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2004年11月30日 (火)

洗濯機を回すとは

ふと思ったんだけど「洗濯機を回す」という表現はおかしかないか。
ぼくも幾度となく「きょうは朝から洗濯機を回して〜」うんぬんという表現を使ってきた。
が、考えてみたら洗濯機が回るわけがない。
洗濯機が回ったりしたら、設置してある洗面所まわりはたいへんである。
壁に「ゴゴゴッ!」とぶつかって壁紙が剥がれるわ、ドリル状に回転する洗濯機の角で床に穴は空くわ、コンセントはちぎれ飛ぶわ、ちぎれ飛んだコンセントが窓を突き破って空を舞い飛行機に命中するわ、それをテロと勘違いして米軍機が緊急発進するわ、高速回転する洗濯機を制止しようとするも発生したかまいたちで頬を切るわ、警察は来るわ爆発物処理班が来るわ、そうこうしているうちに回転する洗濯機は自重で地下深く潜行し始めるわマントル層に到達して溶岩が吹き出すわ、そうするとそれを機に日本中の休火山が一斉に活動を再開し始めるわ温泉はわくわ土産物屋ができるわホテルや旅館、日帰り温泉は乱立するわ、そうすると洗い物が増えてますます洗濯機が増えるという、実にたいへんな事態になる。
洗濯機が回ると言うのは、世界を揺るがす大異変なのである。

洗濯機は回らない。
「洗濯機の中の洗濯槽が回転する」
がただしい。
間違えないように気をつけねば。おお、あぶないあぶない。

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2004年11月29日 (月)

0.1段落

引っ越してきょうで6日目。長かった。
やっと一段落・・・していない。現在進行形で引っ越し中。まぎれもなく引っ越しの最中。
何とかCDはCDラックに収まった。ADSLはカメが這うよりも遅いが、いちおうワイアレスでつながった。
しかし。
今なお、大半の衣類は無数の段ボール箱に偏在している。スーツのたぐいはほとんどハンガーにぶら下げたが、肝心のシャツ類やその下に着るものがない。まさか素っ裸にスーツ、と言うわけにもいかない。
食器類も3割くらいは食器棚に並んだが、いまなおその大半は氷山のごとく、段ボール箱という名の深く暗い海中に没したままだ。大皿はあるのだ。大皿は。いままで一度も使ったことがない、来客用の(ほとんど来ないけど)大皿は。かんじんかなめの茶碗や小皿が出てこないの。くすん。
そして今なお大半の家具類、無限に広がる段ボールなどは引っ越した当日のままである。ううむ。
なおかつ、整理しようと思って開いたものの、あっけなく挫折してハンパにしてある段ボール箱もかなりある。そこら中に広がっておる。ううむ。
まーそれでも0.1割くらいは片づいたかなー。もう頭の中が引っ越し引っ越し、引っ越しでいっぱい。でも、すこーし余裕が出てきた。楽しんで引っ越し整理ができるようになってきた。不便は不便で、何となく楽しい。タオルがない。メガネや腕時計をどこに置いたか覚えていない。コーヒーを入れようとすると、まずコンセントを探さないといけない。朝起きてコーヒーを飲んでシャワーを浴びるだけでも大冒険だ。それでも、窓から差し込んでくる朝日を見ていると「新しい暮らしが始まったんだな」と思う。新しい風景、新しい朝日。
何とかファンヒーターもついたし、ADSLもつながったしね。
仕事も、おとといのプレゼンで一段落。棚上げしていた仕事にじっくり取り組める。こういう気分でいられるのは、きっとミーティングに出る時間が取れたからなのでしょう。
AA(Alcoholics Anonymous)。ぼくが生きる共同体。ひとはひとりでは生きられないんだなって、ミーティングに出るたびに思う。仲間に会えて良かったよ。
それにしてもADSL・・・。
実測「100kbps」ってなんだよそれー。@FREEDの64kよりも「ちょっとだけ早い」だけじゃんかよー。ADSLとして恥ずかしくないのかね。キミは。ぶつぶつ。

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2004年11月28日 (日)

更新が・・・

引っ越しの整理がしんどい。
なおかつADSLがつながらない。LANケーブルが出てこないのでセットアップができない。頼みの綱の@FREEDはすぐにぶちぶち接続が切れる。こっちもキレそうになる。
なかなか記事の更新ができない。ああ、日々更新をモットーにはじめたのになー。
それでもきょうは何とかミーティングにも行けたし、CDラックにCDをアルファベット順に入れることができた。ま、それだけでも良しとしましょうか。
しかし@FREED、こうして記事を更新している間にも3回も接続が切れるの。ううストレス。はやくADSLにつなぎたい。たかだか400kくらいの速度でもモンク言わないから。
いろいろ書きたいことあるのになー。
きょうのプレゼン、どうにかキアイで乗り切りました。それなりに好意的な反応だったんでホッと一息。8時に出勤して以前の発表資料を引っ張り出してきて、目ェ三角にしてつぎはぎ作業。集中して作業したせいか、わずか30分ちょっとで手元資料完成!おお、人間せっぱ詰まるとこのような能力を発揮するのかっ?!これがジャイアント馬場が力道山から教わったという「死にものぐるいの力」なのかッッ?!!
ちょっとヨユーがあったのでお茶など飲んでいたら、ああ天罰なのでしょうか、またまたアポなし大至急の書類依頼が。ああ、いまは不幸ダマがごろごろと押し寄せてきているんだ・・・。
灯油ポンプは、お騒がせしました。無事購入いたしました。探す手間と時間と心理的負担とを考えたら、買った方がはるかにローコストだと思ったので。しかし引っ越し。ほーんと困難苦難の連続です。こう言うときに自分の本質が分かるものですね。砂漠はひとの本性をあらわにする、って誰かが言っていたけど(サン・テグジュペリだっけ?)、引っ越しもそれに負けず劣らずひとの本性をあらわにします。
で、ぼくの本性は・・・神経質で、ちょっとしたことでイライラしがち。疲れやすく、ちょっとしたミスで心理的に大ダメージ。打たれ弱い。ひどく打たれ弱い。ああ、子どものころとちっとも変わらねぇや。。。自分の欠点を認めるってつらいねー。でもまぁ、いまは飲まないでこうして自分の弱さに向き合える。引っ越しもできる。それは感謝しなくっちゃ。
しかしほんと、シンプルに暮らしたいものです。

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2004年11月26日 (金)

ハードだぜ

不思議なもので、プライベートが忙しいときは仕事もこの上なく忙しい。ゲキ忙しい。比類なく忙しい。
明日の午前のプレゼン資料がゼンゼンまとまっていないにも関わらず取りかかる時間がない。
もーダメ。弱音吐いちゃう。
帰ってきて散らかった部屋を見ると、もーくるりと背を向けて帰りたくなっちゃう。どこかへ行きたくなっちゃう。帰ると言ってもここしかないのは知っていても。
あすは早めに出勤して何とか資料をまとめるしかあるまい。プレゼンは10時。8時に出勤して2時間で何とかまとめるしか。
洗濯機もつながらなーい!
やっと給水口をつないだら水がぽたぽーた!(そうさぽたぽーた)
何とか直せばお次は排水ホースがぽたぽーた!(いぇーいぽたぽーた)
BBフォンをつないだら設定がクリア!(いちからやりなおーし)
マニュアルを読めばLANケーブルをつなげと来たぜ(そんなもん荷物に埋もれてるぜ)
ミーティングに行く時間もなーい!(仲間に会いたーい)
仕事をまとめる時間もなーい!(なーにやってんだ)
荷ほどきをする時間もなーい!(引っ越したあの日のままさベイブ)
寒い部屋にひとり(ファンヒーターはあっても)
寒い部屋にひとり(灯油はあっても)
寒い部屋にひとり(給油ポンプがなけりゃ)
寒い部屋にひとりぼっちぃ(ただのハコさハニー)
ノーモア・引っ越し!イッツソーハードだぜ〜♪

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2004年11月24日 (水)

ふぅふぅ

仕事が忙しい。引っ越しも引き続きたいへん。長い文章を書いている時間がない。ついでに体力もない。引っ越しはほんとつかれる。いかに狭く住みづらさを感じていたとは言え、住み慣れたねぐらをあとにして、慣れない環境に生活の拠点を変えるのはたいへんだ。引っ越し作業で身も心も疲れる。神経がささくれる。あんまり良いことはない。今夜は仕事で職場に宿直。お客さんとトラブルになりかけた。クレームはいつものこと。自分の側に問題がなかったか。もちろんあった。引っ越しでつかれていた。この忙しいさなかに苦労して作ったパワーポイントのプレゼンがスカった。PowerBookG4で作成したんだけど、DVI出力の変換コネクタを忘れてきた。職場中かけずり回ってパワーポイントのインストールされたノートPCをようやく探し出してデータを移したんだけど、あろう事か写真が写らない。QuickTimeのバージョンの問題か。なすすべもないまま、写真がごっそり欠けたスライドでプレゼン。スライドのミスをカバーするためにふだんの3倍くらいキアイを入れてプレゼンしたけど、あまりウケなかった。へこんでいたところに、夕方5時半から電話がやたら鳴り出した。クレーム、トップの居場所確認、現場からの報告。いろんな部署からいろんな人間が電話を回してくる。なーんで日中に連絡をよこさず終業体勢になってから連絡をよこすのか。カリカリしていた。そこへもってクレーム対応。笑顔は10分で売り切れた。もう少し元気で余裕のあるときだったら、もっとちがった対応ができていたはず。もっと親身に話すこともできたはずなのに。まー、もう終わっちゃったことだから。仕方ないから。こじれ始まったあとでは、これ以外の対応は誰にもできなかったはず。いつまでもくよくよするのはよそう。怒りを、後悔を手放そう。反省すべき点をしっかり反省して、経験の蒸留にしよう。
それにしても・・・キツイねー。やれやれ。

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2004年11月23日 (火)

引っ越し終了

やっと引っ越しが終わったです・・・。
A地点からB地点に住まいを移すって言うのはたいへん・・・。
疲れたッス・・・。赤帽さん、ありがとうございました。赤帽車2台で3往復、おつかれさまでした。朝8時前にスタートで移動完了が3時。実に7時間以上の大作戦でした。
でも無事に終わって良かった。あとは荷ほどきをゆっくりゆっくりやるんだ・・・。

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2004年11月22日 (月)

いよいよ引っ越し

いよいよ明日は引っ越しでござる。きょうのうちに鉢植え5つはすでに運んだでござる。安心してミーティングに出たら、つい浮かれてはしゃいじゃったでござる。仲間とお茶して帰ってきたら11時でござる。あすは8時に赤帽さんが来るでござる。まだ荷物がまとまっていないでござる。これからやるしかないでござる。
トホホ・・・。
引っ越し侍・・・。

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2004年11月21日 (日)

AirMacExpress登場!の巻

新しいアパートでやりたいことがある。いままでは部屋の中をパソコンのケーブルがうにょうにょとはい回っていた。パソコンのみならず、さまざまな電化製品のケーブルが足もとをうねっていた。オーディオスピーカーのケーブル。BBフォンの通信ケーブル、電源ケーブル。PowerBookG4をコタツの上に置けば、その電源ケーブル。プリンタにつなげばUSBケーブル。オーディオインターフェースにつなげばその結線。ギターにつないだシールド。床のみならず、コタツの上までも無数のケーブル類が走り回っていた。
これはよろしくない。いや、ぼくはよろしくても女性から見れば決して好ましいことではない。偏見かも知れないが、女性は「機能的な部屋」よりも「シンプルなレイアウトの部屋」を好む傾向があるようだ。「機能的な部屋」とは、手を伸ばせばあらゆる電子機器の操作が可能で、出したいときに出したい情報および情報端末、本やCDなどにイージーにアクセスできる部屋のことである。勢い、部屋の密度は高く、情報端末がぎっしり詰まった部屋と言うことになる。手の届くところには可能な限りたくさんの書籍類、CD、リモコン類、ギター、果てはお菓子類やドリンク類およびその残骸などが集中することになる。さらにはそこに長時間快適にとどまっていられるように、クッションや分厚い座布団なども登場する。その周辺には粉砂糖のようにAA(Alcoholics Anonymous)の郵送物やら資料やらの白いA4紙が降り積もっている。ああステキ!
本人にしてみればこれほど快適な環境もないのだが、女性から見れば湿度100パーセント、オタク度120パーセント、許容限界突破度300パーセントに達するようである。まぁ言われてみれば確かに、天気が良くて日の光が差し込む日など、自分の部屋のあまりのごちゃごちゃさ加減にうなだれてしまうことがある。もうちょっと見た目にすっきりした方が良いに違いない。
と言うワケで、新しいアパートではワイアレスLANを構築するのだ!
なにせ今度のアパート、いまあるPowerBookG4、音楽PC(キューブ型)に加えて今度は彼女のノートPCも常駐することになる。仕事の資料などもスムースに受け渡したい。いままではUSBフラッシュメモリでデータの受け渡しをしていたが、彼女のノートPCはUSBスロットが一基しかなく、そこをマウスが占有している。フラッシュメモリを受け渡すときにいちいちマウスを抜き差しするのもまだるっこい。できれば彼女のPCとぼくのPowerBookG4と、かんたんにファイルを共有したい。プリンタも共有したい。なおかつ、床をはい回るケーブル類を少しでも少なくしたい。
と言うことで、まずはニフティ経由でBフレッツを申し込んじゃいました。じっさいの担当者から連絡が来るのが25日ごろ。それからアパートの環境を見てもらって、どういう形で光ファイバーを敷設するのかを決め、じっさいの工事は12月に入ってからになりそう。ま、時期は良い時期は。とにかくワイアレスLANなのだ!ワイアレスプリントなのだ!書類を印刷するたんびに「ねーこれどこにくっつけんのー?」などと聞かれなくて済むようにするのだ!パソコンはテーブルの上!周辺機器は部屋の隅!ケーブル類はさいしょーげん!!そのためにまずはBフレッツ!光で100メガしょーっくっ!!この辺の論理、われながらムリがないなー。
と言う目的で調べてみたら、ありましたよーぴったりのブツが。Appleより、AirMac Expressなるブツがデビューしてるじゃないのー。これ一基でワイアレスLANもオーケー、ワイアレスプリントもバチリー。なおかつiTunesの音声も飛ばせる。このちっちゃいAC電源ポッドくらいのブツで音楽も印刷もワイアレスLANもこなせる、おお、やるじゃないかApple!
あとはこれで、iTunes以外の音声も飛ばせたら言うことなしなんだけどねー。Live4とかReasonとかの音声も飛ばせたら、とってもクールなマシンになると思うんだけどなー。もしもLive4やReasonでオケを作っておいてライブ会場でそれを再生するとして。ステージの上、電源ケーブルもFireWireケーブルもつないでいないPowerBookを操って演奏できたら、こりゃーすげぇッスよ。かっこいいッスよ。
あとはWindows98Meとかにも対応してくれるとうれしかった。Windows2000とXPのみ対応、しかも2000ではAirMac設定アシスタント(Windowsで言う各種設定の時のウィザードのようなもの)が作動しないというのもいただけない。
それと、やはり有線LANもつなげられるようEthernetのスロットをもうひとつくっつけて欲しかった。WAN側にもLAN側にもなるスロットが一基ついているが、これにADSLモデムあるいはブロードバンドルータなどを接続するとあとはもう無線LANしかつながらない。
などと細かいツッコミはあるけど、まずはAirMacExpressを購入。Bフレッツがどういう形で入るのか分からない、という心配はあった。もしもブロードバンドルータをAirMacExpressとは別に購入しなければならないのなら、無線LAN機能はダブる可能性がある。でもiTunesの音楽をワイアレスで飛ばす、ワイアレスでプリンタを共有するなどの機能は、無線ブロードバンドルータを購入してもダブらないだろう。最悪複数の機能がダブったとしても、職場や出先でいくらでも使い道はありそう。
うぉーし購入だー!ひさびさにブツヨク大魔王だーっ!!どれどれ、アマゾンでぽちっと・・・。
待つこと二日。さすがアマゾン。あっと言う間に到着しました。
どれどれ梱包を解いて、さっそく接続作業に・・・・おおっ?!
おおおっっ?!
こ、これはいったい・・・?!
(つづく)

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2004年11月20日 (土)

久しぶりのミーティング

久しぶりにミーティングに出た。
AA(Alcoholics Anonymous)ミーティング。
先週の土曜、自分のバースデイミーティングに出たのが最後だった。6日ぶりだ。5日間のインターバルが「ひさしぶり」に当たるのかどうかは自分でもよく分からない。でもここ数日、ミーティングに飢えていたのは確かだ。引っ越し作業をしながら、仕事に追われながら、ああ、ミーティング行きたいなとずっと思っていた。ミーティングに行きたい。ミーティングに行きたい。仕事の帰り道、雨に濡れた国道をクルマで走りながら、信号待ちでコンビニの看板の灯りをぼんやり見つめながら。ずっと頭の片隅に引っかかっていた。「飢え」というと大げさだけど、漠然としたイライラは消えなかった。頭が重たい感じは確かに続いていた。
まるで食欲のない動物園のサルみたいに。
うつ病にかかったとおぼしきサルを見たことがある。じっと岩場の片隅に座り込み、ぴくりとも動かなかった。じっと岩場のくぼみを見つめてそこにある何かを探していた。
岩のくぼみに落っことした、失われた人生。失われた時間。
ぼくが酒を飲まないで生きてきた期間は3年を超えた。それでもAA(Alcoholics Anonymous)を必要としていることには変わりない。いや、飲まないで生きる時間が長くなればなるほど、酒瓶を手放して生きる時間が延びれば延びるほど、ますますAAを必要としている。
AAにつながったばかりのころ、何かに突き動かされるようにミーティングに通っていた。いまよりも仕事は少なかったから時間が取れたと言うこともあるが、何よりもAAミーティングに行かないと自分がどこかへ吹き飛ばされてしまいそうな不安があった。仕事でミーティングに行けなくなると、その仕事を呪った。ミーティングを阻むだれか(誰だろう?)を強く呪った。もちろんそんな考え方はAAがガイドする生き方とは正反対だったが、当時はそんなことは思いもしなかった。とにかくミーティングに出席することが自分の至上課題だった。ミーティングに出て何を得るのかなどとは考えなかった。
焦り。不安。
ミーティングに行けば行くほど、「休んだら飲んだと思われるんじゃないか」という不安が強くなった。じっさい、日参していた仲間が2,3日顔を見せないと「飲んだんじゃないだろうか」という考えが頭をかすめた。自分がそんな風に思われるのはたまらなかった。だからミーティングに、とにもかくにも通い続けた。歯を食いしばるかのように、急かされるように。
通うこと自体が目的じゃない。そこから何を得て、どう生きるか。それが問題だ。
そう気がついたのは、ずっとずっと後になってからだった。
スポンサーには毎日メールを書いた。日報のようなものだ。自分が飲まないで生きていると言うことを、誰かに、たよりになるAAメンバーに伝えたかった。そうせずにはいられなかった。決して楽しい内容のメールばかりではなかったように思う。まいにちまいにち、日々の出来事や飲まないで生きていることをつぎつぎと書いては送った。マイスポンサー、あのころはごめんなさいでした。
いろんなことがあって(何度も飲んじゃったこととかね)、月日が経ち、いつの間にか張りつめた気持ちがほどけていった。飲まない生き方を少しずつ楽しめるようになっていった。強迫的な気持ちでミーティングに通うこともなくなっていった。
それでも時には、そのころの何ともいえない不安や落ち着かない気持ちが戻ってくるときがある。引っ越しに疲れたとき。年上の同僚に仕事を頼んで拒絶的な返事を返されたとき。いや、たとえ何もかもうまく行っていても、彼女といっしょに過ごしていても、ふと不安で落ち着かない気持ちになるときがある。それがなぜなのかは分からない。けどそれは、以前ならまず間違いなく酒に手を出していた感情だ。
雨の夜、窓の外を見る。窓に張り付いている、彗星のような細長い雨粒を見つめる。その向こうを過ぎ去る、ゆがんだヘッドライトの光を見つめる。点滅する信号の灯りを見つめる。AAの仲間のことを考える。いまも変わらず足を運び続けている仲間、もう来なくなってしまった仲間、風の便りで命を落としたという仲間、まだ会ってない仲間、もう会えない仲間、その他いろんなこと。
良くない兆候だ。雨の日は暗い考えばかりだ。
雨に濡れた街を抜けて、ぼくは会場にクルマを走らせる。ミーティングに向かう。真っ暗な門を通り、つぶれかけたような教会の引き戸を開ける。カビくさい小部屋。ずっと前からAAがミーティングを開き続けてきたのは、きっとこんな場所だったんだろう。
仲間の顔を見たときのホッとする感覚は、以前もいまも変わらない。
ぼくはアルコール依存症だ。そしてAAメンバーだ。それで良いと思う。
小声であいさつをして、空いている椅子を探す。となりの仲間と小声で冗談を交わす。
頭の重たい感じは、いつの間にか消えている。

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2004年11月18日 (木)

引っ越し侍でござる

引っ越し準備に追われています。
AA(Alcoholics Anonymous)のミーティングがなく、仕事も定時で帰れるのはきょうだけ。なんとしても引っ越し準備を完了させなければ!
いまこそ立つのだ!立てよ国民!
ジークジオンっ!ジークジオンっ!
・・・とヒッシで自分を鼓舞しつつ、マシーンと化して荷物を積み込み続けるオレは引っ越し侍・・・ふっ。
きょうも荷物を詰めるぜ
きょうも荷物を詰めるぜ
きょうも荷物を詰め込みまくるぜ
オレはマシーン、労働マシーン
きょうもマシーン、引っ越しマシーン
監督はオレ、オレ自身(イッツ・マイセルフ!)
命令するのはオレ、反抗するのもオレ(アンビバレーンツ!)
自称うつ病、余命数秒、だれか看病、米は百俵
晴れた天気、みんな元気、塗るぜペンキ、オレはジャンキー
・・・おっと、後半はラップになっちまったな。ふ。

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2004年11月17日 (水)

マツケンサンバを踊る

職場のクリスマス会で、マツケンサンバをやることになった。例年臨時のバンドを組んで演奏しているが、今年は演奏に加えてマツケンサンバを踊ることに。バンドのメンバーだけでなく、ほかの職員も大々的に参加していただいてみんなで楽しく盛り上がろう、と言うわけ。しかしクリスマス会の日程が近づいているのに、バンドも踊りもゼンゼン練習を開始せず。きょう、何とか練習にこぎ着けました。
マツケンサンバ・・・・。
つかりる!
1時間練習しただけでへとへと!とてもそのあとバンドの練習なんてできないっ!うーむ・・・本番まであと一ヶ月もないというのに・・・。引っ越しもあるし。むう。進退窮まったか。

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2004年11月16日 (火)

引き続き引っ越しざんまい

きょうも引っ越し、明日も引っ越し、荷造り荷造りらららららん。
引っ越し準備は楽しいな、荷造り荷造り楽しいな。
・・・・そんなハズもなく。
宿直明け、引き続き引っ越し準備。きょうは段ボール13個を箱詰めしましたとさ。しかし、だんだん段ボールを置くところがなくなってきた。仕方がないのでどんどん積み上げているんだけど、下の方の段ボールがどうひいき目に見ても次第につぶれ、ひしゃげてきてるのが分かる。下の方、何を入れておいたんだっけなー。そういや前の引っ越しの時も、CDのケースがかなりひび割れたっけ。ああゼンゼン学習していない、オレったら。でもね、とにかく片っ端から積み重ねていかないと、ほーんとに置くところがないのよ。ある程度割れるのはもう仕方がないと思って割り切ることにします。
そうそう、むかしの写真が出てきた。前の彼女との写真がかなり出てきて「・・・・。」という感じでした。捨てるわけにも行かず、かといって持っていても割り切れない感じ。みなさん、こういうのってどうしているんでしょうね。すぐ捨てちゃうのかなー世間的には。でもまぎれもなく自分の過去の一部でもあるわけだし。ううん困った。
そうかと思うと名古屋で浪人していたときの写真とか中学の時のバンドの写真とかも出てきて、これはこれで楽しく見ることができました。中学時代、スターリンにかぶれていて、破いたTシャツにスターリンマークを手書きで書いて。うーんこれはこれで楽しい時代だったなー。
などとやっているとゼンゼン荷造りが進みませんね。きょうはもうやめ。またあしたがんばろうっと。

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2004年11月15日 (月)

仕事でひぃひぃ

宿直です。いつもなら平穏な一夜を過ごせるはずなのですが、今夜はお客さんが来るわ来るわ。一段落したら11時半だよ。うう、疲れた。。。早く寝ようっと・・・・。

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2004年11月14日 (日)

引っ越しこしこし

荷造りが続いています。予定日の23日まではまた9日くらいある。が、宿直だの待ち番だのの予定が立て込んでいて実質あと二日くらいしか引っ越しに費やせない。きょうはきょうとてAA(Alcoholics Anonymous)の地域集会。午前10時半から夕方5時までかかった。帰ってきてから彼女とふたりでヒッシに荷造りを進めたけれどとうてい終わらず。ああ〜っ!まぁどうしても終わらなかったら、赤帽さんに泣きついて梱包からなにからやってもらうしかないね・・・。あ、地域集会ってのは、わが東北地域の各県からグループの代表が寄り集まって東北全体の決めごとを話し合う、と言う集まりです。グループの代表を代議員と言います。なんか汚職とかしそうな役名ですね。いやいやしていませんが。だいたいAAって組織はスゲーびんぼーだし。でも地域集会はじめAAの決めごとってだいたい日曜をまるまるつぶして行うから、各グループの代議員さんはほんと奉仕の精神がないとやってらんないッス。ぼくは奉仕の精神からはまだまだほど遠いので、ちとツライです。こうして休日がAAのサービス活動で終わり、明日は宿直。む・・・。がんばるのだ・・・。

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2004年11月13日 (土)

ハッピーバースデイ・フォー・ミー

引っ越しだのなんだのとばたばたしていたら、いつの間にかマイバースデイがやってきた。
バースデイ。
AA(Alcoholics Anonymous)で使われるバースデイの意味は「飲まないで過ごした年数」のことだ。
ぼくの最後の酒は平成13年の11月の最初だった。だから今年の11月はぼくの3年のバースデイだ。
不思議なのは「バースデイ」と言いながらもあんまり日にちは重要視されないこと。
ぼくも「バースデイは?」とたずねられれば「11月」と答えるが、11月の何日かまでは誰も問題にしない。んだったら「バースデイ」じゃなくて「バースマンス」だと思うんだけど・・・。
なんてへりくつはともかく。
飲まなくなって3年の月日が経った。きょうはそのお祝いのミーティングだ。
バースデイミーティングはふだんのミーティングとちょっとだけ雰囲気がちがう。祝祭ムード、お祭り気分。ハッピーバースデイの歌を歌う。グループが用意してくれたケーキを切り分け、参加者全員で食べる。お酒の要らない、そうだね、小学校の時の仲の良い友だち同士のちょっとあらたまった誕生会みたいな雰囲気だ。
はじめてバースデイミーティングに参加したときは、「げっ、いい歳したオトナがお誕生会かよ」とも思った。いい大人が幼稚なことをしている、しみったれた集まり。けど、いまはそうは思わない。
これはぼくたちにとって真剣なセレモニーなんだ。
ぼくは、ぼくたちはアルコール依存症だ。
まぎれもなく死ぬ病気だ。それも、周りの人たちを傷つけて、自分と周囲を台風のごとくにめちゃめちゃにして死んでいく病気だ。ぼくたちは飲み続けて死ぬか、すべてを手放してAAのやり方に身を任せるかのどちらかを選ばなくてはならなかった。別れた奥さんや実家の両親、職場の同僚。ぼくの飲酒を何とかしようとした人たち。でもすべてを失いかけたとき、ぼくはとても静かな場所にいた。よけいな音は何も聞こえてこなかった。雑音のない場所で、ぼくは地獄への片道切符を握りしめて飲み続けるか、酒をやめなければいけないか、どちらかしかないことを知った。生きていたくなんてない、死んでしまいたい。いつもそう思っていた。が、このまま酒浸りで死ぬのはイヤだ。いまはまだ死にたくない。
いや、正直に話そう。
仕事を失いたくなかった。職場の先輩たちに「酒で仕事を続けられなくなった」と噂されたくなかった。連続飲酒のあとのどうしようもない身体のつらさを味わいたくなかった。そもそもクリニックを受診したときは両親と年上の彼女に付き添われて、まったく選択の余地がなかった。
それでも、ごたごたの日々のつかの間の静寂の中で、ぼくははじめて自分をどうにかしなくちゃいけないと思った。
いまここで。

バースデイ。飲まない日々と成長を祝うセレモニー。
でもそれと同時に、これはアルコール依存症から生き延びた日々のお祝いだ。生き残りのお祝い。飲んで死んだ話は枚挙にいとまがない。統計を持ち出すまでもなく、この病気の回復率は極端に低い。飲んで死ぬか、入院と退院を繰り返しながら緩慢に死んでいくか。ぼくはまだ死にたくない。飲んで失ったものをできる限り取り返したい。できれば時間さえ。回復して、良い生き方をしたい。仲間とつながっていたい。誰かの役に立ちたい。もっともっといろんなことを感じたい。笑いたい。感動したい。生き生きと生きていたい。仲間と、スポンサーと、彼女と、わずかに残った友人と、同僚と、両親と、まだ見ぬ見捨てられたアルコホーリクスたちと、世間一般のあらゆるひとたちと。その気持ちは日に日に増していく。強くなっていく。

3年の生き残りおめでとう。
ぼくたちはまだ生きている。

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2004年11月12日 (金)

段ボール祭り

めずらしく宿直が早めに到着した。おお、AA(Alcoholics Anonymous)のミーティングに行ける !
てなことで近隣のとあるグループにおじゃましました。このグループのミーティングに参加するのはちょいと久しぶり。やっぱりミーティングは良いねー。日々の雑事で忘れかけていたこころの落ち着きが取り戻せる。
きょうもいろんな気づきをもらって帰りました。仲間のみんな、どうもありがとうね。
で、引っ越し。
赤帽さんに格安で頼んだのは良いけど、引っ越し用の段ボールを自分で用意しないといけない。以前大手業者に頼んだときには無料で段ボールを山ほどくれたけど、赤帽さんはどうもくれないらしい。格安だし、そこまで期待するのは酷だろう。で、ミーティングの帰り、仲間に教えてもらったショッピングセンターに寄って段ボール箱を調達してきました。
良くスーパーのレジの後ろに段ボールが積み重ねてあって「無料でどうぞ」と書いてある。あれ、ちっちゃいんだよね。あくまで運びきれなくなった食料品を持ち帰るためにサービスで置いてあるわけだから、引っ越し用のおおきな段ボールはあんまり置いてない。それでもものは試しと持ち帰ってみたんだけど、やはりそれほど多くの荷物は収納できず、かえってかさばって使いにくい。仲間に教えてもらったショッピングセンターに行ってみたところ、サービスカウンターの女性は実に気前よく大型の段ボールを山ほどくれました。おお、ありがたい!人の情けが身に染みるぜ。
段ボール。段ボール。ただでもらえる(ここ重要)段ボール。うれしいな。
20個ほどもらってきたから、おそらくこれで足りるでしょう。
それにしてもアパートの中に入れたら、足の踏み場がない。まさに段ボール畑。
段ボール畑よ永遠に。。。
うぉーっしこれから梱包だぜ!!

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2004年11月11日 (木)

引っ越しが決まった

引っ越しが決まった。いまのアパートから歩いて3分くらいのところだ。前にも書いたかな?書いたかも知れない。でももういちど。
近い将来彼女とふたりで暮らすことも考えて、いまよりも広いところに引っ越したいと思っていた。ぼくが考えていた条件は以下の三つ。
1.いまよりも広くて
2.いま住んでいるのと同じエリアで
3.家賃が大幅には高くならない範囲の物件。
いま住んでいるアパートは職場へのアクセスも良く、町中やミーティングへも行きやすく、建物が建て込んでおらず大手スーパーも近い。相応のプラスアルファがあれば別だが、いまのエリアからほかには行きたくない。
そう思って物件をいくつか見たんだけど、どれもイマイチ。探しているうちにだんだん気持ちが暗くなってきて、一時はあきらめかけていたところにいまの物件が見つかった。見つかったというか、新築の物件をたまたま近所に見つけたんだけどね。
で、あとはとんとん拍子に話が進み、あれよあれよという間に新居の契約、いまのアパートの退去の話が進行した。今のところと新しいところを同じ不動産が手がけているので、話が非常に早い。退去と入居の話が同時進行で
「あれよ」
「あれよ」
と言っている間に済んでしまった。気がついたらリクオのライブの前に書類も完成し、引っ越し業者の見積もりも終わってしまった。
引っ越し、11月23日の火曜日。
どうなることやら。ドキドキ。
今回は大手引っ越し業者には頼まず、赤帽さんにお願いすることにした。赤帽っててっきり全国展開している企業だとばっかりおもっていたんだけど、個人業者の寄り合いみたいな組織なんですね。不動産から紹介されたOさんという方が見積もりに来てくれたんだけど、ほんと、近所の個人商店の気のきいた若旦那さんというイメージだった。見積もりを聞いたら、越してきたときの引っ越し料金の半額以下。やるじゃん!赤帽!
ただ、段ボールの手配その他は自分でやらないといけない。引っ越し業者は段ボール箱を気前よくくれるが、もちろんそれも料金に入っている。それから梱包やメタルラックのばらしも完全にすませておかないといけない。やり残しがあれば、当日の作業延長料金という形で跳ね返ってくる。
うぉーしがんばるぜ!

考えてみたら、AAにつながる前後で3回目の引っ越しだ。
クリニックを初めて受診したのがいまから3年前。平成13年の2月。その年の春、引っ越し。退職という形で前の職場を去り、いまの職場へ。職場の借り上げだったアパートを去って、小さなアパートで暮らしはじめた。職場の借り上げアパートは、結婚生活を始め、アルコールによる破綻と言う形で終了した場所だった。
新しいアパートを借りたのもつかの間、ぼくは離婚後しばらくしてつきあい始めた女性の家に転がり込むようになった。アパートにはほとんど寄りつかず、年上の彼女の家で、まるで子どものように甘えて暮らしていた。そのころAAにつながり始めていたが酒は止まりきらず、何度もスリップした。スリップするたびにますます彼女に甘え、依存を深めていった。それは甘美であると同時にとても息苦しく、枷をはめられたような生活だった。何かまちがっている。くるしい。でも何がどうまちがっているのか分からない。でもくるしくてたまらない。マイスポンサーにもさんざん相談した上、彼女と別れその家を出ることにした。なに、高級な理由からじゃない。苦しい共依存の日々の中で、別の女性を好きになったからだ。
そして彼女の家から近かったアパートを引き払い、いま住んでいるアパートに移った。それが2年前の5月。いや、6月だったか。
こうして文章に書いてると、あらためて自分の依存ぶりを思い知らされる。年上の女性と別れるとき、さんざん修羅場が繰り返された。怒り狂って夜中にアパートに押しかけてきて1時間ばかりドアをたたかれ大声を出されたときは、ほんとうにしんどかった。同時に、自分が愛情だとばかり思っていた関係は、共依存という病気の関係であったことを痛烈に思い知らされた。
よく愛情の裏返しは憎しみだと言うけど、ぼくはそう思わない。愛情はどんなに裏返っても逆さまになってもよじれても、やっぱり愛情そのままだと思う。愛が裏切られたときに怒りや憎しみを感じるの場合、実は愛という名の下に相手を支配し思うがままにしようとする心の動きがあるのではないか。「こんなに尽くしてきたのに捨てられた」「こんなに身も心も捧げたのに裏切られた」そう言うときわれわれは無意識に、奉仕に対する対価を相手に要求しているんじゃないだろうか。その対価が支払われないときに、われわれは自分の愛情がどぶに捨てられたと感じ、怒るのではないだろうか。傷つけられ損なわれたのは実は愛情ではなく、肥大したプライドや自我だったんじゃないだろうか。
なんて、ここでそんなことを言う資格はぼくにないね。そう。ぼくは年上の女性の家に転がり込んで同棲し、別の女性に気を移し、その家を出た。別れを告げた。傷つけた。そのことは厳然たる事実なんだから。

おお、すっかり話がそれてしまったわい。そう言うわけでさっそくきょうから引っ越し準備です。がんばるのーだー。

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2004年11月10日 (水)

リクオ

リクオのライブに行ってきました。
リクオ。
年齢は40歳弱くらいだろうか。京都生まれのピアノ弾き。
初めてライブを見たのはもうかれこれ15年くらい前になるだろうか。オフィシャルサイトを見たらデビューが1990年になっているが、初めて彼を見たのはそれよりも少し前のような気がする。当時ぼくが出入りしていたライブハウスで、ある日彼のライブがあった。ぼくがよく世話になっていたブルース喫茶のマスターが彼を招いたのだった。「ピアノがうまくて、なかなか良い歌を歌う奴がいる」という話だった。学生の財布に三千円のライブチケットは痛手だったが、良いライブが見れるというマスターの言葉を信じて見に行った。ベレー帽をかぶった、少し鼻にかかった声のあんちゃんがピアノを弾きながら歌っていた。ときどきピアニカだのアコーディオンだのに持ち替えて、「ピアノだけだと間が持たないのかな?」と思った。いろんな楽器を持ち替えて、いっしょうけんめい歌っていた。汗を流しながら、格闘するようにピアノを弾き、挑みかかるようにマイクに向かって歌っていた。ほんとうに歌うこと、鍵盤を弾くことが好きなんだなーと、好感を持った。何曲か印象的なナンバーも記憶に残った。R&Bかつフォーキーな曲を書くひと、と言う感じだった。ステージ終盤。ピアノを弾きながら「Bring it on home to me」を日本語で歌い始めた。なんの説明もなく、先を急ぐような早急さで。「ぼくときみが、もしも離れても・・・」たしかそんな、たわいもない日本語歌詞だったように記憶している。それでも彼が込める気持ちが、ピアノと歌から伝わってきた。ステージの彼から目が離せなかった。身体が床から3センチばかり浮かんでいるような気持ちだった。そのとき以来、リクオは目が離せないアーティストのひとりだ。
今年もリクオはぼくの生まれた町にやってきた。
あれからおよそ15年。
ライブを見に行かない年もあったが、彼は毎年欠かさずこの町にやってきてピアノを弾き、歌を歌っていく。ここ4年くらいはぼくもかならずライブに足を運んでいる。いまはベレー帽もかぶっていないしピアニカもアコーディオンも弾かない。曲も変わった。以前のルーツミュージックへのあこがれを直截に表現した楽曲から、ジャズやラテンのテイストも交えて、オリジナリティの高い曲を作るようになった。でも、彼の熱いシャウトは昔のままだ。いや、昔よりももっともっと、ひとの胸に訴えかけてくる。
ピアノを弾く、歌う、話をする、コール&レスポンスを求める。
どれひとつとっても、何百回、何千回というライブをくぐり抜けてきた自信と洗練がみなぎっている。ラブソングもロックンロールも、これほど「胸にひびく」アーティストをほかに知らない。
今年は元ボ・ガンボスのキョンらとともにCrazy fingersなるピアノ弾き5人組での活動をしていたそうだ。また来年、新しいアルバムを持ってきてぼくの町に来て欲しいと思う。またCDにサインしてもらって、いっしょに写真を撮って欲しいなと思う。リクオのライブを一回見ると、そのあと半年くらいは思い出すたびに幸せな気持ちになれるんだ。
また来年。

それにしてもこれだけ優秀なソングライターでありプレイヤーでありシンガーなのに、なんだって売れないのでしょう。音楽としての優秀さと世間的なセールスとは関係がない。その代表格みたいなひとです。そうは言っても売れて欲しいなー。遠藤ミチロウが売れないのとは話が違うんだから。・・・って、ミチロウ、ごめん。

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2004年11月 8日 (月)

ビジネスミーティング

秋田の余韻に浸るまもなく新しい一日、新しい一週間が始まった。
今回の出張で職場を留守にしたのは、実質的には土曜の午前の半日だけ。が、やっぱり仕事がたまっている。留守にした分仕事がたまったのは仕方がない。割り切ってどんどん書類を片づける。夕方から職場内のミニ研修会。外部からスピーカーをお願いして、話をしていただく。終了後、トップとともにその方と話をしているうちに気がつけば7時半を回っている。
イカン!きょうはAA(Alcoholics Anonymous)のホームグループのビジネスミーティングなのだ!
ビジネスミーティングとは、月に一回、通常ミーティングとは別にグループの運営について話し合うミーティングなのです。わがホームグループでは毎月第2月曜がビジネスの日。ふだんのミーティングでは「言いっぱなしの聞きっぱなし」が原則なので、ほかの仲間の話に意見や質問をすることはない。でもビジネスの時だけは、グループの運営についていろいろ質問や意見が飛び交う。
わがホームグループはほとんどもめることなく、淡々とビジネスが終了する。別にやる気がないわけではなく、メンバーそれぞれが各担当(会計や会場係、代議員やイベント担当者などなど)を信頼し、各担当もそれに十分に応えているため、議論やツッコミをしなくてもすんでいるのだ。
ぼくは去年から、グループの代議員を担当している。代議員というと「美人秘書」とか「わいろ」という単語が連想できるが、AAの代議員はさにあらず。地区や地域と言った大きな集まりにグループの意見を持っていき、そこで決まったことをグループに持って帰る、いわばAAの全体とグループの橋渡し役だ。JSO(AA日本ゼネラルサービスオフィス)からのさまざまな配布物やチラシなども代議員のところに届く。ぼくはそれをビジネスの時に持って行き、グループのそれぞれに伝える。
しかしここんとこなかなかビジネスにも思うように出られず、役割を十分にこなせてないもどかしさがあったのね。きょうは遅れたけれど何とか間に合って、ほっと一息。
やれやれ、お酒を飲まない日々が長くなってきたのはうれしいけど、仕事その他でミーティングの回数が減っているのは何ともせつないです。AAミーティングがあったからこそ、いまこうして飲まないで元気に仕事していられるのにね。出られる回数が少ないときには、ひとつひとつのミーティングを大切にしよう。死ぬことも生きることもできずに、屍のように飲み続けていた自分。心臓は動いていても、あらゆる感情が死んでいた自分。それが、ここからぼくは新しい生き方を手に入れたんだから。

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2004年11月 7日 (日)

リクオのライブだ!

すっかり忘れていたけど、あさって11月9日はリクオのライブだ。
リクオ・・・。
いまいちばん好きなアーティストかも知れない。踊るピアノ弾きとは、まさにリクオかボ・ガンボスのキョンか、どちらかというくらい。あ、海外だとジェリー・リー・ルイスとかいますか。
リクオ。
甘くせつないうた。ジャズからR&Bからロックから、ごちゃまぜのハッピーなピアノサウンド。この人のライブに行くと、そのあと3ヶ月くらいはずーっと幸せな気持ちでいられる。パフォーマーとしてもピアノプレイヤーとしてもソングライターとしても、ぼくはすごーく尊敬しています。なんでこの人が売れないんだろう?世の中にはこれだけ素敵な音楽があるのに、ヒットチャートなんてほんとあてにならないね。
と言うわけで、リクオのライブがあるというだけでしあわせなきもち。
リクオ、リクオ、はやくこないかな・・。

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朝日を見つめながら

研修会の一日目は無事に終わり、いよいよきょうが最終日だ。
嵐のような一日目が終わってホテルに帰ってきたのが9時ちょっと前。まだ町が明るかったので外に出ようかなとも思ったけど、くたくたに疲れててそのままダウン。
研修会、超ハード。昼ご飯を食べる時間も20分制限というのはいかがなものか。まぁそれでも終わりが見えないくらいハードメニューではあったんだけど。20分で班ごとに成果物を提出しないといけないグループワーク、その場でワードかエクセルに入力して全体の前で発表、講義、またワークショップ・・・。「これ、ほんとうに仕事の役に立つのか?単なる新入社員研修じゃねぇのかい?」という疑問をむりやり頭の片隅に追いやりつつ、目の前の課題をどんどんこなす。同業者であること以外一面識もない人と班を組んで短時間で成果物を仕上げないといけない。冷えたムード。声の小さいひと。批判的な意見ばかりのひと。まとまりそうなところで根本的な話を蒸し返して場をひっくり返すひと。建設的な意見を持っているんだけど年配のひとに遠慮してなかなか発言できないひと。場の雰囲気に飲まれちゃってワードの入力以外、発言はおろか場の流れに沿った思考が停まっちゃうひと(ぼく)。むっちゃくちゃストレスフル。お題は「新人と同席して初対面の顧客と面接したときのチェックリストを作りなさい」「新しい新人研修に期待することを、指導側、新人側、会社側に分けて考えなさい」などなど。20分でまとめきれるテーマじゃない。ま、主催側もそれを承知でやらせているんだろうけど。でもまとまりそうなところで「そもそも新人研修の意義は・・」みたいな発言があるとイタいねー。
それでも何とか無事に一日目が終わり、いよいよきょうでおしまい。
秋田の町はまったく見ることができなかったけど、いまこうしてホテルの一室から朝日を見ていると、とっても美しいと思う。町並みも繁華街の通りも遠くの山並みも、調和が取れているように思える。
月並みだけど、きれいだ。きれいだね。
いつかゆっくり、秋田の町を訪れてみたいな。

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2004年11月 6日 (土)

シュッチョーチュー

と言うワケで出張に来ております。
もーはっきり書いちゃうけど、秋田です秋田。新幹線に揺られること3時間半。初めて乗る「こまち」号は驚きの連続でした。なにせ途中から完全にローカル線と同じレールを走っているし、大曲からは列車が後ろ向きに走り出すし。箱根登山鉄道のスイッチバックかと思ったぜ。
昨日の夜9時に秋田駅に到着。おお!予想したよりもはるかにはるかに立派な駅舎!大通りを越えてずーっと向こうまで、ショッピングセンターと地続きでアーケードになっている。大都会じゃーん!
と思ったら。
アーケードを抜けると、いきなり真っ暗な夜道。ところどころにコンビニと居酒屋の明かりが点在する以外はお店も人通りもない。秋田に着いてから晩ご飯、と思っていたけれど居酒屋以外に食堂は見あたらない。居酒屋はヤだ。酒場になんて行きたくない。とは言うものの、コンビニと居酒屋以外の飲食店がまったく見あたらない。15分ほど駅の周囲をうろうろしたけれど、ヒップホップ系のお店の前で若者たちがだぶだぶした洋服でたむろしている以外は人通りさえまばら。あきらめてコンビニで弁当を買ってホテルにチェックイン。
まぁ仕方なし。遊びに来たんじゃないから。あきらめて金八先生でも見て寝るか。
金八先生を見ながらノリ弁当を食べてスティーヴン・キングを読んで寝る。これがささやかな夜の憩いのひとときとなるはずであった。金八先生、全盛期のころはゼンゼン興味なかったんだけど、去年の冬の再放送を見ておもしろかったので、今回は始まる前からチェックしていました。が、どういうワケだかいまだ一回も見ないまま日にちが経過しちゃった。きょうはホテルでテレビでも見る以外に過ごしようがないし、良い機会だと思っていたのですが。
ホテルのテレビをつける。チャンネルを回す。いまはどこのホテルでもBSは当たり前。下手するとCS各局まで無料で見られる。昔は中流のホテルでもテレビを見るのに百円を投入しなければならなかったものだが。良い時代になったものだ。感慨に浸りながらチャンネルを回し続けるが、金八先生は見あたらず。んん??特番でも入って時間変更になったか?しつこくチャンネルを回し続けてみたがやはり金八、見あたらず。イヤな予感がする。パソコンを起動、秋田のテレビ番組表をチェック。おおおおおっっ?!!
秋田、TBS系は放映していないのねっっ?!金八先生、やってないのねっ?!秋田のみなさんは金八先生をご覧になってらっしゃらないのねっ?!!
呆然。
出張の唯一の楽しみが・・・がらがらがらがら・・・。
むなしい気持ちでシャワーを浴び、ベッドに入る。就寝。

てなことで一夜が明け、これから研修会。朝の9時から夜の9時まで、あすも朝の8時半から夕方の4時半までぶっ続けの超ハード調教プレイ。耐えられるかしらん。まあプラス思考に切り替えて、思いっきり知識を吸収してこようっと。あとはもう平安の祈りを唱えながら乗り切るしかないッス。
受け入れる落ち着きを、受け入れる落ち着きを、受け入れる落ち着きを・・・。

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2004年11月 5日 (金)

好き好き大好き戸川純

戸川純を見てきた。
10月31日の日曜、東京は初台の初台 the Doorsという名のライブハウス。
ぼくは高校生のころからの戸川純のファンだ。が、いままでライブを見る機会はなかった。大規模なツアーをやるひとじゃないし、80年代の彼女はサブカル少年たちのあこがれの的で、とてもライブのチケットは手に入らなかった。
唯一手に入る彼女の映像は、玉姫様のライブほかプロモ数点が収録されたビデオだけだった。ぼくは何度も何度もそのビデオを見ては、戸川純の壊れそうな美しさにため息をついたものだ。ああ玉姫様。ああ蟲の女。「蟲の女」で大きな蝉の羽を揺らしながらステージを歌い歩く彼女は、ほんとうに美しかった。
が、ニューウェーブと言う言葉が時代の表舞台から去っていくのと同時に、彼女の名前もメディアから遠ざかっていった。「昭和享年」などのアルバムが散発的に発表され、それなりにインパクトはあったものの、あの「時代とユニゾンしている」ような不思議なドライブ感は消え去りつつあった。活動が伝えられなくなり、代わりに「精神的に不安定」「奇行が目立つ」などの噂ばかりが遠回しに伝わってきた。そのうちぼく自身、ニューウェーブから次の音楽に興味が移り、戸川純のLPレコードは押し入れの片隅に追いやられていった。身内のご不幸があったりパートナーとの不和があったりと、90年代から2000年代初めの戸川純は不遇だったようである。
そう言うわけで、今回の彼女のライブ。たまたま休暇にあわせて何かライブを見に行けないかと調べていたら、偶然彼女の名前が飛び込んできた。何はともあれ戸川純である。当時の宝島少年たちのアイドルである。坂本龍一のサウンドストリートにゲストで出演して「メガネをかけたり外したりするのに30分かかる」と言われた戸川純である。キュートであぶない魅力満載の、あの戸川純である。これは見に行くしか!

会場は、広くはないが清潔な感じのライブハウスだった。われわれは昼間のシロガネーゼ探索で疲れ切っていた。ただでさえ30代後半にもなると、オールスタンディングのライブはつらい。敬老席でも作ってくれないかと思う。激しく思う。若者は立ちっぱなしでも良いだろうが、40の坂道が見えてきた身には待ち時間も含めると約4時間のオールスタンディングはきびしいのだ。襲いかかる足のだるさと腰の痛みに耐えつつ待っていると、前座の東京中低域が登場。
サクソフォンばかりの7人組である。それも、低音のバリトンサックスばかり。ソプラノは一人もいない。曲は「Take5」だののジャズの定番などらしいが、とにかく低音ばかりなので音がかぶっちゃってて曲がよく分からない。客もどう乗って良いのか(あるいはまったく乗れないのか)とまどっている印象だ。でも東京中低域のみなさん、そんなことはまったく意に介さず、淡々と低音サックスを吹きまくる。「好きでやってます、ぼくら」みたいなじんわりした楽しさが伝わってくる。まったく売れないだろうけど、がんばって欲しいものです。ひとり「ヨンさま」に似た若者がいたのが印象に残った。
で、バリトンサックス7人組が退場したあとはいよいよトリコミ feat. 戸川純の登場。ライブが始まるまでまったく知らなかったんだけど、この「トリコミ」というバンドが、何曲か戸川純をボーカルにゲストとして迎えている、と言うのが今回の演奏形態らしい。てっきり戸川純のバックバンドかと思った。
中低域が帰ったあと、ステージ中央にディレクターズチェアが設置される。そこにインドっぽい赤を基調とした一枚布が置かれる。おお、ニューウェーブの女王を迎えるにふさわしいセッティングである。
ほどなくトリコミのみなさんが登場する。ちょっとおじさんくさいけど上品な感じのドラム。ロリロリしたファッションの女性ベーシスト。そしてさっきの中低域をしきっていた上品な顔立ちの男性がギターを下げて出てくる。この男性がトリコミのリーダーらしい。演奏が始まる。ベースがうなりまくる。女性、しかもロリロリファッションなのにも関わらずベース激ウマ。そんじょそこらの男性ベーシストよりも遙かにうまく、アグレッシブだ。そしていよいよ純ちゃん登場!肩もあらわなドレスに、なぜだか知らないけれども家出少女風のでかいバッグをたすきがけにしている。おお戸川純!これぞまさしく戸川純!ちなみにこの家出少女バッグ、途中で衣装を代えたあともずーっと肩に提げていました。意味不明で良いです。前半ややPAが不調でボーカルが聞こえづらかったけど、後半になるに連れてステージも和み、演奏も良くなってきました。て言うか、演奏が7割で戸川純とトリコミのリーダーの掛け合いが3割。いや、ひょっとしたら4割くらいかな?でもこのリーダー、かなり良いひとです。途中戸川純が「お茶が飲みたくて・・・」と言うと、イヤそうなそぶりも見せずにステージから退場して(おいおい)、ティーパックのお茶を作ってきてあげる。戸川純の意味不明のおしゃべりも、遮ることなく「はいはい」と聞いてあげている。えらいぞトリコミのリーダー!えーと名前、水谷紹さん!
ステージは戸川純のボーカル曲、詩の朗読、水谷紹氏がボーカルを務める曲、とバラエティに富んだ進行。そこに水谷氏と戸川純の掛け合いともぼやきとも雑談ともつかないMCが入る。ので、思ったほど戸川純のボーカル曲は多くなかったです。戸川純ソロの曲は一曲もなかった。それでも、とっても良いライブでした。純ちゃん、相変わらず何言ってるかよく分からないしダメダメ人間っぽいんだけど、一度歌い始めると、まるで二重人格のように、あの鬼気迫る孤高のパフォーマーがよみがえってくる。ジョン・レノンの「コールド・ターキー」のカバーは鳥肌が立つくらいかっちょよかった。
トリコミの水谷氏の歌も良かった。デビッドボウイの「ロックンロールの自殺者」やジョンの「アクロス・ザ・ユニバーシティ」のカバーを聞いていると、「ああ、この人はほんとうにロックや歌が大好きなんだなー」とほのぼのと共感がわき上がってきたよ。トリコミ、良いバンドです。純ちゃんとの相性も良いし、また見たいな。「アクロス・ザ・ユニバーシティ」での、突然の中低域との競演もサプライズしてて、ほんと楽しかった。中低域も含めると3時間の長丁場だったけど、ほのぼのと楽しい一夜でした。
それにしても純ちゃん、眉毛剃りすぎるとおっかないよ・・・。

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2004年11月 4日 (木)

北へ南へ

休暇が終わったばかりだが、また明日から遠隔地へ行くことになった。
今回行くのは、職場関連の研修会だ。その研修会の修了証書を持った人間が職場にいないと、本社からの新人が配属されにくくなる。今年の六月に例の年上の同僚が受講しているんだけど、まぁ修了証書の数は多ければ多いほど良い。今回の講習会で、ぼくも取得することになった。
今度は北、二つとなりの県だ。地図で見るとそんなに遠くないし、その県のとある市には去年AA(Alcoholics Anonymous)のラウンドアップで行っている。県庁所在地である今回の目的地はそんなに遠くないように思えた。なんだお隣さんじゃない。行く気になればすぐ行けるよね。そんな風に思えた。だから新幹線の手配もホテルの手配も、なーんもしないで旅行に出かけちゃったんだけど。
休暇が終わってはたと気がついた。なーんの準備もしていない。宿も交通手段も確保していない。さらに言えば、研修費用も振り込んでいない。おおこれぞノーガード作戦!両手ぶらり戦法!!
などと自画自賛しているヒマもなくきょうは出張の手配に追われておりました。休暇でやすんでいた分、仕事もむちゃくちゃたまっている。その合間を縫って昼休みにJRへ出かけたのですが。
近所の最寄り駅。窓口、やすみ。昼休みを1時間半も取っていやがる・・・。いや、取っていらっしゃる。「1時半から業務再開」の案内をボーゼンと見つめ、なすすべもなく帰ってきた。ううう・・・。チケットを押さえないと出張旅費が出にくいのよね・・・。やむなく終業後、再度同じ駅の窓口に行って、今度は無事に新幹線の切符を購入した。あす出張なのに明日旅費を申請。総務になんて言い訳しようか。ああこんな社会人一年生みたいなことをしてしまうなんて。。。

それにしても会場の二つとなりの県の県庁所在地。遠いったらありゃしない。新幹線で、なんと3時間半もかかるの。3時間半ったらアアタ、東京から出発したら名古屋の先の方まで行ける移動時間だって。まー新幹線とは名ばかり、途中からローカル線と新幹線の中間みたいな路線になるらしい。往復7時間の移動かー。やれやれ。腰が痛くなりそうだわい。どれ、未読のスティーブン・キングの小説でも持って行こうっと。

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2004年11月 3日 (水)

シロガネーゼウォッチング!

今回の旅行はいくつか目的があった。そのひとつが「シロガネーゼとはいったいどういう人種なのか?」を探索することであった。
シロガネーゼ。白金台に居住すると言われている、ハイソでオッシャレーなご婦人たち。そのハイセンスさを形容する一方、「お高くとまっている」「庶民をなめている」「経済的に恵まれていることをひけらかしている」「イヤミったらしい」などなど、ネガティブなイメージも定着しつつある。それはどの程度事実なのか?ざあます言葉を駆使するイヤミなおばちゃんの現代版なのか?それともほんとうのハイソサエティなのか?一億総中流という言葉さえ死語になり、すべての階級が均質化しつつある現代に、そのようなハイソサエティは現存することは可能なのか?さまざまな疑問を解くべく、ぼくと彼女は白金台に向かったのであった。決して「シロガネーゼでも見に行くべよー」「わーおもしろそー」とノリ一発で出かけたわけではない。おのぼりさん気分丸出しで「わーいわーいシロガネシロガネシロガネーゼ」と喜んで出かけたわけではない。あー、そこんとこ誤解しないよーに。
白金台は東京の港区の一区画である。「しろがねだい」ではなく「しろかねだい」と読むようだ。わがATOK17でも「しろがねだい」では変換できない。山手線の目黒駅を降り、15分ほど歩く。大通りを歩いていくと、坂道の住宅街が見えてくる。「プラチナ通り」と呼ばれるオサレな通りの左右、坂の上手の一区画が、どうやら「シロガネーゼ」と呼ばれる人々の住処のようである。幹線道路から脇道に入り、丘の上の住宅街を探索してみる。人通りが少ない。日曜の朝10時だが、驚くほど静かである。最初、幹線道路から入ってすぐの辺りは小さい家々が多い。それでもベンツやBMWといった高級車が多いのはさすがである。緑が多い。クルマの往来もほとんどない。歩道にはゴミがない。おお高級住宅地。さらに坂道を上っていくと、どんどん住宅が巨大化していく。アパートはほとんどない。あっても瀟洒な「高級分譲マンション」と言った趣である。大手の建築会社が建てた巨大マンションのたぐいはひとつもない。コンビニもない。商店もない。飲食店もない。あってもこじんまりして趣味の良いパン屋とか、そんなもんである。ひたすら高級住宅が建ち並んでいる。「高い塀の家ばかり並んでいて排他的な印象じゃないか」とも予想していたが、思ったより開放的な印象だ。おお、この一帯ににシロガネーゼが居住しているのか?
と、散歩している女性発見!こっちに来る!犬を連れている!まさか新幹線で田舎から犬を散歩させに来ているわけがない。間違いない、シロガネーゼだっ!われわれはコーフンを押し隠し、さりげなく彼女とすれ違う。もちろん横目でしっかりウォッチングするのを忘れない。髪型。さりげないセミロング。少しウェーブがかかっている。年の頃は30代前半か。やせててすらっとしててモデルさんのようでもある。ジーンズに白の綿かガーゼのシャツ。靴は平たくて底の薄いもの。腕時計以外のアクセサリ類は身につけていない。こう書くとものすごく凡庸に思えるかも知れない。が。なんというか、たいへんゴージャスで品の良い感じである。ジーンズに白シャツ。ただそれだけなのだが、なにか圧倒されるような気品。整った顔立ちと薄い化粧が明らかにわれわれとは住む世界が違うことを物語っている。犬も、なんという品種か分からないが明らかに「さる血筋」であることを全身から漂わせている。この犬一頭だけでも相当な実力である。
ううむ・・。これがシロガネーゼか。。。ま、でもこの程度の美人、この程度の上品さならわれわれの地元でも、よーく探せばいないこともない。そう思ってさらに歩いていくと、またまた犬の散歩をしている住民を発見。今度は子ども連れだ。子ども。子どものくせにスゲーおしゃれな髪型である。「芸能人をまねしました」風ではなく、なんというか、シックな中にも上品さが際だつような、何ともいえない髪型である。服も、明らかにぼくの洋服の上下よりも金がかかっていそうなTシャツである。母親の方もやはり基本はシンプルなのだが、何かぼくの住む世界とは根本が違っているオーラを放っている。すれ違いつつ、上から下までなめるようにじろじろと観察するわれわれ。ううむ。ううむ。聞きしにまさるゴージャス感。それでいて清潔な印象。まったくの他人であるが「ちょっとそこの荷物おろしてちょうだい」と言われたら「はいっ!」と叫んで喜んで従ってしまいそうな気がする。
さらに散策を続ける。イヌ率高し。犬、本の中でしか見たことのない高級種ばかり。住宅。とにかくでかい。広い。高級車がずらりと並んでいる。出かける前に「三歩歩くたんびにベンツが停まってるんだよ、きっと」など冗談を言っていたが、ほんとに。ほんとーに。ほんっっっとに!三歩歩くたびにベンツが停まっているのである!
ベンツ。Sクラスは当たり前。Eクラスかそれ以上もばんばん並んでいる。あとはBMW。意外に多いレンジローバー。なぜかアウディは少ない。ポルシェ。ポルシェのランドクルーザーみたいなのって初めて見たよ。ジャガー。ローバー。アルファロメオ。ちょっとした高級外車の品評会だ。ときおり、それらのクルマを運転しているシロガネーゼともすれ違う。でかいレンジローバーを運転するセミロング・モデル体型・シックでシンプルなファッションのシロガネーゼはものすごく優雅である。
うーむ。すごい・・・。まさか白金台、ここまで非日常な人々が居住しているとは。。。
感心したのは、ヤン車が一台もなかったこと。エアロパーツをばりばり装備してクマプーを山のように後部座席に搭載した真っ黒いクルマは、一台も通行していない。天守閣のようにリアウィングを天高く羽ばたかせたスポーツカーも見かけない。道行く人びとはみなモデルのようにすらっとしていた。太目のひとは、ついに見かけなかった。過度な金髪、チャパツもいなかった。アイシャドーやアイラインをばりばりに塗ったくった方もいなかった。
でも。「こういう生活を演出してまーす」的な力みは感じなかった。自然体。ほんとーに生まれたときから大金持ちで高級住宅地に住んでいて、ハイソな生活様式が自然に身に付いている。そんな生き方をしているように思った。
うらやましいか?うーん、ちょっとだけうらやましい。きっとこの人たちは大邸宅も高級犬も高級外車も、生まれたときから当たり前の世界に生きているんだろう。でもだからと言って彼女たちがぼくよりもはるかに幸せだとは思わない。ぼくはぼくで、いまの生活に満足している。感謝している。シロガネーゼの世界に突然放り込まれても、勝手が違ってきっとうまく適応できないだろうな。大邸宅で何がやりたい?と自問してみても、防音がしっかりしたスタジオを作りたい、くらいしか思いつかないし。大邸宅の広い庭も芝生も植え込みも高級犬も、きっとぼくにはうまくなじめないだろうなー。や、犬は性格が良ければいいか。シロガネーゼたちはシロガネーゼたちで、きっといろいろ悩んだり苦労したりしているんだろうね。厳しくてプライドの高い一族だと、きっと嫁姑なんてたいへんだろうね。それとも、苦労もトラブルも、ぼくなんかには想像もつかないようなことなのかも知れない。ベンツ。レンジローバー。ぼくには一生かかっても手に入れられないモノをなんの苦労もなく手にしている人たち。でも、たとえばぼくが学生時代に食費を削って買ったギブソンのギターとどっちがいい?と聞かれたら、ぼくは迷わずギターを取る。物質の価値は交換可能だけど、それをめぐる気持ちや思い入れは交換できない。ましてや、われわれはひととひととの出会いの中で成長していける。白金台に住む人びとと自分を比較してどっちが良い生き方かなんて誰にも分からない。われわれの人生が交換不可能なように、人生の価値もまた交換不可能なんだ。
それにしても、世の中にはこういう世界が実在して、こういう人たちが実在しているんですね。いやいや白金台。おもしろかった。つかの間の非日常体験でした。
また機会があったら行ってみようっと。今度は高級犬の知識も仕入れてね。

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2004年11月 2日 (火)

帰ってきました

旅行から帰ってきました。
東京で一泊、箱根で一泊というコンパクトな日程ながらも、充実した旅行でした。あいにく天気はあまり良くなかったけれど、最終日は良く晴れて気持ちのいい一日だったし、言うことなし。
今回は車を使わず、電車とバスと徒歩の旅行でした。いやーふだんクルマになれきっているから、たまに歩くとハードですね。でも、徒歩で道を進んで、ゆっくり景色が変わって行くのを見るのは楽しいね。クルマだと一瞬で通り過ぎていってしまう風景も、歩く速さだとじんわりこころに染みこんでいく。や、でも疲れたね。明日はゆっくり旅の疲れを取って、あさってからまた仕事だ!
旅は良いね。少しだけタフになったような気がします。

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