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2004年6月30日 (水)

そとまわり、うちまわり

午後からそとの仕事でした。
たまには職場以外のところで仕事をするの、気分転換になっていいです。
途中で雨が降ってきたけれど、お気に入りの曲を聴きながら現場まで運転していくのはなかなか楽しい。
飲んでいたころはそとの仕事を受ける余裕なんてなかった。
そもそも仕事自体が回ってこなかった。
飲んでへろへろで通常の業務さえろくにこなせなかったんだから、話自体がなかった。
いまは少しずつ、話が回ってくる。
ありがたいことです。
感謝の気持ち、謙虚さ。
つい忘れそうになるけれど、自分が飲まない生き方をできているのはやっぱり大きな力から恵みを受けているから。
そとの仕事もなかの仕事も、感謝の気持ちと謙虚さを持ってやりたいな。

きょういちにち、おおきな失敗もなく無事に終えることができたこと。
感謝します。

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2004年6月29日 (火)

GarageBandざんまい

予定外に午後がぽっかり空いた。
火曜の午後はわりと時間が自由になることが多い。
休日はほとんど予定が入っているので、火曜の午後は貴重な自由時間。
念願の曲作りを進めるのだ!
Reason、CUBASEなどの音楽製作ソフトは多機能でスゲー良い音するんだけど、操作が難しいのね。
使いこなせればムチャクチャ世界が広がると思うんだけど、そこにたどり着くまでの道はとっても険しい。
と言うワケで、GarageBandの登場。
機能的にはシンプルだけど、レコーディングからCDへの書き出しまでひっじょーにラクチンなのがうれしい。
作りかけの曲もまとまったし、即興でギター曲もレコーディング。へたくそだけど。
良かった良かった。

音楽製作ソフト(DAWとか言うらしい)っていろんなことができて、とっても頼もしいんだけど、どうしても操作が特殊で取っ掛かりが悪い。
音楽って、やっぱイマジネーションでしょ。
曲のネタが思いついても、パソコンを立ち上げて難解なソフトをいじくるのに1時間もかかって、やっと録音できる段階になったときにはイマジネーションが消えうせていた・・・ではあまりにもったいない。

ガレバン、良いッスよ。とりあえずガレバンに慣れたらReasonを使いこなせるようにチャレンジしようっと。

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2004年6月28日 (月)

若いひとがいなくなる

うちの職場はもともと若い人が少ない。
20代なんて、数えるほどしかいない。その分かなり高齢のひとがいて、70代の人が数名いる。
ふつうの職場だったら、70代の人間が現役で働いているだなんて信じられないだろう。
でも、うちの職場はふつう。
わりとふつうに働けちゃったりしています。なかなか新しい知識が身に付かなかったり耳が遠くなったりしているお方もおりますが、その分は人生経験でちゃーんとカバーできちゃったりしている。
いいぞ!70代!!
ビバ!70代!!ビュリホセブンティー!!ぼくも70になってもがんがんギター弾くぜー!!
ま、70代の人の話は置いておいて。

うちの職場はかなり独特の雰囲気で、ジコチューなひとがおおい。
それも勤続年数が長くて所属長くらいになっている、40代以上のひとに多いように思う。
新人を育てず、チャンスを与えない。伸ばすチャンスはいくらでもあるのに、自分で取っちゃう。
じゃぁその分仕事が円滑に進むかと言うと、ジコチューなひとが入っている仕事はゼンゼンはかどらない。
数少ない若い世代は、ジコチューが下を抑圧している構造に非常にストレスを感じている。
なおかつ、そういう構造を成り立たせてしまっているトップにも疑念を抱いている。
若いひとは若いひとで、的外れなところも多少あるけれど、がんばっている。
だけど、意味不明の抑圧の中で働いていくのはそうとうしんどいみたいだ。

20代の女性が二人、辞職する。
そのしばらく前にも、常識的で意欲的な仕事ぶりの女性が二人やめている。
ただでさえ人材にめぐまれていない職場なのに、さらに有能なスタッフが二人もやめるのは深刻だ。

いっつも思うんだけど。
若い世代は、トップが気に入らなくてやめるんじゃないんだよねー。
「オレ、シャチョーが気にいらねえから辞めるぜ」なんて新入社員はいないでしょ。
そうじゃなくって、直属の上司とか所属部署や業務内容に耐えられず、ストレスでやめるんです。
それなのに、やめられて困るのはトップばかり。
上司はぜーんぜん困らない。
辞表を出すと言うのは、それ自体強力な意思表示のはずなのに、肝心の上司にはまったく届かない。
その結果、振り返りができない。
また新しいひとが入ってきても、同じストレス構造がくり返される。
若いひとは、またまた同じ限界を感じてやめていってしまう。
ふるい人たちばかりが幅を利かせて、ますます新しい世代はいづらさを感じる。

われわれは、新しい世代のニーズに応えていない。
どんなに澄んだ川でも、水が滞れば腐っていく。
新しい世代がわれわれに何を求めているのか、謙虚に耳をかたむけよう。
的外れにしか思えない非難であっても謙虚に聞こう。
決して、非難ばかりではないだろうし、そこには何か、メッセージが込められているはずだ。

とは言え、よその部署には口を出せないからねー。有能なスタッフが辞めていくのを、ぼくにはどうすることもできない。
ぼくは若い世代に、希望を伝えていきたいです。抑圧ではなく、希望を。
チャンスをどんどん与えて、行き詰まったときに求められたら、控えめに自分の体験を話そう。
そう。経験と力と希望を分かち合おう。
AAでも、職場でも。

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2004年6月27日 (日)

ホームグループのセミナーでした

ホームグループのセミナーがありました。
おおぜいの仲間に会えて、ほんとうれしかった。
仲間に囲まれて生きている。
生きていける。
みんなおつかれさまでした。
またあおうね。

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2004年6月26日 (土)

一週間ぶりのミーティング

AA。
アルコホーリクス・アノニマス。飲酒をやめたいと願う人たちのあつまり。
ぼくの意志と命の方向を変えてくれた場所。ふしぎなあつまり。
気がついたら最後のミーティングに出て以来、一週間が経つ。
てっきり23日の水曜日はミーティングがあるとばっかり思っていたんだけど、会場に行ってみたらおやすみ。
先週の土曜以来、なんだか久しぶりのミーティング。

一週間ミーティングに出ないと、ずいぶんこころのなかにアカがたまっているような感じがする。
ねばっこくて、まとわりつくようなアカ。
そのアカがたまってくるにつれ少しずつ、イライラしたり独りよがりの考えになっていくように感じる。
神経過敏になって、ちょっとしたことで感情がぶれやすくなるような。

ほかの仲間がどうなのかは分からない。
なかには一週間どころか、ひと月に一度のミーティングがやっとという仲間もいるだろう。
でもぼくにはまだまだミーティングが、仲間が、ひんぱんに必要なようだ。
さいわい、ぼくの住む町にはAAミーティングがいっぱいある。
ずっとずっと足を運び続けたい。
「行動のともなわない信仰は死んでいる」
うん、そのとおりだ。
足を運び続けよう。仲間に会い続けよう。
これからも、ずっと。

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2004年6月25日 (金)

傷という感情

〜ネット教育、小学校の試み〜
ちょっと前になるのですが、「ネット教育、小学校の試み」と言う見出しの記事が6月13日の朝日新聞に載っていました。
記事を読んだところ、小学校でもネット社会のマナー、いわゆるネチケットを教育する試みが始まっているそうです。
ネチケット。
webや新聞雑誌で読んだことはありますが、ぼくはこの単語をじっさいに会話の中で聞いたことはいちどもありません。何となく気恥ずかしいよね。
「おまえさー。ネチケットまもってるー?」
「イヤー、なかなかコーフンすると守れなくてさー。ネチケット」
うーん気恥ずかしい。
駄洒落ネーミングなのがとってもこまる。
みなさんは使っていますか?
何となく「E電」(知ってる?)に近いセンスを感じますよね。ネチケット。

ま、それはともかく。
記事を読む限り、なかなかおもしろい取り組みのようです。
チャットや掲示板が荒れる前に自分を押さえよう、過激な言葉を発するのをやめよう、ひとを傷つける言葉に自覚的になろう。
でもさー。
学校で「模擬チャット」とかいうの、おかしくない?
それって授業で習うものなの?

「相手を傷つける言葉はいけません」
「はーい、先生!」
「死ね、と言いたいときにはどう表現しますか?」
「はーい!氏ね、でーす!」
「この中坊、と言いたいときには?」
「この厨、でーす!」

冗談はともかく。
じっさいにチャットがからんだ衝撃的な事件が起きたからこういう記事が組まれるんだろうけれど。でも、そういうことを言い出したら「ゲームボーイでの対戦マナー」とか「スポーツをする時にいちばん運動神経の鈍い子を傷つけないマナー」とか、何でもありじゃないのか?
もちろんネットは言葉がすべてだから、ちょっとしたやり取りがエスカレートしやすいと言う特性はあるんだろうけれど。
でも子供なんて、相手をやっつける時は全力でやっつけるからねー。
言葉、表情、態度、ちょっとした動きや視線。
そういったすべてのコミュニケーション要素で思いっきり相手の人格を攻撃する。
子供って、そういうもんじゃない?

ぼくは少年時代、肥満児だった。肥満児で、運動音痴だった。スポーツがからきしダメだった。
高校に入るころにようやく身長の増加が体重の増加に追いついてきて標準的な体形になったけど、小中学校をとおしてみごとな肥満児だった。

小学校。
そこでは運動ができるかできないか、それがほぼ唯一の価値基準だった。
勉強ができるとか雑学に長けているとか洋楽の知識が深いとか物事の解釈がユニークだとかじっくり話すと意外にいいヤツ、とか、そう言うのは意味合いとしてはほぼゼロに近いさまつな付加価値でしかなかった。
運動ができる少年は、その社会ではヒーローだった。
ヒーローであると同時に、王さまだった。どちらかと言うと残酷な王さま。
王の言うことは何でも通った。
みなが集まった時にどんな遊びをするか。
どういう組分けをするか。どこにいくか。いつやめるか。
そこは完全な階級社会だった。
そしてその社会で、ぼくは圧倒的に最下層だった。

体育の時間は常に笑いものだった。
鉄棒なんて、いちども回れたためしがなかった。生まれてこの方、縄飛びの二重飛びもたったの一度もできない。
跳び箱は、たった1段か2段も飛び越せなかった。
そしてもちろん、授業中に跳び箱の上で顔を真っ赤にしている160センチの肥満児はとっても良く目立った。
好きな女子生徒がクラスメイトといっしょに自分を笑うとき、ぼくはほんとうにこの世から消えてしまいたいと思った。
サイアクなことに、先陣を切って運動のできないデブを笑い、サベツしていたのは、担任の教師だった。

ある晴れた日。
その教師が、きょうの体育はドッヂボールの練習をすると宣言した。
いつものようにただ組分けして勝ち負けをつけるのではおもしろくない。きょうはちょっとちがった練習をする。
教師はぼくの名を呼んだ。
○○(ぼく)はコートの中に入りなさい。それ以外のものはコートの外に立ちなさい。
そしてコートの中にいる○○にボールを当てなさい。
○○はふだんから動作が遅いから、機敏にボールをよけるれんしう。
それ以外の全員は、動くマト(ぼく)にうまくボールを当てるれんしう。
明快なルールで、全員が即座に理解した。
そして授業は始まった。

ぼくは四方八方からぶつけられるボールの痛みに耐えながら、ただもうひたすらその時間が一刻も早く終わることだけを祈っていた。
コートの真ん中にいればカッコウのマトになったし、ヘリの方に移動すればここぞとばかりに力任せにボールをぶつけられた。
どんなに機敏に動いたって(動けないけど)、四方から40人近い人数の標的にされてよけられるわけもなかった。避けるのをやめて立ち止まると、教師から叱責が飛んだ。
どこを見ていいか分からなかった。顔を上げると、とっても生き生きした表情で、侮辱の言葉とともにボールを投げる同級生たち。笑顔。笑顔。笑顔。その中には、好きだった女の子ももちろんいた。
つらかったのはボールが痛かったからではなく、とてもとてもとてもとてもとても、とてもみじめで自分が恥ずかしかったからだ。そこから瞬間移動して消えることができたら、ぼくはなんだってしただろう。
あれから26年の歳月が流れたけれど、そのときのことをぼくはつい昨日のように覚えています。
先生、お元気ですか?

話がだいぶそれたけれど、えー、ネチケット。
知識を隅から隅まで教えてどうにかなるものではないんじゃないかと思います。
たいせつなのは想像力。
シネとか厨とか言われて、それがどこまで冗談の範疇で通じるのか。
本気で赤の他人にしねと言われて、自分だったらどう感じるか。
ひとの痛みを感じられるか。

ネットできたない言葉を使ってはいけません、ひとを傷つける言葉を用いてはいけません。
でもそんなことあたりまえのことだし。むしろタテマエを並べれば並べるほど、だれのこころにも届かず、問題の本質から遠ざかっていく。
「ひとを傷つけてはいけません」なんて、知識としてはだれでも知っていること。
それでもおとなもこどもも、それこそあらゆる場面でお互いに傷つけあっている。

ぼくたちは傷つけあっていることに気がついてさえいないのかも知れない。
気がつかないまま、いまこの瞬間ぼくもあなたも、コートの中の肥満児に寄ってたかってボールをぶつけているのかも知れない。
あるいはぶつけられているのかも知れない。
あのときの40人のクラスメイトたちも、誰かを傷つけていると言う意識はまったくなかったのでしょう。
サベツとは、誰かを傷つけるとは、言ってみれば想像力の欠如だ。
相手を尊重する、思いやる、相手の立場になってみる。
少なくとも、そうしてみようと試みる。そういう努力のいっさいをやめたときに、想像力が止まる。停止する。
不用意な言葉で、ふとしたひとことでだれかを傷つける。
そして傷つけられた方が「オマエに傷つけられた」と迫り、相手の良心を苦しめる。
怒りと傷と恨みの連鎖。
どこまで行っても愛なんて生まれやしない。

そういう連鎖からは抜け出したいものです。
自分がどれだけひとを傷つけたか。ひとを傷つけた自分を認め、ゆるせるか。
自分がどれだけひとに傷つけられたか。自分を傷つけたひとを許せるか。理解しようとしたか。

うらみとにくしみの手綱を手放すこと。ゆるすこと。

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2004年6月24日 (木)

ギターの修理が仕上がったの巻

僕の名前は、テル。
本当は照夫だけどみんな「テル」って呼ぶ。
僕はコインランドリーで働いている。洗濯物が盗まれないように見張っている仕事だ。
窪塚洋介主演「laundry」

ぼくの名前はカオル。
アノニマスネームでほんとうはカオルのカの字もないけど、みんな「カオル」って呼ぶ。
ぼくはミーティングが休みの日でも会場に行く。公民館が盗まれないように見張っている仕事だ。

・・・って。
またミーティングがない日に会場に行っちゃったよ〜!
駅前の公民館なんだけど、ここの水曜日っていっつも間違えるんだよねー。
せっかく行ったのに・・・くすん。
日中はイライラするし。きのうはついていないいちにちでした。
西暦2004年6月23日の水曜日。カオルのついてない記念日として後世に残るでしょう。うそ。たぶん来月には自分でも忘れ去っていることでしょう。

きのうはギターのリペアが仕上がったとのことで、楽器店へ。
修理を依頼したのが去年の12月だから、実に7ヶ月もかかったことになります。
何でこんなにかかったのかと言うと、デューセンバーグというちょっとマイナーなメーカーのギターだったので、パーツの取り寄せに時間がかかったそうなのです。
楽器店のリペア担当者がずいぶん攻撃的な方で、メーカーにかなり強烈なクレームをつけたのだと(いくぶん誇らしそうに)なんどか経過報告の連絡があったのですが。
そのせいか、修理代はただ。やった!

そもそもこのギター、おととしに職場でクリスマスバンドをやったときにステージから転落して破損。
ぼくは無事だったんだけど、ペグ(糸巻き)が折れちゃったんですね。
自分でパーツを買って直そうと思いつつ、そのまんま1年以上の歳月が。
で、「これじゃいかん!ギターがかわいそうだ!」と一念発起して、楽器店に連れていった、と。
そこからさらに7ヶ月ですから、うう、ホントかわいそうなデューセンバーグちゃん。
でも、時間がかかっただけあって、糸巻きはオリジナルのパーツに交換されていたし、弦も新品。
ほかのパーツもボディもピカピカになっていたのでした。
これからはちゃんと弾かないとねー。

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2004年6月21日 (月)

ダイアナ・クラール〜抑制の美しさ〜

ダイアナ・クラールの「THE GIRL IN THE OTHER ROOM」を購入。
ここで見た「Temptation」がとても良かったので、前からいちどきちんと聞いてみたいと思っていたアーティストのひとり。
Temptation、クレジットを見たらなんとトム・ウェイツの曲だったんですね。
言われてみればトム・ウェイツらしいメロディ。
メロディと言うか、メロディを超越したトム・ウェイツ節と言うか。
曲もジャズと言うよりはブルース。
でも抑制の効いたダイアナの歌とピアノ、バックの音の涼やかさがブルース臭さを感じさせない。
きっとサンタナや布袋あたりがカバーしたら弾きまくり、泣きまくりのこてこてブルースになるんだろうなーなんて想いながら聞いておりました。

ダイアナ・クラールがこのアルバムでカバーしているアーティストはジョニ・ミッチェル、あと共作でエルビス・コステロ。いずれも抑制の効いた音を作っている人たち。
近ごろ耳にするロックがあまりにもしょもない子どもパンクばっかりなので、こういう静かな音世界に浸ると、なんかほっとします。
がなり立てるばかりがロックじゃない。
トム・ウェイツ、死んでしまったニコ、パンクロックでもテレビジョン、早川義夫。
これまた死んでしまったジョニー・サンダースの「Hurt me」。
かすかなため息、息を吸い込む音。ささやくような歌声。
そこから伝わってくるエモーションは、爆音のディストーションギターよりも強烈にこころを揺さぶるときがある。
静寂のサウンドでしか伝えられない、伝わらない何かがあるんだと思う。

しかしこのダイアナさん。
エルビス・コステロの奥さんだったんですね。
コステロ、ブラックスリムジーンズでギターを構え、世界を斜めににらんでいたころとはずいぶん遠いところに来ちゃったんだなー。オレもトシ取ったなー。しみじみ。

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2004年6月20日 (日)

ケーキ屋はっけん!

先週、コタツ布団を丸洗いした話を書きましたよね。
で、丸洗いを待つあいだ、その辺をぶらぶらしていたのね。
そしたら、そのコインランドリーのすぐ裏手に新しいケーキ屋をはっけん!!
さっそく購入してみたんだけど、絶品なんだこれが。
あれから1週間。
すでに3回もケーキを購入。
ああ、どんどん肥えていくワタクシとカノジョ・・・。
ここのケーキ、なんて言うんだろう、スポンジともパンケーキともつかない、ふしぎな焼き菓子風のしっかりした生地がベース。
ホント、これが美味しくって美味しくって。
ああもうメロメロなり・・・・。
店構えも落ち着いたホワイト&ブルーでおしゃれ。
2階にはちょっとした喫茶スペースもある。
こういうコじゃれたケーキ屋ってやたら洋酒を使っていて食べられなかったりするんだけど、ここのはだいじょうぶ!
洋酒くさくなーい!!
きょうもまたここのケーキを食べちった。んまかった!!

飲まない生き方をしていると、楽しいこともうれしいことも、つらいことも悲しいことも、ほんとものすごーくリアルに感じます。ただもうそれだけで、ぼくはうれしくってうれしくって。

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2004年6月19日 (土)

不動産で放置プレイ

住み替えを考えている。
いまのアパートに不満があるわけじゃないけれど、少し手狭になってきた。だんだん物が増えてきて収納がままならなくなってきた。
そもそも結婚していたころに購入した4人掛けテーブルだの大きめの家具調コタツだのがあって手狭気味だったんだけど、さらにレコーディング機材なども購入してどんどんモノが多くなってきた。
キッチンまわりももう少し広く使いたい。
ギターもほとんどケースに入れてしまいっ放し。出したくても置いておくスペースがない。
今年の春に模様替えをして多少は広く使えるようにしたのだけれど、そろそろ限界。
将来的には二人暮らしになるし、そろそろその辺も視野に入れて、もうすこし広いところに引っ越したい。

と言うワケで、きょうは不動産へゴー!

やー。
近ごろの不動産はクールですね。
ドアを開けると受付の女性が出てきて、要件を尋ねられる。
アパートを探している旨を説明し、受付用紙に住所氏名、希望の物件の概要を記入。
さぁ、どんな物件を紹介されるのか?
少し緊張していたら、なんと!!

いきなり店の片隅のパソコンの前に座らされた。
その店のホームページを見せられ、ここから希望の物件を探せ、と言う。
お、オマエなぁ・・・・・
検索のしかたの概要を教わり、いきなり放置プレイ。
女性、事務机に戻り同僚との会話を再開。
仕方なく、彼女とふたりでしばしパソコンをいじっていろいろ物件を見たものの。

・・・・さみすい・・・・・。

あのですねー。
webで検索するのは、もう自宅でやっているのです。
そうじゃなくって「この物件がおすすめです」とか「この辺でお探しなら、もうすこし待つと空きが出るところがありますよ」とか「まだwebには載ってないですが、新築の予定があります」とか、そう言うナマの声を聞かせてほしいんです。
webで見るだけだったら賃貸情報誌を読んでいるのと変わりないでしょう。

まー一見さんと見られたからそういう対応だったのかも知れないですが。
近ごろの不動産は、そんなものなのかいなー?
クールと言えばクール。のんびりしていると言えばのんびりしている。
だいたい、パソコンに慣れてない人間にはどう対応しているんだろう?

なにか割り切れないまま礼を言って店を出ようとすると呼び止められる。おお、何か良い話が?
「良かったらこれを見てください」
そう言って、何やら分厚い冊子を渡される。どうやらその店オリジナルの情報誌のようだ。
「どうもありがとうございます」
あとで見てみたら、単にwebを印刷しただけ・・・・くわっっ!!!
近ごろの不動産って、こんなモンなんでしょうかねー?
ま、めげずにほかのところも当たってみようっと。

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2004年6月18日 (金)

酒が止まっても苦しい

スポンサーの影響なのか、酒が止まって以来どんどん楽観的な人格になってきているような。
AAに来て酒が止まる。
いままでできなかったことができるようになってくる。
人間関係、少しずつ直っていく。
あれほど困難に思えた仕事が、気がつくとできている。
毎日遅刻せずに出勤するなんて、とてもできないことだったのにね。
イライラや怒りは日々あるけれど、致命的な爆発をする前に処理することができるようになる。
日々のミーティング。
仲間の話を聞く。
自分の話をする。
仲間とバカ話をする。
わらう。いのる。共感する。

そういう日々が続いているので「酒が止まっても苦しい」と言う話がなかなかピンと来なかった。
ミーティングに行っても孤独を感じると言うのが良く分からなかった。

でも考えてみたら、自分がAAにつながったばかりのころはまさにそんな風だった。
ほんの少し顔なじみになったけれど、まわりは知らない人ばかり。
自分の世界とはあまりにもちがう人たちばかり。
ぼくは仕事が見つからなくって苦労したこともなければ子どもの貯金箱をたたき割ったこともない。
そりゃぁ離婚はしたけれど、家庭崩壊だの親や職場を巻き込んでのシュラバも経験してない。
生活保護を受けたこともなければ飲み屋でトラブルを起こしたこともない。
このひとたちと、いったい何を分かち合えばいいのだろう?
仲間?仲間だって?
年齢も体験も考えてることもゼンゼンちがうのに、どうして仲間などときれい事が言える?

そういう思いがどこかしらつきまとっていた。
分かちあい、と言う言葉を良く耳にしたが何をどう分かち合っていいのか分からなかった。
ミーティングで本音が言えなかった。
いつもきれい事ばかりを言っていたような気がする。

そして気持ちがつらくてつらくて耐えられず、なんの迷いもなく再飲酒した。
飲んでも何も解決しなかったが、飲まなくても生きられないことには変わりがなかった。

そのころぼくが感じていた苦しさと、いまのあなたの苦しさが同じかどうか、分かりません。
正直言ってあなたの苦しさをほんとうに理解しているのかどうかも、理解できるのかどうかも、自信がありません。
でもぼくは、あなたの声に真摯に耳をかたむけたいと思うのです。
苦しい、と叫ぶとき、その叫びを聞いていたいと思うのです。
「酒が止まっていても苦しい」とあなたは言う。
きっとそれは、とてもとても、とってもつらいことなのだと思います。
ぼくにはそれを聞き、祈ることしかできません。
でも、この無力を認めたものたちの集団が成し遂げてきたことを考えれば、聡明で思慮深いあなたが回復できないはずはないと思います。
あなたが歩いているのは、回復の道のりだと思うのです。
AAメンバーとしても社会人としても、きっとあなたはゆたかなひとになるでしょう。
たかだかソーバー2年7ヶ月ですが、ぼくはきっとそうなると確信しています。

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2004年6月17日 (木)

うーうーうー

ひさしぶりにスターバックスに行ってきました。
新作とか言う、ストロベリー クリーム フラペチーノなるものを食す。
おいちい。
つめたくってあまくって、いちご味。

その直後、チャーシュー麺がウリの某ラーメン店にて、厚切りチャーシュー麺とんこつ味、を食す。
かなりおなかいっぱいなり。
おまけにギョーザも食す。彼女もほぼ同じものを同じだけ食す。

けつろん。

下痢します。
みなさんはまねをしないようにしましょう。

て言うかチャーシュー麺がウリの某ラーメン店、ちぃっとアブラがキツすぎるんじゃぁねぇのかい?!
世の中には道理ってモンがあるんでぃっ!
スタバのあまーいドリンクのあとにチャーシュー麺を食べなくっちゃぁいけねぇ、そう言う人の気持ちも分かってくれよっ!!

いたたたた・・・・・。
と、トイレ・・・・・・・。

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2004年6月16日 (水)

風景に出会える

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こころをすこし開くと、少しだけきれいな風景に出会える。

怒り。

ねたみ。

劣等感。

高く評価されたい。

賞賛されたい。

ほめられたい。

愛されたい。

愛情を示さない人がきらい。

傲慢な人がきらい。

親切で言ってあげたのにどうして恨むの?

そんな感情でいっぱいの自分がきらい。

そんなとき、少しだけ寄り道してみる。
目的地から目的地にまっしぐらに進むのをやめてみる。
クルマを止めて歩いてみる。

草のにおい。
夏の日差しと影。
草むらが触れあう乾いた音。

さらさら。
さらさら。

空を見上げる。目を閉じる。
息を吸いこむ。
束の間、イヤな感情が遠のくのを感じる。
固く閉ざされた固まりに気づく。

目を開くと、気がつかなかった風景に出会える。
固いわだかまりが少しだけほどけたとき、包まれている、と思う。

ぼくらは包まれている。

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2004年6月15日 (火)

イライラ

ずっと忘れていたことなんだけど。

お酒が止まった最初のころ、すごくイライラしていた。
最後の酒から4ヶ月目くらいの時のこと。
そのころ、ずっと面倒を見てもらっていた女性とすったもんだの末に分かれた。
別のひとを好きになったのがきっかけだったんだけど、でもその女性のところにずっと世話になっていては自分がダメになるとはずっと感じていた。
でも、どうやってそこを出たらいいのか分からなかった。
スポンサーやほかの仲間にも相談して、とにかく分かれた。
分かれたとき、ぼくはその女性の家のすぐ近くにアパートを借りていた。
日当たりがよくって静かで交通の便もよくてとても気に入っていた。
でも、そのアパートも出ることにした。
別のアパートを探さなくては。

不動産を回って、良い物件が見つかった。
話がまとまりそう。
仕事もあったし、そうそう不動産にも行く時間が取れない。
電話での連絡が主だった。

ある日、電話をしたらアルバイトらしい若い女性が出た。
入居に関する手続きの件を切り出したら、まるで話が通じない。
その件については自分は聞いていないので、申し訳ないがいまは交渉を進められない、と言う。

カッとなった。

たがが外れた。
電話口で、そのアルバイトの女性にかなり強い調子で責任を問いつめた。
あなたにとっては仕事のことかも知れないが、自分にとってはとても大事なことなのだ。
自分はいまどうしてもどうしてもその話を進める必要があって時間もない。
話を聞いていない、では困る。
どうして聞いていないのか。
連絡が悪いのはそちらの責任ではないか。
信用商売なのにその業務態勢は、いったいどういうことなのか。

アルバイトの女性は何度も謝りの言葉を繰り返した。
申し訳ない、とにかく担当者がいるときにかけ直してくれないか、と。
最後には声がうわずっていた。

電話を終えてから気がついた。
自分が電話していたのは、別の不動産だった。

よっぽどもう一度電話して、自分の間違いだったことを話してわびようか。
謝った方が良いんじゃないか。
でもぼくはそうしなかった。
気を落ち着けてもう一度電話番号を確認して、本来の不動産に電話した。
そして話を進め、いまこうしてそのアパートに暮らしている。

あのときのアルバイトの方、ほんとうにごめんなさい。
あのときの自分はおびえていて、イライラしていたんです。
とにかくアパートを出ることを焦っていた。
その女性がいつまた訪れてくるか、気が気じゃなかった。
だからといってあなたに当たって良い道理はないですよね。
ごめんなさい。

そう言うことがあったこと自体を、すっかり忘れていた。
酒が止まったばかりのころは、自分の正気を疑わなかった。
でもいま思い返すと、イライラの連続だった。

いまはどうか?
わからない。
でも、少なくともあのころの自分をようやく振り返ることができるようにはなった。
性格上の欠点、まだまだ山ほどありそうだ。

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2004年6月14日 (月)

会議は踊るよあかいくつ

きのうはAAの地区委員会でした。
議題はそれほどでもなかったんだけど活発な意見交換や議論があり、予定時間の3時間をまるまる使い切ることに。
ぼくは書記と言うことでパソコンを打ちながら参加。
最後の方は何だかだるくなってきちゃって、まだちゃんと終わっていないのにPowerBookの電源を落としちゃった。すまんス。
やー。
会議の緊張感って、かなりダメ。
場の緊張感に耐えられない。
お茶飲みとかふだんのミーティングとかのユルい場面だったら気軽に何でも言えるんだけど。
自分の発言じゃなくっても、ほかの仲間の意見がちょっと食い違っただけでドキドキしちゃう。や、トキメキじゃないよ。
自分が発言しようとすると(なかなか発言しようと思わないけど)かなりロレロレ。
緊張しちゃって。もう。
3時間の会議の終了後は、どっと疲れが。
夜の通常ミーティングでも話す元気なし。

世間のみなさんは3時間の会議で、最後まで集中力を維持できているのか?
ぼくはムリだなー。
職場での会議や打ち合わせでも、話し合いが2時間を越えると疲れてきちゃうもの。
アタマがぼーっとしてきて、ぜんぜん別の空想にふけっちゃったり。
「帰ったらケーキ食べたいな」
「そういや近ごろチーズケーキ食べてないな」
「でも今からだとあそこのケーキ屋は間に合わないなー」
「しょうがない、手近にシャ○レーゼにするか」
そういうことを考えていると、議案よりも「早く終わらないものか」とばかり思ってしまう。
勉強会とか講義とかを含めてならぜんぜんだいじょうぶなんですが。
ううしんど・・・。

自分を正当化するわけじゃないけど、長い会議が良好な結論を出すとは限らないんじゃないかと思う。むしろ逆のことも多いのではないか。
本部にいたころ、長い会議にはかなり付き合わされた。
午後1時からぶっ通しで連絡会、会議、報告会、勉強会、打ち合わせ。
で、やっと夜の11時とか0時に終わったかと思うと、そこから別件の会議が始まったりする。
会議のあいだみんなちょっとおかしくなってて、つまらないことで笑ったり、ちょっとした言いよどみや言い違いにひどく腹が立ったりする。
そういう席で、みんなへとへとになるまで角を付き合わせて決まったことが良い結論かと思うとむしろ逆。
翌日思い出してみると「なんでそんなワケの分からない結論が出たのか?」と全員でクビをひねることになる。
でも会議にはかってみんなで決めたことだから、全員が「なにかおかしいような?」と思いながらも、その結論の方向で仕事を進めていく。
おかしいおかしいとみんなで言い合いながら、事態は進行していく。

思うに、あんまり長時間の会議では、意見を出すひともその是非を判断するひとも、みんなすこーしだけ酔っぱらっているように思う。
意識野が狭窄して、過去の知識や経験を上手に参照し、冷静で客観的な判断をする能力が低下する。
かわりにすこーし感情的に過敏になって、どうでも良いようなちょっとしたひと言に反応しやすくなる。
その結果、ちょっとケチが付いただけで良案がお流れになったり。
みんながボーッとしているあいだに愚案が通っちゃったり。

だからね。
ね。
会議はてきぱきと終わらせて、みんなでお茶でも飲みに行きましょうよ。

stay cool.

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2004年6月13日 (日)

スーパー・サイズ・ミーのテーマ

♪スーパーサイズ、スーパーサイズ、ジ・アメリカン・ウェイ、ゲッティン・ファット、ゲッティン・グロウ♪
と言うワケで、スーパー・サイズ・ミーのテーマ曲が頭から離れません。
寝ても♪スーパーサイズ♪
起きても♪スーパーサイズ♪
ああああっっっ!!!!アタマんなかでグルグル回ってるぅっ!!
マクドナルドも中毒になるかも知れないけど、このテーマ曲もかなり中毒になる要素が。
supersizeme.comの「DOWNLOADS」から聞けます。
低予算映画っぽいから、てっきりこのちゃめっ気たっぷりの監督が歌ってるんだと思っていたけどToothpickと言う立派なアーティストが歌っているんですね。
ふにゃふにゃした覇気のないラップがなんとも言えずツボ。
しかし、Toothpick・・・・つまようじ・・・・。
ひょっとして96年に死んだ大物ラッパー2pac(トゥーパック)のもじりか?
ラップの世界ってマジで殺し合いが多い世界のようだし、こんなもじり芸名でだいじょうぶなのか?撃たれるんじゃないのか?
アメリカ文化は奥が深い・・・・。
しかし、仲間のみなさんは冬のソナタ(冬ソナって言うの?冬山遭難の略かと思った)の話題で盛り上がっていると言うのに、ぼくはマックフライポテトを口いっぱいほお張ったオトコに夢中。
トホホ。

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2004年6月12日 (土)

こたつ布団丸洗いにチャレンジ!の巻

こたつ布団を丸洗いしてみました。
自分の洗濯機ではもちろん洗えないので、コインランドリーへ。
いやー近ごろのコインランドリーは進化しているんですねー。
近所に新しいコインランドリーができて「布団丸洗いOK!」と看板が掛かっているのは知っていたのです。が、実際に利用するのは今回がはじめて。

じつは去年、いま時分のムシムシジメジメのころ、こたつを出しっぱなしにしていたんです。寒かったから。
「ジメジメするなぁ」
「でもこたつは暖かいなぁ」
「ぬくぬく。。。ぐぅぐぅ。。。。」
そしたらアアタ、6月の末ごろになにげにこたつ布団を裏返してみたら。

ひぃぃいぃっっっ!!!!

緑色の点々がっっっっ!!!

その後何度も掃除機をかけたり晴れ間を見て物干しに干したり。
やーツラかった・・・・なんとか取れたけど、でもツラかったス。しみじみと、つくづくと、ツラかったス。

そう言うワケで、今年は梅雨が始まったらこたつ布団をさっさと洗ってしまうのだ!
早めにしまってしまうのだ!
青島幸男が国会で決めたーのだ!!
と決めていたのでした。

はじめはクリーニングに出そうか。と考えていたんだけど、うちの近所ってクリーニング店があんまりないのです。近くに一件だけチェーン店っぽいところがあるのはあるんだけど、受付の女性の対応が悪くって。いつもムッとした表情なの。イヤそう言う顔つきなだけかも知れないけど。
できれば利用したくないのね。
値段も高そうだし。
そうそう思い出した!!
そのクリーニング店は仕上がりから1週間以内に取りに行かないと、保管料を取るってぇのよ。
営業時間は朝9時から夜の8時まで。
くらぁっ!
そんな時間にクリーニング屋に行けるかっ!!
こちとらミーティングがあるんでぇっっ!!
仕事もしてるんでぇっっ!!
洗濯物を取りに行けないズボラから金取るってぇんなら、せめて夜10時までは店開けとけやぁっっ!!

・・・と言うことで、今回はコインランドリーへ。
イヤー、意外にお金かかりましたねー。
丸洗いに1000円。
乾燥に700円。
こたつ布団のほかにこたつ毛布もいっしょに持って行って、そちらは別に洗ったから、これも700円。
合計2400円でした。
あ、乾燥は布団も毛布もいっしょにしました。

いまのコインランドリーは無料アイロンがあったりスニーカー洗い機があったり広ーい畳み台があったり、かなりイケてる感じでした。
肝心の仕上がりも、ふんわりして清潔感バッチリ。
すぐに押入に押し込んじゃったけどね。
うちで洗えない洗濯物、これからもちょくちょく利用させてもらおうっと。
ただちぃっと値が張るなぁ・・・・。

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2004年6月11日 (金)

スーパー・サイズ・ミー〜ぼくをスーパーサイズにして!〜

「スーパー・サイズ・ミー」(オレをスーパーサイズにしてくれ)と言う映画が話題になっている。
ある男が一ヶ月間のすべての食事をマクドナルドで摂り続けるとどうなるか?と言う実験をし、その様子を撮影し続けたドキュメンタリー映画だそうだ。
主役兼監督、モーガン・スパーロックさん、33歳。
うーんオトコだっ!
職業が「自主製作映画監督」。思いっきり食えてなさそう。
きっとかなりのハングリースピリット野郎なのでしょう。
モーガンさんがチャレンジしたのは、以下の過酷な条件。(町山智浩アメリカ日記より転載)
1  実験前のモーガンが完全に健康で血圧や脂肪率などの数値がすべて平均値であることを三つの別々の病院で確認する。また、実験中も定期的にチェックを受け続ける。
2  30日間、マクドナルドで買えるもの以外は水すら一切口にしない。
3  車に頼っているのでアメリカ人が一日平均歩く量は2千歩以下。それに従い、一日2千歩以上歩かない。
4  いろいろあるメニューをまんべんなく全種類食べる。
5  基本的に残さず全部食べる。
6  「スーパー・サイズにしますか?」と尋ねられたら必ず「イエス!」と答える。

おお、まさにオトコの中のオトコっ!!
自分の健康など映画のためなら、エンターテイメントのためなら喜んで捧げちゃおうっ!
自分の体形など失ってもかまわないっ!!
と言うダイナマイト精神に、思わずハートが揺さぶられます。

公式サイト

ちなみにタイトルにもなっているスーパーサイズとはS,M,Lの上に存在する、特大サイズのことだそうな。
スーパーサイズを食べまくったモーガンさん。
最初のうちは食べ切れずにゲロしちゃったりもしてたんだけど、そのうちにマクドナルドなしには生きて行けなくなり、マクドナルドに行かないとイライラして仕方なくなっちゃったんだそうです。
オマケに思考能力も低下して、ボーッとして抽象的思考が難しくなってきたそうで。

むずかしいことがかんがえられない。
マクド食べてればしあわせ。
マクド食べてないとふしあわせ。

最終的にはモーガンさん、14キロ太り、中性脂肪が極度に高くなり、「こんなばかげた実験を続けたらおまえは死ぬ!」と医者に怒られたんだそうです。

この映画の公開後、マクドナルドはスーパーサイズの販売を中止。
「映画とは関係ない」と反論しているものの、明らかにこの監督は巨大資本主義帝国のマクドナルド社に一撃与えたことになりますね。

アメリカでは肥満が深刻だそうで、実に総人口の2/3が病的な肥満。
特徴的なのは、貧困層に肥満者が多く、富裕層になるほど少ないんだって。
貧困層ほど安価で高カロリーなジャンクフードに食生活を依存しないとやっていけない。
冷凍ピザ、ファーストフード、コーク・・・ある掲示板を読んでいたらアメリカでのホームステイの様子が書き込んであって、ホストファミリーが持たせてくれる弁当は毎回ピーナツバターを挟んだサンドイッチか、前夜の残り物の解凍パスタだったそうだ。うげぇ。
そして子供のころからコークとマクドナルドで育った子供は、また次の世代にも同じ食生活を伝えていく。
世代間伝播ってやつですね。
アメリカでは健康的な肉体は、お金を出さないと買えない「高額商品」なんですね。

さて、今夜の夕食はビッグマックにしようか?

今回引用させていただいたはてなダイアリー - 町山智浩アメリカ日記はとってもおもしろくって考えさせられる、優良サイトです。チェキっ!!

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2004年6月10日 (木)

ここはとあるレストラン

ある日、私は森に迷ってしまった。
夜になりお腹も減ってきた。
そんな中、一軒のお店を見つけた。
「ここはとあるレストラン」
変な名前の店だ。
私は人気メニューの「ナポリタン」を注文する。
数分後、ナポリタンがくる。私は食べる。
……なんか変だ。しょっぱい。変にしょっぱい。頭が痛い。
私は苦情を言った。
店長:「すいません作り直します。御代も結構です。」
数分後、ナポリタンがくる。私は食べる。今度は平気みたいだ。
私は店をでる。
しばらくして、私は気づいてしまった……
ここはとあるレストラン……
人気メニューは……ナポリタン……

こんなミニストーリーがwebを騒がせているらしい。
ぼくが知ったのはついきのうだけど、一ヶ月くらい前に(局所的に)ずいぶん盛り上がったようです。
発信源は、おなじみ2ちゃんねる。
恐怖のナポリタンのスレ


いったいなにがこわいのか?
どうこわいのか?
この話、意味があるのか?オチはどこ?
ナゾは深まるばかり。

7 :('A`) :04/04/14 17:24
>>4
だからさ、
ここはとあるレストランなわけよ

そこでナポリタンが出てくるんだぜ

((((((((;゚Д゚))))))))ガクガクブルブル

・・・え・・?イミわかんない・・・・マジでわかんない。
どうこわいの?

17 :('A`) :04/04/14 17:27
>>15
だからさ
店の名前が
「ここはとあるレストラン」
そこの人気メニューが「ナポリタン」
わかったろ?
((((((((;゚Д゚))))))))ガクガクブルブル

・・・・・ううむ。わからんっ!!!

32 :('A`) :04/04/14 17:34
>>29-30
声に出して読んでみろ
「ここはとあるレストラン」
「ナポリタン」
「しょっぱい」
「頭が痛い」
「ナポリタン」

これでわからなかったらどうしようもない

44 :('A`) :04/04/14 17:39
「ここはとあるレストラン」と「ナポリタン」だけを考えてみな・・・

2ちゃんのスレは、書き込みが増えるにしたがってどんどん深読みするやからが。

538 :番組の途中ですが名無しです :04/04/10 07:59 ID:ReUobCTP
ト・アール
フランス国境に近いイタリアの都市。
1987年の12月、誘拐殺人の疑いで逮捕されたレストラン主の自宅地下室から大量の人骨が発見された。

なんて言う書き込みがあったり。
かと思えば

33 :('A`) :04/04/14 19:19
ここはとあるは苗字
漢字で書くと
「小弧鳩在」
シェフにはひとり娘がいた
名前は「なぽり」
つまり
小弧鳩在なぽりタンハァハァ
ということだ

757 :('A`) :04/04/16 10:14
ナポリたんのエロ画像まだー?

何でこれだけの小話からエロ画像の話になるんだ・・・・。

この話のオチ、分かりました?ぼくはさんざん悩みましたが、結局自力では分かりませんでした。
いちおうこちらに解説が。

CROSSBREEDクロスブリード!:恐怖のナポリタンその後


ううむ、やはり納得がイカン・・・。

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2004年6月 9日 (水)

こころに一匹の鬼を飼う

「上に立つ人間はね。こころに一匹の鬼を飼ってなくちゃいけないのよ」
ほほえんで彼女はそう言った。

きょうは昨日の一件のつづきです。

同僚のひとりはぼくよりも年上だ。
ぼくがいまの職場に来たのが4年前。彼はその1年あとに転勤してきた。
職場の中ではぼくが1年先輩だけど、職歴で言えば彼の方が大先輩。
ことし4月、その彼を飛び越してぼくが所属長になった。トップの指示だ。
うれしくなかった、と言えばウソになる。
率直に言って、とてもうれしかった。自分を評価してもらえたことに感謝した。よろこんだ。
ただ、大先輩の彼を飛び越して所属長になることには一抹の不安があった。
案の定彼とは、4月以降は必要最低限の会話さえ途絶えがち。それまではある程度気楽な会話もできたのだけど。
もともとものの考え方にかなり独特な面があって土日の仕事も頼みづらいひとだったんだけど、そういういきさつがあって4月以降は溝が深まるばかり。
土日の仕事は彼には頼まず、ぼくとトップで分担してきた。
彼としてはおもしろくなかったと思う。
ハブにされていると思っていたかも知れない。
ただぼくとしては、彼にお願いして断られるのが怖かった。実際今までも何度も断られてきたし、そのたびに一言居士的に、非建設的な意見を言われてきたから。
どうせ断わられるんだし、そのたびにイヤな思いをお互いにするのなら最初から頼まなければいい。
それで、いままでどうにかやって来れたのだけれど。

けさ、彼にいきさつを伝えた。
意外に、了承の返事が返ってきた。なんだ、やっぱり話せば分かるじゃないか。
ほっとしたのもつかの間。
斬って返された。
ぼくの担当日が固定されていて、そのほかの空いている土日を頼みます、というのがお気に召さないらしい。
そりゃそうだ。彼からみれば、そうだろう。
でも、本部の会議その他の日程を考慮すると、どうしてもそういう日程になってしまう。
決して傲慢で自分の日程を優先しているわけではない。

そんな反論がとっさに出てくるはずもなく、語気の荒さに気圧されて「す、すみません」と言うのがやっと。
そんな自分にも嫌気が差してきた。

胃が痛い。
たかがスケジュール調整。されどスケジュール調整。

まだ出勤して1時間も経たないのにぐったり。ふらふらと現場に足を運ぶ。

現場の主任にふと言ってみた。
こっちの部門は楽そうに見えるかも知れないけれど、ぼくだってたいへんなんですよ。気を使ってへとへとですよ。

彼女は言ったね。
「上に立つひとは孤独なものですよ。全員が納得する結論なんてあるわけないっしょ。上に立つひとが決断しないと、答えなんていつまでたっても出やしない。たとえ嫌われようとも、言うべきことは言わないと。まとめるべきところはまとめないと。上に立つひとはね。こころに一匹の鬼を飼うんですよ。いっぴきだけ。優しいだけじゃつとまらない。さっさと決断しないとやっていけない。そういう時にね、鬼を飼うんです」

その言葉でふっ切れた。森を抜けた。

彼の言い分、彼の論理にももっともな部分もある。
でも職場はあくまで仕事を優先するところ。
彼の休みを連休にするためにぼくやトップが自分の休みを返上したり、会議に出られないなんてことはできない。
みんなに負担が公平に行くようなスケジュール調整を目指すけれど、彼の言い分がすべて通るような調整はできない。ひょっとしたら彼の意見はまったく反映できないかも知れない。そしてどのような形であれ、最終的にぼくが提示する日程表に彼が満足することはないだろう。

こわい。
反論されたくない。いやみを言われたくない。
そう思うからこの話題には触れないようにしてきた。
でも、もういい。
ぼくもこころに、一匹の鬼を飼おう。
その鬼の力を借りて、職業人として、所属長として、言うべきことはきちんと言おう。伝えよう。決めるべきことを決めよう。
それで嫌われようと無視されようと大きい声を出されようと、鬼の非情さでそれを聞き流そう。

彼にとらわれ過ぎていた。
だから彼独特の論理と職場の常識とのあいだに溝を感じ、悩んだ。苦しかった。
いや、正直いまも苦しい。
でももうやめる。彼の言い分を無理に飲み込もうとは思わない。
なるべく全員一致を目指すけど、だめだったら仕方なし。それでごちゃごちゃ言ってきても悩まない。
だって、そこから先は彼自身の問題なのだから。
トップと意志疎通が取れないのも、良く分からないマイルールで休日を決めているのも、それと合致しないからと言ってぼくに言ってくるのも、彼自身の問題。
きっと彼自身、何らかの生きづらさを抱えているのだろう。
彼が棲んでいる囚われの森が何なのか、ぼくには分からない。
でももし彼が手を求めたら、その時が来たら迷わず手を貸そう。
でもいまはぼく自身、鬼の力を借りないともたない。
ほんとうに、このままじゃ自分がもたない。

いつか、また彼とも笑って話せる日が来るのかも知れない。
その時は、きょうの鬼の話をしていっしょに笑い飛ばすんだ。
その時が来たら。
その時が来たら。

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2004年6月 8日 (火)

休日がほしい!

また本部の派遣システムが変わった。昨日の会議で決まったそうな。
いままで第4土日は本部からの派遣をお願いしていたのだけれど、6月から急に来れないことに。
派遣が来るという前提で6月の予定を組んでいたので、とつぜん「来られなくなりました」と言われても困る。
おおいに困る。
ひっじょーに困る。
たいへん困る。
なにが困るかというと、その分ほかのひとの休日がなくなるのである。
平日は平日で通常の業務をやって、そのほかに土日。
月に一回くらいだったら何とかなるけれど、2回となると休日が・・・。
困る〜〜!!
困るけど、本部の決定だから仕方ない。
なんとかこちらでやりくりするしかない。

 ぼくの部署は、トップも含めて4人。
トップは対外的な行事、打ち合わせなどが多忙。お願いすると「わたしがやりますよ」と言ってくれるんだけど、実際にはなかなかスケジュールが空かないのね。
残りのお二人もそれぞれ事情があって、なかなか土日の担当はむずかしい。

ううむ。

7月は小旅行の予定があって、楽しみにしてたんだけどなー。
この分だとムリかなーー。あああ。
サービスに関わる時間も、これから確保できるかどうか。
うーんうーん。

きっとこれも与えられた試練なのでしょう。
考えてみたら自分ひとりで背負い込むことはないんだよね。
月々の予定を組むのはぼくの仕事だけど、職場全体の問題だもの。
とりあえず、あすトップに報告してみます。それからどうなるかはそのあと考えよう。
それにしてもここのところ胃が痛いッス。
業務自体はラクショーなんだけどねー。こういう人員配置とか調整とかが、ホント胃が痛くなるほど気をつかうッス。
まだまだAAのプログラムが使えてないなーオレ。トホホ。

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2004年6月 7日 (月)

陽はまだ沈まない

yuugure01.JPG

きみはどこへ帰る?

きみはどこへ帰る?

きみはどこへ帰る?

西の空が茜色に染まり、下校の音楽が聞こえる。
暗くなりはじめた通りにはもうだれもいない。
家々から夕餉のにおいが立ちこめはじめる。
通りにはもうだれもいない。
冷たくなり始めた風が吹き寄せてきて、立ちつくしているきみの頬をなでる。
きみはどこから来たのかも思い出せないし、もちろん行く場所も知らない。
そして、きみはどこへ帰る?

頭の中にはまるでわらが詰まっているみたいで、むずかしいことは考えられそうにない。
どこに行けばいいのか分からない。
だれに尋ねたらいいのか分からない。
なにを思い出したらいいのかも知らない。
なにも。

そしてきみはどこへ帰る?

だいじょうぶ。
ぼくといっしょに行こう。きっと見つかる。

陽はまだ沈まない。
旅は始まったばかり。

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2004年6月 6日 (日)

松嶋菜々子の夫

ただいま職場に拘束中。
土曜の朝から月曜の夕方まで外に出られないの。
外は絶好のお天気。きっと世間のみなさんは楽しんでいるんだろうなー。
いいなーいいなー。
でも、ま。
職場とはいえ、ただ番をしてるだけだからわりと好き勝手に過ごしているのです。
ゆうべからギターの練習をしたり、パソコンの整理をしたり。
時間があるので、思い切ってハードディスクを初期化してデータを入れ替えました。

もともとぼくのPowerBookG4(1GHz)、60ギガのハードディスクを2つのパーティションに区切って、ひとつに緊急起動用のOSを入れていたのです。
OS9時代には「起動しなくなった!」とか「起動OSがいかれた!」とかのトラブルが多かったんですね。そう言ったときにシステムCDから立ち上げるとものすごく時間がかかるし、場合によってはトラブルを起こしたときにシステムCDが手元になかったりする。
こういう教訓をふまえて、かーならず緊急用のパーティションを設定していたのですが。

OSXになってから、緊急事態がひじょうに少なくなりました。
せいぜいアプリケーションがうまく終了できずにマシンを強制終了するくらい。それもまだ2回くらいしか経験していない。
システムが深刻なトラブルに見舞われてOSの再インストールが必要になったことは、OSXにして以来ゼロ。

と言うわけで、せっかく設定した緊急用のパーティションはまったく出番がなかったのでした。でもって、ここにきてディスクスペースの残りが非常に少なくなってきた。
そんなに写真や音楽ファイルをため込んでるわけでもないのに、ハードディスク60ギガバイトのうち残りが10ギガちょっと。
こりゃいかん!
きっとReasonだのCUBASE SXだのを乗せ始めたのが原因なのでしょう。

ということで、外付けのハードディスクに内蔵HDの内容をバックアップしたのですが。
これがまー。
時間がかかるんよ。
50ギガちょっとのデータを引っ越すのに、1時間以上。
一昔前から考えたらはやいのかも知んないけど、データの転送が終わるのを待っている身にはつらいです。
FireWire400の上位、FireWire800が必要になる気持ち、分かりますわ。
やっぱたいへんだもん。データの引っ越しが終わるの。

しかし、パソコンが進化するとそれだけ取り扱うファイルのサイズもばかでかくなる。
アプリケーションもどんどん高機能化して、せっかくパソコンが利口になってもあんまり快適度はかわりなかったりする。

こまったものです。

処理待ちの時間て、何とかならないものですかねー。
処理待ち、処理待ち。

ショリマチ隆史・・・・なんちて。

すんません、きょうだらだら書いてきたのは、このだじゃれが言いたかっただけなんです・・・ゆるして・・・・。

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2004年6月 5日 (土)

ブラックアウトとタイムマシン(2)

はじめて二日酔いを体験したのは14歳の時だ。
親が泊まりがけで出かけた友人の家で、しこたま酒を飲んだ。
カクテルが流行りだしたころで、ブルーハワイというやたら甘い酒をひとりでボトル半分ほど飲んだ。
トイレに座ったまま気絶して寝ているところを友人に発見され、ズボンもパンツもはいていないのを確かめ、死ぬほど笑い合った。
はじめてのブラックアウト。
深夜、べろべろに酔っぱらって自宅に戻り、親の目を盗んで自分のベッドにもぐり込んだ。
友人の自転車の荷台で、自転車の揺れが気持ちよく、それと同時に吐き気を感じたのを今でも憶えている。
そう、つい昨日のように憶えている。

翌日、体調が悪いと言って学校を休んだ。
どうして親が疑わなかったのか、いまでもよく分からない。
二日酔いでフラフラして気持ち悪かったけど、まるで風邪を引いたみたいに頭がグラグラするのがおもしろかった。
二日酔いで学校を休むのは、なんだかとっても悪いことをしているみたいでドキドキした。
その次の日はなに喰わぬ顔で登校した。
だれも何も言わなかった。

それ以来、同じような集まりが繰り返された。
友人のひとりは親が買い付けだか出張だかで家を空けることが多く、またもうひとりの友人は酒屋の次男坊だった。
飲む場所も飲むものにも困らなかった。

その夏、ぼくと友人たちは酒屋の次男坊の部屋に集まって、山下達郎大瀧詠一サムクックなんかを聞きながら、ビールやカクテルやウイスキーをしこたま飲んだ。
ぼくたちは5分刈りで、そこは古い酒屋の2階の6畳だったけど、みんなすっかり達郎の「FOR YOU」の鈴木英人のジャケットや、大滝詠一の「A LONG VACATION」の永井博のイラストの世界にいた。
涼しげな80年代のプールサイド、デッキチェアに寝そべってアイワの赤いラジカセから聞こえてくる音楽を聴いていた。
目の前には青いプールの水面と青い空が広がっていた。
そしてぼくたちは屋根に上り、近隣のかわら屋根を見下ろしながらビールを飲んだ。
空は青く、静かだった。
サム・クックは「もしきみがぼくを愛してくれたら、この世界はなんてすばらしいんだろう」と歌っていた。
1982年の夏のことだった。

ぼくが楽しくお酒を飲むことができたのは、それがほぼ最後だったと思う。

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2004年6月 4日 (金)

意志を定めるふしぎなちから

勝ち組、負け組。
ヤなことばだ。
キーワードとしては刺激的だしマスコミ受けする流行語だと思う。
明らかに露骨でゲヒンで身も蓋もない言葉だから、すぐすたるかと思っていた。
んが。
気がついたら、はじめてこの言葉を聞いてからずいぶん経つのに、まだ使われ続けている。それどころか最近じゃ「負け犬」などとさらに刺激的なフレーズまで飛び出している。
まけいぬ・・・・むかし、スターリンの曲であったっけなー。そう言えば。

勝ちとか負けとか、そもそもその場の勝負の優劣を付けるための言葉、と言う気がする。
スポーツの試合とか、入試の合否とか、ね。
自分の能力を勝負にかける。負けたら反省点を改善すれば良し。勝ってもそれはその場、その勝負に勝っただけ。
「その場の」「その勝負の」優劣を付けるための言葉であって、決してひとの優劣を付ける言葉ではないと思う。
また、ぼくたちは「ひとの優劣、高低を付けるのは卑しいことだ」「たとえそう思ってもそれを口にするのは恥ずかしいことだ」と教わって生きてきたと思う。実際はどうあれ。
それが昨今、どうどうとひとの優劣を口にしてはばからない風潮。
流行語だから、みんな使っていることばだから。
へんなの。

ことばって、ふしぎな力があると思うのですよ。
群馬大の精神科の福田先生ってひとがおもしろいことを言っててね。
ことばには、意志を決定する、意志の方向を決める力があるんだって。
たとえとしてあげていたんだけど、割り勘の計算の時に「えーと、サトウさんから1000円もらったから250円返して、タナカさんとイトウさんからは二人まとめて2000円もらったからこっちの500円を渡して・・・」なんて口で話しながらのひと、いるでしょ。
暗算だとまとまらない計算でも、ことばにしながらだと、ふしぎとすんなりいく。
これは、ことばによって意識を集中させる作用があるからだ、そうな。
言われてみればたしかに、ことばにすると意志が決まるって言うこと、あるよねー。
なんとなく「○○ちゃん、かわいいなー」と思っているほのかな気持ちも、友だちに「オレ、○○ちゃんのことすきなんだよ」と話したとたん、急に自分で盛り上がっちゃったりして。

ぼくたちは日々のミーティングで序文を読み、12のステップを読む。
儀式的でむだだなーと思うときもあるけれど、もしことばにしなかったら、きっとすぐに忘れちゃうじゃないかと思う。
ミーティングでの自分の話もそう。
ことばには意志を決定するちからがある。
憎しみばかりを吐き出していたら、意志が憎しみの方向に行ってしまう。
悲しい気持ちばかり話していたら、悲しみでもっと胸がいっぱいになっちゃう。
憎しみや悲しみや怒りの話をしても、最後にはきょういちにちの自分をゆるし、相手をゆるし、神の意志が行われるように祈る。そして、そのようなことばを口にする。

そう言うおこないの中にはきっと、勝ちだとか負けだとかの価値観なんてないんだと思う。
ぼくは別に勝たなくてもいい。
マンガみたいな不幸が次々襲いかかってきて、どんどん負け続けてもいい(ヤだけど)。
負けてもくじけないこと。
くじけてもめげないこと。
めげても死なないこと。
死ななきゃどうにかなりますよ、ホンマの話。

「勝ち組」なんてだれもいない。まけてもくじけないこと。

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2004年6月 2日 (水)

 がんばれ!!念力ブログ!!!

世の中は広い。
ふだんはなかなか意識することがないが、ときどき頭を石でぶん殴られるほど、そう痛感することがある。
世の中は広い。そう、広い。
われわれが共有していると思っている世界観や常識など、ほんのローカルルールにすぎない。

と言うわけで、念力ブログ
なんと、念力で日々の更新を行うという、異様なサイトである。

All About Japanの紹介記事はこちら

正確に言うと、念力でパソコンに直接働きかけるのではない。
念力で「キーボードを打つ」という修行(だかなんだか)をされているのである。
で、肝心のサイトの内容は・・・・・。

なんじゃぁぁぁあああっっ!!!
まったくなーんにも書いていないではないかっ?!!

と怒ってはいけないのである。

よく見ると、まいにち更新しているのである。
きちんとまいにち、更新記事を載せる努力をしているのである。
ただ、念力でキーボードを打つのに成功していないだけなのである。

6月2日現在、59日目。
いちどだけ、文字が画面に現れたようだが、ほかのサイトの情報などを見ると「偶然にキーボードにものが落下しただけ」の様子。
いまだ、念力は成功せず。
All About Japanの紹介記事のように、日々更新される空白を眺め、「ああきょうも念力修行に励んでいらっしゃるのだなぁ。がんばっていらっしゃるのだなぁ」と思いをはせるのが、正しい念力ファンと言えよう。
がんばれ、念力ブログ!!

すでにあちこちで話題になっているこのサイト。
ホント、かつてデビッド・ボウイが歌ったように「ぼくたちはヒーローになれる、たったいちにちだけなら」ですね。

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2004年6月 1日 (火)

ハイヤーパワーかも

6月の末にホームグループのセミナーが予定されている。
ぼくともう一人の仲間で司会を担当することに決まっていたのだけど、とつぜん仕事の予定が入って、参加できないことに。
もともとそれほど人数が多くないグループ、ひとり少なくなればほかの仲間によけいに分担が増える。
どうしよう。
出たいのはやまやまだけど、仕事、どうしても外せない、職場の代表者としての一泊研修だし・・・・。
なんか申し訳なくって、暗くなっていたのでした。

でもその後、仲間から「仕事なんだから仕方ないよ」
「セミナーはまた来年もあるんだから、気にしないで」とはげまされて、何となく気持ちが上向きになっていたのでした。
もし「あなたがやらないから他の人の仕事が増えるのよ!」なーんて言われていたら、しばらく立ち直れなかったかも。
仲間のやさしい心づかいが、とってもうれしかったのでした。
うぉーし、こうなったら気持ちを入れ替えて、充実した研修を受けてくるぞー!

・・・・と思っていたら。
なんと、その研修、出なくっても良いことに。
7月の末にも同じ趣旨の研修会があって、そっちに出れば6月のは出なくっても良いんだと。
おおっ!!
ハイヤーパワーか?!
念のため、きょう別のものにも確認。ほほほ、まちがいなしっ!!
やたーっ!!

すっかり気持ちの整理もついて、司会の担当者も別の仲間に決定して。
すっかり解決したころに、セミナーに出られるようになる。
もちろんただの偶然なんだけど、ぼくたちには「ハイヤーパワー」という概念がある。
自分なりに理解した神。
セミナーに参加できず思い悩むのもハイヤーパワーの贈り物なのでしょうし、予定が急に変わって出られるのも、これまた贈り物。
いやーこんなこと、なかなかふだんのミーティングじゃ恥ずかしくって言えないけどねー。

神の意志に見守られて、ぼくらは少しずつ成長していく。

ぼくらは少しずつ成長していく。

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