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2004年9月29日 (水)

誰もぼくの絵を描けないだろう〜友部正人〜

発作的に聴きたくなる曲ってないですか?ふだんは耳にしなくてもどうと言うこともない曲。まったく忘れている曲。思い出しもしない曲。でも何かのきっかけで記憶の森の中からひょっこり飛びしてくると、居てもたってもいられなくなる曲。
ぼくにとって、友部正人というアーティストはまさしくそう言う存在だ。普段はプレイヤーにCDが乗ることもない。何ヶ月も忘れていることだってある。もちろん優秀なアーティストだ。良い曲だってたくさんある。でも、いまのぼくの日常とはなかなかクロスしない。でもいちど思い出すと曲が頭の中で回り出す。増殖し、止まらなくなる。

「誰もぼくの絵を描けないだろう。あの子はついにやってはこないだろう。ぼくの失敗はぼくだけのものさ」陰うつなマイナーコードで始まるこの曲を、ぼくは10代の終わりに何度聞いただろう。
「ウソは命のバロメーターさ。おしゃべりなカラスがそう言った」(おしゃべりなカラス)
感傷的なピアノをバックに歌われるこの曲を聴きながら、ぼくはエアコンも扇風機もない予備校の寮の窓から沈んでいく太陽を見つめ続けていた。なじみのブルース喫茶のマスターが録音してくれた友部正人のカセットテープが、ぼくの宝物だった。ぼくはウォークマンにそのカセットをとっかえひっかえ詰め込み、名古屋の町をうろつき回った。10代の終わりにたったひとりで見知らぬ町に放り出されたとき、友部正人のうたはぼくを慰め、同時にアクセレートしてくれた。ドアーズや遠藤ミチロウやジョニー・サンダース、ルー・リード。ぼくの中で、友部はそう言ったアーティストと同列だった。孤独と挑戦と感傷。不安と優しさと痛み。表現方法の違いこそあれ、それは孤独な少年期の終わりのこころにふかく突き刺さった。

いまも年に一回くらい、友部はぼくの町に来てライブを開く。
当時カセットテープから聞こえてきた歌声と少しも違わない声で。言葉少なに曲間の話をし、少しだけ体を揺らしながら直立不動で彼は歌う。ぼくは目を閉じ、彼の歌を聴く。世界と戦うように彼の歌を聴いていたころを思い返す。変わっていったものと変わらなかったものについて考える。通過していったものと通過してきたものについて思う。彼が歌ってきたこと。ぼくが歌いたかったこと。あしたからはまたいつもの日常に戻っていく。日常の中に埋もれていく。それでもぼくの中には彼の歌が手つかずのまま眠っている。そうそれは、次に揺り起こされるまで、ずっとぼくの中に手つかずのままなんだ。

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