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2004年10月16日 (土)

ミーティングで気づくもの

朝からとっても寒い一日でした。ほんと、11月末か12月くらいの寒さ。雪が降る前の底冷えのする寒さ。日中になったら少しは暖かくなるかと思ったら、あまり変わらず。そんな寒さの中、職場の運動会だったのでした。朝から開始してほぼ夕方までのまるいちにち。ほかの職員は一日出勤の扱いになってほかに振り替えの休日がもらえるけれど、うちの部署は関係なし。例の年上の同僚はだれにも言わずに欠勤しておりました。やれやれ。
底冷えのする寒さの中の運動会はちぃとばかしきつかったけれど、屋外で身体を動かすのは楽しかったですね。最初はさめた感じで参加していた職員も、最後はノリノリでした。それを見ているこっちも楽しく、浮き浮きした気持ちになってくる。こういう感覚はひとりで黙々とトレーニング室で運動していても味わえない。良い感じです。
で、終了後すぐに帰宅してぼーっとネットを見ていたら、あっと言う間にミーティングに行く時間。普段だったらなんも難しいことはなくすっとミーティングに行けるんだけど。きょうはなぜか身体が重くて重くて動かない。ミーティング開始1時間前。身体が動かない!ダメだ、もうちょっと様子を見るか・・・。45分前。まだ身体が動かない。うーんうーん。と、とりあえずたばこを一服・・・。40分前。行かないと間に合わない!やっとこさコタツからはい出しクルマに乗り込む。ミーティングに行くのがおっくうに感じることって、ここ最近なかったこと。どうしたことか。
で、ミーティング。今日のテーマは「無力」。AA(Alcoholics Anonymous)のキーワードのひとつだ。仲間のひとりがこんなことを言っていた。「無力と無気力は違う」なるほど・・・。無力無力とそればかりこだわってくると無気力になってくる時期がある。そうかも知れない。ぼくは、ぼくたちはアルコールに対して無力だ。そしてほかのいろんなことに対しても無力なことが多い。でも無力を認めたから、完全な敗北を認めたからこそぼくたちは新しい力と希望を手に入れることができた。無力を認めることは、けっして怠惰や無気力を肯定することじゃない。むしろ無力を認めたから意志と命の方向性がはっきりと見えるようになった。力をもらった。成長する力を。だるくても気乗りしなくっても、やはり仲間に会い続けよう。自分がみじめに感じるとき、孤独がつらいとき、身体がだるいとき、そう言うときこそミーティングに行って仲間に会い続けなくっちゃ。だって、そこで仲間の言葉を通して気づくもの、感じるものこそがそのときの自分にとって必要なものなんだから。さもなくばもっともっと孤独になっていく。だるくなっていく。ミーティングで気づきをもらって、ぼくたちは成長していくんだ。
それにしてもフォークダンスのかけ声「ヤクシー!」ってどういうイミなんだろ。「タタロチカ」とか言う曲なんだが。んん、「ペレストロイカ」だったかも・・・・。

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