ブラックアウトとタイムマシン(3)
パンクロックに出会ったのは中学2年のことだ。
試験勉強のため、ぼくは家族が引き上げた茶の間で問題集を解いていた。
一段落ついて、テレビをつけた。NHKだった。ミックジャガーが進行役で、ロックの歴史をたどる内容の番組だった。ぼくは勉強に疲れたアタマで、ぼうっと画面を眺めていた。前半の内容は憶えていない。エマーソン・レイク&パーマーのキーボーディストがオルガンごとひっくり返った場面だけわずかに憶えている。
突然、空気をつんざくようなギターの音が鳴り響いた。きたない、荒れた画像。ぼろぼろの服を着た若者がマイクにしがみつくように大声でがなっていた。バンドのメンバーたちも似たり寄ったりのぼろぼろの服装で、ギターもベースもストラップをぎりぎりまで下げてかき鳴らしていた。画面にはペンキで殴り書きしたような文字で、歌詞の対訳が踊った。
「オレは反キリスト教徒」「オレはアナーキスト」「オレは何もかもぶち壊したいぜ」「オレはアナーキストになりたいんだ」
まるで気が狂ったかのようにそのオトコは飛び跳ね、目玉をひん剥き、マイクスタンドにファックしそうな勢いでのし掛かり、カメラに指を突き立てた。
ジョニー・ライドン率いるセックス・ピストルズ。
ロンドンパンクの急先鋒。
彼はカメラの向こうの全世界をあざ笑っていた。自分と自分を取り巻く世界のすべてを笑い、挑発していた。この世界はクソだと言い放っていた。
この世界はクソだ。オレもオマエも同じだ。何もできずにフラストレーションを感じたまま、どこにも行けずに不平を並べているだけだ。分かっているのか?オマエだよオマエ。そこにいるオマエ。良い子面して、ホントははみ出す勇気がないだけの意気地無しのオマエだよ。勉強して良い成績を取るしか自分の居場所を見つけられない、まわりの期待にそえることでしか自己実現できないオマエだよ。
ジョニー・ライドンは画面の向こうから、ぼくを挑発していた。ぼくは動けなかった。そのまま画面に釘つけになっていた。
それは、ぼくが聴いてきたどの音楽ともちがっていた。どのロックともちがっていた。ディストーション・ギターならハードロックと同じだった。コード進行は幼稚だった。でも、そのバンドが、その男が画面の向こうから流したものは、今までにない何かだった。破滅と裏表の、きわどい疾走感。破れかぶれのエネルギー。退廃と情熱の両方を持ち合わせた、すさまじい躍動感。
いや、ちがう。彼のロックは「憎悪」だった。彼は世界を憎んでいた。憎むべき世界でしか生きられない自分を憎んでいた。アナーキストだとか大資本はクソだとか、そんなのは付け足しだった。彼はすべてを憎み、嘲笑していた。その憎しみが、嘲笑が、彼のリアリティだった。憎み、あざけることで、彼は呼吸していた。自分の居場所を作っていた。
すぐに画面が切り替わり、ミック・ジャガーが「パンクロックは衝動的で破滅的で、ピストルズもすぐに解散し、ブームは急速にしぼんで行った」と冷静な口調で語った。でも、そんなことはどうでも良かった。その荒れたフィルムが数年前のものだろうと100年前のことだろうとどうでも良かった。たしかに、ジョニー・ライドンはぼくを挑発していた。突き刺さるようなディストーション・ギター。明快なコード進行。まっすぐなエイトビート。そしてジョニー・ライドンの鼻にかかった、嘲笑的なボーカル。
フィルムが流れたのは30秒に満たなかった。でもその30秒は、ぼくの生き方を変えるには十分だった。ジョニーはこう言っていた。「悔しかったらオマエもやってみな。やれるもんならな」
もちろん、彼の言う通りだった。ぼくは肥満児で、ぶよぶよしたぜい肉のカタマリで、5部刈りで、半端に背が伸びていて、ヒゲが生えかけてきてて、大人と子どものいちばん醜い狭間にいた。運動ができず、親や教師の期待通りに勉強で成績を上げるしか安住の場所がなかった。それなのに、いくら勉強をしても1番にはなれなかった。せいぜいが4番から10番台だった。削りたくても、それ以上勉強のために削る時間はなかった。どんなに勉強してもせいぜい4番。どんなにまじめに勉強しても1番にはなれない。どれほど睡眠時間を削って勉強しても、親も教師も「次はもっとがんばれ」とため息交じりに言われる世界。それが、この世界でぼくが立っている場所だった。せまくて息苦しくて窒息しそうな世界。少しでもからだを動かすと突き当たってしまう世界。ぼくを圧迫し、押しつぶそうとする、強大で抑圧的な世界。息をすることも身じろぎすることもできずにつぶされて行く世界。ぼくの意志や気持ちなど、だれ一人構ってはくれない世界。
彼がぼくを挑発しているのは、そんな世界のわずかな裂け目の向こう側からだった。彼は世界の壁など簡単に引き裂いて、その向こう側のきらめく星空から高らかに叫んでいた。
「オレはここだ。悔しかったら来てみな。オレはここだ。悔しかったら来てみな。オレはここだ。悔しかったら・・・・」
ぼくがするべきことはただ一つだった。セックスピストルズのレコードを手に入れること。でも、どのレコード店にも彼らのレコードは置いていなかった。輸入盤しかないのかとがっかりし始めたとき、ようやく国内盤を一枚だけ手に入れることができた。「ネバー・マインド・ザ・ブロックス」。彼らのただ一枚の正規盤。
黒いビニール盤をターンテーブルに載せる。針を落とす。一曲目「さらばベルリンの陽」。軍靴の足音とバスドラムが8つ。そして耳をつんざくディストーション・ギター。
パンクロック。
パンクロック。
それがパンクロックだった。
ロックもアルコールも、すべてがそこから始まった。
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