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2004年9月30日 (木)

9月の終わり

9月が今日で終わる。9月というと夏の終わりであり、秋の始まり。一年で一番さわやかな季節だ。アースウィンド&ファイアのSeptemberという名曲もある。しかし今年は、9月という季節を感じることがなーんにもなかった。ぼやーっとしていたら9月が終わっていた。ラウンドアップをやったり芋煮会に行ったり楽しく過ごしていたら終わってしまった。ううむ・・・。困った・・・。別に困らないか・・・。
ほんとうならもっとびゃーっと曲を作ってびょーっと録音してぴゃーっとCDに落としたりする予定であった。メンバーを集めてスタジオに入ったりするつもりであった。「お、キミ才能あるねー」なんて言われてたまたま出演したテレビ番組から火がついてみるみる話題になり、気がついたら「ふたりのビッグショー」に出演したりホテルオークラで6万円のディナーショーを開いたりしている。結婚披露宴みたいな衣装で「ラブミーテンダー」なんか歌っちゃっている。右手にマイク、左手は手のひらを天井に向けて目を潤ませながら中空を見つめ、これ見よがしに朗々と歌い上げる。あ、アンコールですか。ありがとうございます。バンドの皆さん、マイウェイ追加でよろしく。♪いまぁ〜〜〜〜船出がぁ〜〜〜♪(←もちろん日本語版。リバーブびろびろ)
そう言う予定であった。
それが、予定の半分も行かなかった。て言うか1パーセントくらいしか進まなかった。ううむ。。。

やっぱねー。時間がないのよ時間が。だって、CUBASEでタイムストレッチの操作ひとつ覚えるのにも1時間くらいかかっているんだもの。そもそもじっくり音楽制作に取り組む時間がない。ミーティングから帰ってきて洗濯物をたたんでご飯を作って食べてお茶飲んで一息ついて、メールチェックして返事書いてオークションの推移を見て・・・とやっているとあっという間に0時ごろになってしまう。
イカンね。
空いた時間がないからできない、ではなく、時間は作るものだよね。
うぉーし今日からさっそく、ギターのトレーニングとDAW操作の時間を取るぞー!でもプライベートは予定が詰まっているから仕事中にDAW操作をするのだっ!!シュートクするのだっ!!!うわはははははっっ!!!えっ?人としてまちがっている?!ご、ごめんなさい・・・・。

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2004年9月29日 (水)

誰もぼくの絵を描けないだろう〜友部正人〜

発作的に聴きたくなる曲ってないですか?ふだんは耳にしなくてもどうと言うこともない曲。まったく忘れている曲。思い出しもしない曲。でも何かのきっかけで記憶の森の中からひょっこり飛びしてくると、居てもたってもいられなくなる曲。
ぼくにとって、友部正人というアーティストはまさしくそう言う存在だ。普段はプレイヤーにCDが乗ることもない。何ヶ月も忘れていることだってある。もちろん優秀なアーティストだ。良い曲だってたくさんある。でも、いまのぼくの日常とはなかなかクロスしない。でもいちど思い出すと曲が頭の中で回り出す。増殖し、止まらなくなる。

「誰もぼくの絵を描けないだろう。あの子はついにやってはこないだろう。ぼくの失敗はぼくだけのものさ」陰うつなマイナーコードで始まるこの曲を、ぼくは10代の終わりに何度聞いただろう。
「ウソは命のバロメーターさ。おしゃべりなカラスがそう言った」(おしゃべりなカラス)
感傷的なピアノをバックに歌われるこの曲を聴きながら、ぼくはエアコンも扇風機もない予備校の寮の窓から沈んでいく太陽を見つめ続けていた。なじみのブルース喫茶のマスターが録音してくれた友部正人のカセットテープが、ぼくの宝物だった。ぼくはウォークマンにそのカセットをとっかえひっかえ詰め込み、名古屋の町をうろつき回った。10代の終わりにたったひとりで見知らぬ町に放り出されたとき、友部正人のうたはぼくを慰め、同時にアクセレートしてくれた。ドアーズや遠藤ミチロウやジョニー・サンダース、ルー・リード。ぼくの中で、友部はそう言ったアーティストと同列だった。孤独と挑戦と感傷。不安と優しさと痛み。表現方法の違いこそあれ、それは孤独な少年期の終わりのこころにふかく突き刺さった。

いまも年に一回くらい、友部はぼくの町に来てライブを開く。
当時カセットテープから聞こえてきた歌声と少しも違わない声で。言葉少なに曲間の話をし、少しだけ体を揺らしながら直立不動で彼は歌う。ぼくは目を閉じ、彼の歌を聴く。世界と戦うように彼の歌を聴いていたころを思い返す。変わっていったものと変わらなかったものについて考える。通過していったものと通過してきたものについて思う。彼が歌ってきたこと。ぼくが歌いたかったこと。あしたからはまたいつもの日常に戻っていく。日常の中に埋もれていく。それでもぼくの中には彼の歌が手つかずのまま眠っている。そうそれは、次に揺り起こされるまで、ずっとぼくの中に手つかずのままなんだ。

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2004年9月28日 (火)

シンプルに暮らす

だんだん荷物が増えてきた。
いまのアパートに引っ越してきたときは「スゲー広い!」「これなら機材が増えたって大丈夫じゃん」「空間が余り過ぎたらどうしよう」と、余計な心配までしてたんだけど。いつの間にかチョー手狭。
考えてみたら結婚時代からの荷物がでかい。
4人掛けのテーブル。大型の冷蔵庫。それに加えて、一時期調子に乗って作った金属製の大型ラックが4つ。ああ、実に大型ラックが4つもあるのだ。
本棚がふたつ。ソファがひとつ。ベッド。そして。そして。そして。
ギターアンプとギターの数々・・・・。ああ・・・。
ギターとギターアンプをイッコずつ丁寧に弾き込んでいる時間があるはずもなく、大半は休眠中。
て言うか近ごろはパソコンのUSB端子にオーディオインターフェイスを通してギターを突っ込んで、パソコン内でエフェクターをかましてCUBASEで録音できるようにしてあるから、あえてギターアンプから音を出す必然性がないんですね。あああ・・・。
でも学生時代、欲しくて欲しくてたまんなかったんだよねー。
VOXのAC-30。ビートルズのギターアンプ。て言うか、ぼくにとってはブランキー・ジェット・シティのギターの音。30ワットと出力こそ低いけれど、その音圧と分厚いギターサウンドは、まさに「不良が鳴らすロックギター」そのもの。
しかし。たいがいのビンテージ物のアイテムがそうであるように、欠点も多い。
でかい。
重い。
アンプ本来の音を出すには、かなりボリュームを上げないといけない。小さな音だとみすぼらしい。ボリュームつまみを半分よりも上に回さないと生き生きした音が出てこない。そう言うアンプをミーティングが終わって帰宅してから音を出すのは、かなり決心が要る。勇気が要る。や、勇気の問題じゃないですか。すみません。
重さだって、カタログで見てみたら34.4kgもある。小学生の女の子くらいの重さだ。そういや、あまりにも重たいので職場のクリスマスのバンド演奏でも持って行かなかった記憶がある。玄関に持って行こうとしただけで腕がもげそうでした。アイアム虚弱。
とにかく、そういった機材やモノがとにかく多い。ギターも機材も、「思い出が染み込んでいる」ものだから、使わないからといってすぐに売り払ってしまうわけにもいかない。
でもねー。
さすがに考えますよ。
「こりゃ、オレの生き方そのものじゃないか?」って。使わないモノがいっぱいある。そのくせ捨てられない。自分でも処分すべきなのか使うべきなのか決められずに、どんどん溜まっていく。そして見た目にも空間的にも精神的にも、圧迫していく。有効なスペースが狭くなっていく。そして新しいモノがまた欲しくなる。
使わないモノは、思い切って処分しちゃおう。思い出の品は、最低限のモノだけにしよう。思い出はモノではなく、こころのなかにあるんだから。
欲望のままにモノを増やすのはやめよう。いま手元にあるモノを大切に使おう。
AAの言うシンプルさって、こう言うところにも現れてくるんだと思う。
シンプルに暮らしたい。たとえいまのギターやギターアンプが減らなくても(その可能性の方がおおきいけど)、もうこれ以上増やさないようにしよう。いまの機材で限界を感じたら、そのときに不要なものを処分して新しいものと置き換えればいい。
シンプルに暮らしたいものです。

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2004年9月27日 (月)

頭から離れない曲

時々書き込みをしてくださる、otamaさんのサイトに寄ってみました。
一体どうなんでしょう
おもしろい・・・なんか通っぽいネタが多い・・・・ハイソなかほり・・・・。
とくに、頭の中から離れない曲、と言うのがおもしろかったです。
きみのためなら死ねる 公式サイト
何かゲームの音楽のようだけど、公式サイトを見てもゼンゼン何のこっちゃか分からず。どういうゲームなんだ、これ?だいたいニンテンドーDSなんて未知のゲームマシン、想像つかないって。
ぬぬぬぬぬぬぬぬ・・・・歌詞のないヘンなコーラスがエンエン続くこの曲。
早めに頭から追い出さないと、住みついてしまうかも。困った困った。や、別に困ることはないのですが。

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芋煮会だったの

北に接する隣県まで、芋煮会に行ってきた。
隣県のAA(Alcoholics Anonymous)グループの行事で、ぼくは今回初参加だ。
前から行きたかったんだけど、日程がなかなか合わないために実現できず。今回、ほんとうに偶然に日程があいて参加できた。
芋煮会。秋の風物詩。気持ちの良い秋晴れの下、あちこちに上がるかまどの煙。
軍手でまきをくべ、火加減を操る男たち。色とりどりの具材や肉を大鍋に投入し、調味料で味を調える女たち。盛大な火力で大鍋を煮立て、大きな木のふたでうまみを閉じこめる。出来上がったら煮え立てをふぅふぅ言いながら口に放り込む。肉のうまみと野菜の食感が豪快に混ざり合う。おお、ザッツ芋煮会!!書いてるだけでよだれが滝のように!!
そう言えば、芋煮会ってわりにローカルな風習だったんですね。
知らなかった。日本中、どこでもやっていることだとばかり思っていた。ぼくの住んでいるエリアでは子供のころから芋煮会の洗礼を受けて育つのがふつうだ。小学校や幼稚園の秋の行事には必ず芋煮会が取り入れられている。運動会と並んで、ちょっとした会社や企業なら職場ぐるみで秋に芋煮会を開催する。町内会でもかならず開催される。大学生ならサークルでもクラスコンパでも合コンでも、かならず。かーなーらーずー芋煮会を行う。位置づけとしては「花見」に近いかもしれない。いや、お花見はただ公園のさくらの下で宴を開くだけ。芋煮会は自分たちで火をおこし、具材を切り刻み、味を付け、食べ、片づける。より積極的かつ能動的、参加性の高いイベントなのだ。ぼく自身、花見と言われても「ああそうですか。お花見ですか。よかったですね。そうですか。わかりました」とヒョーメン的なコメントしか浮かんでこない。しかーし!芋煮会と言われると、がぜん火がついてしまうのだ。そもそも、火をおこしたりアウトドアクッキングをしたりするのが嫌いな男性がいるのだろうか?ま、片づけは面倒くさいですが。。。。
と言うワケで芋煮会。その名を聞くだけで血がたぎる芋煮会。その名を口にするだけで気を失いかける芋煮会。その名をワープロで打つだけで発狂しかける芋煮会。その名をささやくだけでトリップしそうになる芋煮会。しつこい?すんません。
いやー、隣県の芋煮会、さすが本場だけあってたいへん美味しかったス。まず具材や味付けがぼくの近辺と全く違うことに驚いた。カオルエリアでは「豚肉、みそ仕立て」が基本。さらに具は白菜、ゴボウ、大根、にんじん、ネギ、油揚げ、豆腐、里芋、と言った布陣。ま、はっきり言えば豚汁ですね。
ところが隣県のは根底から違う。「牛肉、砂糖醤油仕立て」がベースのようだ。そして具材はごちゃごちゃと何種類も入れたりしない。山ほどの里芋。ネギ少量。マイタケ少量。大根少量。せいぜいそんなものだ。砂糖醤油の牛肉は、どことなくすき焼き風の香り。しかしすき焼きほどこってりとくどくなく、あくまであっさり。決して里芋の存在をじゃましない。そう、本場の芋煮会の主役はあくまで「芋」なのだ。芋を食べるのが芋煮会なのだ。
などと一人でぶつぶつと理屈をこねながら、お代わりを食す。いい加減おなかがいっぱいになってきたころ、ショッキングな出来事が!!
「うどん追加しましたので皆さん召し上がってくださーい」ががーんっ!!
ま、まさかうどんを投入するとは。。。。。まさに驚天動地!打った魂が消えると書いて打っ魂消ると読むがごとし!!くどいようだが、カオルローカルではそのような風習はない。豚汁風の芋煮におにぎり。これがワールドスタンダードだと思いこんでいた。世界の中心だと思っていた。世界の中心で芋煮会をさけぶ。まさか最後にうどんが登場するなど予想だにしなかった。
不覚なり。。。。胃袋、うどんの分スペースを空けておくのを怠ったわい・・・・ぬかったわ・・・・。

そのほかにも仲間が調理してくれた新鮮なサンマのお刺身(カルパッチョ風)、サンマのムニエル、玉こんにゃく、手作りクッキーや手作りチョコレートケーキ、珍しいまん丸のナス(名前聞いたけど忘れちゃった)のからい漬け物、などなど、ほんとうに豪勢なお料理の数々を振る舞っていただいたのでした。料理も片づけもちゃんと手伝ってこよう!と張り切ってタオル持参で行ったのですが、ほとんど手を出すヒマもなし。初対面の仲間と話をしたり、楽しいひとときを過ごしたのでした。ほんと、感謝しています。隣県の仲間、ありがとうね。

それにしても、考えてみたらおかしな世界だ。
ぼくは彼らのほとんどを、本名も知らなければ実生活でどんなことをしている人なのかも知らない。それなのに、お互いがどこでどんな風に飲んできたのか、どれほどつらくみじめな思いをしてきたのか、誰よりもよく知っている。ひょっとしたら家族よりも。いまどんな気持ちで何を考え、どんな生き方をしているのかを知っている。
彼らも、ぼくの本名を知らない。けれど、ぼくが誰にも打ち明けられなかったことを彼らは知っている。ぼくたちは輪になって座り、ひとりずつ自分の話をする。質問も批判もしない。意見も言わない。ただひとりずつ自分の話をするだけだ。必要なものは自分に正直になる能力だけ。仲間の話に素直に耳を傾け、素直に自分の話をする、その能力だけ。学歴。知能指数。社会的ステイタス。そんなものの有無はいっさい関係ない。そしてそこから生まれる力がどれほど大きなものか、当初ぼくには予想もつかないものだった。

仲間に会い続けること。そこから得るものを忘れないこと。

・・・しかし、高速の上り下りを間違えたのには参ったなぁ・・・。

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2004年9月26日 (日)

ファインディング・ニモ

そう言えば、ちょっと前のディズニーアニメ「ファインディング・ニモ」には、AA(Alcoholics Anonymous)のミーティングのパロディが登場するそうだ。こちらを参照。
字幕だけじゃわからない
何でも、魚を食べるのを止めて菜食の誓いを立てた鮫たちが集まって、ミーティングをする場面があるのだそうだ。
うーん、見てみたい・・・。
しかし、ディズニーアニメにも登場するなんて、よっぽどAAの認知度が高いんだね。日本で自助グループをギャグのネタにするなんて、きっと誰もやらないでしょう。ギャグにできるってことは、それだけ作り手の方もAAの心得がある、抵抗感が薄いってこと。知らないもの、正体不明のものは笑えないからね。
ギャグのネタになるくらい、AAの敷居が低い。そう言う世の中になってほしいものです。

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2004年9月25日 (土)

最後の実行委員会〜ぼくらはみんな生きている〜

AA(Alcoholics Anonymous)、わが地区のラウンドアップ。
その最後の実行委員会がありました。と言っても、もうイベントは終了しているのでまぁ反省会ですね。
お金の処理など事務的なことを決めて、あとはざっくばらんな意見交換をしてなごやかに終了。
良いラウンドアップだったし、良い実行委員会でした。
実行委員長という役割を通して、なんだか自分も成長できたような気がします。
また次の機会があったら、おそれずに役割を引き受けたいなと思いました。
みんな、また会おうね。

それにしてもこの雰囲気、なんだか文化祭に似ている。
始まるまでの、期待と不安ともどかしさが入り交じった気持ち。予想もしなかった事態が次々と襲いかかってきて途方に暮れる感じ。困難な事態をみんなでいっしょに乗り越えていく感じ。気持ちがひとつになっていく感じ。イベントが始まったときの高揚。何がなんだかわからないうちにあっという間に過ぎ去っていく感じ。終わったあとのすがすがしさ、寂しさとうれしさと自信がまぜこぜになった妙な気持ち。すこしせつない感じ。
考えてみたら、学生のころの文化祭には全然コミットしてこなかった。そう言うイベントに喜々としてコミットしている連中に反感と、そしてうらやましさを感じていた。自分はずっと蚊帳の外だった。
いまこうして文化祭みたいなイベントを作って、なんだか学生の時に手に入れられなかったことをやっと手に入れたような気がする。
仲間と何かを作り上げる感じ。高揚と一体感。
それはとてもすてきな感じなんだ。おお、これってまさに青春じゃないか。
学生の時間はとっくに終わってしまったけれど、いまこうして新しい生き方を手に入れている。その中で、ドキドキを感じられる。ノっている自分を感じる。そしてAAのノリは、これからもずっと続いていく。
生きているって、こういう気持ちなんだ。
ずっと知らなかった。
なにか温かいもので自分が満たされているのを感じる。優しいもので包まれているのを感じる。感じることができる。そう思っている自分に驚く。憎悪と孤独とアルコールの海の中では見つけられなかったなにか。
やっと見つかった。いまはそんな風に思える。
でも旅は終わらない。ぼくたちは成長していく。

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2004年9月24日 (金)

暑さ寒さも彼岸まで

暑さ寒さも彼岸までとは良く言ったもの。
いわゆるお彼岸とは、春分の日、秋分の日を中日にした7日間のことだそうな。確かに、きのうの秋分の日あたりから急に寒くなってきたものねー。職場でも風邪引きさんが続発。寒暖の差が激しい季節だからかな。
きのうは日勤。夕方まで職場、終わったらソッコーでプールにゴー!1時間ほどみっちり泳いできました。上がってきたら、くしゃみ連発。いやはや、風邪引くかと思いましたよ。
え?ジムはどうしたのかって?
ジム、近ごろ行ってませんねー。週に一度はプールかジムに行くようにしているんだけど、ジムの方はここしばらく、とんとご無沙汰。場所はプールよりも職場に近いんだけどね。寒くなってきたから、汗をかいた体で外に出たくないのです。もうすぐボードの季節になるから、そろそろ足腰を鍛えないといけないな、とは思うのですが。ジムにせよプールにせよ、冷えたり濡れたりすると風邪を引きやすくなりそう。
気をつけましょうね。
今日はこれから送別会。ぼくが入っている現場の男性スタッフが一名、今月いっぱいで退職するんです。まだ若いし(ぼくとほぼ同年代)時期も半端。でもなにかやりたいことがあって、どうしてもそれを実現したいのだそうだ。夢というのが何なのか分からない。けれど、前向きな行動ならぼくは応援します。若くて意欲的なスタッフが辞めてしまうのは残念だけど。
みんな、しあわせになれるといいね。

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2004年9月23日 (木)

ネットのアル中

ネットでなにがしかの表現活動をしているアル中はどのくらいいるんだろう?
何となく気になって調べてみた。
AA(Alcoholics Anonymous)について書かれたブログはないだろうか。
もしもAAメンバーやアルコール依存症本人でブログをやっている人がいるのなら、ぜひトラックバックしたい。
させていただきたい。していただきたい。ぜひぜひ。
と言うことで、未来検索というブログ検索サイトで調べてみた。
検索キーワードを「アルコール依存症」に設定。おお、けっこうたくさんヒットする。が、そのほとんどは「両親がアル中だった」「アルコール依存症をテーマにした本や映画の感想」などだ。何件かアル中本人とおぼしきサイトも見つかるには見つかったが、文章があまりにも散漫で、どういう飲み方をしてきていま現在はどういう状態なのか、かいもく見当がつかない。少なくとも自助グループのメンバーではなさそうだ。
次に「AA」で検索。これはヒットが多すぎてペケ。さらに「Alcoholics」で検索。8件しかヒットがない。8件とも見てみるがアル中本人はいなさそう。いや、一人だけいたけど、やっぱり内容が散漫だ。
なんだかんだと2時間近く検索してみたが、やっぱりAAメンバーのブログは発見できなかった。
それはまぁ予想通りなんだけど、「アル中」や「アルコール依存症」から浮上してきた文章は、陰鬱なものが多かった。家族がアルコール依存症でひどい虐待を受けてきたとか、クロスアディクションで摂食もアルコールもリストカットも止まらない、とか。
たしかに深刻な病気だ。一生治らない。ふつうの人と同じように酒を飲めることは死ぬまでない。何年お酒を飲まないでいようと、次に飲み始めたときには、過去の最悪の飲酒のつづきが始まる。そしてその先には確実に死が待っている。周囲の人間を巻き添えにしながら、家族や伴侶を道連れに地獄へまっしぐらだ。
が、これほど素晴らしい回復ができる病気もまたないと思う。しっかり回復しているAAメンバーには、人間的に尊敬できる人が大勢いる。謙虚で紳士的でおだやかなひとたち。他人を見下さず共感を忘れないひとたち。くつろいだ雰囲気でユーモアにあふれたひとたち。じっさいAA発祥の地アメリカでは、AAメンバーであることは社会的なステイタスですらあると言う。「隣のスーザンはAAメンバーなんだって」と言うとき、それは隣人は安心できる人間だ、ということを言っているのだそうだ。常に酒瓶を手にした狂人、ではなく。
ぼくはだれかに尊敬して欲しいなど、これっぽっちも思わない。けど「アル中」でヒットするサイトを見ていると、回復のイメージがあまりにも欠落していることに気がつく。酒をコントロールできない。苦しい。暴力をふるった、ふるわれた。傷つけた、傷つけられた。自分がアル中のワケがない。アル中だと認めてしまったら、自分もあのみじめな連中の仲間入りだ。
それはもちろん、まぎれもなくアルコール依存症の一面だ。ぼく自身そう言うことを山のようにやってきたし、やられたし、感じてきた。
でも、アルコール依存症のもう一方の側面-回復可能であり、飲んでいたころよりも成長できると言うこと-を、ほとんどのひとは知らないのだと思う。ネガティブな側の知識だけで思考し、判断する。ブログを書く。それをほかの誰かが読む。そのことによって、悲しみ、怒り、傷、絶望、孤独、そう言ったネガティブな感情が再生産されていく。増幅し拡散していく。
飲まない生き方を身につけると言うことは、成長の道を歩き始めると言うことだ。酒をやめるのはほんの始まりに過ぎない。ぼくたちはそこから始めて、飲んで失ったもの、身につけることができなかったことを取り戻していくんだ。それがAAで言うところの「回復」だと思う。幸せな家庭、安定した地位や収入。そう言った物質的なものを得るのも回復かも知れない。でもそれ以上にぼくたちは、謙虚さ、愛情、相手の立場に立って考えること、思いやり、共感、温かみ、そう言ったものが欠落していた。あたたかい感情が。やさしい気持ちが。いつも自分の満たされなさだけを声高に叫び、人の求めに応えることは二の次だった。
ぼくは、ぼくたちは、いまこそそれを取り戻しに行くんだ。それはドキドキするような素敵なことの連続だ。

と言うことで、このノーテンキなブログはノーテンキに続けます。
ひょっとしオレ、てAAメンバー初のブロガーか?わーい!わーい!!
それにしても、このサイトはアルコール関連のキーワードで検索してもヒットしなかった・・・ナゼ?!

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2004年9月22日 (水)

2004年・アルコール依存症からの回復の秋

今年の秋は引き続きAA(アルコホーリクスアノニマス、Alcoholics Anonymous、アルコール依存症からの回復を目指す自助グループ)ざんまいの予定です。今度の日曜は隣県のグループの芋煮会におじゃまする予定。するのだ!するのだ!するべし!するりらっ!!すらるれっ!!
なんでこんな文章を書いているのかというと、ブログの機能のひとつ、「トラックバック」の練習のためなのです。
オレはトラックバックが理解できん!分がりゃん!
ブログが「革新的」と言われるゆえんのひとつがこの「トラックバック」という機能。いろんなブログを読みあさっていて「あ、これおもしろーい!」と思ったら、「ぼくはあなたの記事にキョーミ持っちゃいましたー」と、相手のブログに表示できる機能だ。
しかし、仕組みは何となく分かっても、それができるとなにがどうおもしろいのか、どういう利点があるのかがちーともわからなんだ。
たとえばぼくが重度の剣玉マニアだったとする。剣玉の記事を書く。その記事をほかのブロガーがトラックバックしてくれる。自分がほかの剣玉の記事をトラックバックする。そうすることで、どんどん剣玉愛好家の輪が広がっていく。
そう言うイメージは何となく分かるんだけど。
ぼくの場合、アルコール依存症者本人でAAのメンバーであり、このブログはその日記。かなり特殊なジャンルだ。剣玉愛好家ほど裾野が広いとは思えない。
じっさい、このブログを読んでいるひとは身近な人たちばかり。まさか顔見知り以外の人が見てるとは夢にも思わなかったんだけど。
なんと、トラックバックキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
気がつかないうちに、なんと2件も。しかも、2件目のotamaさまからは、コメントまでいただいている。
こ、これは!どうすれば良いのだっ?!
otamaさま、こんなしょもない日記を読んでいただいて、ありがとうございます。
しかもお褒めの言葉までいただいて・・・キョーシュクです。感謝しております。
しかし、トラックバックというものをイマイチよく理解していない。ぼくも逆トラックバックしたいのだけど、やり方が良く分からない。そう言うワケで、まずはトラックバックの練習をすることにしました。
NIFTYのトラックバック野郎というサイトでトラックバックの練習をさせてもらえるらしい。みごとトラックバック野郎でこの記事が反映されれば良し。ダメだったらリトライだ!!

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2004年9月21日 (火)

レジェンド・オブ・メキシコ〜ハイテクなロー・バジェット映画〜

実家の兄からDVDを借りてきた。
ロバート・ロドリゲス監督の「レジェンド・オブ・メキシコ」という映画だ。
映画に関する前情報、まったくなし。
ジョニー・ディップが敵役で出ていて、やたら眉間に縦じわを寄せた長髪の主人公がギターを弾きながら敵をばんばん撃ち殺す、という良く分からない設定だけパッケージから読み取れた。
まー、現代版西部劇かね・・・。
などと思って見始めたら、これがおもしろい。
ストーリーはあってないようなもの。
ギターを持った主人公が街に流れ着いて、ギターを弾いて、ばんばん敵を撃ち殺す。
パッケージを見れば誰でも分かるストーリー。
見終わったあと、「ま、こんなもんかねー」と思ったのだが。
ほんのついでに、特典メニューの「撮影秘話」みたいなのを見始めたら。
これがもう、何とも言えずすごい。
この映画は、ある意味でオタクの神話です。オタクのサクセスストーリーです。
ロバート・ロドリゲス監督、完全にオタク。
自宅には17インチPowerBookをはじめ、パソコンがずらり。
そして壁を埋め尽くす大型液晶モニタの数々。
さらに監督自らが、音響やBGMのかなりの部分を担当している様子。
話を聞いていると、映像も音楽も、ほとんどパソコンで制作しているらしい。
Pro Toolsを駆使し、GIGA STUDIOでオーケストラを再現する。
映画を見ている限り、オケがパソコンだとはゼンゼン気がつかなかった。
見ていると監督、あっと言う間に音ネタをかぶせてBGMをひとつ完成させる。
その操作ぶりを見ていても、かなり使い込んでいるのが分かる。
ううむ・・・・。
ロバート・ロドリゲス監督、やたら「画家は考える速さで描く、映画作家もそうあるべきだ」と力説する。
そしてHDカメラをはじめ、ハイテクがそれを可能にすると。
なんというか、パソコンでの音楽制作に疲れ果てたいちにちだったので、かなり力をもらった気がする。
そうなんだ、パソコンも音楽ソフトも、イマジネーションを実現するための「絵筆」なんだ。
あまりにもやれることが多すぎて、操作を習得するのはたいへん。
でも一度習得してしまえば、それはイマジネーションを実現するための、夢の絵筆になる。
じっさいこの監督はパソコンを駆使することによって、制作期間も予算もかなり抑えているらしい。
そうだよね。映像のことは良く分からないけれど、人件費を考えたらパソコンで監督がさっさとこなせるんだったら、それがいちばん良い。
うぉーし、ぼくもふたたびCUBASEの絵筆を取るのだ!
あ、肝心の映画の感想。
非常に荒唐無稽でばかばかしく、大げさでした。ヘビメタに通じる大仰さ。
ぼく、こういうの大好きです。

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2004年9月20日 (月)

放心状態

放心状態です。
休日だというのに、ほとんどボーっとして過ごしていました。ぼーっ。ぼーっ。ぼーっ。
かろうじてホームグループのミーティングに行き、それなりに話をして帰ってきましたが。
イカンねー。ラウンドアップの酔いがまだ残っている。
ラウンドアップのあとは飲んじゃう仲間もけっこういるって、以前主治医も言っていたものなー。
ラウンドアップ、素晴らしいんだ。素晴らしすぎて、酔ってしまう。素敵な分かち合いのあと、興奮状態で家に帰るといつもの家族、いつものトラブルが待ち受けている。さっきまでの素晴らしい気持ちと現実との、うんざりするようなギャップ。さっきまでの酔いとの落差も手伝って感情的になる。カッとなる。イライラする。落ち込む。孤独を感じる。そしてアルコールに手を出してしまう。
最初にラウンドアップに言ったあとそんな話を聞かされた。でも「はぁ、そんなもんですかねー」と思う程度で、あんまりピンと来なかった。でも今回は、何となく「そう言うこともきっとあるだろうな」と思う。ぼくもこのまま放心状態が続いて通常モードに巻き戻せなかったら、感情が少しずつぶれて行きそうな気がする。
ラウンドアップはおしまい。
素晴らしかった体験を糧にして、またあすから平凡な日常を生きよう。
実行いいんちょもおしまい。
素晴らしい体験ができたことを自分の誇りにして、神に感謝して、いつまでも引きずるまい。
お褒めのお言葉もずいぶんいただいた。感謝しています。ありがとう。
でも、賞賛と傲慢は裏表だ。オセロの白と黒のように。
持ち帰るものだけ持ち帰って、そこから立ち去ろう。足早に。未練なく。
だいいち、いつまでもそこにいたんじゃ、次の旅が始まらないものね。
AAメンバーでいるってことは、ワクワクする冒険の連続だ。
この旅は終わらない。成長の物語は死ぬまで続くんだ。

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2004年9月19日 (日)

ラウンドアップ終了!

いやー、終わりましたラウンドアップ。
ついに終わりましたよ・・・・しみじみ・・・。
実現するまではほんとうにいろんなことがあって、たいへんでした。
でも終わってみれば、みんな必要なことだったように思えます。
月並みだけど、実行委員の仲間、地区の仲間、地域の仲間、グループの仲間、参加してくれた仲間、すべて感謝しています。
誰かがこんなことを言っていた。
「自分が苦労してなきゃ、感謝なんてできない」って。
ほんと、そう思うよ。いままで参加してきたラウンドアップも、きっとたくさんたくさんの苦労があったんだね。
今回、自分がそれを知ってはじめて、主催する方の苦労が分かったように思う。
だからこそ、あらためて先人たちが作ってきたイベントに感謝。
今回、オープニングセレモニーのときはもう気がもめて気がもめて、いても立ってもいられなかった。
予定より早い、予定より遅い、進行が違うんじゃないか。もう心配で心配で。
でも、イベントが進んで行くに連れ、ぼく自身もこころから楽しめるようになった。
最後、実行委員長のあいさつのあと、仲間のみんながいっせいに風船を飛ばしてくれてねー。
ぜんぜん知らされていなかったら、ほんとビックリ!
や、もう涙がこぼれるかと思いましたよ。うれしくってうれしくって。
良い仲間だし、良い実行委員会でした。
このサイトを見ている仲間がどれだけいるか分からないけれど、この場を借りて感謝の気持ちを伝えたいです。
ありがとうね!!!

実行委員会、もめることもあんまりなく、振り返れば一体性を感じながら進められたように思います。
またこのメンバーで何かがいっしょに作れると良いなー。
なんだったらまた来年、ラウンドアップをやっても・・・・え?
実務の苦労を知らないで勝手なこと言うな?
す、すみませーん・・・・・。

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2004年9月18日 (土)

ウェイクアップ!ついにラウンドアップ!

いよいよきょうになってしまいました。
ラウンドアップ・・・だいじょーぶかな〜〜???
や、心配したらきりがないし、だいいちぼくが心配してどうにかなるようなことって別にないんですよね。
あとはもう仲間といっしょに、思いっきり楽しんじゃおうと思います。
天気、晴れると良いなー。屋外、湖畔のミーティングを予定しているんです。
仲間とともに、思い出に残る二日間にしたいです。
夕日のミーティング、去年ほかのラウンドアップで体験して、ぜひやりたかったんですね。たのしみたのしみ。
えっ?実行いいんちょは外出ちゃダメなのっ?!ずーっとメイン会場に陣取ってるの?!
ウソッ!マジッ?!!

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2004年9月17日 (金)

いよいよあす、ラウンドアップ

あーだこーだ言っているうちに、気がついたらラウンドアップは明日に迫っていた。
段取り不足のところ、いっぱいあります。
当日、さまざまな混乱があるでしょう。
でも、これから手を付けられることはありません。
できるのは、祈ることだけ。
仲間といっしょにすばらしいひとときを分かち合えることを祈っています。
神の意志だけが行われるよう、祈っています。
イライラしたり腹が立ったり恐れや不安を感じたとき、自分が怒りから解放されることを願います。
自分の意志ではなく、あなたの意志だけが行われますように。
・・・とか言いながら、ただいま職場のカラープリンタでホームグループの年越しミーティングのチラシを印刷中。自分ではA4プリンタしか持っていないので、B4以上のサイズのときは職場のプリンタが役に立つんだ、これが。
おお、AAは完全に自立していなければいけないんだけど・・・あとで自前でインクリボンを買って交換しておこうっと。たぶん自前のインクを買っても買わなくっても誰も気にしないだろうけれど、自分の中に「職場の負担でAAのチラシを作った」って負い目を作るのはイヤだしね。
それにしても、A4サイズの2ページをB4一枚に縮小して印刷する機能はないのか?
マイクロソフトよ!?
Apple社よ?!
スゲーむりな印刷の仕方してるから、異様に印刷速度が遅い!
一枚3分以上かかってる!!ひぃ〜〜!!

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2004年9月16日 (木)

豚汁を作ったのだけど

急に寒くなってきた。
Tシャツ1枚で過ごすのがだんだんツラくなってきた。朝は何とかだいじょうぶでも、日が暮れてからはかなり冷え込む。いつの間にか夏が終わり、秋が近づいてきている。
TVコマーシャルも、いかにも夏らしいものが少なくなってきて、代わりに暖かい家庭でシチューを作るお母さん、みたいなのが増えてきてる。
涼しくなってきたら煮込み料理だ!
と言うことで、きのうは豚汁を作ってみた。
ほんとうは昨日作る予定だったのだけど、音楽パソコンのメンテナンスに失敗し、衝撃のあまり料理を作る気力を失っていた。
あいかわらずパソコンは不調だけど、気を取り直して料理に挑戦!
<つくりかた>
1.たっぷりのごま油で豚肉を炒めて、お湯をドドッと加えます。だしも。
2.沸いてきたらほかの具を加え、アクを取りつつさらに煮ます。
3.煮えてきたら一度火を止めてみそを加えます。
4.さらにひと煮立ちしたらおしまい。
うーん、料理とも呼べないような粗野なレシピだ・・・。でも美味しいから良いの。
問題は具。
用意した材料は、豚もも肉、白菜、大根、にんじん、マイタケ、エノキダケ、豆腐、油揚げ。
ううむ、何か足りないような・・・?まぁいいっか。
あまり深く考えずに食べ始めようとしたその瞬間ッ!思い出した!
ああ〜っ!サトイモぉぉぉぉ〜〜!
それからコンニャクぅぅぅぅ〜〜!!
これがなきゃ豚汁じゃないじゃん!ばかばかばかばか!オレのバカっ!!!
こんな大事なものを忘れるなんてぇ〜〜!!
まさに画竜点睛・・・しくじったぜ・・・。
やっぱりアレだね、ラウンドアップとパソコンのせいで、脳が疲れているんだね脳が。
きょうはゆっくり眠って土日のラウンドアップ本番に備えようっと。

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2004年9月15日 (水)

セカチューの原作、骨髄バンク

セカチューの原作を読んでいる。
あんまりおもしろくない。
文章がうすい。行間から伝わってくるものがない。表現のディーモンというか、「オレはこれがどーしても伝えたいんだぁ〜!」と言うものがない。
昔、別れた奥さんから勧められて「白線流し」と言う小説を読んだことがあるが、それと同じ印象。白線流しはドラマの原作だったかドラマのノベライゼーションだったか忘れたけど、いかにもテレビドラマのノベライゼーションっぽい、うすーい感じだった。
「最後まで読めば、なにがしかの共感を持つだろう」と期待して最後まで読んだけど、とうとう最後まで読んでも「だからなによ?!なにが言いたいのよ?!」と言う感想しか生じなかった。あまりにもなんにもナッシングだった。そのなにもなさ故にかえって良く憶えているという、あるイミすごい小説だった。
セカチューもなんだかそうなりそうな予感。先入観を持って読んではいけないんだろうけれどね。
映画では、成人した主人公が過去を追体験するかたちで話が進んでいた。それが適度な抑制を生み、「もう手の届かない、どうしようもない過去への想い」を盛り上げていた。
原作は17歳だか18歳の主人公の視点一辺倒だから、それがない。
それがないならないなりに別の何かがあっても良さそうなものだが・・・ううむ・・・。
などとネガティブな感想をいただきつつ読み進んでいたけど、ここに来て朗報が!!
なんと、セカチュー効果(なんだよそれ)で、骨髄バンクのドナー登録が増えているんだそうな。
骨髄バンク登録、小説が後押し?
おお、良いことじゃん!
セカチュー、見直したぜ!ネガティブな感想を書いて悪かった!
メジャーになるって言うことは、良くも悪くも影響力があるってことなんだねー。
たとえ田舎町のアル中に不評を買ったとしても、若い人たちの感性に訴え、立派に社会の役に立ってるじゃん。
渡辺淳一だったか誰かがこんなことを言っていた。
マジョリティを得るというのはそれだけで、少なくともあるひとつの物差しでは「優れている」と言うことになるのだから、けなしてばっかりいないでちゃんと良い点も見なさい。って。
そうだよねー。
セカチュー、これだけ多くの人たちに支持されているのだから、きっとほかの小説から頭ひとつ抜け出すだけの「サムシング」があるのでしょう。
ぼくの琴線には触れなくても、きっと。ね。

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2004年9月14日 (火)

DAWの調子が・・・

DAW(digital audio workstation、音楽制作ソフト)の調子が悪い。
めいっぱい時間をかけて修復作業をしているんだけど、安定しない。
「復元」機能を使ってもダメ。新しいファイルを作成できない。
かろうじていちばん最後に作ったファイルは上書きできるんだけど、このままだと一生新しいファイルが作成できない・・・?ううむ・・・。
やっぱりPCベースの音楽はまだまだむずかしいのかなー。
しかしメンテナンスに時間を費やしまくっていると、音楽やっているんだかパソコンいじっているんだか良く分からないねー。
もうちょっとDAWの動作が安定してくれると良いんだけど。パソコンでの音楽制作はメリットもデメリットも大きいんですね。
利点・・・手軽に高品質な作品が作れる。従来であればアマチュアはあきらめるしかなかったイマジネーションを実現できる。
欠点・・・パソコンおよびアプリケーションが不安定になったら全制作過程がパァ。パソコンのメンテナンスに費やす時間が大きく、肝心の音楽作成の時間を圧迫する。パソコンをいじくり回してゲンナリしているあいだにイマジネーションが吹っ飛んでしまう可能性が。そしてこれがまた、実に不安定になりやすいんだわ。
・・・とか言っているあいだに起動しなくなっちゃった!
ひぃぃ〜〜!!

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2004年9月13日 (月)

ブラックアウトのそもそもの意味は

一念発起して、まいにち少しずつ英文を読むようにしました。
次回の英語の試験に向けて前向きに取り組むのだ!
まだ落ちたと決まったワケじゃないけど、人生前向きの方が良いからね〜はっはっは〜。
前向きに再試験の準備!
前向きに英語!
前向きに実行いいんちょ!・・・だけはちょっと難しいかも知れませんが。
で、あるコラムを読んでいたらこんな文章が。

When I was a child, we had blackouts at least once a year. During the blackouts, we used kerosene lanterns for light, and a pail of water toflush the toilet. My mother cooked our dinner on a camp stove.
Have you ever experienced a blackout? What did you do?

子どものころ、年に一度はブラックアウトしていたものです。ブラックアウトのあいだはケロシン(灯油)のランタンで明かりを灯し、バケツでトイレの水を流しました。母親はキャンプ用のコンロで夕食を作りました。あなたはブラックアウトの経験はありますか?そのとき何をしましたか?

子どものころにブラックアウト・・・はて?
ブラックアウトは数限りなく経験しているが、別に母親がキャンプ用のコンロでご飯を作ってくれたりはしなかったぞ?トイレはその場で失禁したことだってあったぞ。なんの話だ?
・・・と思っていたら、ブラックアウトってそもそも「停電」の意だったんですねー。そうか、そこから転じてわれわれが良く使う「飲んで失神」になったわけか。
子どものころからブラックアウト?なんかスゲー悲惨なアル中の話か?と思ってこの文を読み始めたけど、停電のときのわくわくするキャンプ気分の話のようでした。

こんな話かと思った。
In my twenties , I had blackouts at least once a month. No, in fact , at least once a week. During the blackouts, I used a pail for catching my vomiting things. My wife sighed always, and sometimes got very irritable, and we had quarrel 'bout problem of my drinking. I said, there is no problem. She said, our marriage is filled with severe problems.
Have you ever experienced a blackout? How did you feel?

と言うわけでブラックアウトは数限りなく経験したけど、わくわくしたときは一度もなかったなぁ。二日酔いで目が覚め、昼過ぎだと気がついたときのあのうんざりした気持ちはいまだに良く思い出すよ。
痛む頭。目の奥でずきずき痛みが走る感じ。自分が世界中から取り残されている感じ。置き去りにされた感じ。最初のころはそれが自由の味だと思っていた。けど、自由でも何でもない、それは病気の始まりだったんですね。
ほんと、キャンプ気分の停電とはまるっきり正反対。最低の気分。真昼のブラックアウト。
もう二度と味わいたくない。

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2004年9月12日 (日)

最後の実行委員会

ラウンドアップ前の最後の実行委員会。
あんまりうまく進行できなかったス。スゴイ焦っちゃって余裕がなくて。
カリカリしていたのがきっとはた目にも分かったと思う。きょうの実行委員会はイベント経験の豊かな先行く仲間はあんまり参加できず、自分も含め新しいひとがほとんど。不安もあった。じっさいいろんな意見が出た。
つかれます。
矢面に立ってさまざまな意見をまとめるのはしんどいッス。
ポジティブな意見じゃないことも多いし。不用意に口を開くと反論食らうし。
まーみんな、良いイベントにしようという熱意でもって発言しているんだから、けっしてぼくを潰しにかかってるんじゃないんだから。
そう思いつつも、ほかの仲間の言葉の端々に傷つく自分。その打たれ弱さにがっくり。
そういうときって、神に祈るとか、自分の意志ではなく神の意志が行われるようにとか、そういう考えは吹っ飛んじゃっているんですね。そういうときにこそ神の意志を祈らないといけないんだけど。
・・・しかし、ひょっとしてこーゆーツッコミを入れられるのが実行いいんちょのおしごとなんでしょか?
責任者は責任を取るのがおしごと。
実行いいんちょはみなさんに突っ込まれてグッタリするのがおしごと?!
とにかくあと6日。
早く終わらないかな〜。

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2004年9月11日 (土)

チャーシューをいつ食べるかモンダイ

英語の試験を受けに行ったときのこと。
ふだんは職場でお昼を食べるんだけど、この日は早めに職場を出発して途中で外食をすることにした。それほどお腹にもたれずできれば値段も安いもの。そう考え、自然と職場から数分のラーメンチェーン店へ。
「節系しょうゆラーメン」なるものを注文。想像するに、かつお節ベースのしょうゆ味ラーメンだ。
思うんだけど、チェーン系ラーメン店って、あんまり美味し過ぎてはいけないのではないか。あくまで明るく、清潔で、子ども連れでも安心して入れ、だれの口にも合う。最大公約数的な方針を考えると、あんまりアバンギャルドを狙ってはいけない。クルマで言えば「営業用の白いワゴン」と言うあたりだろうか。
で、そんなことを考えながらぼうっとしているとラーメンが運ばれてきた。おお、大ぶりのノリが2枚か。そうかそうか。その上に刻みネギが乗っているのか。そうかそうか。
ラーメンの丼の上を見渡し、椎名誠風にいちいちうなずく。
チャーシューは薄切りのものが2枚か。そうかそうか。あんまり分厚いとスープがなじまないからね。そうか、2枚か。・・・・んんッ?!!
メニューには、メニューの写真には、たしかにチャーシューが3枚写っている!そそそそそそれが、いま眼前にある同じ商品にはチャーシューには2枚しかッ!ここここ、こ、これはいかがなものかっ?!!
悲しみと怒りが入り交じった気持ちが、夏の入道雲のようにもくもくとわきあがっていく。
考えてみてほしい。
自動車を購入して、写真ではタイヤが4本写っているのに実物は3本しかなかったらどうなるか。たいへんなことになるではないかッ!大事故につながるではないかッ!!!
パンパースを購入してきて、写真では固定テープが3本写っているのに実際は2本しかなかったらどうなるか。取り返しのつかないことになるではないかッ!!!
ギターを買ってきて弦が3本しか張れなかったら・・・あ、もう良いスか?
とにかく、チャーシューは2枚しかなかった。くどいようだが写真では3枚写っていた。
意識せずとも、自分の肩が見る見るうちにガックリと落ちて行くのが分かる。おのれ、我が身になんの恨みがあってこのような仕打ちを・・・。振り返りざまにややヒクツな目で店員をにらむが、もちろんまったく気づかれず。
消沈した気持ちでハシを取り上げ、麺をすすり始める。
それにしてもズルズル。アレだねズルズル。チャーシューをいつ食べるかと言うのは、永遠の疑問だねズルズル。じゅー(スープを飲む)。
ラーメンの丼と対峙したときにいきなりチャーシューをまるごと口に放り込むひとはいないだろう。ジャイアント馬場で言えば、試合開始とともにいきなり十六文キックを繰り出すようなものだ。あまりにも唐突である。必殺技には、それなりの場の盛り上がりが不可欠なのだ。
「いえわたしはまずチャーシューからです」「上の具をぜんぶ最初に平らげてから麺に行きます」「最初にチャーシューは箸で窓の外に外にほうり投げてしまいます」そういうひともいるかも知れない。そういうひとはそのまま生きて行っていただきたい。そのまままっすぐ、人生を歩み続けて行っていただきたい。まーっすぐ歩いて行って、電信柱にぶつかって、痛みにうずくまりながらにじんだ夜空をにらんでいただきたい。
とにかく、99%のひとはいきなりチャーシューを食べ始めたりはしないだろう。
まずはスープをひとくち。いやふたくち。調子に乗って3口、4口。それから麺に突入。合間合間に、リズミカルに具を挟む。メン、メン、シナチク。メン、メン、ノリ、スープ。メン、メン、ナルト。メン、メン、タマゴ。スープ。こうしてリズミカルに食べ進みながら横目でチャーシューをにらみ、食べるタイミングを人知れず画策するのだ。
チャーシューが2枚あった場合、中盤でまず1枚。終盤で1枚。やはりこれが王道だろうか。メンもスープもすっかり空にしてしまってから、最後に冷たいチャーシューを食べるというひとはこの世界には存在しない。
「いえぼくはいちばん最後にチャーシューです」「わたしはメンとスープだけを食べて具にはいっさい手を付けません」「食べ終わったときに具が最初の状態で底に沈んでいるのが最高です」「いちばん最後に箸でつまんで窓から外にほうり投げ、タイヤで3回ひいてから席に戻ります」窓から放り出すのは止めなさいって。とにかくそういうひとはそのまま生きて行ってかまいません。そういう人生をまーっすぐ上を向いて歩いて行ってかまいません。ずーっとずーっと歩いて行ってドブにハマって、痛みにうずくまりながらにじんだ夜空を見上げていただいてかまいません。
そういうことをショージくん風に考えながら(考えと言うよりは妄想ですね)節系しょうゆラーメンを食べ続ける。チャーシューが2枚なら2枚で仕方がない。2枚なりに作戦を立てるほかにない。店員を恨んでも仕方ない。スープに指をひたして、テーブルに「怨」という字を書いても仕方ない。や、書きませんけど。
がっ!!なんと!!ほとんど最終盤、最後の一切れのチャーシューを箸で持ち上げたところっ!!
ななななな、なんと!1枚だとばっかり思っていたうすーいうすーいチャーシューが、実はくっついた状態で2枚あるではないかっ!!がーん!やはりチャーシューは3枚であったか!!はうっ?!
ううう・・・・してやられた・・・・。
最初に良く確認してから食べ始めるべきであった・・・。おのれ、2枚と見せかけて相手を落胆させ、作戦を切り替えた後に逆襲する戦略であったか・・・。
失意のうちにラーメンを食べ終える。
ちなみに味は、かつお節がいかにも粉末風であったことをのぞけば、十分に合格点を授与できるものであった。
試合に勝って勝負に負けた、か・・・ふっ。

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2004年9月10日 (金)

カオルくんの答え

昨日の英語の問題、ぼくの回答。

小分子の上皮成長因子レセプター阻害剤(EGFR)であるゲフィティニブの初期臨床試験の結果は、ガン研究者および同分野の臨床家に大きな反応を引き起こした。
データによればゲフィティニブは非小細胞肺ガン(NSCLC)に対し有効であることが示されていた。小細胞ガンはしばしばEGFRに過大な反応を引き起こすので、化学療法にはあまり有用ではないとされていた。しかし大規模無作為試験において、ごく少数のNSCLCの一群が反応を示した。急速かつ劇的な反応が10%の患者に見られたため、ゲフィティニブはNSCLCの第3選択肢として認められるようになった。

ゲフィティニブってなんのこっちゃか分かんなかったけど、一時期ガンの特効薬として期待されたけど副作用が大きくて(間質性肺炎だったっけ)使用中止になっちゃったお薬「イレッサ」のことだそうです。
ありがとうマイスポンサー!さすがに「こんな英語も分からないの?」とは言われませんでした。ほっ。

単語の専門性をのぞけば、文の構造それ自体は冷静に見ればわりに平易でした。なんで苦戦したんだろう?やっぱり気がちっちゃくて場に飲まれていたからか?霊的に病んでいるからかな?ああどうにか合格しますように。
合格発表は10月22日。
どきどきどきどき・・・・。

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2004年9月 9日 (木)

英語の試験でございました

英語の試験を受けてきました。
職場関連である資格を取るために、今回の英語の試験をクリアしていることが必須条件なのです。いま資格を取るワケじゃないけれど、あんまり老化が深刻になる前にクリアしておこうと思って今回受験したのでした。
しかし。
勉強するのがもー。イヤでイヤで。二ヶ月くらい前から「そろそろ英語の勉強しなくっちゃ〜」と思っていたんだけど、ゼンゼンやる気が起きず。
ラウンドアップのことがあったり昨日の人前で話す仕事の件があったり・・・というのは言い訳になりませんねー。時間があったとしても勉強しなかったろうから。
うう・・・英語・・・・。
「英語」がキライなんじゃなくって「試験」がキライなのです。中学生くらいまではわりと好きだったんだけどね。高得点が取れたから。
大学に入ってからは「試験」というと飲んでサボっていたから、あんまり良い思い出がないの。「飲む」→「試験勉強しない→「そのまま当日になる」→「現実逃避」→「連続飲酒」→「ブラックアウトしている間に試験終了」→「再試験」→「またもや飲酒して逃避」→「留年」
ああ、このパターンを何度繰り返したことか・・・。
今回は飲まずに、テストのプレッシャーを存分に味わうことができました。
これもきっと、飲まない生き方のごほうびなのでしょう。
ま、今回はダメでもまた来年受ければいいからね。そのうち合格するでしょう。
ちなみに試験会場に行ってみたらこんな張り紙が。
「学識検定会場」
むぅ・・・・学識なんてないっての・・・・。
ちなみに問題はこんなの。

下線部を訳しなさい。
Results from early clinical trails with gefitinib - which is a small-molecule inhibitor of the epidermal growth factor receptor(EGFR) - caused great excitement among cancer researchers and clinicians alike.
The data indicated that gefitinib would be active against non-small-cell lung cancer(NSCLC),a disease that often has overexpression of EGFR and for which chemotherapy is not very effective.However,large randomized trails only showed responses in a small subset of patients with NSCLC.Because of the rapid and dramatic response seen in this 10% of patients,gefitinib is now approved for third-line therapy of NSCLC.

ううむ・・・。
腕に自信のある方は、ぜひ日本語に訳して投稿してください。ぼくの回答は次回に載せます。
こうして帰ってきて見直してみると、けっこうよく分かるんだけどなー。
試験会場だと舞い上がっちゃって、実力が出ないんだよなー(負け惜しみ)。スポンサーに「カオルはこんな英語も分からないの?」とか言われたらどうしよう。ううう。

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2004年9月 8日 (水)

人前で話す

人前で2時間、ほぼびっちり話してきた。
仕事とはいえ、さすがにしんどい。「受ける話をしなければ」という気持ちが強いためか、ちょっとでも退屈そうにしていたり寝ちゃってる人がいるとものすごく申し訳ない気分になる。
さいわいきょうはウケた方の部類に入る。
やれやれ。
ひとの顔色が気になる。これも病気の特徴かも。
ミーティングで誰かが言っていた。
「自分というものがないからひとのちょっとしたことにすごく左右される。しっかりした自分自身があればいいのに」
ほんと、そのとおりだと思う。
自我が揺らぎなくあれば、寝てる人がいようとそんなにビビらないのかも。
とは言え、きょうの自分はこれが精いっぱいでした。
仕事の責任をしっかり果たすことができたこと、感謝しています。
それにしてもひとに伝えるって、むずかしいね。

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2004年9月 7日 (火)

お料理おりょうり♪

久しぶりに料理に挑戦。
キノコのビーフカレーに野菜たっぷりのココット、チンゲンサイのスープ。
ついでにウズラの卵のちっちゃなスコッチエッグ。
ここんとこきちんとした料理を作る時間も気力もなかったので、かなり久しぶりでした。
ジャガイモの皮もうまくむけなくなっている自分を発見。あらやだ。
古い友人のひとりとその奥さまが遊びに来るので、張り切って作ってみました。
手作りのお料理なんて、ちょっと恥ずかしいの。
きゃ♪
カオル恥ずかしーいっ!

・・・しかし、ノンアルコホーリクの友人なんてほんと、ひとりか二人しか残んなかったなぁ・・・。
でも、過ぎてしまったことを悔やんでも仕方ない。
自分の回復の過程には、友人をなくすことも含まれていたのでしょう。必要だったのでしょう。
だから、いまぼくのまわりにいる人たちに、ほんとうに感謝しています。
たいせつにしなくっちゃね。

・・・とか書いている間にナベが吹きこぼれたぁぁッ!!
ハイヤーパワーさま、お助けっ!!
「わがのことを祈んでねぇ」
す、すみません・・・・。

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2004年9月 6日 (月)

家に帰ろう

土曜の朝からずーっと職場にいる。
泊まりに入る前までは「アレもしたい、これもしなきゃ」とあれこれ小物を用意するんだけど、結局ほとんど使わずじまい。ギターの教則本が数冊、音楽理論の本にピアノの楽譜。
ほとんどが開きもしないまま、アパートに持って帰ることになる。ま、仕事に来てるんだから、当たり前と言えば当たり前なんだけど。
今回もパソコンの再インストールをしたこととギターの練習をした以外は、取り立てて有意義なことができずじまい。うぉーしこの次こそ!・・・といつも思うんだけど。
やりたいこととできることの差が、どんどん激しくなってくる今日このごろ。
回復とともにやりたいことが増えてきたのか、老化して能力が低下してきているのか、はたまたその両方なのか。
あんまり悩まないけど、ちょっとさみしいです。
それにしても疲れました。やっぱりトシだね。
きょうはミーティングが終わったらまっすぐアパートに帰ろう。
体と心を休めて明日に備えるのだ!
おっとその前にプールでひと泳ぎして、と。
あ、帰ったら冷蔵庫の食材を点検して買い物リストを作って、スキー場のシーズン券用に顔写真も撮りに行かないと・・・なんてやってるとゼンゼン休まらないですね。
貧乏性なり〜。

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2004年9月 5日 (日)

液晶TVをめぐる考察

同じ市の中にぼくの実家はある。アパートから車で15分くらいのところだ。で、その実家に妹が出産のために里帰りしているので、顔を見てきた。
久しぶりに会う妹は出産前にも関わらず、とても元気そうだった。ミーティングが終わったあとだったので、3歳になる姪っ子はもう休んでいた。
で、妹と少し話をした。
とくにどうと言うこともない、いとこの誰ちゃんがどうしているとかおじさんはどうだとか、たわいもない親族の動向の話。
で、ちょっと驚いたことが。
いとこのひとり、ぼくより6歳くらい年下の女性。彼女は一昨年に結婚した。ちょっといろいろあったひとなんだけど、まぁめでたい話だ。相手は年下のエリートサラリーマン。親戚には少し名の通った作家もいて、結婚式ではぼくの両親や妹もサインをもらってきたそうな。写真を見せてもらった。良く日に焼けた誠実そうなスポーツマン、と言う感じだった。ぼくの親族の場合、男のいとこの結婚式には男が、女のいとこの結婚式には女が出席する決まりになっている。だからぼくは出席しなかったんだけど、文句の付けようのない男性だった。
華やいだ家系、申し分のない学歴、職歴。年下でハンサムで誠実なスポーツマン。
去年子供が生まれたそうだ。ぼくは知らなかった。いや、聞いていたけど憶えていないだけなのか。
で、妹が先日、その夫婦のところに遊びに行ってきたそう。
これがもう、その家庭を実にうらやましそうに話すのだ。
シーだのランドだのの某巨大遊園地のある市に新築のマンションを購入して、高層階に住んでいる、とか。巨大な液晶TVを持っているとか。夫というひとの会社がどれだけ業績を上げていて名の通った会社であるだとか。要するに、彼女とその夫が、いかに物質的に恵まれているかをエンエンと話すのだ。そして、とくにその巨大液晶TVについて、じつにうらやましそうに話すのだ。これが。
おお、妹よ。我が妹よ・・・・。
「あのなー。そんなもん、うらやましがったってしょうがないでしょう。よそはよそだよ」
「だってびっくりしたんだもん。すごかったんだよー液晶TV。いいなーいいなー」
ふだんAAの世界にどっぷりと浸かっているせいか、物質的なものがうらやましい、と言う考えがほとんどなかった。だから、妹のヒジョーにロコツな、あるイミ正直な物質に対するあこがれを聞かされて、ちょっとおどろいた。
そりゃあぼくだって、欲しいったら欲しいですよ、大型液晶TV。もっと性能の良いパソコンも欲しいし、信号待ちでとなりに並んだクルマが若い男性の運転するBMWだったりすると「くそっ」と思う。隣にイケイケ風(死語ですね)のエロっちい女性が乗っていたりすると「こんにゃろ」と思う。その女性のバッグがヴィトンだとさらに「こんちくしょう」と思う。いちゃいちゃしていたりすると「降りてってドアを蹴飛ばしてやろうか」と思う。や、うそうそ。そんなことはしません。
でもそう言う気持ちになったとしても、それは一瞬の感情だ。相手と自分を比べてどっちが上か下かと考えたりはしない。液晶TVが家にあっても、仕事が忙しくってほとんど見るヒマがないのかも知れない。BMWを転がしてても失業中かも知れない。ぼくの知っている範疇では、裕福で見た目が華やかそうな家庭ほど実情はかなりたいへん、と言う場合が多い。いや、たとえ仕事も楽ショーでBMWも液晶TVも多いにエンジョイしていたとしても、それはよその人のしあわせ。自分には自分の目標やしあわせや達成感がある。それは交換不可能なものなんだ。
AAにつながって以来、だんだんそんな考え方をするようになってきた。自分でも気がつかなかったけれど、妹と話していて気がついたんだ。AAにつながる前だったら、ぼくもいっしょにその大型液晶TVとそれに象徴される裕福な生活に羨望をいただいていただろう。そして「けっ、別にそんなもんうらやましくなんかないやい」といきがっていただろう。でもいまは、物質的なものをうらやましいという考えがない。シンプルに暮らしてておだやかに笑っている先ゆく仲間のその平穏な心持ちがうらやましい、自分にも欲しい、と思うことは良くあるけれど。
やっぱりね、モノはモノですよ。ただの物質。モノがこころを満たしてくれるワケじゃないもの。そう、酒がこころを満たしてくれなかったこと、酒で満たそうとすればするほどどんどん孤独になっていったこと、こころが乾いていったことを、われわれはみな良く知っている。それと同じで、モノも欲しがれば欲しがるほど、欲しがるという自我が膨らんでいく。もっともっと欲しくなる。モノがあふれればあふれるほどこころが干上がっていく。こころの渇きは酒でもモノでも満たせない。自分の気持ちと向き合って自我を収縮させないかぎり、欲しがるこころは膨らむばかりだと思う。
そう、自分の過ちの本質をありのままに認めること。性格上の欠点を取り除いてもらう準備にとりかかること。
こころが満たされていれば、液晶TVなんてどうでもいいやい。ほんとだよ。

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2004年9月 4日 (土)

Mac今昔記

またまた土日は宿直。職場にお泊まり。
ヒマだったので、思い切ってパソコンの初期化に挑戦しました。
2年前に購入した、PowerBook1GHz。MacOS9が起動できる最後のノート。
パソコン雑誌の付録やらネットで落としてきたさまざまなソフトを載せたり削ったりしていたら、いつの間にかハードディスクの容量が心細くなっていたのです。
60GBのHDDが、気がついたら残り10GBを切っている!こ、これでは音楽ソフトを載せることもできないし、載せても録音をするスペースがないでは!
一念発起して、午後1時から作業を開始。
まずは外付けのHDDに、内蔵HDDをそのままバックアップ。これで万一のことがあっても現状に戻せるはず。そしていよいよインストールCDから再起動し、ハードディスクを初期化!これでも後戻りはできないぜ!
まずはOS10.3をインストール!続いてOS9だっ!おお、なぜかOS9のインストール作業中に爆弾頻発!なぜ?!どうしてッ?!
焦って気持ちが動転。気がついたらOS10.2を載せはじめている自分。おおおっ?!
その後、3回くらい初期化してはOSをクリーンインストール、と言う作業を繰り返しました。それが終わってから、各種アプリケーションのインストール。20ケタくらいのアルファベットと数字の組み合わせを、エンエン打ち込み打ち込み・・・。
それが終わったら、バックアップからフォントや各種設定を戻す作業。
つ、つかれた・・・。
どうにか形が付いたのが、ついさっき。夜9時半ごろ。エンエン7時間以上かかったのでした。つかれたよ〜。
思い出してみると、昔はこうじゃなかった。
Macは簡単にいじくり回せるのが醍醐味だった。いろんなソフトを入れてもシステム自体には影響がないから、気軽にいろんなソフトを突っ込んで遊べた。不具合が出たら、自分が入れたフォルダから削除しちゃえば良いだけだったものね。
Windowsマシンのように、良く分からないDLLファイルだのレジストリの書き換えだのがない、シンプルな世界だった。
それが。
いつの間にか、世の進歩とともにMacも変わっていった。OSXになってから、ユーザは滅多にさわれないフォルダやファイルが増えてきた。
ソフトをインストールしても、どこにどんなファイルができているのかひとつも分からない。
昔はこうではなかった。
アプリケーションだったら、アプリケーション本体と初期設定ファイル、機能拡張ファイルとコントロールパネル書類をコピーすれば、あっと言う間に元の環境に戻せた。ま、それだけコピーもしやすかったんだけどね。
ぼくもこっそり、職場のMacからアプリケーションを自分のMacにコピーしちゃったことがあります。インストールCDがなくても、しかるべきファイルをしかるべき場所にコピーしちゃえば、簡単に自分のMacで走った。
ま、たまーに不具合もあった。アプリケーションの中のリンクがとぎれてしまって、途中で動かなくなったり。そんなときでも、簡単に削除できた。
「簡単にソフトがコピーできる」というのは、Macの自由な文化の象徴だったと思う。ぼくの最初の職場のMacも、登録者名が北九州の会社になっていたのがあった。コピーが回り回って、ほとんど日本列島を縦断していたんだ。でも、いくら簡単にコピーできるとは言っても、お金に余裕がある人はちゃんと購入していたと思う。近ごろのパソコン事情とは反対の、なんというか、非常にのびのびした自由な空気があった。
パソコンのアクセス権だの管理者権限だのもなかった。せいぜい、ヤバい画像が見られないように自分のフォルダに暗証ロックをかけるくらいのものだった。
何とも世知辛い世の中になったものです。そりゃーMacは人気がない。
OS9はツラいことも多かった。止まって欲しくないときに限ってフリーズする、何ともトホホなパソコンだった。でもそれが楽しかったんだよねー。自由でポンコツなパソコン。まるで自分で組み立てた頼りない自転車みたいな、ちょっと誇らしいパソコン。調子が良いときは、ほんとうにいっしょに作業してるって感じるパソコン。
ほんと、アクセス権だのユーザパスワードだの、もうやめましょうよー。大半のユーザはぼく同様、ひとりで使うだけなんだから。家族数人で一台のパソコンを使い回してるなんて、聞いたことないっすよ。いまどき、ふつうにひとり一台でしょ。固まらないのはうれしいけど、いまのMac。
ちょっとノスタルジーを感じます。

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2004年9月 3日 (金)

夏が終わっていく

気がつけば9月。日中はまだ暑いが、陽が沈むとかなり冷え込んでくる。
半袖のTシャツばかりだったのが、いつのまにか長袖を着ているひとを見かけるようになる。日が暮れるのが早くなっている。6時半を過ぎるともう真っ暗だ。
夏が終わっていく。
今年の夏も、やりたいことの半分も終わらないまま過ぎ去ろうとしている。
ジェット、せめてあと2回くらいは行きたかったなー。せっかくウェイクボードが立てるようになりかけたのに。
ドライブにも行きたかった。ジミヘンをガンガンにかけながら陽炎のアスファルトを走りたかった。
出かけたいイベントもいろいろあった。サマソニフジロックフェス。フジロックフェスなんて、野外ステージで朝から晩までぶっ通し、泊まりがけのロックイベント。お祭りムードで、その辺の草っ原で突発的にアコースティックライブが始まったり。まだ体力(と若さ)があるうちに行ってみたい。
ほかにも大小さまざま、やりたいことを残したまんま、今年の夏も終わろうとしています。
でもね。
以前ほど悩まなくなったの。
そりゃーたしかに、今年の夏も仕事の拘束時間が多くて身動きが取れなかった。AAの集まりもいろいろあった。その中には正直言ってあまり気乗りしないものもあった。
でも、それで良いんだと思う。
少なくとも、アルコールの海の中を這い回っていたときは、なんにもできなかったもの。いまはたしかに自由な時間も少ない。けれどその代わり、きちんと仕事ができるし、ミーティングに行ってソブラエティを確かめることができる。
これでいい。
サマソニ。いつか行けるでしょう。
フジロック。そのうち行けるでしょう。
行けないまま終わってしまったら、それは縁がなかったからでしょう。
その分ぼくは仲間と会える。AAを通して成長のチャンスをもらえる。自分とは違った考え方に触れることができる。もしAAに来なかったら、ものすごーく片寄った世界の中で、片寄った考え方を持った人間になっていたと思う。いまは少なくとも、AAを通して自分を振り返ることができる。
なんと言っても、うだるような熱波の中を二日酔いで過ごすことがなくなっただけでもありがたい。
関係ないけど、ジミヘンの粘っこいギターっていかにも夏って感じしませんか?暑くて湿っててギラギラしてて。夏真っ盛りって気がしません?しませんか。そうですか。すみません。

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2004年9月 2日 (木)

華氏911を観てきた

話題の華氏911を観てきた。タイトルはレイ・ブラッドベリ(幻想小説・SF小説家)の「華氏451」のもじりだ。華氏451とは摂氏に直すと233C。この温度で紙が燃え上がるそうだ。ブラッドベリは紙が燃える温度をタイトルに、焚書で自由な表現活動が閉ざされる社会を描いた。華氏911でマイケル・ムーアは、9.11をきっかけにアメリカの自由が閉ざされることを警告している。
正直に言うと、華氏911はゲヒンな映画だ。なぜか?それは、ジョージ・ブッシュの人間性を主題のひとつとして扱っているからだ。ブッシュが政界入りする前にひとの金でいくつも会社を作っては潰してきたこと、ひどいときには会社がつぶれる前に株を売って損をしないように立ち回ってきたこと、大統領選では強力な親族のコネがあったこと、選挙で有色人種を排除したこと、911の一ヶ月前はほとんど遊んでいたこと、などをしつこく描いているからだ。
では、この映画はゲヒンか?
ぼくはそうは思わない。ブッシュの政策のひどさ、イラク国内の悲惨な状況は米国内ではほとんど報道されていないからだ。戦時中の日本のように、情報統制が行き届いていて、メディアではブッシュ政権に都合の悪い情報はほとんど流されていない。流されていても恣意的に意味が変換されている。ブッシュやラムズフェルドの失策に言及するような報道は、米国内では「ない」のだ。悲惨なことに、ブッシュ政権の矛盾や行き詰まりの情報がもっとも行き渡っていないのはローカルエリア、そして貧困層だ。彼らはネットや外国の情報に触れることができず、アメリカの巨大ネットワークの放送でしか世界を知らない。ブッシュがもっとも操りやすい層。そして、戦場に行かされるのは彼らだ。
映画を見終わって、ブッシュ政権について知っていることを思い出してみる。イラク戦争以外に。
銃規制反対。すべての家庭に「銃を持つ権利」を。
人工中絶禁止。神がもたらした命を人間は絶ってはならない。
愛国法。テロの可能性がある場合、個人の情報を政府は監視できる。またメディアの情報を制限できる。
同性愛の結婚禁止。神の摂理に反するので。
なんというか、非常に片寄ったものの見方を全体に当てはめる傾向がある。なおかつ、非常に利権にからんだ感じがする。マイノリティや社会的な弱者に対する配慮が欠けているような気がする。
マイケル・ムーアはその辺のことにはいっさい触れない。ただひたすら、911からイラク戦争に至る流れを、ブッシュの映像を絡めて追っていく。
ジョージ・ブッシュは911の知らせを聞いたとき、小学校で絵本を読んでいた(なんというか、ホワイトハウスの執務室にいるよりもそう言うことをやっている時間が非常に長いひとらしい)。それはともかく、米国が攻撃を受けている情報が入ってきたときにも、このひとは絵本の朗読を中断しなかった。側近が立ち入りづらい小学校の教壇の上で、7分以上もの間、絵本を読み続けていた。
うーん、どっかの国にもいましたねー。高校の実習船が潜水艦とぶつかって沈没したときに、ゴルフを中断しなかった首相が。
飛行機テロが具体化しつつあることを政府は知っていた。だがブッシュは報告書を読まなかった。テロリストが米国内で航空機の教習を受けていることを政府は知っていた。だがブッシュは報告書を読まなかった。
映画の中でかなり時間を割いて説明している、アラブマネーとブッシュ家の関係は、ぼくには良く分からない。客観的な情報かどうかも、今ひとつ分からない。事実はもっとフクザツで、ムーアが知らない事情も山ほどあるんじゃないかと思う。しかし、少なくとも為政者としての彼の適正については、この映画は良く描けていると思う。
これは映画か?良く分からない。マジメな電波少年という気もする。
これは芸術か?良く分からない。映画を観ただけでは「この監督はどうしてこんなにひどい個人攻撃をするのか?」という感想が出るかも知れない。
しかし、マイケル・ムーアが目的としているのはブッシュを揶揄して喜ぶことではなく、ブッシュが作り出した悪夢のような状況を早く終わらせることなんだと思う。だからあえて個人攻撃に近いような映画を作ったのだろう。映画の中でもあるとおり、彼がアラブの大使館の前でカメラを回しているだけで、大統領警備員から注意を受けるのだ。または、田舎の気楽なお年寄りの「平和について考える会」にFBIが潜入してくるのだ。
これを悪夢と言わずしてなんと言う?

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2004年9月 1日 (水)

ブラックアウトとタイムマシン(3)

パンクロックに出会ったのは中学2年のことだ。
試験勉強のため、ぼくは家族が引き上げた茶の間で問題集を解いていた。
一段落ついて、テレビをつけた。NHKだった。ミックジャガーが進行役で、ロックの歴史をたどる内容の番組だった。ぼくは勉強に疲れたアタマで、ぼうっと画面を眺めていた。前半の内容は憶えていない。エマーソン・レイク&パーマーのキーボーディストがオルガンごとひっくり返った場面だけわずかに憶えている。
突然、空気をつんざくようなギターの音が鳴り響いた。きたない、荒れた画像。ぼろぼろの服を着た若者がマイクにしがみつくように大声でがなっていた。バンドのメンバーたちも似たり寄ったりのぼろぼろの服装で、ギターもベースもストラップをぎりぎりまで下げてかき鳴らしていた。画面にはペンキで殴り書きしたような文字で、歌詞の対訳が踊った。
「オレは反キリスト教徒」「オレはアナーキスト」「オレは何もかもぶち壊したいぜ」「オレはアナーキストになりたいんだ」
まるで気が狂ったかのようにそのオトコは飛び跳ね、目玉をひん剥き、マイクスタンドにファックしそうな勢いでのし掛かり、カメラに指を突き立てた。
ジョニー・ライドン率いるセックス・ピストルズ。
ロンドンパンクの急先鋒。
彼はカメラの向こうの全世界をあざ笑っていた。自分と自分を取り巻く世界のすべてを笑い、挑発していた。この世界はクソだと言い放っていた。
この世界はクソだ。オレもオマエも同じだ。何もできずにフラストレーションを感じたまま、どこにも行けずに不平を並べているだけだ。分かっているのか?オマエだよオマエ。そこにいるオマエ。良い子面して、ホントははみ出す勇気がないだけの意気地無しのオマエだよ。勉強して良い成績を取るしか自分の居場所を見つけられない、まわりの期待にそえることでしか自己実現できないオマエだよ。
ジョニー・ライドンは画面の向こうから、ぼくを挑発していた。ぼくは動けなかった。そのまま画面に釘つけになっていた。
それは、ぼくが聴いてきたどの音楽ともちがっていた。どのロックともちがっていた。ディストーション・ギターならハードロックと同じだった。コード進行は幼稚だった。でも、そのバンドが、その男が画面の向こうから流したものは、今までにない何かだった。破滅と裏表の、きわどい疾走感。破れかぶれのエネルギー。退廃と情熱の両方を持ち合わせた、すさまじい躍動感。
いや、ちがう。彼のロックは「憎悪」だった。彼は世界を憎んでいた。憎むべき世界でしか生きられない自分を憎んでいた。アナーキストだとか大資本はクソだとか、そんなのは付け足しだった。彼はすべてを憎み、嘲笑していた。その憎しみが、嘲笑が、彼のリアリティだった。憎み、あざけることで、彼は呼吸していた。自分の居場所を作っていた。
すぐに画面が切り替わり、ミック・ジャガーが「パンクロックは衝動的で破滅的で、ピストルズもすぐに解散し、ブームは急速にしぼんで行った」と冷静な口調で語った。でも、そんなことはどうでも良かった。その荒れたフィルムが数年前のものだろうと100年前のことだろうとどうでも良かった。たしかに、ジョニー・ライドンはぼくを挑発していた。突き刺さるようなディストーション・ギター。明快なコード進行。まっすぐなエイトビート。そしてジョニー・ライドンの鼻にかかった、嘲笑的なボーカル。
フィルムが流れたのは30秒に満たなかった。でもその30秒は、ぼくの生き方を変えるには十分だった。ジョニーはこう言っていた。「悔しかったらオマエもやってみな。やれるもんならな」
もちろん、彼の言う通りだった。ぼくは肥満児で、ぶよぶよしたぜい肉のカタマリで、5部刈りで、半端に背が伸びていて、ヒゲが生えかけてきてて、大人と子どものいちばん醜い狭間にいた。運動ができず、親や教師の期待通りに勉強で成績を上げるしか安住の場所がなかった。それなのに、いくら勉強をしても1番にはなれなかった。せいぜいが4番から10番台だった。削りたくても、それ以上勉強のために削る時間はなかった。どんなに勉強してもせいぜい4番。どんなにまじめに勉強しても1番にはなれない。どれほど睡眠時間を削って勉強しても、親も教師も「次はもっとがんばれ」とため息交じりに言われる世界。それが、この世界でぼくが立っている場所だった。せまくて息苦しくて窒息しそうな世界。少しでもからだを動かすと突き当たってしまう世界。ぼくを圧迫し、押しつぶそうとする、強大で抑圧的な世界。息をすることも身じろぎすることもできずにつぶされて行く世界。ぼくの意志や気持ちなど、だれ一人構ってはくれない世界。
彼がぼくを挑発しているのは、そんな世界のわずかな裂け目の向こう側からだった。彼は世界の壁など簡単に引き裂いて、その向こう側のきらめく星空から高らかに叫んでいた。
「オレはここだ。悔しかったら来てみな。オレはここだ。悔しかったら来てみな。オレはここだ。悔しかったら・・・・」
ぼくがするべきことはただ一つだった。セックスピストルズのレコードを手に入れること。でも、どのレコード店にも彼らのレコードは置いていなかった。輸入盤しかないのかとがっかりし始めたとき、ようやく国内盤を一枚だけ手に入れることができた。「ネバー・マインド・ザ・ブロックス」。彼らのただ一枚の正規盤。
黒いビニール盤をターンテーブルに載せる。針を落とす。一曲目「さらばベルリンの陽」。軍靴の足音とバスドラムが8つ。そして耳をつんざくディストーション・ギター。
パンクロック。
パンクロック。
それがパンクロックだった。
ロックもアルコールも、すべてがそこから始まった。

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