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2004年9月 5日 (日)

液晶TVをめぐる考察

同じ市の中にぼくの実家はある。アパートから車で15分くらいのところだ。で、その実家に妹が出産のために里帰りしているので、顔を見てきた。
久しぶりに会う妹は出産前にも関わらず、とても元気そうだった。ミーティングが終わったあとだったので、3歳になる姪っ子はもう休んでいた。
で、妹と少し話をした。
とくにどうと言うこともない、いとこの誰ちゃんがどうしているとかおじさんはどうだとか、たわいもない親族の動向の話。
で、ちょっと驚いたことが。
いとこのひとり、ぼくより6歳くらい年下の女性。彼女は一昨年に結婚した。ちょっといろいろあったひとなんだけど、まぁめでたい話だ。相手は年下のエリートサラリーマン。親戚には少し名の通った作家もいて、結婚式ではぼくの両親や妹もサインをもらってきたそうな。写真を見せてもらった。良く日に焼けた誠実そうなスポーツマン、と言う感じだった。ぼくの親族の場合、男のいとこの結婚式には男が、女のいとこの結婚式には女が出席する決まりになっている。だからぼくは出席しなかったんだけど、文句の付けようのない男性だった。
華やいだ家系、申し分のない学歴、職歴。年下でハンサムで誠実なスポーツマン。
去年子供が生まれたそうだ。ぼくは知らなかった。いや、聞いていたけど憶えていないだけなのか。
で、妹が先日、その夫婦のところに遊びに行ってきたそう。
これがもう、その家庭を実にうらやましそうに話すのだ。
シーだのランドだのの某巨大遊園地のある市に新築のマンションを購入して、高層階に住んでいる、とか。巨大な液晶TVを持っているとか。夫というひとの会社がどれだけ業績を上げていて名の通った会社であるだとか。要するに、彼女とその夫が、いかに物質的に恵まれているかをエンエンと話すのだ。そして、とくにその巨大液晶TVについて、じつにうらやましそうに話すのだ。これが。
おお、妹よ。我が妹よ・・・・。
「あのなー。そんなもん、うらやましがったってしょうがないでしょう。よそはよそだよ」
「だってびっくりしたんだもん。すごかったんだよー液晶TV。いいなーいいなー」
ふだんAAの世界にどっぷりと浸かっているせいか、物質的なものがうらやましい、と言う考えがほとんどなかった。だから、妹のヒジョーにロコツな、あるイミ正直な物質に対するあこがれを聞かされて、ちょっとおどろいた。
そりゃあぼくだって、欲しいったら欲しいですよ、大型液晶TV。もっと性能の良いパソコンも欲しいし、信号待ちでとなりに並んだクルマが若い男性の運転するBMWだったりすると「くそっ」と思う。隣にイケイケ風(死語ですね)のエロっちい女性が乗っていたりすると「こんにゃろ」と思う。その女性のバッグがヴィトンだとさらに「こんちくしょう」と思う。いちゃいちゃしていたりすると「降りてってドアを蹴飛ばしてやろうか」と思う。や、うそうそ。そんなことはしません。
でもそう言う気持ちになったとしても、それは一瞬の感情だ。相手と自分を比べてどっちが上か下かと考えたりはしない。液晶TVが家にあっても、仕事が忙しくってほとんど見るヒマがないのかも知れない。BMWを転がしてても失業中かも知れない。ぼくの知っている範疇では、裕福で見た目が華やかそうな家庭ほど実情はかなりたいへん、と言う場合が多い。いや、たとえ仕事も楽ショーでBMWも液晶TVも多いにエンジョイしていたとしても、それはよその人のしあわせ。自分には自分の目標やしあわせや達成感がある。それは交換不可能なものなんだ。
AAにつながって以来、だんだんそんな考え方をするようになってきた。自分でも気がつかなかったけれど、妹と話していて気がついたんだ。AAにつながる前だったら、ぼくもいっしょにその大型液晶TVとそれに象徴される裕福な生活に羨望をいただいていただろう。そして「けっ、別にそんなもんうらやましくなんかないやい」といきがっていただろう。でもいまは、物質的なものをうらやましいという考えがない。シンプルに暮らしてておだやかに笑っている先ゆく仲間のその平穏な心持ちがうらやましい、自分にも欲しい、と思うことは良くあるけれど。
やっぱりね、モノはモノですよ。ただの物質。モノがこころを満たしてくれるワケじゃないもの。そう、酒がこころを満たしてくれなかったこと、酒で満たそうとすればするほどどんどん孤独になっていったこと、こころが乾いていったことを、われわれはみな良く知っている。それと同じで、モノも欲しがれば欲しがるほど、欲しがるという自我が膨らんでいく。もっともっと欲しくなる。モノがあふれればあふれるほどこころが干上がっていく。こころの渇きは酒でもモノでも満たせない。自分の気持ちと向き合って自我を収縮させないかぎり、欲しがるこころは膨らむばかりだと思う。
そう、自分の過ちの本質をありのままに認めること。性格上の欠点を取り除いてもらう準備にとりかかること。
こころが満たされていれば、液晶TVなんてどうでもいいやい。ほんとだよ。

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