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2004年7月18日 (日)

淡い恋とロック喫茶

引き続き職場に拘束中です。
ちょくちょく現場から呼び出しがかかり、マツケンのサンプリング作業は遅々として進まず。
ソフトの操作になれてきただけでも良しとするかねー。

ナゴヤの話のつづき。
千種、というところにぼくの通っていた予備校はあった。
そこから地下鉄で一駅、徒歩で10分ほどのところに今池というエリアがあった。パチンコ店と郵便局の本局とマッチ箱みたいに小さな赤提灯と風俗店が建ち並ぶ、おかしなエリアだった。
ちょっとサヨクがかった文芸系の映画館があったり、コクトーやボードレールやバタイユが充実した小さな本屋があったりと、60年代のアンダーグラウンドのかおりが残っているエリアでもあった。
予備校でも寮でもぼくはひとりの友達も作らず、せっせと今池に足繁く通い、行く当てもなくうろついていた。
「時計じかけ」という名のロック喫茶を偶然見つけたのも、そんなときだった。

時計じかけでは「ロックを聴く」以外のいっさいの作業が許されなかった。
その店は雑居ビルの地下一階にあった。ぼろぼろの急な階段を下ると、分厚い真っ黒な扉の向こうから重低音が伝わってくる。
扉を開けると、いきなり闇だった。その店には照明というモノがほとんどなかった。さほど広くない店は中2階と1階のふたつのエリアに分かれていて、それぞれ4人がけのテーブルが4つほどあった。テーブルの上に薄暗い白熱灯がぶら下がっていたが、なぜかものすごく暗く、手元の本もろくに読めないくらいだった。
そして常に轟音でロックが流れているので、会話をすることもできなかった。席に着くと店員がオーダーを取りに来るのだけど、大声で注文をしないとかならず聞き返された。
そこはすぐに、寂しさと不安を沈めることができる唯一の場所になった。
時計じかけは、間違いなく硬派のロック喫茶だった。ちゃらちゃら話をしたりロックを聴く気のない客はいなくていい。そう言う雰囲気がそこかしこに漂っていた。たまにカップルが紛れ込んできたが、彼らは例外なく、大音量に負けじと大声で話をし、そして不意に訪れる曲間の静寂で、ほかの客から白い目で見られた。テーブルにはそれぞれ大学ノートが置いてあって、思春期丸出しの気恥ずかしくなるような文章が並んでいた。ふしぎなことに、その店にはほとんど客が入っていなかったにもかかわらず、大学ノートにはいつも新しい書き込みがあった。ぼくもすぐに、店の暗さにもめげず、ノートにせっせと書き込みをするようになった。
その店では洋楽、それも60年代から70年代のシリアスなロックしかかからなかった。50年代のスリーコードのロックンロールがかかることもなければ、80年代のコンピュータミュージックがかかることもなかった。だれも知らないようなマイナーなバンドの曲が流れ続けていた。そこでぼくはいくつものすばらしいミュージシャンを知るようになる。ケイト・ブッシュ、トム・ウェイツ、デビッド・ボウイ、モット・ザ・フープル、エリオット・マーフィ、コックニー・レーベルなどなど。デビッド・ボウイは「レッツ・ダンス」以降のモダン・ポップ路線しか知らなかったので、シリアスな表現者としての楽曲には接したことがなかった。地下の真っ暗な闇に沈んで轟音の「アッシュズ・トゥ・アッシュズ」を聴いていると、暗い夢見心地のきもちにさせてくれた。モット・ザ・フープルのうたう「すべての若き野郎ども」のせつないメロディに日々の不安を忘れることができた。ナゴヤの厳しい夏の暑さも、時計じかけの暗闇には届かなかった。コンクリートの壁に囲まれて、ぼくはロックに首までどっぷりと浸かっていた。

ぼくの注文はいつも同じ、アイスミルク。時計じかけと言えば、やっぱりミルクでしょう。
キューブリックの映画「時計仕掛けのオレンジ」では主人公は麻薬入りのミルクを飲んでいたからね。
時計じかけの厨房には数人のバイトが交代で入っていたけれど、その中にたったひとりだけ女の子がいた。そのうちに何となく顔見知りになった。といっても爆音のロック喫茶で会話のしようもなく、ぼくには彼女に話しかける勇気もなかった。「そのうち話でもできたらいいな」と思っているだけだった。それでも、ぼくのナゴヤでの一年間、彼女の笑顔だけがぼくの支えだった。ときどき様子を見に来てくれる叔父の一家をのぞけば、ぼくに笑顔を見せてくれたのは彼女だけだった。

あれは淡い恋だったのでしょう。

あっという間に一年間が過ぎ、ぼくは大学に合格し、ナゴヤを去ることになる。
あんなに大嫌いだった寮も、いざ去るときには妙にせつない気持ちになったからふしぎだ。そして何よりも、時計じかけとバイトの彼女にもう会えなくなると思うと胸がうずいた。
思い切って声をかけた。食事に誘った。ダメもとだったけれど、意外なことにオーケーの返事が返ってきた。
デートらしいデートはナゴヤでしたことがなかった。着る服もなく、ぼくはいつものぼろぼろのブラックスリムジーンズにTシャツ、上着代わりの長袖シャツで出かけた。
どこでなにを食べたのかも思い出せない。どんな話をしたのかも。ただもうやみくもに緊張していて、かちかちだった。別れ際、彼女がおもちゃのピアノをくれた。大学の合格祝い、そしてナゴヤを離れる記念品だという。
そのトイピアノは、いまでもぼくの部屋に飾ってある。鍵盤を叩くと、調子はずれだけど立派に音がする。トイピアノといっしょに電話番号が書かれた手紙も入っていたけれど、引っ越ししたり新しい彼女がつきあったりしたときに隠したりしているうちに、いつのまにかなくなってしまった。大学に合格してから1年くらい経って、思い切って電話したことがある。そのときにはもうすでに立派なアル中になっていて、泥酔状態での電話だった。それでも、その電話番号が不通になっていたことははっきり憶えている。甘ったるい感傷にひたっていて後ろ向きな自分とちがい、彼女はどこかへ向かっている。そう思うとすこしさびしいようなうれしいような、ヘンな気持ちがした。

ただ一回のデートのさいご。
別れ際に彼女にキスをした・・・ような気がする。彼女の身体が意外に柔らかかったのを憶えている。ただそれがほんとうにあったことなのか、どうしても思い出せない。あの当時の、そしてその後のアルコールの海の中での山ほどの妄想のひとつのようにも思える。だけどそれが事実かどうかなんて、どうだって良いことだと思う。あの当時、ナゴヤの街のうだるような暑さの中を時計じかけに通い続けたこと。不安と孤独を感じ続けたこと。轟音のロックに身を潜め続け、そこだけが安息の場所だったこと。彼女の笑顔に助けられたこと。それはもう、それだけが。まぎれもなくほんとうのことなんだから。
ほんとうのことなんだから。

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コメント

時計じかけ、懐かしいです。
大学ノートにはJACKネームで落書きしてました。
その彼女、なんだが覚えがありますね。
じかけでは、ロックと酒を教えてもらいました。
今や43のオヤジなんですが、少し時計の針を戻せました。ありがとうごさいます。

投稿: wappa | 2008年5月30日 (金) 10:46

初めまして、 wappaさん。
古いエントリーへのコメント、ありがとうございます。
この文章を書いたこと、すっかり忘れていました。
JACKネームのラクガキ・・・うーん、憶えていないですねー。ぼくが座るテーブルはいつも同じだったので、ちがうテーブルのノートだったのかも。
「じかけ」。そうそう、通は店の名をそう呼んでいましたよ。懐かしいなー。
43でオヤジだなんて、とんでもない。「時計じかけ」の闇とロックを思い出せる限り、われわれは永遠に、旅するワカモノです。

投稿: カオル | 2008年5月30日 (金) 18:51

懐かしいですね。私も予備校時代、大学時代よく通ったものです。その彼女は私も覚えてます。カウンターの前の椅子に腰掛けタバコをくゆらせてました。決して美人ではないけど、店にはぴったりの雰囲気を醸し出していました。あの長髪のマスターも気になるな。確かに70年代のブリティッシュロックがメインだった気がします。もう今ではあのビルそのものがないのではないかな。シネマテークもウニタ書店も健在のようですが。あそこで初めて聞いたking crimsonのstarlessはたまらなかった。あの狭く暗い空間にぴったりだった。あの頃ちょうど長谷川和彦の「太陽を盗んだ男」を映画館で観て感動したことを思い出しました。

投稿: RED | 2012年1月 4日 (水) 23:47

REDさん

古いエントリーへのコメント、ありがとうございます。
4半世紀近く前のことなのに、コメントを読んであらためて思い出しました。
そうそう、彼女はカウンターの前の小さな椅子に腰掛けてタバコを吸っていましたねー。雰囲気のある女性でした。長髪のマスター、異様にやせこけてて、いかにもロックのひとって雰囲気でしたよね。彼女と店長は一時付き合っていたというウワサもどこかで聞いた覚えがあります。
シネマテークはまだあるんですか。ウニタ書房って、今池のビルにあるちょっとサヨクがかったアングラな書店でしたっけ?なけなしのカネをはたいてジム・モリソンの希少な詩集を購入しました。いまもだいじな宝物です。
シネマテークも時計じかけも、昭和特有の、じっとりと熱気を含んだ濃厚な暗闇を感じました。今も目を閉じると、時計じかけのスピーカーからレコードに針を落とす音が聞こえてくるようです。あの時代の空気感は、きっともうわれわれの記憶の中にしかないのでしょうね。

投稿: カオル | 2012年1月 5日 (木) 15:19

実は私も彼女には淡い恋心を抱いていましたよ。ウニタ書店はその通り左翼系の書店ですね。映画系の雑誌や今は只の音楽雑誌になってしまったfool's mateのバックナンバーが結構そろってました。あの頃の予備校(河合塾)だと牧野とか小林という現代国語の名物教師がいましたね。小林先生は今はドイツの大学で教授をしているようです。彼らに比べると大学の講義は本当につまらなかった。ロッドスチュアートのアトランティッククロッシングをリクエストした男性がバラードサイドになると完全にその世界に浸って上半身を揺らして聞いていたのを思い出しました。そんな喫茶店でした。確かにカオルさんのいう通り記憶のしかにしかないけど永遠です。彼女は今どうしているんでしょうか?

投稿: RED | 2012年1月 5日 (木) 15:38

じかけ、懐かしいですね
私はじかけのマスターである篠*さんの千種にあったROCKショップで働いてたのですが、当時じかけにも通いまくってました。
今でもどっぷりROCKにはまってますが、じかけのような薄暗いお店で大音量でROCKを堪能する機会はあれ以来ないのでその感覚もまた今では懐かしい思い出です。

投稿: MILBA | 2012年12月 5日 (水) 23:55

MILBAさん

古いエントリーにも関わらず、コメントありがとうございます。
時計じかけ、あの当時、あそこに集っていた人たちはいまはどうしているんでしょうね。
働いていたひとが、別の日にはお客となってあの暗闇に身を沈めている姿も何度か目にしました。
あの時代、あの暗闇、あの音楽の数々はいまもぼくにとってはロックの原体験です。当時あそこに集っていた人たちにとっても同様でしょう。
千種には、MILBAさんがつとめていたロックショップがあったんですか。知りませんでした。
何十年前も時間が経っても、目をつぶればあの暗闇、あのお店がよみがえってきます。地下へつづく階段、大音量、木の机、ノート、灰皿、そして暗闇。夏場でもみょうにひんやりした空気でしたよね。
コックニー・レベルのpsychomodoのB面、ケイト・ブッシュの嵐が丘、パティ・スミス、ニューヨーク・ドールズ、エリオット・マーフィー、ああいろいろ思い出してきました。

投稿: カオル | 2012年12月 6日 (木) 08:36

こんばんは。「時計じかけ」で検索したらこちらにヒットして伺いました。
私は1980年代前半にじかけへ通っていました。
今では道も忘れてしまったのですが、ガスビルの裏の方だったことは覚えています。
女友達が学生時代にじかけでバイトをしてたのですが・・・たぶんこちらに出てくる女性とは別人でしょう。
もしかしたらあの人かなーという心当たりはあるのですが、思い出はそのままにした方がいいでしょうね。
じかけノート、懐かしいです。
私もよく思いを記しました。コメント返ししてくれた方も。
あのうす暗いところでよく別冊マーガレットを読んでいました。
私は店内が見渡せる中二階の席が好きでしたね。
じかけは私の青春時代の大切な思い出です。
二年前くらいから再び洋楽を聴き始め、洋楽友達も増えました。
今でもじかけがあったらな~と思わずにはいられません。
名古屋でもいくつか80'sバーがありますね。
ごくたまにしか行けませんが、同世代ばかりで楽しめます。栄の69 YOU オススメです。

投稿: リラ | 2012年12月26日 (水) 03:34

リラさん、こんにちは!

最近時計じかけで検索して訪れてくれる方がいらっしゃって、うれしいです。
場所はガスビルの、今池交差点を挟んで向かい側の、裏手の方でした。
今池駅の怪しい地下商店街、怪しい左翼系書店、雑多な雰囲気をいまでもよく覚えています。
時計じかけの、あのまっ暗な店内、ロックとじかけノート、コメントのやり取り、なつかしいです。
もしタイムマシンがあるなら、もういちど時計じかけに戻りたいです。
名古屋には80'Sバーがあるんですか。
栄の69 YOU、チェックしました。こんど名古屋に行くときはぜひ立ち寄ってみます。
ありがとう!

投稿: カオル | 2012年12月26日 (水) 08:29

来年50歳!になる者です。最近たまたま今池にライブを観に行ってふと、「時計じかけ」のことを思い出し懐かしくて検索したところ、こちらのページを見つけました。

私も二十歳くらいの頃、通ってましたよー!
当時の彼氏が音楽やっていたので、じかけにはふたりでよく行きました。
でも、会話をするでもなく(会話できないほどの大音量だったし)それぞれマンガや本などを、目を思いっきり凝らして読み(笑)その世界に浸っていました。

メニューにはなぜだか、ポンジュースや永谷園のお茶漬けがあったような気がするのは私の記憶違いか??
真相はどうだったのでしょうねぇ・・・。

音楽好きな同年代の友人に聞いても意外と、じかけのことは知らないんですねぇ・・・。

じかけファンの集いなんかあったらきっと楽しいでしょうね

投稿: アンバー | 2013年11月21日 (木) 20:26

アンバーさん

コメントありがとうございます。
古いエントリーにも関わらず、こうして書き込みをいただけるのは本当にうれしいです。
時計じかけは、ほんとうにいろんな人の心に残っているものですね。
あの暗闇と大音量は、居場所を見失った若者たちにとって心安らぐ空間でした。
しかし昭和の時代とは言え、あの真っ暗闇と大音量でよく消防署の許可が下りていたなと思います。いまではムリでしょうね。
メニューはほとんど目を通さなかったので、あまり記憶にありません。ポンジュースやお茶漬け、どうだったかな。ひょっとして裏メニュー?
こうして書きながらも、あの暗闇、地下へ続く階段のひんやりした空気、ドアを開いたときに漏れる大音量、ありありとよみがえってきます。
当時の名古屋ロックキッズたちのこころにいまだに残り続ける時計じかけ。
じかけファンの集い、いいですね。
誰かとりまとめてくれる方がいれば、ぜひ話に乗りたいです。

投稿: カオル | 2013年11月27日 (水) 06:40

もう随分まえの投稿なんですね。
にも関わらず、年月経て今もレスがある。
それだけ、心を打つ話なんだと思います。

高校生の頃、たまにお店に行きました。
隣のレコード屋(?)にもよく行き、
店内にある古いミュージックライフが欲しくて、
店主にいつも「売って下さい」と
頼んでは「駄目です」と断られてました。
でも最後に、お店を閉めるときに譲ってもらいました。
Led zepplin来日特集号とか貴重なものです。
今はその本もどこかに紛失してしまいましたが・・・。

お店では良くハンブルパイをリクエストしていました。
イーグルスのホテルカリフォルニアを初めて聞いて、
いたく感動したのも、このお店。

高校生が大人ぶってタバコを吹かしたのもこの店。
全てが懐かしいですね。

バイトの女性は覚えていませんが、とても良い話で
当時の自分の初恋なども重ねて懐かしい思いで一杯に
なってしまい、つい書き込んでしまいました。

たしかに、当時、お店に行った人たちが懐かしんで集まる機会など有ると面白いでしょうね。

投稿: ヒロユキ | 2014年9月30日 (火) 16:19

ヒロユキさん

コメントありがとうございます。
このエントリーを書いてから10年が経ちました。歳月はあっという間に過ぎていきます。昨年名古屋を訪れたときは、もう記憶があいまいで時計じかけの跡地を見つけることもできませんでした。
ですがヒロユキさんが当時のエピソードを思い出せるように、記憶は薄れても、きっと思い出は薄れないんだと思います。
いまでも時々、「じかけ」に集っていた人たちのことを考えます。大人になりきれなかった少年少女たちは、いまはどんな風に年齢を重ねているんでしょう。
いちど会ってみたいですね。時計じかけ、一夜限りの復活とか、だれか企画してくれないかしら。
名古屋には来月再訪する予定です。またじかけ跡地を探してみようと思います。
お読みいただきありがとうございました。

投稿: カオル | 2014年10月 1日 (水) 08:52

こんにちわ
以前書き込んだ者です。

時計じかけが有った場所、再開発されてたのかな?
と思い、自分でも少し調べてみました。

ダイエーの裏あたりで、ホテル長楽という安~いビジネス
ホテルが有ったビルの地下だったかと。
ちなみに、ビルの住所が以下になります。


今池5丁目19-7

投稿: ヒロユキ | 2014年11月25日 (火) 15:18

ヒロユキさん

ありがとうございます!
実は先日、名古屋を訪れました。
ヒロユキさんのおかげで、無事にたどり着くことが出来ました。
しかし20年以上経つと、予想以上に記憶があやふやになっているものですね。おそろしや。。。
再訪成功の記事は近日中に上げます。
お待ちくださいヾ(๑╹◡╹)ノ"

投稿: カオル | 2014年11月26日 (水) 18:25

そうですか!それは良かったです。

再訪成功記事楽しみにまっております!

投稿: ヒロユキ | 2014年11月27日 (木) 10:23

最近こちらのブログ知ったので、さかのぼってまーす。読んでいて、「いいな、いいね、このブログ、カンドー」って感じました。自分、片想いの女性と友部正人のライブに行ったことを思い出しました。25年前くらい(笑)

投稿: ジャビー | 2016年1月15日 (金) 21:54

ジャビーさん

古いエントリーにもかかわらずコメントをくださり、ありがとうございます。
同世代とお見受けしました。
まだインターネットもなく、メールもLINEもなかった時代。
思いを寄せる相手に近づくのはほんとうにたいへんでした。
でもその分、ぼくたちはその気持ちをとてもたいせつにすることができました。思うように話しかけられずに苦しんだことも、ちょっと目が合っただけで胸が高鳴ったことも、ビビッドに感じることができました。
そういう意味では、たとえそのときはどんなにせつなく、苦しかったとしても、80年代から90年代に多感な時期を過ごせたわれわれは、ある意味しあわせなのかも知れませんね。

投稿: カオル | 2016年1月16日 (土) 02:02

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