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2004年9月27日 (月)

芋煮会だったの

北に接する隣県まで、芋煮会に行ってきた。
隣県のAA(Alcoholics Anonymous)グループの行事で、ぼくは今回初参加だ。
前から行きたかったんだけど、日程がなかなか合わないために実現できず。今回、ほんとうに偶然に日程があいて参加できた。
芋煮会。秋の風物詩。気持ちの良い秋晴れの下、あちこちに上がるかまどの煙。
軍手でまきをくべ、火加減を操る男たち。色とりどりの具材や肉を大鍋に投入し、調味料で味を調える女たち。盛大な火力で大鍋を煮立て、大きな木のふたでうまみを閉じこめる。出来上がったら煮え立てをふぅふぅ言いながら口に放り込む。肉のうまみと野菜の食感が豪快に混ざり合う。おお、ザッツ芋煮会!!書いてるだけでよだれが滝のように!!
そう言えば、芋煮会ってわりにローカルな風習だったんですね。
知らなかった。日本中、どこでもやっていることだとばかり思っていた。ぼくの住んでいるエリアでは子供のころから芋煮会の洗礼を受けて育つのがふつうだ。小学校や幼稚園の秋の行事には必ず芋煮会が取り入れられている。運動会と並んで、ちょっとした会社や企業なら職場ぐるみで秋に芋煮会を開催する。町内会でもかならず開催される。大学生ならサークルでもクラスコンパでも合コンでも、かならず。かーなーらーずー芋煮会を行う。位置づけとしては「花見」に近いかもしれない。いや、お花見はただ公園のさくらの下で宴を開くだけ。芋煮会は自分たちで火をおこし、具材を切り刻み、味を付け、食べ、片づける。より積極的かつ能動的、参加性の高いイベントなのだ。ぼく自身、花見と言われても「ああそうですか。お花見ですか。よかったですね。そうですか。わかりました」とヒョーメン的なコメントしか浮かんでこない。しかーし!芋煮会と言われると、がぜん火がついてしまうのだ。そもそも、火をおこしたりアウトドアクッキングをしたりするのが嫌いな男性がいるのだろうか?ま、片づけは面倒くさいですが。。。。
と言うワケで芋煮会。その名を聞くだけで血がたぎる芋煮会。その名を口にするだけで気を失いかける芋煮会。その名をワープロで打つだけで発狂しかける芋煮会。その名をささやくだけでトリップしそうになる芋煮会。しつこい?すんません。
いやー、隣県の芋煮会、さすが本場だけあってたいへん美味しかったス。まず具材や味付けがぼくの近辺と全く違うことに驚いた。カオルエリアでは「豚肉、みそ仕立て」が基本。さらに具は白菜、ゴボウ、大根、にんじん、ネギ、油揚げ、豆腐、里芋、と言った布陣。ま、はっきり言えば豚汁ですね。
ところが隣県のは根底から違う。「牛肉、砂糖醤油仕立て」がベースのようだ。そして具材はごちゃごちゃと何種類も入れたりしない。山ほどの里芋。ネギ少量。マイタケ少量。大根少量。せいぜいそんなものだ。砂糖醤油の牛肉は、どことなくすき焼き風の香り。しかしすき焼きほどこってりとくどくなく、あくまであっさり。決して里芋の存在をじゃましない。そう、本場の芋煮会の主役はあくまで「芋」なのだ。芋を食べるのが芋煮会なのだ。
などと一人でぶつぶつと理屈をこねながら、お代わりを食す。いい加減おなかがいっぱいになってきたころ、ショッキングな出来事が!!
「うどん追加しましたので皆さん召し上がってくださーい」ががーんっ!!
ま、まさかうどんを投入するとは。。。。。まさに驚天動地!打った魂が消えると書いて打っ魂消ると読むがごとし!!くどいようだが、カオルローカルではそのような風習はない。豚汁風の芋煮におにぎり。これがワールドスタンダードだと思いこんでいた。世界の中心だと思っていた。世界の中心で芋煮会をさけぶ。まさか最後にうどんが登場するなど予想だにしなかった。
不覚なり。。。。胃袋、うどんの分スペースを空けておくのを怠ったわい・・・・ぬかったわ・・・・。

そのほかにも仲間が調理してくれた新鮮なサンマのお刺身(カルパッチョ風)、サンマのムニエル、玉こんにゃく、手作りクッキーや手作りチョコレートケーキ、珍しいまん丸のナス(名前聞いたけど忘れちゃった)のからい漬け物、などなど、ほんとうに豪勢なお料理の数々を振る舞っていただいたのでした。料理も片づけもちゃんと手伝ってこよう!と張り切ってタオル持参で行ったのですが、ほとんど手を出すヒマもなし。初対面の仲間と話をしたり、楽しいひとときを過ごしたのでした。ほんと、感謝しています。隣県の仲間、ありがとうね。

それにしても、考えてみたらおかしな世界だ。
ぼくは彼らのほとんどを、本名も知らなければ実生活でどんなことをしている人なのかも知らない。それなのに、お互いがどこでどんな風に飲んできたのか、どれほどつらくみじめな思いをしてきたのか、誰よりもよく知っている。ひょっとしたら家族よりも。いまどんな気持ちで何を考え、どんな生き方をしているのかを知っている。
彼らも、ぼくの本名を知らない。けれど、ぼくが誰にも打ち明けられなかったことを彼らは知っている。ぼくたちは輪になって座り、ひとりずつ自分の話をする。質問も批判もしない。意見も言わない。ただひとりずつ自分の話をするだけだ。必要なものは自分に正直になる能力だけ。仲間の話に素直に耳を傾け、素直に自分の話をする、その能力だけ。学歴。知能指数。社会的ステイタス。そんなものの有無はいっさい関係ない。そしてそこから生まれる力がどれほど大きなものか、当初ぼくには予想もつかないものだった。

仲間に会い続けること。そこから得るものを忘れないこと。

・・・しかし、高速の上り下りを間違えたのには参ったなぁ・・・。

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コメント

芋煮会!いも!IMO!いいですね、じゅるるぅ~(いきなりすみません;)私やった事ありません(東京者です。風習が無いのかな)。
それって、芋好きのわたくしとしてはたまらない情景です。
ただでさえ好きな芋を、みんなでつくって食べる!いいなぁ。

私も文化祭やなんかに積極的に関わる奴ではなかったので、今になって「どうして楽しんでおかなかったんだろう」と後悔する事があります。
でも、大人になってからでも、そういう楽しい体験はできるんですね。

私は今、グループ心理療法に参加するかどうかで迷っています。
カオルさんが書いておられるAAと、グループ療法は何がどれくらい違うのか分からないのですが、「集団で何かする」というのは自分独りでは打開できないものを打ち破ってくれそうな気がしています。
しかし、見知らぬ他人に自分の暗い面を知られるのは苦痛な気もしています。
受けるかどうか、迷っています・・・。悩んでないで、飛び込んでしまった方がいいのかもしれませんね。

投稿: 白はたや | 2004年9月28日 (火) 04:24

芋煮会、いいですよぉ〜♪青空の下で熱い芋煮をすするのは人生の醍醐味のひとつと言って過言ではないと思います。10月には市内のAAグループで芋煮会があるんですけど、仕事で参加できず。ああ〜〜!!大人になってからでも、楽しいことはいっぱいあります。自分の場合はアルコールで人間関係が途絶えきっていたので、社会人になってからもあんまり楽しいことはありませんでした。でもAAの中で人付き合いの楽しさをようやく知った思いです。ま、ひとの集まりですから、腹の立つこともないわけではないですが・・・。グループ療法、白はたやさんが迷う気持ち、分かります。AAもグループの構成メンバーによってけっこう雰囲気がちがいますし。何はともあれ、白はたやさんの人生に良きことがいっぱい起こりますように。

投稿: カオル | 2004年9月29日 (水) 21:40

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