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2004年8月22日 (日)

レイヴ、トランス、ロックンロール

コンピュータの進化は確実に音楽を変えていっている。
近ごろパソコンで音楽を作ろうとしてて、そう実感することが何度もある。ぼくがティーンエイジャーだったころにも「テクノ」という音楽様式があったが、それはYMOでありクラフトワークであり、つまりは電子音の奇妙な音響を組み立てて楽しむ音楽だった。シンセベースのビヨンビヨンと言う音。シンセドラムの破裂音。イモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」といえばお分かりだろうか?
しかし90年代以降、テクノはものすごい勢いで進化していったようだ。「ループ」という、1小節ないし2小節くらいのフレーズをビートに乗せて繰り返していく。ループは別に自分で演奏したものでなくてもいい。ひとのレコードやCDから録音してきて、それを1〜2小節のループに切り取って、繰り返し再生する。その音をイコライザやディストーションで味付けをする。それをミックスして音楽にする。たとえばジャズのドラムをレコードから録音してきて、それに乗せてクラシックの弦楽器のフレーズを再生する。音程を変えてコード進行を付ける。黒人女性ボーカルのシャウトを乗せる。するとどうなるか。そう、それはだれも聞いたことのない「新曲」になるんだ。
従来であればそう言う作業は、気の遠くなるようなスタジオ作業が必要だった。オープンリールのテープに音を録音し、ミリ単位でテープを切り貼りする。テープのどの辺がビートの何拍目かなんて分からないから、トライ&エラーで成功するまでテープをダビングしては切り貼りし続ける。テンポが合うように、テープの回転数を変える。回転数を変えるとピッチ(音程)も変わる。それを計算して、テンポを変えた後にうまくピッチがあうような素材選びをする。気の遠くなる作業が必要だった。もちろん、そんな作業をするくらいだったらはじめから自分で演奏した方が手っ取り早い。だからテープの切り貼りやリミックス作業は、一部のマニアックな音楽家やエンジニアのものだったんだけど。いまやその作業は、ものの5分とかからずに、だれもが自宅のパソコンでできる。何せ楽器を弾く必要がない。欲しいのは数小節の音の素材だけだ。最終的にボーカルが欲しければ、その段階になって歌を録音すればいい。
そう言う音楽世界では、従来の価値観の大半が狂ってくる。たとえばドラマーは必要ない。「ドン、ドン、ドン、ドン」という四つ打ちビートのリズムマシーン。反復するビート。ギターもベースも、数小節のループが切り刻まれ、フランジャーやコーラスなどの処理を施され、再解釈される。必要なのは楽器を演奏する能力ではなく、ドラムマシーンのリズムを組み立てる能力、フレーズの組み合わせをまとめる能力、ビートや小節数をカウントして素材としての適・不適を判断する能力、そしてエフェクタや音響に関する知識。エンジニアとプレイヤーのちょうど中間くらいの能力だろうか。テクノ/ハウス系とは、まさに「再解釈」の音楽だ。それを行う人間はなんと呼ばれるべきだろう?アレンジャー?プレイヤー?作曲家?ぼくにも分からない。

そう言う音楽をガンガンに鳴らして踊り狂うパーティを「レイヴ・パーティ」とか言うらしい。ひたすら無機的なビートが繰り返され、トランス状態になっていくのだそうだ。さすがにそう言うイベントに行く気はしないけど、従来の音楽の構造が変革されつつある。ひとつのシーンとして確立しつつある。その事実には注目したい。
このムーブメントは、90年代にヨーロッパ、アメリカのデトロイトあたりで同時多発的に形成されていったようだ。定職も持たずすむ場所さえ定めない若者たち(トラベラーズとか言うらしい)をはじめとするアンダーグラウンドカルチャーな人々が集まり、空き地や倉庫や郊外でラリラリになってループミュージックに酔いしれる。
良くも悪くも、ハウスやテクノと言ったループミュージックはそこから出発し、確実に音楽のあり方を変えている。だれでもループを繰り返して鼻歌を歌えばあっと言う間に曲のできあがりだ。それは悪いことじゃないと思う。従来はヒッシに楽器の練習をしたり歌の練習をして、その上でバンドを組んで演奏をしなければならなかった。その過程はものすごくドラマティックだし死ぬほど大好きなんだけど、その過程で脱落していってしまうアマチュアミュージシャン(ぼくを含めて、ね)、完成せずに埋もれていった名曲はたくさんある。そう言った過程を抜きにして、本来の表現欲求をそのまま曲にできる。それはすばらしいことだと思う。
ほんと、腕の立つプレイヤーは我が強くってエゴイストが多いスよ。そう言う人たちを見ていると、我が強くないと一流のミュージシャンにはなれないんじゃないかと思う。自分にも厳しく、他人にも厳しい。家庭も仕事も家族と過ごす時間も、そう言ったものを犠牲にして練習に打ち込む。CDのフレーズを何千回と聞き込み、死ぬ気でコピーする。自分の演奏やバンド活動のためにすべてを犠牲にする。だから「必死」の度合いが低いメンバーと摩擦が生じる。
その切磋琢磨から生まれるものはとても価値がある。ただ、そう言う体育会系を回避した音楽があってもいい。それは音楽の質とは無関係だ。ハードコアテクノは、並のパンクよりもはるかに破壊的だったりする。ギターをパソコンに持ち替え、ピックの代わりにマウスを握る。新しい世代の音楽を、ぼくは肯定する。新しい世代、新しいロックンロール。

・・・それにしても音楽ソフトって操作むずかしいねー・・・・Photoshopよりむずかしい・・・。

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