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2004年7月31日 (土)

ミソカツだがや

PICT2151
思い出したようにナゴヤの話。
ミソカツ、うまかったがや〜。写真は矢場とんのわらじミソカツ。
おお、見よこのボリューム!
この王さま感!他をしのぐ堂々の圧倒ぶりを!
矢場とん、名古屋駅前(略して名駅)の支店を到着初日に急襲!名物のわらじトンカツを制覇するのだ!
まだ昼前だというのに、出張サラリーマンや観光客などですでに行列。われわれも負けじと列に加わる。
待つこと10分少々。威勢のいい5分刈りのおねいちゃんの絶叫で、はやくも店内は阿鼻叫喚の熱気。
席に通されると、水が到着するのももどかしくわらじトンカツを絶叫調で注文。や、こういうふんいきってすぐ感化されちゃうんです。ぼく。
5分刈りねいちゃんが叫ぶ。「わらじいっちょ〜〜っっっ!!!」待ち受ける厨房のあんちゃんたちも「ありゃりゃりゃりゃっっっした〜〜っっ!!!」とイミ不明の絶叫コーラスで返答。
飛び交う絶叫!はじけ飛ぶ汗!ちぎれ飛ぶ出張サラリーマンのネクタイ!こぼれるお茶!飛び散るパン粉!
興奮のあまり発狂するものも後を絶たないという(ウソです)。
ワンダホっっ!!なんか良く分からんけどアツいぞ!アツいぞナゴヤ!!
そして運ばれてきたのが、写真のわらじミソカツだがや!
解説すると、手前が「みそソース」で奥が「ふつうのみそだれ」。みそだれだけでも非常に美味しかったんだけど、ビックリしたのが手前のみそソース。
甘い中にも何とも言えない黒ごまの香りが漂い、上品すぎず下品すぎず、絶妙のお味!
もちろんかんじんのカツもさっくりと揚げてあり、お肉も脂身の少ない、上品で柔らかいお味。
見た目の過激なボリュームには似つかわしくない、やさしいお味でした。
食べきれないかと思ったけれどお肉は薄めだったので、飽きることなく最後まで美味しくいただけました。
ちなみに相棒は「鉄板みそ焼きひれカツ」を注文。
こちらはなんと運ばれてくる際、注文した客はもちろんのこと、その周囲の客も総員起立を命じられ、避難させられます。
それほど激しく飛び散るのか鉄板みそ焼きひれカツ(長い)よ?!
それほど熱く燃えさかるのか?燃えさかってしまうのかッ?!
名古屋へ行ったら矢場とんへいそげ!そこはミソカツというドラマの飛び交う格闘場だ!

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2004年7月30日 (金)

硬派のネット記事〜音楽の値段〜

このブログを含めて、ネットには膨大な量の文章があふれている。
そのほとんどは人の目に触れず、触れたとしてもすぐに消費され、忘れられていく。
書き手も自分の文章がそんな風に扱われているのを承知の上なのか、あんまり気合いが入っていないことも多いような気がする。とくにネットやIT関連の記事は無味乾燥で、「伝えたい」という気迫が行間から伝わってこない。
そんな中、久しぶりに硬派な記事を読みましたよ。
ユーザー置き去りの著作権攻防戦
まずはこの記事を書いたライターと、掲載を許可したAsahi.comに拍手。
なぜiTunesミュージックストアが日本で始まらないのか、から始まって、CCCD(コピーコントロールドCD)の問題、音楽業界の著作権に関する利権にまで踏み込んでいる。
いやー、知らなかったです。CCCD、Windowsに突っ込むと勝手にOSのレジストリを書き換えるんですね。
たかがCD一枚が、ユーザのパソコンのプログラムを、なんの断りもなく書き換えて良いはずがない。
そもそもユーザの断りもなくレジストリを書き換えるのって、ふつー「ウイルス」でしょ、それって。
ユーザのパソコンに勝手に正体不明のプログラムを仕込んでおきながら「このCDを挿入していかなる事故が起きようとそれはユーザの自己責任です」って言うのは傲慢だよねー。
CDの規格から外れている上に再生機器に負担をかけて寿命を縮め、音質も悪いCCCD。
結局、ギョーカイがどうしてそんなことをするのかと言えば「金を払ってないヤツはうちの商品を聞くな!」という主張でしょ。
でもそもそも、輸入盤に比べて邦盤は値段が高すぎ。値段が高いからミュージシャンの生活が潤っているわけでもなし。レコード会社の取り分なんでしょうね。

日本だけじゃなく、アメリカでもこういう動きは出ているみたい。
はてなダイアリー 町山智浩アメリカ日記のバックナンバーにもあるように、誕生日の時に歌う「ハッピーバースデイ」にも著作権がかけられて、この歌をパブリックに引用するときには著作権使用料を支払わないといけない。
町山さんが書いているとおり、映画や音楽などで「ハッピーバースデイトゥーユー」と2回繰り返しただけで、そこに著作権が発生する。誕生日おめでとうと言っているだけなのに。そりゃあおかしい!

でも今回の記事を見る限り、日本の音楽業界はもっとひどい。
俺たちの商品を聞きたければとにかく金を払え。払わないんだったらパソコンをはじめ、ありとあらゆるCDドライブに著作権使用料を課すぜ。だってCDドライブがあるってことは俺たちの商品を使うってことだろ。だから音楽を聞く前にあらかじめ再生機器に使用料を上乗せしておくぜ。
コピーはいっさいするな。カセットにもコピーするな。いっさいの音楽をコピーするな。コピーしたくてもできないようにCDに細工をしてやる。ウイルスを仕込んでやる。それでパソコンが壊れようが知ったことか。高価なCDプレイヤーがぶっ壊れようが知ったことか。音質が下がろうが知ったことか。ほっとくと俺たちの商品をコピーしはじめるおまえらが悪いんだからな!

・・・音楽ってさー。
もっと自由なものでしょう。
記事にもあるように、だれでも学生時代、友だちに好きな曲を録音してもらったこと、あるでしょう。
自分の好きな曲を集めてプレゼントしたことあるでしょう。
その結果、音楽業界が滅亡したわけではないでしょう。むしろ音楽を愛する人々が増え、より多くのユーザが広がったと思うんだけど。

想像してみよう。もしも音楽の複製が、カセットも含めていっさいできない世界になったら。
中学生。一ヶ月の小遣いは3千円。
洋盤なら2枚買えるけれど、邦盤なら1枚買えばおしまいだ。
ネットであらゆる情報を調べて、どのCDを買うか慎重に調べる。
コピーがいっさいできないから、ひとから借りるわけにはいかない。友だちから借りてもコピーできなければ、自分の時間でじっくり聞くことができない。そもそもコピーが禁じられた世界では、友だちもみんなそれほど音楽CDを持っていない。ネットの試聴もサビ前までなので、曲全体のイメージはつかめない。
好きなアーティストの新作を何枚か慎重にリストアップする。
一ヶ月の小遣いのありったけを投入してその中の1枚を買う。
はずれ。
シングルカットされた1曲以外は、中学生の耳にもあきらかに「アルバム用の捨て曲」と分かる出来だ。
ガッカリする。音楽CDなんて買うんじゃなかったと思う。もっと安価で安全な娯楽にお金を使おう。そう思う。
そして優秀なミュージシャンになれたかも知れない中学生はビデオゲームやケータイにお金と時間と労力を費やすようになる。

音楽業界が作ろうとしているのはそう言う世界だ。
ミュージシャンもユーザも育たない世界だ。
iTunesミュージックストアもダメ。CDも高価。世界の相場の2倍くらい。高価な上にCCCD。再生機器もCCCDによって早めに壊れる。
そうやって強欲にお金を集めた結果、ミュージシャンをきちんとフォローしているのかと思えば、少なくともぼくが知っている範囲のセミプロは、みな口をそろえてレコード会社は冷たい、当てにならない、売れないアーティストには仕事も回さないし宣伝もしてくれないと、そう言っている。
ユーザに負担を強いる一方、メガヒットアーティスト以外は切って捨てるレコード会社。
愛がなくっちゃね。愛と想像力。

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2004年7月29日 (木)

霊的に病んでいる

昨日は部署の打ち合わせ会。
が、例の先輩はもう当然のように不参加。先日笑顔を見せたのもほんの束の間、よりいっそう意固地になり、ものすごいエネルギーでぼくやトップと壁を築いている。部署内とは言えれっきとした職場の会議なんだから「出たくない」ではすまないのだけど。
彼の都合に合わせて昼の12時に設定したのだけれど、その彼は「仕事が入った」と言って不参加。
仕事ったって、その直前にこの目で現場を見てきて、だれもいないのは確認済みなんだけど。
子供じゃないんだからさー。不満があるんだったらはっきり言ってよー。ぼくやトップが間違っていると思うんだったら建設的な提案をしてよー。すねて会議に出ないってアアタ、社会人の態度じゃないってー。
でも正直、あんまり悩まなくなりました。
とらわれがなくなってきたように思う。
年下のぼくが所属長になっているのが気に入らないのかも知れない。会議の日程が彼の提案した通りに行かないのを根に持っているのかも知れない。トップがえこひいきをして彼を不当におとしめているように感じているのかも知れない。
でもぼくにできるのは、会議の日程を決めたり仕事のスケジュールを調整することだけ。それも最大公約数的な調整だから、完全に彼の要求の通りには行かない。
「申し訳ないですけど、こういう日程になってしまいました。すみません」と言って、彼の了承をもらう。
ぼくが頭を下げるのもおかしいとは思うけど、なるべく彼の怒りのツボを押したくない。
ともかく。彼を理解しようとし、自分と同じに霊的に病んでいるのだと考える。
彼の怒り、自己憐憫はほんの少し前までの自分と同じもの。ぼくもかつては職場の上司に同じような態度を示し、あきれられていた。自分と周囲の間に壁を築き、その後ろで他人をのろい続けていた。
自分の才能を理解しない周囲をのろい、こんな職場に回された我が身の非運を嘆き、周囲のせいで才能を発揮できない自分を哀れんだ。
いま彼はますます意固地に自分の殻に閉じこもり、あいさつさえろくに返さない。
それでも構わないと思う。
ぼくは彼に話しかけよう。笑顔で接しよう。
彼とぼくは、ひとしく霊的に病んでいるのだ。病気の友に接していると思おう。
そう思うようにつとめていたら、いつのまにかとらわれが小さくなっていた。
彼がどれだけ拒絶的な態度でも、会議をサボタージュしようと、アパートに帰ってからもんもんとすることはなくなった。すくなくとも、今週は。
平穏を与えてくれた神に感謝します。

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2004年7月28日 (水)

らも追悼、2ちゃんで書き込み急増

中島らもの死に関する2ちゃんのスレ、書き込みがものすごい勢いで増えている。
ここここここも。
あらためて、影響力の大きなひとだったんだなと実感。
合掌。

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中島らもの死〜アディクションの果て〜

「死」に過剰な意味づけをするのはきらいだ。
あるひとが死ぬ。いなくなる。そのひとの不在が重くのしかかる。
でも不在は、いつか埋められる。死者は忘れられていく。
ひとは自分の信じたいことを信じ、憶えていたいことだけを憶えている。
憶えていたくないことは忘れられていく。死者は生者の記憶の中で都合良くつくりかえられていく。
それでも、時代のアジテーターの死はいつだって衝撃だ。
記憶をつくりかえようにもかえられないくらいに。

中島らもが死んだ。
とびっきり優秀なアジテーターだったと思う。
彼の文章は繊細で、せつなくて、胸に染みた。
青春の輝きと若者への共感と、権力への怒りに満ちていた。
美しいものへのあこがれと、現実に妥協する大人たちへの率直な否定に満ちていた。
おとなたちの「おとな的なもの」すべてへの反抗が描かれていた。
自由であることの楽しさと孤独が描かれていた。
「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」は美しい青春記だ。
ぼくがアル中の大学生だったころ、アルコールの海の中で何度も読み返した。
そこに描かれているものにあこがれ、共感し続けていた。
世間一般で評価の高い「今夜、すべてのバ−で」は、あんまり鋭さを感じなかった。
人情話に流れすぎているように思った。アル中で死んだ友人の描写は優れていたが。
「人体模型の夜」のするどい恐怖感にぞくぞくしたし、「愛をひっかけるための釘」その他のエッセイはいつだって勇気を分けてくれた。
「ガダラの豚」は優れた冒険小説だ。魅力的なキャラクタ、深まるなぞ、伏線とはったり。
ロックンロールがどこまでも流れているような、そんな文章を書くひとだった。

アル中がひどくなってきたのがいつごろだったのか、ぼくは知らない。
「明るい悩み相談室」にアル中がひどくて書けない、と吐露していたのを記憶している。
それでも割とコンスタントに著作が出ていたような記憶があるし、単に「自称アル中」を気取っているだけだと思ったのだけれど。
2年ほど前に、「中島らも〜アルコール依存症との戦い〜」みたいなタイトルの、NHKの特番を見た。
ボロボロだった。話し方はひどくのろく、ときに途絶した。
手が震えて字が書けないので、奥さんに口述筆記してもらっている。だから著作ペースはひどくのろい、と言うようなことを言っていた。
じっさいにその口述筆記の場面も収録されていたが、言い間違い、言いよどみ、前述の文章の確認などをしながらの口述で、ひどく遅かった。
ほとんど廃人の様相だった。
近年の著作に、お酒はやめて食べ物が美味しくなった、主治医の先生は立派な人で対談もした、ライブもこなしていると書いてあった。だが、TVの中島らもはとてもギターを持つことなどできないような、ほとんど痴呆のすがただった。
彼が大麻で捕まったのは、それからしばらく後のことだった。
大麻自体よりも、大麻を買ったり隠したりできたことがおどろきだった。

アル中52歳説、というのがある。
かなり信憑性のある説だと思う。中島らも、享年52歳。
いろいろ思うところはある。多くの著名人アル中と同様に日本のアルコール医療の貧しさの犠牲になったとも言えるだろうし、破天荒な人生にふさわしいようにも思える。
彼の人生にいつもつきまとっていた思春期的な心性は、こんな風に結末を迎えるしかなかったのかも知れない。
彼の考え、彼の人生にぼくは強く共感する。すくなくとも、かつては強く共感した。
大人が嫌い。自分が嫌い。
この醜い世界と醜い自分が大嫌い。世界中をあざ笑って、ロックンロールをかき鳴らしながら死んでしまいたい。
青春の切なさを抱きしめていたい。そう、それこそ死ぬまで。
でも唾棄すべき大人の仲間入りをするどころか老いさえも近づいてきたときに、彼はどう思ったのだろう?
老いの見えはじめた顔を鏡の中に見つけたときに、なにを考えたのだろう?
アルコールと薬物から離れられないと知ったとき、どう感じたんだろう?

回復することのなかった52歳のアル中。
きっと多くのひとがぼくと同じように彼のことをwebで語り、追悼するだろう。
全集が発行され、追悼ライブが何度か開かれるだろう。
ぼくは彼の著作を読み返し、彼のことを想う。
彼が感じたことを想像する。ぼくが若かったころに著作を読んで感じたことをもういちど思い返す。
文才はあったが回復できなかったアル中。
ロックンロールと詩と自由。彼の一部は、たしかにぼくのなかにいまも息づいている。

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2004年7月27日 (火)

マツケンREMIX

ここんとこサイトの更新にあんまりリキ入れていないんですが。
そのあいだ、マツケンサンバのリミックス作業に専念しておりました。
マツケンサンバを2小節ないし3小節、あるいは1小節に切っては貼り、切っては貼り。
およそ60から70くらいの断片にしたものを、つなぎ合わせて一曲にまとめる。
いやー、音楽やってるんだか作業しているんだか良く分からないことをエンエンと。やっているうちに「オレがやっていることはいったい??」と不安になってきたこともたびたび。
その甲斐あって、ついにマツケンREMIX、完成!!!!
結局、Live3と言うソフトで仕上げました。Cubaseはむずかしくって、結局使いこなせなかったの・・・くすん。
完成と言っても、こまかいクオンタイズなどこれから編集で煮詰めないといけないところがいっぱい残っている。
でも、ま、とにかくいちおうおおよそのところは完成!
やった〜〜!!ぱちぱちぱちぱちっ!!!
・・・でもこれから職場の出し物用に、カラオケバージョンも作らないといけないんだよね・・・。
まーつーけーんーまーつーけーんーまーつーけーんーまーつーけーんーまーつーけーんー(以下くりかえし)

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2004年7月26日 (月)

仕事もいちだんらく

どうにか仕事も一段落。
やっと平穏な日々が戻るはず。
気がついたら7月ももうおしまい。「締め切りのある人生は早く流れる」って誰かが言っていたけど、ほんとその通りだね。
きょうのミーティングは落ち着いてて、なんだかいつになく霊的な雰囲気が。
ミーティングが落ち着いていたせいもあるけれど、きっと自分の精神状態が良かったからそんな風に感じることができたのだと思う。
神さまと仲間と人生に感謝。

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2004年7月25日 (日)

謙遜を学ぶ

謙遜。
一言で書いてしまえばやさしい。
でも謙遜って実践するのはなかなかたいへん。
自分のこころのイライラや高慢が入り込んできたときに、謙遜はあっという間に吹っ飛んでしまう。
謙遜を忘れると、こころの平穏をたもてなくなる。すくなくともぼくはそう。
きょういちにち。
ラウンドアップ会場の下見に行ってきました。
午前中で終わったけれどかなりつかれた。
あすからまたいつもの日常に戻ろう。
謙遜を忘れずに。

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2004年7月24日 (土)

潜入!JSO!!

きのうは朝から東京へ出張。
自分は直接タッチしていない内容について、ひとの原稿をプレゼンテーションして質疑応答を受けて帰ってくる、割に合わない仕事だ。
交通費は支給されたけれど参加費は自腹だ。自腹な上にけっこう高いぜうわははは!!!
自腹でひとの仕事を請け負うと言う、なかなか奉仕の精神がないとできない仕事だぜ。えへんっ!!(自画自賛)
ま、単にたのまれると「ノー」と言えない性格なだけなんだけど・・・。

原稿の提出期限が当日の朝9時半。
泊まりがけで行くのも大げさかと思い、当日の朝イチの新幹線で行くことにした。
これが行けなかった。
(自称)うつ状態なだけに、考えがまとまらない。ぼーっとしてて注意力散漫。
何度も持ち物を確認したにも関わらずケータイを忘れてアパートに引き返したり。
やっと新幹線に乗っても、うっかり上野で下りちゃったり。
きょうは散漫だな・・・・そう思いながら地下鉄を乗り継ぎ、永田町の会場近くまで来たとたん。
発表資料を手に持っていないことに気がついた!!
ががーん!!
よく漫画で「ショックの余り真っ白に固まっている図」があるけれど、まさにあんな状態。ま、まさか自分が新幹線にここまで重要な忘れ物をするとは・・・。
時計を見るとすでに9時。原稿受付けが9時半だから、これはもうダッシュで東京駅に行くしか。
走りましたとも。
ええ走りましたとも。涙がホホを伝うヒマもなく走りましたとも。
地下鉄を有楽町まで駆け戻り。(どうでも良いけど、いつから「東京メトロ」なんてワケの分からない名前になったんだ?地下鉄でいいじゃん地下鉄で)
有楽町のJR駅員に訳を話し、ふたたび山手線に乗って東京駅に戻り。
東京駅構内の人込みをかき分けかき分け、新幹線の乗り場に行き。
やー・・・。
結局、発表資料はそっくりそのまんま駅の事務所に届いていました。
やれやれ。最悪の事態は避けられたわい。ホッ・・・・としていてはいかーんっ!!
そのままふたたびもと来た道を駆け戻り。
永田町の会場に戻ったときには、ぎりぎり9時40分。
何とかたのみこんで、受付けしてもらいました。やれやれ。

・・・ということで、もう死ぬかと思いましたよ。まさか東京まで行ってこんな大ポカをやらかすとは思いも寄りませんでした。
ワシもトシじゃな。ヤキが回ったわい。ふがふが。

で、資料の掲示が終わればあとは夕方の質疑応答までフリータイム。
せっかくだから、JSOにラウンドアップのスピーカを依頼しに行くことにしました。
アポを取ったら所長の優しい声。ありがと〜〜!
というワケで、潜入して参りました、JSO!!
いやー道が分かりにくいことと言ったら。そもそも池袋、西口に東武があって東口に西武があるっておかしかないかい?迷うっつーの。交換しちゃえばいいのに。
で、池袋の駅で迷い。途中の道で迷い。
交番で道を尋ねたらなぜかその場にいたホスト風イケメンが道を教えてくれたり。
やっとたどり着いたときには汗ぐっしょりでした。なんたってきのうは死ぬほど暑かったから。
いやーしかし、JSO・・・・。
良いところですねー。
所長もやさしいし。所員の方もホントやさしくって有能そうな方だったし。
ラウンドアップのスピーカ依頼と、もう2,3点聞いておきたいことがあったんだけど、それが終わったら邪魔にならないようにすぐ帰ろうと思っていたのです。
んが、あまりに居心地が良くって、ついつい3時間もお邪魔しちゃいました。わはは!!
ごめんなさい、みなさん。お仕事があるでしょうに、ついつい長々とお邪魔してしまいました。でもほんとうにたのしいひとときでした。
何と言うんだろう。
ここにいても良いんだ感。なんか包まれている感。ひどく安心して不安が消えて行く感。これがAA本来のパワーなのかも。
ウツウツした気持ちが、すーっと消えて行ったのでした。
やっぱり、傷つくこともあるけれど、ひとがひとに及ぼすちからってすごいなーと思いました。
ラウンドアップのスピーカも快く引き受けてくださって、ほんとうに感謝しています。
ありがとう〜JSOのみなさま〜〜!!

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2004年7月23日 (金)

ウツかも

ここ二日ほど、更新をさぼっちゃいました。
まいにち更新を目標にしていたのに、ここんとこ更新できない日がちょこちょこ増えてきている。いかんいかん。初心貫徹しなければ。
とは言え、ここ数日はウツ気味。
元気がなく、頭が回らない。どれどれ、自己診断自己診断。
うつネットで調べて、と。
おおおっっっ!!!
・まいにちのように、疲れを感じたり、気力が沸かない。
・まいにちのように、仕事や家事に集中したり、決断することができない。
おおっっっっ!!!!2項目も当てはまっている!!これはウツビョーにまちがいないっ!!
どれどれ診断は・・・・・。

あなたは『うつ病』や『パニック障害』の可能性はないようです。

ががーーんっっっ!!!
おかしいっ?!こんなにまいにち疲れてぐったりしておやつもちょっとしか食べられないと言うのにっっ?!!食欲だって、好きなものを好きなだけしか食べられないのにっ!!
ややや、冗談はともかく。
ほんとうに、近ごろ疲れて疲れてかなりへこんでるんですよ。
名古屋から帰ってきてからと言うもの、連日泊まりがけの仕事だったしね。休日もぜんぜんやすめなかったし。
やっとアパートに帰れる時間が取れても、ご飯を作ろうとか買いに行こうとか言う気力がまったく沸かず、空腹を感じながらそのまま寝ちゃったり。
まぁ業務の内容自体はラクショーなんだけど、拘束時間が長いときは異様に長いんだよねー。こんなことでストレスを感じている自分がつくづく虚弱に思えるけど、でもつらいものはつらいんだもん。
今度の日曜は、なーんもしないでいちにちねっころがっていたいなー。
いまの願いはそれだけッス。

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2004年7月20日 (火)

調子が悪い

なんかいつになくに調子が・・・・。
きのうまでの疲れかなー。ナゴヤだの宿直だの実行委員会だの、立て続けだったし。
きょうは早めに上がってきて夜は彼女と三宅伸二のライブを見に行くはずだったんだけど、挫折。
彼女は友だちとふたりで行ってしまいましたとさ。
帰ってきてから、えんえんとリミックス作業をしています。
Cubaseでやろうとしたんだけど、あまりの操作の難しさに挫折。
結局、バンドル版のLive Deltaでリミックス中。
ああ、やっぱオレって才能ねぇな・・・ああああ〜〜!!どんどんダメダメモードに入ってきた!
きょうはもう寝ようっと・・・。

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2004年7月19日 (月)

会議ってダメなんです

宿直明け、午後からラウンドアップの実行委員会だ。
ぼくは実行委員長。
イベントの委員会に入るのも初めてなら、委員長をやるのもはじめて。
ビビって経験のある仲間に司会をお願いしたんだけど、仲間からの指摘を受けて、途中からぼくが司会を。
あああ、まとめるべきところをうまくまとめられず、最後は自分でもなにを話しているのか良くわからない状態になっちゃいました。
仲間のみなさん、ごめんなさい。
ほんと、会議も苦手なら、まとめ役もぜんぜんダメなんです。
向いてないと思うんですよねー。
リーダーシップだの会議の舵取りだの、ほんとそう言う才能は自分にはまったく、これっぽっちも、からっきし、ひとつもないと思うのです。
ちょっと対案が出ただけであっという間に流されそうになるし「全員の合意を確認してから次へ進もう」と思うと、ちょっとしたことに引っかかってあっという間に進行がヨレヨレになっちゃう。
オマケに反対意見や疑問点が出されると、まるで自分の人格を否定されたような受け取り方をして、すぐへこんじゃう。
ああ〜〜!なぜにこんなに弱っちいんだ〜!オレは〜〜?!
まだまだAAのやり方ができてないんだ。
神さま、受け入れる落ち着きを、落ち着きを・・・。

と言う話を夜のミーティングでして、すこしへこみが戻りました。
名古屋から帰ってきて以来ミーティングに出られなかったせいもあって、いかに自分がAAに助けられているのかを改めて実感しました。
自分の弱点も受け入れて、取り除いてもらえるように神さまに祈りたいッス。
とにかくきょうはつかれたよ。
ふぅ。

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2004年7月18日 (日)

淡い恋とロック喫茶

引き続き職場に拘束中です。
ちょくちょく現場から呼び出しがかかり、マツケンのサンプリング作業は遅々として進まず。
ソフトの操作になれてきただけでも良しとするかねー。

ナゴヤの話のつづき。
千種、というところにぼくの通っていた予備校はあった。
そこから地下鉄で一駅、徒歩で10分ほどのところに今池というエリアがあった。パチンコ店と郵便局の本局とマッチ箱みたいに小さな赤提灯と風俗店が建ち並ぶ、おかしなエリアだった。
ちょっとサヨクがかった文芸系の映画館があったり、コクトーやボードレールやバタイユが充実した小さな本屋があったりと、60年代のアンダーグラウンドのかおりが残っているエリアでもあった。
予備校でも寮でもぼくはひとりの友達も作らず、せっせと今池に足繁く通い、行く当てもなくうろついていた。
「時計じかけ」という名のロック喫茶を偶然見つけたのも、そんなときだった。

時計じかけでは「ロックを聴く」以外のいっさいの作業が許されなかった。
その店は雑居ビルの地下一階にあった。ぼろぼろの急な階段を下ると、分厚い真っ黒な扉の向こうから重低音が伝わってくる。
扉を開けると、いきなり闇だった。その店には照明というモノがほとんどなかった。さほど広くない店は中2階と1階のふたつのエリアに分かれていて、それぞれ4人がけのテーブルが4つほどあった。テーブルの上に薄暗い白熱灯がぶら下がっていたが、なぜかものすごく暗く、手元の本もろくに読めないくらいだった。
そして常に轟音でロックが流れているので、会話をすることもできなかった。席に着くと店員がオーダーを取りに来るのだけど、大声で注文をしないとかならず聞き返された。
そこはすぐに、寂しさと不安を沈めることができる唯一の場所になった。
時計じかけは、間違いなく硬派のロック喫茶だった。ちゃらちゃら話をしたりロックを聴く気のない客はいなくていい。そう言う雰囲気がそこかしこに漂っていた。たまにカップルが紛れ込んできたが、彼らは例外なく、大音量に負けじと大声で話をし、そして不意に訪れる曲間の静寂で、ほかの客から白い目で見られた。テーブルにはそれぞれ大学ノートが置いてあって、思春期丸出しの気恥ずかしくなるような文章が並んでいた。ふしぎなことに、その店にはほとんど客が入っていなかったにもかかわらず、大学ノートにはいつも新しい書き込みがあった。ぼくもすぐに、店の暗さにもめげず、ノートにせっせと書き込みをするようになった。
その店では洋楽、それも60年代から70年代のシリアスなロックしかかからなかった。50年代のスリーコードのロックンロールがかかることもなければ、80年代のコンピュータミュージックがかかることもなかった。だれも知らないようなマイナーなバンドの曲が流れ続けていた。そこでぼくはいくつものすばらしいミュージシャンを知るようになる。ケイト・ブッシュ、トム・ウェイツ、デビッド・ボウイ、モット・ザ・フープル、エリオット・マーフィ、コックニー・レーベルなどなど。デビッド・ボウイは「レッツ・ダンス」以降のモダン・ポップ路線しか知らなかったので、シリアスな表現者としての楽曲には接したことがなかった。地下の真っ暗な闇に沈んで轟音の「アッシュズ・トゥ・アッシュズ」を聴いていると、暗い夢見心地のきもちにさせてくれた。モット・ザ・フープルのうたう「すべての若き野郎ども」のせつないメロディに日々の不安を忘れることができた。ナゴヤの厳しい夏の暑さも、時計じかけの暗闇には届かなかった。コンクリートの壁に囲まれて、ぼくはロックに首までどっぷりと浸かっていた。

ぼくの注文はいつも同じ、アイスミルク。時計じかけと言えば、やっぱりミルクでしょう。
キューブリックの映画「時計仕掛けのオレンジ」では主人公は麻薬入りのミルクを飲んでいたからね。
時計じかけの厨房には数人のバイトが交代で入っていたけれど、その中にたったひとりだけ女の子がいた。そのうちに何となく顔見知りになった。といっても爆音のロック喫茶で会話のしようもなく、ぼくには彼女に話しかける勇気もなかった。「そのうち話でもできたらいいな」と思っているだけだった。それでも、ぼくのナゴヤでの一年間、彼女の笑顔だけがぼくの支えだった。ときどき様子を見に来てくれる叔父の一家をのぞけば、ぼくに笑顔を見せてくれたのは彼女だけだった。

あれは淡い恋だったのでしょう。

あっという間に一年間が過ぎ、ぼくは大学に合格し、ナゴヤを去ることになる。
あんなに大嫌いだった寮も、いざ去るときには妙にせつない気持ちになったからふしぎだ。そして何よりも、時計じかけとバイトの彼女にもう会えなくなると思うと胸がうずいた。
思い切って声をかけた。食事に誘った。ダメもとだったけれど、意外なことにオーケーの返事が返ってきた。
デートらしいデートはナゴヤでしたことがなかった。着る服もなく、ぼくはいつものぼろぼろのブラックスリムジーンズにTシャツ、上着代わりの長袖シャツで出かけた。
どこでなにを食べたのかも思い出せない。どんな話をしたのかも。ただもうやみくもに緊張していて、かちかちだった。別れ際、彼女がおもちゃのピアノをくれた。大学の合格祝い、そしてナゴヤを離れる記念品だという。
そのトイピアノは、いまでもぼくの部屋に飾ってある。鍵盤を叩くと、調子はずれだけど立派に音がする。トイピアノといっしょに電話番号が書かれた手紙も入っていたけれど、引っ越ししたり新しい彼女がつきあったりしたときに隠したりしているうちに、いつのまにかなくなってしまった。大学に合格してから1年くらい経って、思い切って電話したことがある。そのときにはもうすでに立派なアル中になっていて、泥酔状態での電話だった。それでも、その電話番号が不通になっていたことははっきり憶えている。甘ったるい感傷にひたっていて後ろ向きな自分とちがい、彼女はどこかへ向かっている。そう思うとすこしさびしいようなうれしいような、ヘンな気持ちがした。

ただ一回のデートのさいご。
別れ際に彼女にキスをした・・・ような気がする。彼女の身体が意外に柔らかかったのを憶えている。ただそれがほんとうにあったことなのか、どうしても思い出せない。あの当時の、そしてその後のアルコールの海の中での山ほどの妄想のひとつのようにも思える。だけどそれが事実かどうかなんて、どうだって良いことだと思う。あの当時、ナゴヤの街のうだるような暑さの中を時計じかけに通い続けたこと。不安と孤独を感じ続けたこと。轟音のロックに身を潜め続け、そこだけが安息の場所だったこと。彼女の笑顔に助けられたこと。それはもう、それだけが。まぎれもなくほんとうのことなんだから。
ほんとうのことなんだから。

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2004年7月17日 (土)

サンプリングはたいへん

職場に拘束される日々が続いております。
今週は月、水、土日が職場にお泊まりで、金曜も待ち番。
昼間は昼間でちゃーんとふつうに仕事しているんだからアアタ。
ちっとは仕事中に遊んでいたってバチが当たらないと思うんですよ奥さん。
と言うワケで、ミーティングにも行けず。しかたなく、だれもいない職場で音楽制作に励んでおります。
アレだよ、いまちまたで大フィーバーの「マツケンサンバ」をリミックスしちゃうんだもんねー。
サンプラーに取り込んで、四つ打ちのダンストラックにしちゃうんだもんねー。
この日のために寝かせてあったコルグ、ESX-1!!最強のダンスマシーンなりっ!
この日のために寝かせてあった甲斐があったと言うものさーっはっはっは〜。たんに使い方をマスターしている時間がなかっただけだけど。
コイツで「マツケンサンバ」をDJプレイするのさ!

・・・てなワケでさっそくCDをパソコンに取り込み、サンプリング作業を開始したのですが。
どーにもこーにも。
やればやるほどドツボにハマっていきます。
1.まず一曲分の長さをPeak LE3.0で2〜6小節分くらいに切り刻みます。短く切りすぎるとテンポに合わなくなるので若干前後を余分に取ります。
2.ReCycle!2.1できっちりテンポに合うように正確に切り取ります。
3.AIFFファイルで書き出します。
4.スマートメディア経由でESX-1に取り込みます。
5.ESX-1でテンポを合わせて、バックのトラックときっちり合うようにします。
6.そうやってESX-1上で作った小節の細切れをつないで、一曲分の構成を仕上げます。
・・・とまぁこういう作業なのですが。
リサイクルで切り取るときのビミョーなズレがどうしても気になる。
気になりだしたらどんどん止まらなくなって、エンエンとリサイクルでミリセカンド単位の修正を。
そしたらアアタ、修正をすればするほど、どんどんテンポと合わなくなるの。どうして???
ESX-1のメモリの限界もあったりして、きょうはもう何回やり直したことやら。
ああ〜〜!!これは音楽じゃない〜〜っっ!!
単なるパソコンでの「作業」だっっっ!!ちぃっともクリエイチブじゃない〜!
パソコン上でデータを切って貼り、切って貼り、切って張り切って張り・・・・。
恐ろしいのは、こういう単純作業ってへんにハマっちゃうんですよねー。
気がついたら、夜中になるまで切り貼りしていた・・・・おそるべしパソコン音楽制作。
しかし、こんな切り貼り作業をしているヒマがあったら自分で弾いちゃって録音した方が早いような・・・・。

で、きょうもまたミーティングに行けず。
これも月曜までのしんぼうしんぼう・・・。

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2004年7月15日 (木)

ビバ!マツケンサンバ!!

いやー。
ひさしぶりに音楽のすばらしさを堪能しましたよー。
松平健。暴れん坊将軍。
彼が歌い。踊る。
その名も「マツケンサンバII」だ!
きっかけは現場の主任。例のオニを飼うひとね。
彼女が「今年のクリスマス会は絶対これにしましょう!」と鋭い口調でオススメしたのがこの「マツケンサンバ」。
正直「あー。おばさんの歌謡ショーセンスか。若い人には受けないだろうなー」と思っていたのですが。
彼女がわざわざ購入してきたマツケンサンバII(もちろんDVDつき)を見てびっくり!!
目から鱗が落ちた!
最初は、マツケンが異様に派手な着物で唐突なサンバを歌い踊る姿を笑っていたのですが。
こ・・・これは!
じつはたいへんな、ポジティブなメッセージだ!
だいたい着物で「たたけコンガ、ひびけサンバ」とか歌う必然性がまったくない。
流し目で「セニョリータ!」とかささやく意味が分からない。
それでも異様なハイテンションでマツケンサンバ。
こりゃーたいへんなことですよ、アアタ。
考えてみたら「暴れん坊将軍」だって単純な勧善懲悪な筋書きだけど、そこには「割り切れない世の中、せめて物語の中だけでも正直者が笑える世界でありたい、苦労が報われる世の中でありたい」というメッセージが込められている(かも知れない)。
マツケンサンバには、そういう松平健のポジティブなメッセージが込められている!込められ切っている!!
そう!隅から隅まで、これは松平健というひとりの人間が贈る愛が込められているのだ!
と言うワケで、マツケンサンバ、さっそくコード進行をコピーしようっと。
みんなで踊ろう!マツケンサンバ!!!(IIの方ね)

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2004年7月14日 (水)

イライラのたね

ナゴヤの疲れが残っているのか、はたまたホームグループのミーティングにここ1週間ばかり出ていないせいか。
気がつくと、イライラしている自分に気づく。
きょうも職場で、ついトサカに来てしまった。
自分がほとんどタッチしていないにも関わらず、説明責任を負っている仕事があるんですね。
自分ではまったく状況が分からないので、現場の報告で判断するしかない。
それが、現場の報告がそのときそのときでバラバラ。
一貫性がない。
本来ならフロア主任が現場をまとめてくれる筈なんだけど、そこの主任はなぜか勤務の時間帯が合わず、ここ一ヶ月以上も顔を見ていない。
そう言う状況で、外部から突然、現場の状況についての説明を求められた。

分からない。
でも分からないではすまされない。
現場を知らないのに、責任職という理由で現場の説明をしないといけないのはツラい。

と言うことで、つい現場スタッフに意見してしまう。
自分は状況が分からないので、場当たり的な報告だけでは困る。
縦断的に、経過を見渡せる人物からの総合的なコメントが欲しい。
でないと、説明を求められたとき、ぼくは何にも答えられない。

話しているうちに、だんだん興奮してくる。
あああ、語気が荒くなってるなーオレ。
そう言うときに限って、「こっちだってちゃんとやってるんだから意見されても困る」的な、まったく筋の通らない反論が帰ってきたりして、よけいにコーフン。
あああ・・・。

何とか自制して、その場は可能な限り平穏に納める。
ぼくとしては、スタッフの協力がないとやっていけない。力を合わせて、コミュニケーションをしっかり取りながら、あなた達といっしょに仕事がしていきたいんです。
てなことを言ってその場はフレンドリーにまとめたつもりだったんだけど。

その後、トップと少し雑談していたら。
そのフロア、あす結婚退職する人の送別会があるそうな。トップはもちろん招かれていたんだけど、ぼくはまったくそんな話は聞かされていなかった。
ガックリ。信用されていないのね。やっぱり。
まー招かれても行かないとは思うんだけど、お呼びがかからなかったという事実がさびしい。

考えてみたら、そのフロアに入るようになってまだ3ヶ月。
ぼくもスタッフになれていないし、向こうだってそうに違いない。
お互いを理解し、慣れていくにはまだまだ時間がかかる。そう思ってあせらず、関係を育てていきたい。
自分を理解しないからといって相手を怒りませんように。
彼らを理解し、怒りを手放せますように。
きょうムッとしてしまったことは反省しよう。あすはきょうよりも、少しでも多く、怒りやイライラを手放していくんだ。

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2004年7月13日 (火)

カオスの町、大須

oosu01.jpg
名古屋の話の続き。
もちろん思い出めぐりだけではなく、勘光もしてきました。ちょびっとだけどね。
ナゴヤ。
見るべきところがあるようで、でもなかなか思いつかない。
観光ガイドを見たら、ぼくの知っている町とはずいぶんとちがっていました。
水族館?そんなもんあったっけ?
地下鉄もこんなにいっぱい路線があったっけ?名城線と東山線と、あと1,2本あっただけのような。
そもそも、名駅にどでかいツインタワーができていたのにはビックリ。
デパートの屋上のグルグル回るスカイレストランは、老朽化のためか無くなっていました。
18年も経てば、そうだよね、何もかも変わっちゃってるよね。

と言うワケで、あんまり期待しないで行ってみた大須。
以前は街中にお茶とお線香のにおいが充満した、お年寄り向けの街でした。
その中にぽつりぽつりと輸入盤屋や若者向けの小物屋が散発的に立っていると言う、のんびりしたところ。
地下鉄の駅前には大須観音を祭るお寺があって、街中がそのにおいに包まれていたっけ。

今回行ってみたら、エライ変貌していたのでビックリしました。
なにせいきなり中華街はできているわ。
街中に若者向けの衣料品点が立ち並んでいるわ。
そこいら中にアジアングッズの店、露店、良く分からないシシカバブだか鶏の丸焼きだかの店。
なぜかむかし懐かしのシブいグッズの店も増えてるぅ!
何よりも、のどかな街だったはずが、老若男女がひしめきあうたいへんな繁華街になっていたのには驚き。
年寄りの街のはずなのに・・・・。
ふと入った喫茶店はなぜか店員さんがイタリア語で会話しているし。全員日本人なのに。
そこでお茶を飲んでいたら、突然ミドリ色のセルフレームの眼鏡をかけた60歳くらいのおじさんが入ってきて、パイプを吹かしながら若い店員と談笑。
まるで南米の避暑地にまぎれこんだような、あまりにも唐突な風景。
外に出れば片言の日本語のアジア系のお姉ちゃんが「サトイモ入りシェイク」なる飲み物をにこにこしながら売っているし。
となりに座っていた、まったくお店とは無関係そうなおじさんが「美味しいから飲んで行け」と唐突に勧めるし。
バリや香港の路地裏のふんいきが、まさかこんなところで体験できるとは・・・・。
おそるべし、大須。
「大日本帝国Tシャツ」だの「ラメラメのユニオンジャックタンクトップ」だのが堂々と立ち並んでいるのはきっとこの街くらいでしょう。
思わず笑っちゃう、あるイミ癒しの場所だったのでした。
思い出巡りツアーでちぃっとばかしへこんでいたんだけど、大須で元気が回復!

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2004年7月12日 (月)

ナゴヤ再訪

gashin01.jpg
7月9日から3日間、仕事で名古屋に行ってきた。
ナゴヤ。
高校を卒業してからの一年間、じつはナゴヤで浪人生活を送っていた。
なんではるばる名古屋まで浪人をしに行ったのかというと、単なる手違いでそうなっちゃっただけなんだけど。
そう言うわけで今回のナゴヤ、実に18年ぶりの再訪です。
19歳から20歳の、人生でいちばんせつない時期。ただのひとりの友達もできずに、たっぷりと孤独を味わった一年間でした。
18年前と言えば、1986年。バンドブーム前夜。
ストリートスライダースが大ブレイクし始めた時期で、シオンがラジオで「新宿の片隅から」と言う番組をやっていた。
まだバンドブームは始まっていなくって、バンドをやっている連中のワケの分からない熱気がそこら中にあふれていた。
シリアスで形而上的なバンドがいっぱいあった。
ヒットチャートではロックを気取った渡辺美里や中村あゆみが幅をきかせていた。
そんな時代。

高校時代につきあっていた一学年下の彼女がいたが、今ひとつ盛り上がらないまま彼女を置いて名古屋に出てきた。
電話代も高くて、直に話すこともできなかった。ナゴヤからぼくの地元に電話をかけると、あっという間に100円玉が公衆電話に消えていった。
面会室のたった一台の電話はTVのすぐそばにあって、おおぜいの浪人生がいつもだべっていた。
とても恋人と微妙なニュアンスの話ができる環境じゃなかった。
何通も何通も手紙を書いた。
だけど返事はろくに返ってこなかった。
そのうち友人から、彼女がほかの男性と仲良くしていると聞いた。
すぐにも飛んで帰りたかったけれどもちろんそんなことはできなかった。

寮の生活はとても厳しかった。
毎晩、寮長の見回りがあった。その時間に寮にいないと親元に連絡が入った。
寮の塀には鉄条網が張り巡らせてあった。
もちろん外敵の侵入を防ぐためではなく、寮生が脱走を企てないようにするためだ。
その証拠に、鉄条網は道路にではなく、内側に反り返っていた。
ナゴヤには母方の叔父夫婦が住んでいた。
だからどうしても見たいライブがあるときは、その叔父の家に外泊すると偽った。
もちろんライブが終わっても寮に帰るわけにはいかない。
栄の噴水公園で、朝が来るまでタバコを吸っていた。
深夜喫茶に入る度胸もなければお金もなかった。ポケットの中はいつも小銭ばかりだった。
真っ暗な夜が紫に変わり、やがて夜が明けていくのを見ていた。
先輩とつきあっている彼女のことを考え、ロックンロールのことを考え、自分の将来のことを考えていた。
良い考えなんてひとつも思いつかなかったけど。

18年ぶりに、その寮を見に行ってきた。
まわりの風景はずいぶん変わったけれど、寮のあるあたりはすぐに分かった。
臥薪寮。
たきぎの上に寝て復讐を誓う、すごい名前の寮だ。なんで受験が復讐なんだろう?
でも自分にとって受験は、あざ笑った高校の教師に対する復讐だったから、この名前はぴったりだった。
寮は、とっくにつぶれていた。
正確に言うと、半分は閉鎖されていて、半分の棟はどこかの女子大の寮になっていた。
ぼくが住んでいたラブホテル沿いの部屋は、封鎖された半分だった。
窓の外の手すりも非常階段も、ペンキが剥げて茶色い錆だらけ。
学生どころか、ひとの住んでいる気配はまったくなかった。
女子大の寮になっている部分もほぼ同様で、いずれ完全に閉鎖されるのは時間の問題だろう。
ふしぎなことに鉄条網だけは健在で、そこだけが18年前とまったく同じだった。
だれも住んでいない寮から学生が脱出するのを防いでいた。
あの疑いに満ちた目をした初老の寮長はどこに行ってしまったのか?

寮の目の前には赤茶けた線路が延びていて、夏の日差しを受けて焼けついていた。
その上を、けたたましい音を立てて地下鉄が通り過ぎていった。
それを見ていると自分の髪が長く伸びてきて、たすきにかけたかばんには予備校のテキストが詰まっているような気がした。
今池のロック喫茶に行けばまたあの子に会えるような気がした。
18年の歳月なんてなんの意味もないような気がした。
寮に続く坂道を駆け戻ればすぐに、自分の部屋と自分の名札が待っているような気がした。
うすい壁、四畳半。日に焼けた畳。
ぼろい学習机の上にはウォークマン、ミチロウ、じゃがたら、ジョニー・サンダース、パティ・スミス、ルー・リード。友部正人。
あのころの自由と不安な気持ちを、ぼくはこの写真を見るたびに思い出すんだろう。

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2004年7月 8日 (木)

歯車の噛みあわないいちにち

きのうは恐ろしく歯車の噛みあわないいちにちでした。
仕事の段取りが、とにかくかみ合わない。
おかげで一日中イライラ。機嫌の悪いところを周囲に見せちゃったけど、バクハツはしなかったからまあいいでしょう。
仕事が終わったら職場に近いジムに行こうかと思っていたんだけれど、交代要員が現れず、結局7時半まで交代待ち。
やれやれ。ま、その分時間が空いたので、ちょこっとだけおとなりのグループのビジネスに出ました。
9月のラウンドアップの話が出なかったと聞いてちょっと残念。
地区の記念のイベントだから、おおぜいの仲間と分かちあいたいと思うのです。
て言うかオレ実行委員長だった!ああ〜時間もらってちゃんとコマーシャルすれば良かった!
残念とか言っている場合じゃなかった!
バカバカバカバカ!オレのバカ!
ガクリ・・・・。

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2004年7月 7日 (水)

ひなんくんれんでごわす

職場の避難訓練があったのです。
外回りに出ていたんだけど、いちおう所属長と言うことになっているためか、参加しないといけない状況。
外回りを切り上げて、早めに部署に戻っておりました。
じつは避難訓練、前回の苦い思い出が。
それまでの避難訓練だとほかのひとといっしょに行動するため、特にまごつくことはなかったのでした。
が、前回はたまたま、ひとりで部署でパソコン作業をしていたのね。
そこへ突然の火災報知のベルが!!
まったくこころの準備ができていなかったので、かなりあわてふためきながらもとにかく外へ出た!
そしたらなんと!
だれもいないっ!!
集合場所を間違えたか?!しかしいまさら屋内に戻るわけにもいかず。
そのままぼう然と、だれもいない場所で10分以上、たったひとりで避難し続けていたのでした。
空は青く風が吹いていて、とってもさびしかった・・・・。

ということで、今回は何としてでも前回の汚名をはらすのだ!!
前回までのオレとはちがうぜ〜。むかしとはちがうのさー!ンニャローめ!
「殖産銀行」を「はにわ銀行」と読んでいたのも「翻訳」を「ばんやく」と読んでいたのも、もう何十年もむかしの話さー。はっはっはー。
ということで準備万端。きょうは孤立しないように、用心して10分も前からほかの職員の行動を観察。ベルが2回鳴り、避難開始の放送が入ったあとが勝負だ!
避難するみなさんからけっして遅れず、かといって絶対に先頭に立たないように細心の注意を払いながら、付かず離れずのビミョーな位置をキープ。
なにせ先頭に立つと、避難の段取りがまるっきり分かっていないのがばれちゃうもんね。あぶないあぶない。
急ぐでもなく遅れるでもなく、適度な緊迫感を演じながらの避難歩行。
もちろん周囲に「逃げ遅れているひとはいないか」とするどい観察眼を送るのも忘れない。ときどきななめ30度上をすばやく見上げるのがコツだ!もはや全身全霊で「100パーセントまじめに避難訓練してます、ぼく」とアピールアピール!いつもなら「げた箱で外履きに履き替えるかどうか」にアタマを悩ませるんだけど、なにせ今回は緊迫感を演じているから、あえて上履きのまま避難しちゃったもんねー。
これは前回の避難訓練のリベンジだ!フクシューだ!
見よ!この華麗なる避難ぶりをっ!!

・・・しかしアピールはだれにも認められることなく、避難訓練は淡々と終了したのでした。
しゅん。

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2004年7月 6日 (火)

オニを飼うの、やーめた!

「自分たちに不当なことをした人たちは、多分、スピリチュアルに病んでいるのだと考えた。彼らのやり方は気に入らず、私たちにおおいに反感を抱かせたが、彼らもまた私たちと同じように病んでいるのだ」(「アルコホーリクス・アノニマス」通称BB:Big Bookより)

例の先輩の話のつづき。
ビッグフットで作った棚卸し表には、トップにその先輩の名前が入った。
もちろん彼と同じ職場で働くようになったのは酒が止まってからだから、厳密には飲んで傷つけたひとの表には入らないかも知れないし、どちらかと言えばぼくが傷つけられたと言う気がするし、彼よりももっと先に埋め合わせをしなければならない人たちは大勢いた。
それでも、彼がいまの自分にとっていちばんのこころの重荷であることには間違いがなかった。だから棚卸し表にはまっさきに彼の名を書き込んだ。
「私たちは、過去の自分自身の行為を振り返ってみた。私たちはどこで自分勝手であり、不正直であり、思慮を欠いていたか。だれを傷つけたか。不当な理由なく嫉妬、疑惑、反感を他人に抱かせなかったか。自分はどこで誤ったか、その代わりどうすべきだったか。こうした事柄をすべて紙に書き出して、見つめてみた」(BB)
棚卸し表のうち、恨み(怒り)、誤ったプライド(高慢)、恐れ、が当てはまった。
彼の高慢に対して腹を立てていたし、自分をもっと尊重してくれても良いんじゃないかと思っていた。そして何よりも、恐る恐る話しかけているのに大きな声を出されるのが何よりもこわかった。だから次第に彼を遠ざけ、朝夕のあいさつ以外には言葉を交わさなくなっていた。
もちろん客観的に考えてもぼくの問題ではなく、どちらかと言えば彼の側の問題のような気もする。でも、ぼくが彼に腹を立てていて、プライドを傷つけられていたと感じていたのは間違いがないことだった。そしてそれはぼくの気持ちの中にくさびとなって打ち込まれていた。ここ数ヶ月、そしてここ一ヶ月はとくに。
だからぼくは、こころのパイプ詰まりを掃除する必要性を感じていたんだ。
「私たちは道路の自分の側の掃除をするためにやってきたのだ。掃除が終わるまでは私たちは何一つ有意義なことはできない。(中略)したがって話は相手の欠点ではなく、自分の欠点だけに絞られる。もし私たちの態度が穏やかで、率直で、広い心に満たされていれば、かならず満足のいく結果が得られるだろう」(BB)
その後の埋め合わせをするひとの表にも、もちろん彼は入っていた。埋め合わせの表には優先順位を記入する欄があった。「すぐにやる埋め合わせ」「後回しの埋め合わせ」「終わった埋め合わせ」もちろん彼は、すぐにやる埋め合わせの対象だった。

昨日の午後、気がついたら彼と二人で部署にいた。
彼とぼくは、背中合わせのところでそれぞれパソコンで作業をしていた。
埋め合わせの時だ、と感じた。
気乗りしなかったが、後回しにするための都合の良い言い訳は思いつかなかった。
だから彼に思い切って話しかけてみた。

先日の会議を、あなたの都合のつかない日程にしてしまい、申し訳なかった。
あとで、その日あなたがとても忙しく、故意ではなくほんとうに忙しく、昼食をとる間もなかったと聞いた。
忙しくなるかも知れないと聞いていたにも関わらず、その日に会議の日程を決めてしまった。
いまはそのことを、本当に申し訳ないと思っている。
自分としては会議の日程を決めなければいけなかったのだが、あなたの意見を考慮しなかった形となってしまい、たいへん申し訳なかった。
次回の会議は、ぜひともあなたをふくめ全員が出席できる日程にしたいと思っている。
とにかく申し訳なかった。すみませんでした。

驚いたことに、彼は笑顔で話しかけてきた。
その日は自分としても会議に出たかったのだが、ほんとうに不意に忙しくなってしまい、出席できなかった。
みなの日程がなかなか合わないのは承知している。
もしまた同じ日程になってしまっても、それはそれでかまわない。
ただできれば、もう30分早めてもらえれば自分も昼食が取れるだろう。
彼がぼくに笑いかけてきたのは、数ヶ月ぶりのことだった。
それだけでなく、建設的な意見まで出してくれた。
まるでそれは、あらかじめ用意されていた答えのようだった。

おどろいた・・・・という言葉ではとても表現できない。

とてもうれしく、こころが軽くなった。
できればスポンサーと相談してから、と思ったが、きっとスポンサーなら「それでいいよ」と言ってくれるだろうと思い、行動を優先した。
彼が笑顔を見せたこと、そしてぼくのこころが軽くなったこと。
それはほんとうに、すてきな贈り物だった。
自分の意志は、なかった。
4,5のステップを通して、誰かがそれをやるよう、背中を押してくれた。
それはひょっとしたら、神さまだったのかも知れない。
「神さま、わたしを怒りから救い出してください。あなたの意志が行われますように」(BB)
自分の意志ではなく、あなたの意志が行われますように。
やっぱり、こころに鬼を飼うやり方はぼくには合わないようです。

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2004年7月 5日 (月)

ちかれた

昨日のビッグフット、思いのほか疲れたようです。
きょうは仕事中も眠くて眠くて。
でもちょっとだけ埋め合わせができたから、満足。
自分の意志ではなく、神の意志でできたんだと思います。
とにかく、わだかまりが少しほどけてほっとした気持ち。
ステップって効果あるんですね!

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2004年7月 4日 (日)

感謝

書き忘れたけど、きょうのビッグフットを企画してくれた仲間、導いてくれた仲間。
会場でいっしょにビッグフットした仲間。
きょうのバースデイの仲間。
そしてマイスポンサー、マイホームグループメンバー。
地区の仲間たち、地域の仲間たち。
ほんとうに感謝です。
自分がふしぎな共同体の一員であることを再確認できました。
バースデイのAさん。
記念の日にこんな素敵な企画があるなんて、ほんとすばらしいです。
おめでとう!

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ビッグフット体験記

ビッグフットに参加してきました。
最初に「いちにちか二日で12ステップを踏む」と聞いたときには「そんなことが果たしてできるのだろうか?」と、なかば懐疑的な気持ちでした。
主催の仲間から話を聞くうちに「あくまで12ステップの踏み方のガイドラインであり、いちにちふつかで深い12ステップを踏もうなどと言う傲慢な企画ではない。ただ『ビッグブックに沿って12ステップを踏む』と言うことをフォーマットにしたがって行っていく」と言うものだと理解しました。
それでも当日までは半信半疑。
予定よりも30分早く着いたのですが、すでに会場は会ったことのない仲間でいっぱいで、いつもホームグループで使っている会場なのに、何かふだんとはかなり違う雰囲気。
うう、ぼくはこの人たちの中できょう、ステップをたどって行けるのだろうか?
聞いた話では、その場で臨時のスポンサーと4,5や8,9のステップをやるらしいし・・・・。
とまどいながらもはじまりはじまり。

最初に主催の仲間たちの自己紹介があったりタグ(記念品)の贈呈があったり。
緊張をほぐそうとして意図的にそうしていたのでしょうが、少しリラックスして始めることができました。
そして司会の仲間のやさしーい語り口に導かれて、1,2,3のステップをビッグブックに沿って理解していく。
実際に使用したフォーマットはBBを抜き書きしてそこに注釈を加えていったものですが「12ステップを順番に踏んでいく」ことを意識して、BBをリミックスしている印象でした。
リミックスではあるものの「そうか!こういう解釈だったんだ!」と気づくことがいくつもあり、いままで慣れ親しんできたBBを再発見する思いでした。
司会の仲間に導かれるまま、1,2,3のステップを、再構成されたBBをもとにやっていく。
なにせいっしょに文章を読み、黙想をし、仲間の問いかけに挙手を示す、それでステップを踏んだことになるのだから、ラクといえばラク。
ただ、文章をただ流して読むと言うよりは、自分の内面に問いかけて、文章と内省を同時にこなしながらなので、思考の流れとしてはとてもめまぐるしかったです。
それでも、こんなにも大勢の仲間といっしょにステップを踏んでいるんだ!という、何とも言えない一体感を感じながら、気がついたらあっという間に3のステップを終えていました。
そしていよいよ4,5。
お昼前にスポンサーグループとスポンシーグループに分かれて、スポンシーが好きなスポンサーを決め、ペアを作る。
ビッグフット初体験でもあり、スポンシーはいるもののまだスポンサーシップについてきちんと話し合ったこともないので、ぼくはスポンシーを希望。
が、人数が不足したため、とつぜんスポンサー役をやることに。ががーん!
ペアを決めたところで昼食。
昼食時間も含めて2時間。このペアで4,5をやることに。
ぼくは自分の話を聞く時間も取ってもらいたかったので(何せ例の先輩の同僚のことで棚卸しする必要を感じていたので)、スポンシーをせかして早々に5を開始。
スポンシーといっしょに表を見ながらおそれや恨み、怒り、誤ったプライドなどについてチェックしていく。
チェックとはいうものの、結局は個人の物語。
時間をめいっぱい使って、臨時のスポンサーシップにしては突っ込んだ5をやれたような気がしました。
結局ぼく自身の5は5分しか時間が取れなかったけど、それでもスポンシーの5を手伝ううちに、自分自身の整理もかなりついたように感じました。
それから6,7のステップを再びフォーマットを使いながら読み合わせしていく。
その後、8,9のステップをまたペアで行う。

今回はいちにちしか時間がなかったので、10から12までは今後の課題として残されました。
それでも、ぼくは「自分でもステップは踏んでいける!」という自信が持て、とても有意義ないちにちでした。
もちろん、ビッグフットを紹介してくれた仲間たちは「これはあくまでフォーマット(ひな形)です」と何度も言っていました。AAのほかの多くのやり方と同様、提案にすぎません。
「参加したからと言ってステップを十分にできたと思いこむ」ことはなかった、と思います。あの場にいた中でだれひとり、「これでステップを踏み終えた、もうステップは終わった、わーい」と思ったものはいないでしょう。むしろ、今まで以上により深いステップを踏むことを求め、スピリチュアルな状態を保つようにつとめなければならない、と思ったひとの方が多いと思います。
ある仲間がこんなことを話していたのが印象的でした。
「いままではステップというと、とかく苦行のように思われたり、つながったばかりではやるなと言われたり、BBを読むなと言われたりしがちだった。そうではなく、気軽に、希望を持ってステップを日々使うために、ビッグフットはとても有意義だった」
たしかに、われわれはステップを踏むことが目的なのではなく、ステップを使ってどう人生を充実させ「神とまわりの人たちに対してできる限りの奉仕ができるように、自分を捧げること」ができるか、が目的なのだと思います。
ステップはあくまで道具。その道具を使って、いかに人生という彫刻を築き上げていくか。
それなのにとかくステップというと日ごろのミーティングで経卒に話すと皮肉られたり、「まだはやい」だの「あたまでっかち」だのと言われがち。それって矛盾しているじゃーん!
今回のビッグフットをきっかけに、ぼくも恐れずにステップを積極的に使って日々を暮らしていこう、と思いました。
とりあえずはスポンサーにこのフォーマットを見てもらって、いっしょにビッグフットしてみるつもり。
えびばで、レッツステーップっっ!!!

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2004年7月 3日 (土)

丸井スパークリングに行ってきました

丸井スパークリングセールに行ってきました。
いつものように「第1弾」と「第2弾」に分かれてて、第1弾にはもうすでに行ってきてたのですが。
今回はR.NEWBOLDのセール開始と聞いていたので、チラッと見てこようと思って。
見るだけ、見るだけ、見るだけ・・・・。
お?なかなかおもしろいパンツじゃーん。おっと見るだけ見るだけ・・・・。
ちょっと履くだけ履いてみませんかって?ま、試着するだけなら別にただだし・・・。
お?ジャストサイズじゃーん!!値段いくらよ?え?40パーオフ?良いかも。。。。
おっこっちのTシャツもなかなかイカすー。こういうの着てみたかったんだよねー。
おおMサイズは残り一点か・・・・。いやいや見るだけ見るだけ・・・。

いっぱい買っちゃったよ!
ヽ(`Д´)ノウワァァァン
もともとそんなに高くないんだけど、今回はぜんぶ40%オフ。ほとんどライトオンと変わらない値段だ〜!
そう思った瞬間にプチッと・・・・。
ああ、欲しいものではなく必要なものを買うようにしよう。シンプルに生きていこう。
そう決意を新たにしたばかりなのに・・・・。
(´・ω・`)ショボーン
当分は丸井に近づかないようにしよう。そう固くこころに誓ったのでした。
ああでも、今度の水曜にはポールスミスのバーゲンも始まるんだよなぁ・・・・。

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2004年7月 2日 (金)

一周年おめでとう

グループの一周年、おめでとう。
思い出に残る、とてもいいミーティングでした。
われわれは性別も年齢も職業も家庭での立場も、みんなばらばら。
それでもこの共同体で、酒を飲まない生き方をしたいと願い、未来の仲間へ希望を伝えたいと願っている。
その一点において、われわれはこんなにもしっかりと結びついている。
そんなことを考えながら、仲間たちの話を聞いていました。
今夜の愛と共感と思いやりが、いつまでも続くことを願っています。

グループの成長とともに、ぼくも、あなたも、みんなが成長していく。
ぼくらは成長できるんだ。きっとそうなんだと思う。
成長し、新しい仲間に希望を伝えていく。
絶望しかなかった新しい仲間の表情にしだいに生気が満ちてきたとき、やっぱりこの共同体には不思議な力があるんだと実感する。
そう感じるとき、自分自身にもその力が入り込んでいるような気がする。

それにしても、山のようなお菓子でしたね。
そこいらのケーキバイキングなんか目じゃないくらい。
美味しかった・・・ゲフ・・・。

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2004年7月 1日 (木)

ディスコミュニケーション

定刻を過ぎても例の先輩は出勤せず。
今週末の土曜の午後に残り番なので、どうやらきょうは休日にしたらしい。
現場には伝えてあったらしいが、所属長のぼく、およびトップには休みを取る旨はひとこともなし。
うーむ・・・。
通常なら彼の予定表を月末にもらうんだけど、7月の予定が6月末まで決まらなかったので、きょうのやすみには間に合わなかったのでしょう。
まー現場に言ってあればとりあえず支障ないから良いですかねー。
でもふつー、ひとこと言ってやすむでしょー。

彼に限らず。
この業界、ほんとーにコミュニケーションがとれない人が多い。
「職業人」と言う仮面をかぶって、部下、あるいは顧客との対話には慣れているけれど、同僚、もしくは自分より上のポジションのひととコミュニケーションを取れないひとがものすごーく多い。
要は「自分がある程度優位な立場でのコミュニケーション」じゃないとダメ。
もちろんリーダーシップは取れた方が良いんだけど、一方通行っていうのはヤバいよね。

ひとりでお店を開いて「頑固オヤジの店」とでも銘打っていればいいんだろうけれど、会社組織の中で一匹狼を気取っていても、良いことは一つもないと思う。
あるいはひょっとして、コミュニケーションが断絶しているために周囲が迷惑を被っていることに気がついていないのかも知れない。

でも考えてみれば、自分が飲んでいたころはもっとひどかった。
連続に入ると仕事の予定なんて吹っ飛んでいった。
ゴールデンウィークなどの連休はほぼ間違いなく連続飲酒に突入していたから、連休のあと欠勤することもしばしばだった。連休明けは仕事が山積みだったから、同僚や上司にはものすごく迷惑だったろう。
それでも自分は「迷惑をかけている」と言う意識はぜーんぜんなかった。
むしろ、欠勤をとがめられるとスゲー腹が立った。
そういう自分を冷静に振り返る余地はまったくなかった。て言うか、こわくてこわくて、自分を冷静に振り返ることなんてできなかった。早く夕方が訪れて、ウォッカのボトルをラッパ飲みすることを願っていた。
だからひとこと注意されれば腹を立てたし、ちょっとでも迷惑がられるとおおいに傷ついた。

いまの同僚の彼も、ひょっとして同じような感じ方をしているのかな?

こころに一匹の鬼を飼う決意を決めたものの、いまだオニ、出動せず。
彼、やすむのであれば、やはり所属長にはひとこと言ってほしいんだけどね。
でも今回もまー、オニは発動しないで様子を見ましょうか。
ひとを注意するのって、ほんとヘトヘトになります。
ほかのひとにとっては怒りは何でもない感情かも知れないけど、少なくともぼくは、ひとを注意したりするとしばらく立ち直れない。ぐったりしてプチうつ病になっちゃう。
もうちぃっと精神的にタフになりたいものです。

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