中島らもの死〜アディクションの果て〜
「死」に過剰な意味づけをするのはきらいだ。
あるひとが死ぬ。いなくなる。そのひとの不在が重くのしかかる。
でも不在は、いつか埋められる。死者は忘れられていく。
ひとは自分の信じたいことを信じ、憶えていたいことだけを憶えている。
憶えていたくないことは忘れられていく。死者は生者の記憶の中で都合良くつくりかえられていく。
それでも、時代のアジテーターの死はいつだって衝撃だ。
記憶をつくりかえようにもかえられないくらいに。
中島らもが死んだ。
とびっきり優秀なアジテーターだったと思う。
彼の文章は繊細で、せつなくて、胸に染みた。
青春の輝きと若者への共感と、権力への怒りに満ちていた。
美しいものへのあこがれと、現実に妥協する大人たちへの率直な否定に満ちていた。
おとなたちの「おとな的なもの」すべてへの反抗が描かれていた。
自由であることの楽しさと孤独が描かれていた。
「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」は美しい青春記だ。
ぼくがアル中の大学生だったころ、アルコールの海の中で何度も読み返した。
そこに描かれているものにあこがれ、共感し続けていた。
世間一般で評価の高い「今夜、すべてのバ−で」は、あんまり鋭さを感じなかった。
人情話に流れすぎているように思った。アル中で死んだ友人の描写は優れていたが。
「人体模型の夜」のするどい恐怖感にぞくぞくしたし、「愛をひっかけるための釘」その他のエッセイはいつだって勇気を分けてくれた。
「ガダラの豚」は優れた冒険小説だ。魅力的なキャラクタ、深まるなぞ、伏線とはったり。
ロックンロールがどこまでも流れているような、そんな文章を書くひとだった。
アル中がひどくなってきたのがいつごろだったのか、ぼくは知らない。
「明るい悩み相談室」にアル中がひどくて書けない、と吐露していたのを記憶している。
それでも割とコンスタントに著作が出ていたような記憶があるし、単に「自称アル中」を気取っているだけだと思ったのだけれど。
2年ほど前に、「中島らも〜アルコール依存症との戦い〜」みたいなタイトルの、NHKの特番を見た。
ボロボロだった。話し方はひどくのろく、ときに途絶した。
手が震えて字が書けないので、奥さんに口述筆記してもらっている。だから著作ペースはひどくのろい、と言うようなことを言っていた。
じっさいにその口述筆記の場面も収録されていたが、言い間違い、言いよどみ、前述の文章の確認などをしながらの口述で、ひどく遅かった。
ほとんど廃人の様相だった。
近年の著作に、お酒はやめて食べ物が美味しくなった、主治医の先生は立派な人で対談もした、ライブもこなしていると書いてあった。だが、TVの中島らもはとてもギターを持つことなどできないような、ほとんど痴呆のすがただった。
彼が大麻で捕まったのは、それからしばらく後のことだった。
大麻自体よりも、大麻を買ったり隠したりできたことがおどろきだった。
アル中52歳説、というのがある。
かなり信憑性のある説だと思う。中島らも、享年52歳。
いろいろ思うところはある。多くの著名人アル中と同様に日本のアルコール医療の貧しさの犠牲になったとも言えるだろうし、破天荒な人生にふさわしいようにも思える。
彼の人生にいつもつきまとっていた思春期的な心性は、こんな風に結末を迎えるしかなかったのかも知れない。
彼の考え、彼の人生にぼくは強く共感する。すくなくとも、かつては強く共感した。
大人が嫌い。自分が嫌い。
この醜い世界と醜い自分が大嫌い。世界中をあざ笑って、ロックンロールをかき鳴らしながら死んでしまいたい。
青春の切なさを抱きしめていたい。そう、それこそ死ぬまで。
でも唾棄すべき大人の仲間入りをするどころか老いさえも近づいてきたときに、彼はどう思ったのだろう?
老いの見えはじめた顔を鏡の中に見つけたときに、なにを考えたのだろう?
アルコールと薬物から離れられないと知ったとき、どう感じたんだろう?
回復することのなかった52歳のアル中。
きっと多くのひとがぼくと同じように彼のことをwebで語り、追悼するだろう。
全集が発行され、追悼ライブが何度か開かれるだろう。
ぼくは彼の著作を読み返し、彼のことを想う。
彼が感じたことを想像する。ぼくが若かったころに著作を読んで感じたことをもういちど思い返す。
文才はあったが回復できなかったアル中。
ロックンロールと詩と自由。彼の一部は、たしかにぼくのなかにいまも息づいている。
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コメント
はじめまして。
中島らも繋がりでトラバ打たせて貰いました。
日記も色々読ませて頂きました。
秩序があっていい文章を書く人ですね。
私のバラバラとは大違い。
また見に来ます。ではでは。
投稿: otama | 2004年9月22日 (水) 01:27