は濡れてぐしゃぐしゃになり、そこいら中に飛び散ったみそ汁が不規則な水たまりを作っている。
そしてあたり構わずワカメと豆腐が散乱していた。

ワカメに罪はないでしょう。
豆腐に罪はないでしょう。

暗い廊下の片隅の給食カート。見ているだけで気が滅入ってくる光景。
そこには暴力の不吉なかおりがただよっていた。

彼はその後も、何かに取りつかれたように印刷し損じのプリンタ用紙を何十枚も、ものすごい勢いで引き裂いている。
事務に行けば業務用のシュレッダーがある。何もここでそんなことをする必要はない。
彼の動作のひとつひとつに拒絶と暴力を感じる。

ぼくが過敏になり過ぎているせいかなー。
「あまり深刻になり過ぎるな。笑えるようになれ」
AA(Alcoholics Anonymous)の「12のステップと12の伝統」にもそう書いてある。
でもおっかないんだもん。とても気軽に話しかけられない雰囲気。ほとんどダース・ベイダー。
いやはや。イヤな相手ほど共感を持って接する。怒りを手放す。
ほんと、言うのはカンタンだけど実践はむずかしいよー。
いまの彼に話しかけるのは、ありったけの勇気をかき集めてもムリそう。
いやいや、暴力に焦点を当てちゃダメだ。彼の孤独といらだちを想像してみよう。
まーでもとりあえずは「様子を見る」作戦かな。。。

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2004年12月12日 (日)

地区委員会

午後からAA(Alcoholics Anonymous)の地区委員会だった。
とくに議題はなく、報告事項だけであっさり終わるだろう。そう予想していたのだが。意外に白熱する議案があって、結局3時間ちょっとかかった。
いろいろ思うところはあるけれど、AAってすごい勢いで変わりつつあるんだな、というのが実感。
ぼくがAAにつながってまだ3年9ヶ月くらいだけど、そのときといまではずいぶんと様子が違う。
ぼくがつながったばかりのころは、いろんなグループ内の決めごとに関して、いまひとつ新しい仲間が発言しやすい雰囲気ではなかったように思う。まだ良く事情が分からないのにヘタな発言をして浮いたら困る。黙っていよう。ぼくだけじゃなく、同じころにAAにつながった仲間はみな同じようにそんな空気を感じていたはずだ。
それがここ1年くらい、AAにつながって間もない新しい仲間が、グループや全体サービスに関してどんどん発言するようになった。発言しやすい雰囲気ができてきたのはうれしい。新しい仲間が全体サービスに関心を持ってくれて地区委員会や地域集会にオブザーバーとして参加してくれる。大歓迎だ。反面、今ひとつ飲み込めていない新しい仲間がAAのやり方と違う方向に話を持って行きかけたときに、それにうまくブレーキをかける言葉を探さなくてはならない場面も出てきた。まさか委員会の席上で、長々と伝統やステップについて説明するわけにも行かない。説明と共通理解は必要だが、集まりの席上でそれをやれば、なにかプレッシャーめいたものを感じるかも知れない。
こう言うときにこそスポンサーシップが大切だと思う。
スポンサー。
個人的な、飲まない生き方のガイド。自分より少しだけソブラエティ(飲まない生き方)の期間が長い仲間。
きょうの議案も、結論だけで言えば「各グループで情報を共有し、気をつけましょう。考え続けましょう」と言うことになるかも知れない。それだけ聞けば「なんだよそれ」と思う仲間がいても不思議じゃない。
でも、AAは各グループの主体性を重んじる組織だ。トップダウンは存在しない。強制も存在しない。サービスマニュアルもいろんな集まりで決まったことも、すべて提案ないし勧告だ。グループのことはそのグループが決める。
それでもAAが分裂しないでここまで来れたのは、われわれは分断されたのでは生きていけないと言うことが過去の経験から分かっているからだ。われわれは孤立したら生きていけない。たとえどんな極端なことを言うグループであっても、共通点を探り出し、手を携えて行こうとする。相手を非難したとたん、自分も傲慢という過ちを犯す。われわれの目的は他人を変えることじゃない。相手を理解しようとすること。怒りや非難や傲慢を手放し、自分自身の深いところに降りていくこと。相手を責めるのではなく、問題点をきれいにひとつずつテーブルに並べ、自分自身を点検すること。先ゆく仲間の経験に学ぶこと。耳をふさがないこと。そしてそれをほかの仲間と分かち合う(共有する)こと。これらのことは、けっして上品ぶった自己満足なんかじゃない。過去のAAのいくつもの苦い経験から、そうしていかなければわれわれは生きていくことができなかったからだ。怒りと傲慢と孤立の先にはアルコールの大海が待っていて、そこには死が渦巻いているからだ。
そんなさまざまなAAの共通理解の延長上に、きょうの結論がある。AAに来てすぐに理解できるものでもない。ぼくもいまだによく分からないところがいっぱいあるもの。
たしかにAAのやり方は、一般社会とちがうところがいっぱいある。
でも。それがどうした?
ぼくは飲んでいる間、一般社会から落ちこぼれていた。
一般社会とは、契約の社会だ。義務と責任の世界だ。契約を守らなければ、その対価を支払わなければならない世界だ。契約、報酬、ペナルティ。ハードでタフな世界だ。そんな世界でぼくたちは落ちこぼれ続け、挙げ句にアルコールの大海からAAの岸辺に打ち上げられた。
AAは共感と謙虚、思いやりといたわりの世界だ。安心して自分の弱いところをさらけ出せる場所だ。
ルールがちがっていて当然じゃないか?

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2004年12月11日 (土)

一週間ぶり

一週間ぶりにAA(Alcoholics Anonymous)のミーティングに行ってきました。
以前は週に5日くらいは行けたのに、いまは仕事だなんだと週1,2回のペースに。
いかんなぁ・・・。
ミーティングに行けないと、だんだんイライラがたまってくる。
生活にAAのプログラムを生かそうという意識が低くなってくる。孤独や怒りを感じやすくなる。
これがアルコール依存症という病気の特性なのかどうかは分からない。
分からないけど、アルコールの海にダイブし続けた生活のなかで孤独と自己憐憫と絶望をはぐくみ続けたのはたしかだ。
穏やかな気持ちで、そういった荷物を手放すようつとめる。
それが日々の生活のなかで、気がつくと過去と同じような怒りや孤独を感じている自分に気がつく。
もうあのころのような気持ちには戻りたくないんだ。
ミーティングと仲間をたいせつにしようと思う。
仲間と、彼女と、職場の人たちと、家族と、本社のひとたちと、それ以外の人たちを。
そしてもちろん自分自身を。
きょうはつかれたよ。
ピース。

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2004年12月10日 (金)

ぎょーせき

とある仕事の関係先。
ぼく個人のプロフィールを聞かれた。ちょっとした履歴書のようなものを書いて送ったら、今度は「業績を教えて欲しい」と言われた。
とくになければかまわない、上の方にぼくのプロフィールを提出するときに、なにか業績があると通りやすいので、とのこと。仲立ちをしてくれているのは、アルコール依存症の大嵐が通り過ぎたあとに残った数少ない友人のひとりだ。ある仕事に関して、好意でもってぼくのことを推薦してくれている。「業績なんてねぇよ」で済ますわけにも行かない。
こまった。
年上の同僚のネガネガ攻撃に耐えてまいにちいっしょうけんめい明るく仕事しています。休日は彼の半分しかありませんがにこにこ仕事しています。
あるいは。
ホームグループの役割をこなしています。サービスにも関わっています。ラウンドアップの実行委員長もやらせていただきました。どーすか。
うーん。
とても肩書きになるような業績じゃないなー。うーんうーん。
四苦八苦したあげく、何とか業績に近いものをひねくりだしてメールに送ったんだけどね。
つくづく自分が、名前を出しやすい業績にどれほど無縁だったかを痛感しました。
そりゃあなにか業績があった方が、社会的には通りは良いだろう。たとえば俳優だって映画監督だって「いっしょうけんめいジミだけど良い映画を作っています」「ビンボーに耐えて幅広い役に挑戦しています」と言うよりは「オスカー賞受賞」「金の熊賞受賞」「ベストジーニスト受賞」とか名前の脇っちょに並んでいた方が通りは良い。ハクがつく。
でもそんなモン、ただの肩書きじゃないか。
肩書きが山ほどついているけれどじっさいの仕事はさっぱり、トホホのホ。人間性にもみるべきところがひとつもない。そういうひとは山ほどいる。逆に誰からも信頼され人間的にも尊敬できる、でも肩書きはひとつもない。そう言うひともいる。
肩書きなんてべつにどうだっていいじゃないの。関係ねぇぜ。
・・・そう思う反面。
この社会では、やっぱり肩書きがものを言う。今回の件もひとつのあらわれだ。肩書きなんてどうでも良い。そう言うためにはある程度の肩書きを持っていないと説得力がない。「肩書きなんてどうでも良い」と言える土俵に立てない。なんの業績もない人間の言い張り。そう言われても反論できない。
ちったぁ本社の仕事にリキ入れて、業績らしいものをこしらえておいた方が良いのかも。
そんなことを考えちゃいました。

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2004年12月 9日 (木)

友部正人のライブ

友部正人のライブに行ってきました。今年もまた友部の涼やかな歌声で12月が過ぎていく・・・と思ったら。
バンドがつくという。事前の告知なし。急に決まったようだ。バンドの名は「マーガレットズロース」ちょっとゲヒンな名前だ。しかし、友部の連れてくるミュージシャンは奇才というか、ちょっと変わってて、なおかつ才能のある人が多い。今回のマーガレットズロースも期待してまちがいないだろう。
案の定でしたよ。
イヤー、友部も良かったけど、マーガレットズロースはほんと良いバンドでした。まだ若い男性の3人組。ギターボーカル、ベース、ドラム。友部の紹介で、まずマーガレットズロースだけで演奏が始まる。紹介を受けてステージに上がるが、緊張して落ち着かない感じが大学生っぽい。や、良いイミでね。演奏が始まる。最初はちょっと堅い。でもボーカルの男の子は、甲高い声でいっしょうけんめい歌う。レゲエ、ダブ、70年代フォーク、アメリカンフォークロック、パンクなどが良い感じに混ざっている。ザ・バンドのようでもあるし、フィッシュマンズのようでもある。
4曲ほどでいちどバンドは引っ込み、友部のソロになる。そして後半、友部プラスマーガレットズロースで演奏が始まる。
これがすごかった。
友部の曲の数々が、ぜんぜんちがうアレンジに。「一本道」なんてこてこてのフォークソングだけど、これがステキなダブ/レゲエにへんしん!「誰もぼくの絵を描けないだろう」はヘヴィなロックチューンだし、「ぼくは君を探しに来たんだ」は本来のポジティブなメッセージを良く表現している優秀なロックナンバーに変化している。友部もかなりリキ入れており、アコースティックギターで短いながらも鋭いオブリガードを盛んに繰り出す。
友部とマーガレットズロースの3人がいっしょに歌うと、何とも言えない元気な歌声になる。いやはや。おどろいた。
シブい蕎麦を食いに行ったら肉汁が飛び散る鉄板ステーキを出されて、なおかつそれがスゲー美味しかった。そんな感じでした。汗を散らしてシャウトする友部も初めて見た。年末になって良いライブが続けて見れて、しあわせな気持ちです。元気がもらえるねー。

ちなみに同行した彼女に感想を求めたところ、ちょっと考えてからこう言いました。
「張り切りおじさん」
は、張り切りおじさん・・・。

マーガレットズロース公式サイト

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2004年12月 8日 (水)

ピグマリオン効果

ある研究の結果を指した心理学の言葉で、ピグマリオン効果というものがあるそうだ。
こんな研究。
ある小学校のひとクラス全員に知能試験の検査をした。数名の子どもの名前を担当の教師に伝え、「この子とこの子は知能が高まる可能性が高い」と教えた。が、じっさいにはその子どもたちは無作為に抽出した、とくに知能が高いわけではない子どもだった。
それにも関わらず、しばらくのちに知能検査をしたところ、教師に名前を伝えた数名は確実に検査結果が良くなっていたそうだ。
つまり、教師が「この子は頭が良くなる」と期待をして接したことで、じっさいに頭が良くなった、と言うこと。
この研究は調査方法になにか問題があったらしく、かならずしもこの結果が100パーセントの事実ではないらしい。
でも、何となくうなずける。
期待。相手に敬意と共感とやさしさを抱いて接すれば、相手もそれに応える。ひょっとしたら無意識に。
ピグマリオン効果の小学生、教師が「このやろこのやろ、なんでこんなことも分からねぇんだこのやろ」という態度で接したら、そりゃあ伸びないだろう。「この子は伸びるに違いない。大事に育てよう」というあたたかさ、敬意。優しい気持ち。それに子どもが反応するんじゃないかな。
これ、職場でもAA(Alcoholics Anonymous)でも言えるんじゃないだろうか。
自分が相手を嫌い、拒絶すれば、相手からも拒絶が返ってくる。
好感と期待を示せば、相手からも良い反応が返ってくる。
もちろん「見返り」を期待してなにがしかの行いをするのはよろしくない。動機不純だ。
でも共感と思いやりが良い結果をもたらすと言うことは、知っておいて損はないと思う。
いやな相手ほど共感的に接する。
そんな風にできたらいいなー。

ちなみにピグマリオンという言葉は、ギリシャ神話の登場人物だそうです。
自分の作った人形に恋をして、神さまに頼んで命を吹き込んでもらった男だそう。
最後は自分が作った人形と結婚するんだって。映画にもなったブロードウェイミュージカルの「マイ・フェア・レディ」は原題が「ピグマリオン」だそうです。
ふーん。
今回の出典

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2004年12月 7日 (火)

またまたライブじゃよ

おとといの麗蘭に引き続き、きょうもこれからライブを見に行ってきます。
友部正人
ライブざんまいだなー。
今回は「マーガレット・ズロース」なるバンドもいっしょだとか。
友部正人本人は常識的で穏やかなひとだと思うんだけど、彼が連れてくるミュージシャンは個性的でぶっ飛んだひとがおおい。今回もどんなライブになるやら。
楽しみ楽しみ。
何が良いって、声が良いんだよね。
あの声で「一本道」を聞くと、すごく落ち着いた気持ちになれる。
これで一年も終わるね。

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2004年12月 6日 (月)

麗蘭のライブ2

と言うワケで麗蘭。
じつに13年ぶりのニューアルバムリリースに伴って行われている今回のツアーは、タイトルからしてイカしている。
ROCKバカと知的ヒッピーを元気にするTOUR2004
おおなんか良い感じだぞっ!
このツアーはライブの開始時間が早い。昨日のライブも会場3時、開演4時だった。あすの生活を背負っている高齢ロックファンにはうれしい配慮である。「オールスタンディング」とチケットには書いてあるが、会場に入ったら当然のようにイスが敷き詰めてあった。これもうれしい。じっさいに演奏が始まると総立ちになっちゃうんでイスに座っている時間はほとんどないんだけど「疲れたらいつでもイスに座れる」という安心感はおおきい。またイスがあると、少なくとももみくちゃ状態はかんべんしてもらえる。うれしい。
会場に入るとまず、ステージ正面のおおきな観葉植物(ガンジャを模したもの?)が目につく。おお、ヒッピーぽいじゃんっ!PAの不調だとかで開場が30分以上遅れたにもかかわらず、演奏はほぼ時間通りに始まる。おお、オトナじゃーんっ!
SGを抱えた蘭丸とチャボが登場。チャボのギターはなんだったか忘れた。アルバムの曲順通りにステージが進行していく。ふたりとも頻繁にギターを持ち替える。蘭丸はトレードマークであるSG、12弦、エピフォンだかギブソンだかのセミアコ。アンコールではブラックのギブソンES-335。いっぽうチャボはボロボロのセミアコ(やたらボディが薄い)、黒いフェンダーストラトキャスター、同じくフェンダーのテレキャスター・シンライン。
楽器は、ま、良いの。
演奏、素晴らしかったです。
ブルースやR&B、ソウルなどを消化した楽曲、ギター。それに蘭丸、チャボの何とも言えない味わいを加味した、こころあたたまる音楽。
チャボが歌い、蘭丸が腰だめにギターを弾き、身体でリズムを取る。なんかもうそれだけでしあわせな気分。
村上春樹は以前、「ロックは自由であることのすばらしさを表現している」と言った内容の文章を書いていた。ほんと、麗蘭の音楽を聴いていると、自由へのあこがれとかドキドキとか、いっぱい感じる。
大仰な速弾きなんてなくたって(ふたりともじつはかなり速いギタリストだと聞いたことがある)派手な演出なんてなくったって、ロック魂と自由なスピリットがあればこんなにステキなライブができる。そう感じたライブでした。
それにしてもやっぱり「ミュージック」は盛り上がったねー。良い曲だもんなー。
doobie brothersのlisten to the musicのパクリだとかそういうのはぜんぜん関係なく、まさに麗蘭らしい、とっても素敵な曲です。元気が出る。つらいことがあっても自由な気持ちでいようって気になれる。
それにしても客層を眺めていると、かつてのロック少年少女たちもみなトシを取ったんだなーとあらためて感じる。家出してストリート・スライダースの追っかけをするような女の子は、80年代当時はゴロゴロいた。RCの「スローバラード」や「ヒッピーに捧ぐ」を聞いて涙した女の子たちも、スライダースの「boys jump the midnight」を聞いて夜の街をあぶない目つきで徘徊していた少年たちも、みんないろいろあって年輪を刻んで、このライブ会場に来ているんだろうなー。なーんて、勝手な想像だけどね。
それぞれに幸あれ。
ピース。
そしてハッピーニューイヤー。

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2004年12月 5日 (日)

麗蘭のライブ

麗蘭のライブに行ってきました。
麗蘭。
もとRCサクセションの仲井戸麗市ともとストリートスライダースの土屋公平(通称・蘭丸)のふたりのギタリストが作ったバンド。だいたいギタリストのソロアルバムやソロプロジェクトバントって「これでもか!」と言うほどギター弾きまくりで、曲としてはあんまりおもしろくないことが多い。が、麗蘭はちがう。もともと歌心のある人たちだし、ギタリストとしての「我」よりも曲やアンサンブル、歌を大事にするアーティスト。麗蘭の曲はどれも「ギタリストが作った」という枠を抜きにして聞ける。
いやー、アンコールも含めて2時間半。
疲れたけれど良いライブでした。
詳しいことは次回にでも・・・おやすみなさい・・・。

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2004年12月 3日 (金)

忘年会

例年よりだいぶ早いが、きょうは職場の忘年会だ。
いまの職場に来て、4回目の忘年会になる。最初の年の忘年会は、スリップから一ヶ月めだった。酒の席に出るのが恐かった。断っちゃおうかとも思ったが、当時の部署はフレンドリーな人たちばかりだった。「どうして参加しないの?」と聞かれて言い訳を考えるのもわずらわしく、やむなく参加した。
あれからはや3年。
部署の顔ぶれも、ぼく以外は全員入れ替わってしまった。いつのまにか最古参。そしていまや、職場の忘年会なんてだれも「行かなくちゃいけないもの」とは思ってない。うちの部署で出席するのはぼくだけだ。そして気がついたらぼくは、少しでもほかの部署、ほかのスタッフとコミュニケーションを取りたいと思っている。忘年会、いいじゃないの。機会があればどこにでも行って、誰とでも話そう。そう考えている。
いまだに酒のにおいをかぐと背筋がぞわぞわするけど、だからといって忘年会を回避しようとは思わなくなった。必要があれば必要な場所に行き、リラックスして楽しもう。
ムリにアルコールを勧めるひともいないしね。アルコールは警戒しつつ、場を楽しもう。ほかのスタッフの話に耳を傾けよう。
少しずつ、失ったものを取り戻しているように感じる。

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2004年12月 2日 (木)

怒りを手放すの巻2

例の年上の同僚、きょうはおやすみ。
もちろん誰にも自分の休みの予定を告げていないから、朝出勤してこなかったら「その日は彼は休み」という理解になる。8時半になっても出勤してこないから安心して、始業前のひととき、トップとふたりでまったりとお茶など飲んでいた。すると、となりの更衣室のドアを乱暴に開け閉めする音が聞こえはじめる。おお、彼はきょうは休日ではなかったのか?それとも単なる遅刻だったのか?彼は(自分ひとりの)ルールには厳しいから、遅刻はしないひとであったはずだが・・・?
いぶかる間もなく、着替えを終えるとひと言も口をきかずに乱暴にドアを閉めて更衣室から出て行ってしまった。昨日の怒りがくすぶるかと思ったが、なんかもう気が抜けちゃって。
「ああもう、好きにしなさい。どうにでもしなさい」
そんな投げやりな気分。彼を受け入れるのにはまだまだ時間がかかりそうだ。
あとで現場のひとに聞いたら、何かやり残しがあってちょっと顔を出しただけ、だそうな。ふーん。
と思ったら、いつの間にか机の上に彼からのメモが!
おおっ?!彼からコミュニケーションを取ってくるとは、いったいどうしたことかッ?!

「23日、日勤○○(彼の名前)?」

文章で書け文章でっ!!自分の名前のあとで「?」だけじゃイミ分かんないっつーのっ!!
名前プラス疑問型って、じょしこーせーかよ?!43歳でしょアアタは!
て言うか今どき女子高生だってもうちょっと文章力あるぞ!オトナのコミュニケーションじゃないっつーのっ!!
まぁ。自分から休日の勤務を引き受けようと言う意志は、多少はあるようだ。あす彼が出勤してきたら確認してみようっと。どうやら祝日である23日の日直を、彼が自分の担当だと思っているらしい。23日はトップが担当してくれるはずだったんだけどね。
しかし、またきのうとおんなじく不毛な電話のやりとりが交わされる予感が・・・。
神さま、どうかわたしを怒りから解放してください・・・・。

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2004年12月 1日 (水)

怒りを手放す

例の年上の同僚。
近ごろは朝も更衣室からまっすぐ現場へ行っちゃうし、昼もわが部署に寄りつかない。お昼ご飯は職場から支給されているんだけど、まったく手をつけず。無断で外出してどこかでお昼ご飯を食べている様子。うちの職場、別に外出禁止じゃないんだからひと言断ってくれれば良いんだけど、自発的なコミュニケーションはいっさい拒否している。給食を食べないのなら「外食するからストップしてください」とひとこと言えばいいのに言わないもんだから、彼の分の給食は毎日毎日まるまる無駄になっている。給食担当の人も明らかに傷ついている。ブゼンとしている。怒っている。そりゃそうだよね、自分たちの作った給食を、ある特定人物がまいにちまいにち、まったく手をつけないで捨ててるんだから。彼は昼2時過ぎごろにそおーっと部署に戻ってきて、給食を下膳するのを見かけるときもある。ぼくがたまたまいることに気がつくと、憮然とした表情で、ものすごく乱暴に、割れんばかりの勢いでたたきつけるように下膳する。その音を聞くだけで体中がこわばる。おっかない。こわい。いったい何が気に入らないんだか。

で、それはともかく。
毎年この季節、頭痛の種が突き刺さっている。年末年始の宿直のシフト組みだ。外部のひとに頼んでもいるんだけど、それだけでは宿直が回らない。どうしたって社内の人間もシフトに入らないといけない。できれば平等に組みたい。ふだんいっさいのコミュニケーションを拒絶してる彼にも、月々の待ち番に加えて年末年始の宿直を頼まないといけない。
ゆううつなり・・・。
オマケに今回の年末年始は、1月1日の夕方から4日の朝までまるっきり宿直・日直が埋まっていない。トップはいつも「わたしもやりますよ」と言ってくださるんだけど、じっさいには多忙すぎてムリ。ぼくと彼、そしてもうひとり女性の同僚で何とかするしかない。女性の同僚はふだんからお子さんの病気だので休みがち、とても年末年始の仕事は頼めない。うう、やはり彼に頼むしかないか。
彼は気配を察したか、ふだんにもましてまったく部署に顔を出さず。昼休み、現場に電話しても捕まらない。いそうなところに電話しまくるが、どこにもいない。社内にいるのかどうかも分からない。誰にも自分の居場所を伝えていない。この時点ですでに社会人失格だと激しく思うが気持ちを押し隠し、現場の担当者に「彼を見つけたら折り返し電話が欲しい」と伝言を頼む。数十分後、彼から電話がかかってきた。同じ部署の人間同士が電話でしか連絡が取れないというのもどうかと思うがそれはともかく。年末年始のご都合はいかがですか。あちこち声をかけているのですがなかなかうまくいかなくて。できれば宿直も少し担当していただけると助かるのですが。そう丁重にお願いする。

「ムリ」

ひとことで電話は切れた。
・・・。
・・・・。
このやろう・・・・。
彼がやらないと言うことは、ぼくが1月1日の夕方から宿直に入り、そのまま1月4日の朝までずーっと職場にいることになる。そして4日は朝から社内一斉に通常勤務だ。
ムリ。そのひとことで、他人に超超過勤務を押しつけておいて自分はしっかり年末休暇を取るわけだ。
入道雲のようにもくもくと怒りがこみ上げてくる。
コイツ・・・うちのギョーカイじゃなかったら、いやたとえこのギョーカイでもよその社だったら、トップや所属長から怒鳴りつけられているだろう・・・。いっかいガツンと言ってやろうか・・・。

神さま。
このひとはぼくと同じように、霊的に病んでいるのです。
ぼくと同じように。ぼくと同じように。
どうしたらこの人の力になれるでしょうか。
どうかぼくを怒りから解放してください。

ひたすらこのフレーズを頭の中で反芻する。仕事どころじゃない。怒りに目がくらみそう。電話をかけ直してケンカを売ってしまいそう。目の前に、彼を部署の椅子に突き飛ばしてばかでかい声でののしっている自分が見える。すぐ近いところに。手を伸ばせば自分の背中に手が触れそうなほど。いかんいかん。
彼は、霊的に病んでいるのだ。頭も良く、不幸な家庭に生まれたわけでもなく、精神を病んでいるのでもない。にも関わらず彼は、まさに「霊的に病んでいる」としか言いようがない。そして、霊的に病んでいると言えば、かつての自分ほど霊的に病んでいる人間もいなかった。アルコールの海の中で、仕事に対する責任を完全に放棄していた。ドタキャン、無断欠勤は当たり前だった。ぼくには憤る資格はない。彼の怒りに対して怒りで、拒絶に対して拒絶で、傲慢に対して傲慢で対決しても、きっと何も生まれない。AA(Alcoholics Anonymous)のやり方を使うんだ。彼を理解しよう、少なくともそう言う努力を望もう。彼の力になれるように自分を持って行こう。怒りを手放すんだ、怒りから解放してもらえるよう、自分がそうなれるよう、祈ろう。

はたから見れば珍妙だったろうね。
電話を切るなり、眉間にしわを寄せてぶつぶつ何かつぶやいているんだから。でもぼくは、そのときどうしてもそう言った考えを急いでまとめる必要があったんだ。さもなくば、彼のところに飛んでいって、なんのためらいもなくケンカを売っていただろう。
結局、何とか気持ちが落ち着いてきたのは夜の8時を過ぎてからだった。ま、正月休みがなくなるのは仕方があるまい。怒りをむき出してトラブルにならなかったことに満足しよう。

そうしたら。
いつも宿直をお願いしている外部の人からメールが来ていた。ぼくからのメールを見落としていた、年末年始、一部なら担当可能だ、と。
へなへなへな・・・。ぶっ続け超超過勤務は免れた・・・。しかしきょういちにちの怒りはなんだったんだ・・・。きっとこれも、神さまの采配なのでしょう。やれやれ。
それにしても、怒りを手放すってむずかしいですね。AAのプログラムを完全に実行できたひとはいないって言うけれど、怒りを手放すことなんてほんとうにできるのかなー。
でも。できるできないの問題じゃないよね。自分がそうありたいと望み、そのように行動すること。それが大事なんだって、AAのプログラムは言っているんだ。
怒りを手放せるよう、祈り続けよう。

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