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2004年9月23日 (木)

ネットのアル中

ネットでなにがしかの表現活動をしているアル中はどのくらいいるんだろう?
何となく気になって調べてみた。
AA(Alcoholics Anonymous)について書かれたブログはないだろうか。
もしもAAメンバーやアルコール依存症本人でブログをやっている人がいるのなら、ぜひトラックバックしたい。
させていただきたい。していただきたい。ぜひぜひ。
と言うことで、未来検索というブログ検索サイトで調べてみた。
検索キーワードを「アルコール依存症」に設定。おお、けっこうたくさんヒットする。が、そのほとんどは「両親がアル中だった」「アルコール依存症をテーマにした本や映画の感想」などだ。何件かアル中本人とおぼしきサイトも見つかるには見つかったが、文章があまりにも散漫で、どういう飲み方をしてきていま現在はどういう状態なのか、かいもく見当がつかない。少なくとも自助グループのメンバーではなさそうだ。
次に「AA」で検索。これはヒットが多すぎてペケ。さらに「Alcoholics」で検索。8件しかヒットがない。8件とも見てみるがアル中本人はいなさそう。いや、一人だけいたけど、やっぱり内容が散漫だ。
なんだかんだと2時間近く検索してみたが、やっぱりAAメンバーのブログは発見できなかった。
それはまぁ予想通りなんだけど、「アル中」や「アルコール依存症」から浮上してきた文章は、陰鬱なものが多かった。家族がアルコール依存症でひどい虐待を受けてきたとか、クロスアディクションで摂食もアルコールもリストカットも止まらない、とか。
たしかに深刻な病気だ。一生治らない。ふつうの人と同じように酒を飲めることは死ぬまでない。何年お酒を飲まないでいようと、次に飲み始めたときには、過去の最悪の飲酒のつづきが始まる。そしてその先には確実に死が待っている。周囲の人間を巻き添えにしながら、家族や伴侶を道連れに地獄へまっしぐらだ。
が、これほど素晴らしい回復ができる病気もまたないと思う。しっかり回復しているAAメンバーには、人間的に尊敬できる人が大勢いる。謙虚で紳士的でおだやかなひとたち。他人を見下さず共感を忘れないひとたち。くつろいだ雰囲気でユーモアにあふれたひとたち。じっさいAA発祥の地アメリカでは、AAメンバーであることは社会的なステイタスですらあると言う。「隣のスーザンはAAメンバーなんだって」と言うとき、それは隣人は安心できる人間だ、ということを言っているのだそうだ。常に酒瓶を手にした狂人、ではなく。
ぼくはだれかに尊敬して欲しいなど、これっぽっちも思わない。けど「アル中」でヒットするサイトを見ていると、回復のイメージがあまりにも欠落していることに気がつく。酒をコントロールできない。苦しい。暴力をふるった、ふるわれた。傷つけた、傷つけられた。自分がアル中のワケがない。アル中だと認めてしまったら、自分もあのみじめな連中の仲間入りだ。
それはもちろん、まぎれもなくアルコール依存症の一面だ。ぼく自身そう言うことを山のようにやってきたし、やられたし、感じてきた。
でも、アルコール依存症のもう一方の側面-回復可能であり、飲んでいたころよりも成長できると言うこと-を、ほとんどのひとは知らないのだと思う。ネガティブな側の知識だけで思考し、判断する。ブログを書く。それをほかの誰かが読む。そのことによって、悲しみ、怒り、傷、絶望、孤独、そう言ったネガティブな感情が再生産されていく。増幅し拡散していく。
飲まない生き方を身につけると言うことは、成長の道を歩き始めると言うことだ。酒をやめるのはほんの始まりに過ぎない。ぼくたちはそこから始めて、飲んで失ったもの、身につけることができなかったことを取り戻していくんだ。それがAAで言うところの「回復」だと思う。幸せな家庭、安定した地位や収入。そう言った物質的なものを得るのも回復かも知れない。でもそれ以上にぼくたちは、謙虚さ、愛情、相手の立場に立って考えること、思いやり、共感、温かみ、そう言ったものが欠落していた。あたたかい感情が。やさしい気持ちが。いつも自分の満たされなさだけを声高に叫び、人の求めに応えることは二の次だった。
ぼくは、ぼくたちは、いまこそそれを取り戻しに行くんだ。それはドキドキするような素敵なことの連続だ。

と言うことで、このノーテンキなブログはノーテンキに続けます。
ひょっとしオレ、てAAメンバー初のブロガーか?わーい!わーい!!
それにしても、このサイトはアルコール関連のキーワードで検索してもヒットしなかった・・・ナゼ?!

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コメント

はじめまして。白はたやと申します。
カオルさんがこのブログを始められたころから読ませていただいています。

私自身は月に1~2度しかお酒を飲みませんが、母方の祖父がアルコール依存症でした。母は養女で、祖父とは血がつながっていませんでした。私たち一家は80歳で祖父が他界するまで一緒に暮らしてきました。祖父は若い頃精神病院にも入ったことがあるそうです。
母は祖父に苦労させられたようですが、私にとって祖父はけっこういいおじいちゃんでした。飲酒は生涯していて、たまに飲むとわけがわからなくなっていましたが、飲まない普段は優しい感じでした。
親戚にはもう一人大酒飲みのおじさんがいて(依存症だったかははっきり聞いていませんが)、お正月などのイベント時は、祖父と一緒にベロベロになっていました。そのおじさんも、気のいい人でした。

何が言いたいのかというと、依存症だからといって人間としてダメ、みたいな考えは、私は嫌いだという事です。それなので、今回のカオルさんの記事はよく解る気がしました。カオルさんは、回復した依存症の方の話をしていらっしゃるのかもしれませんが、はっきり回復していなくても、それなりに周囲の人から愛される人はいると思うのです。

祖父も親戚のおじさんも、仕事はきちんとしていて、ギャンブルや借金などには手を出さなかったので、私の認識は甘いのかもしれません。いい所を見過ぎているのかもしれませんが、病気を一つ抱えただけで人間として否定的に見るのはどうかと思います。という私も、現在「統合失調症」と診断され精神科に通院中の身です。病気を抱えながらでも豊かに生きていける、そう思いたいです。

・・・ちょっと話題がずれたでしょうか・・・すみません。いつも見させていただいているブログなので、コメントがしてみたかったのでした。

投稿: 白はたや | 2004年9月27日 (月) 13:24

はじめまして、白はたやさん。身内以外でこのサイトを見てくれている人がいるなんていまだに信じられない思いです。ありがとうございます。
そうなんですよ、アル中ってなぜだか知らないけれど、まわりから愛情を注がれる人が多いんですよ〜。どこか寂しげだったりほっとけない感じがしたり、飲んでいないときにはむちゃむちゃいい人だったり。それがかえって治療に結びつかない原因のひとつになっていたりもするようです。白はたやさんがおじいさんを良い印象で記憶されているのはさいわいです。世の中の偏見のひとつから自由でいられているのですから。偏見というのは、時にきついものです。ぼくもしんどい思いを何度もしてきました。でもぼくはAAにつながって、豊かに生きることができるんだと言うことを知りました。白はたやさんが言われるとおり、病気を抱えながらでも生きていける。いやむしろ、病気になるまでは持てなかった優しさを持てる。共感する力を持てる。ぼくはそんな風に思います。
また書き込みしてくださいね〜。白はたやさんのブログにも寄らせていただきまーす!

投稿: カオル | 2004年9月27日 (月) 22:02

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