2017年3月28日 (火)

休日の午後はコーヒーを

アメリカはコーヒー大国だ。お茶と言えばほぼコーヒーしかない。緑茶、紅茶、中国茶のたぐいはほとんど流行っていない。たまにバーガーショップなどで紅茶が置いてあるが、うっかり頼むと異様に甘い紅茶フレーバーの砂糖水が出てくる。ほとんど炭酸飲料のあつかいだ。お茶と言えばコーヒーなのである。
で、コーヒーがまたピンキリなのである。渡米して半年ほどして、わが人生最大級のまずいコーヒーを体験した。とあるサンドイッチショップでふとコーヒーを頼んだら、なぜここまでと言うくらいひどい代物が出てきた。これがよく推理小説などで出てくる、泥水と例えられるアメリカのコーヒーかと、妙に感動したくらいである。

一方で、ものすごく美味しいコーヒーにもありつける。インディペンデント系のコーヒーショップも多く、その大半は豆から焙煎から店の雰囲気から、ものすごく凝っている。
ぼくがよく行くのはそのひとつ、Vと言うコーヒーショップだ。車で40分と遠いのが玉に瑕だが、行くだけの価値がある。
アメリカのコーヒーはとても安くて、レギュラーサイズで2ドル前後というところが多い。が、Vの最上級コーヒーは5ドル。2倍半。でもそれだけの価値がある。
オーダーを受けてから一杯ずつ目の前で淹れてくれるし、量も大ぶりのマグカップにたっぷりと入れてくれる。店員さんもとても愛想がいい。ぼくのたどたどしい英語でもにっこり笑って茶目っ気たっぷりに返事してくれる。チェーン店の店員さんが英語のおぼつかない客に冷たいのとは対照的だ。

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アメリカのコーヒーショップの多くは電源コンセントが豊富にあり、無料Wi-Fiを提供している。勉強している人、仕事をしている人も多い。けどスノッブな印象はなく、パソコンに黙々と向かっている人もいれば友だちと楽しくおしゃべりしている人、コーヒーを飲んで物思いにふけっている人、それぞれが好きなことをしている。店が広くて席数が多いせいか、長時間いても変な肩身の狭さは感じない。
まあ、仕事や勉強の人もだいたい2,3時間で帰って行くようだ。さすがにまる一日コーヒー一杯で粘っている人はいない印象だ。

と言うわけで、淹れ立てコーヒーを飲み、アサイーのシャーベットを食べ、仕事の資料などを読みつつ周りの人々を観察していると、なんとなく休日の午後が終わる。
午後の光が差し込み、表に誰かが駐めたピックアップトラックの濃いブルーに反射している。
落ち着くひとときです。

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2017年3月26日 (日)

回復は素晴らしい — 元Keaneのボーカリスト、トム・チャプリンの圧巻ライブ

キーン(Keane)と言うバンドをご存じだろうか。2000年代の初めごろにイギリスからデビューし、ボーカルの美しい歌声とキャッチーでセンチメンタルなサウンドで一世を風靡したバンドである。
方向性はちがうものの、美しいファルセットボイスとポジティブでやさしい曲世界は、コールドプレイとよく比較されていた。日本のバンドで例えるならば、スピッツあたりだろうか。

が、コールドプレイがヒット曲をかっ飛ばしてスタジアムクラスのバンドに成長したのに比べ、キーンはいつのころからか活動を聞かなくなった。
散発的に入ってくるネット情報によれば、ボーカルのトム・チャプリン(Tom Chaplin)が深刻な薬物依存に陥り、バンドは無期限停止に突入したという。
ぼくは彼らの(というか、トム・チャプリンの)音楽が大好きだったので、その後も彼らの曲はプレイリストに常に入っていた。ただ、彼らの新曲が聞けないのは残念でならなかった。

唐突に、そのトム・チャプリンがぼくの住んでいるあたりでソロコンサートを開くという情報が入ってきた。急いでチケットを手配した。なにせ、キーンのトム・チャプリンである。活動停止中とは言え、一時期はコールドプレイと肩を並べたバンドである。チケットはすぐに売りきれるに決まっている。
が。
案に相違して、チケットは売りきれなかった。それどころか、ふだんは全席指定のそのコンサートホールは、完全自由席だった。ぼくが到着したときは客は5分の入りで、最前席付近も空席があった。そして、二階席はクローズドだった。
恐ろしきは時の流れである。かつての超人気バンドも、いまや閑古鳥か。
きっとクスリの問題もちゃんと解決していないんだろうな。昔の原田真二(古っ!)を彷彿とさせる愛らしいルックスも、きっと衰えちゃっているんだろうな。声も出なくて、ファルセットを駆使した昔の曲もやらないんだろうな。

そんな暗い想像をして、ちょっと帰りたい気分になりながらぼくは彼が現れるのを待った。
ちなみに周囲は7割方が女性である。ぼくの隣は、30代の中国人女性3人組だった。楽しそうにキーンの話をしている。きっと青春時代にキーンの音楽にひたっていたんだろう。ああ、もうすぐ出てくるのはヨロヨロの元トム・チャプリンに決まっているのに。

客電が落ち、バンドが現れた。ステージにはエレクトリックピアノが置いてある。てっきりキーンと同じようにトム・チャプリンはピアノを弾き語りすると思っていたのだが、そこにはバンドメンバーが座った。
曲が始まり、ボーカリストが現れた。
あれ?誰だこの元気のいい色男は?
ぼくが知っているトム・チャプリンは、線が細く、前髪を垂らし、うつむき加減でピアノを弾く男であった。が、いま目の前にいるのは胸を張ってハンドマイクで歌い、ステージ狭しと動き回るエネルギッシュな男である。髪は短く、スキニーなジーンズとTシャツ、筋肉質で引き締まり、そして体中からエネルギーがあふれている。
キーンのボーカリストの繊細なイメージはなく、引き締まった身体からあふれ出てくる声量いっぱいの歌声。
隣に座っていた妻から、この人がボーカルなの?と聞かれるが、確信を持って答えられない。誰なんだこの男は?
だが、曲が2曲目に進んだあたりで、ようやく確信した。この男は、まちがいなくトム・チャプリンだ。こんなに歌がうまい男はほかにいない。こんなに高音域とファルセットをやすやすと操れる男はトム・チャプリン以外にはいない。何よりも、このポジティブでやさしい音楽は、まちがいなくキーンの楽曲を作ってきた男のものである。

こいつ、回復しやがった…。

バンドの演奏もとてもいい。タイトだけどタイトすぎず、ドライブしすぎない。メンバーのアイコンタクトやちょっとした仕草から、仲が良さそうなのが見て取れる。
だが何よりも、トム・チャプリンが圧巻だった。ひとつ。キーン時代よりさらに歌がうまくなっている。ふたつ。体中にエネルギーが満ちている。みっつ。客のヤジに笑って応えたり、ライブをとても楽しんでいる。

ライブ中盤で、少し長いMCが入った。
バンドのメンバーはいったん袖にはけ、トム・チャプリン一人が中央のピアノの前に座った。
そこで彼は、自分のアディクションについて語った。
自分がクスリに溺れていたこと。オーバードーズで死にかけ、妻が取りすがって涙を流したこと。クスリをやめる決心をし、リハビリ施設に入ったこと。そしていまはクスリをやめて1年になること。今回のソロアルバムが、自分のアディクションと回復についての個人的な体験をもとにしていること。
そしてピアノの前で彼はこう言った。
「回復は素晴らしい。ほんとうに、素晴らしい」

割れんばかりの拍手。

ソロコーナーを経て、またバンドが入り後半が始まる。
大半がソロの曲だが、ところどころでキーンの曲が混じる。本編最後の曲はキーンの名曲「クリスタル・ボール」。まわりはみんなサビを歌っている。隣の中国人女性たちも歌っている。自分も歌いたいがなにせキーが高くて声が出ない。
そしてアンコールは、これまたキーンの名曲、Everybody's Changing。
最初から最後までトム・チャプリンは歌い続け、動き続け、ライブは終わった。

以前にナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーのところでも書いたが、アディクションから回復したアーティストには独特の何かがある。単に明るくなったとか体力がついたとか、そう言うことではない。
精神的なタフさ、強靱さを感じるのだ。
こう言っちゃあ何だが、アディクションとはぶっちゃけ「負け」である。
そりゃそうだ、大成功を約束されたバンドをつぶし、死にかけて奥さんに本気で愛想を尽かされかけ、いまだに中規模のコンサートホールすら満員にできない。経済的にも人気的にも、勝ち組コールドプレイに遠くおよばない。
だが、それがどうした。それが何だというのだ。
彼の体中から、回復のよろこびがあふれてくる。音楽を奏で、歌を歌うよろこびがあふれてくる。
そこにはアディクションで自分の人生をいちど失いかけ、それをまた取り戻した男ならではの強靱さ、タフネスがみなぎっている。
たぶん、キーンがあのまま成功路線をひた走っていたら、こういう風にはならなかっただろう。トム・チャプリンはいまだにピアノの後ろで繊細な歌と演奏を続けていただろう。
回復は素晴らしい。そう、力強く彼が言うとおり。回復は素晴らしい。いっかい負けてそこから這い上がってきたものは、それをやったものだけが持つ輝きがある。

家に帰ってからキーンの曲をもう一度聴き直した。デビュー当時からエンジェルボイスと表現された歌声。
が、明らかに、誰の耳にも明白に、きょうのライブの方が歌がうまくなっていた。歌唱力もさることながら、エモーションを表現する力がすごいのだ。圧巻としか言いようがない。
そして、ほんの少しだけ、回復は素晴らしいと公言できるミュージシャンが日本にいないことをさびしく思う。
彼が12ステップグループに入っているかどうかは知らない。回復したミュージシャンのインタビューを読むと、リハビリ施設に入所したあとは通院や定期的なメディカルチェックアップだけで何とかしているという話も良く聞く。それはそれでかまわない。
でも、依存症からの回復というすばらしい体験を、トム・チャプリンにはぜひ伝え続けてほしいと思うのだ。それは伝えるに値するし、彼の回復の姿は、大勢のファンと回復途上のアディクトに勇気を当たるのだから。
2017年の上半期は、イギリスを中心にツアーをするようだ。いくつかの会場はソールドアウトが出ている。よろこばしいことである。
願わくば彼の音楽が世に伝わり、多くの人の耳に触れて欲しいと思う。

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2017年3月25日 (土)

インセンティブ・サリアンスとミルクにウィスキーを垂らしたジムという男の話

アルコール依存症という病気について調べてみると、ビッグブックに書かれている内容と共通する点が多いことに気がつく。
少し前からインセンティブ・サリアンス (incentive salience)と言う言葉をよく見かけるようになった。
正確な日本語訳を知らないのだが、「報酬刺激への過敏な反応性」というあたりだろうか。
依存症に限って言えば、アルコホリクは飲酒刺激に対する反応性が過敏だ(あるいは過敏だった、ある程度のソブラエティが得られるまでは)。

インセンティブ・サリアンスは、例えてみれば「グラグラにゆるんだ引き金」みたいなものだろう。
ふつうの人にしてみれば引き金を引くに至らないようなちょっとした刺激で、依存症の鉄砲はいともかんたんに暴発してしまう。
科学者によれば、これは依存症の渇望のうちwanting(依存物質がほしい、必要だという欲求)に関連しているという。
(関連して良く出てくる言葉で、likingとwantingの二つがある。likingは快楽のためにそれを求めるという感覚、wantingは必要だからそれを求めるという感覚、だそうだ。酒で言えば、飲んで気持ちよくなりたいというのがlikingで、不愉快さや嫌な気持ちを避けるために飲みたいというのがwanting)

ある論文から引用してみる。

この種のwantingはしばしば報酬に関連した刺激、または鮮明な報酬物質のイメージによって引き起こされる。ふつうの人のwantingは、自覚している特定のゴールに結びついている。しかしインセンティブ・サリアンスのwantingは特定のゴールへの結びつきが弱く、報酬刺激に強く結びついている。その刺激は、報酬物質を魅力的に見せ、それを手に入れ、使いたいという強い欲求に変わる。

Liking, wanting, and the incentive-sensitization theory of addiction. - PubMed - NCBI

要するに、飲酒に関する刺激を受けると、魅力的だな、飲んだら気持ちいいだろうなという欲求が高まり、それがどういう結果をもたらすかはうまく考えられなくなると言うことだ。
また上に挙げた論文によれば、依存が進めばwantingの感覚は、ドパミンシステムを介して強まっていくという。

この話を読んだときにぼくが思い出したのは、ビッグブックに書いてあるジムの話だ。
AAメンバーなら誰でも知っているこの哀れな(そしてわれわれの大半が共感できる)男は、酒のために仕事も家族も失いかけ、今度飲んだらすべてを失って精神科病院に逆戻りすることが分かっていた。
にもかかわらず、「ミルクにウィスキーをちょっと垂らしても害はないだろうな」という思いつきが頭に浮かび、その瞬間、それがどういう結果をもたらすかという考察はすべてわきに押しやられた。結果、ジムは酔っぱらい、またしても再発の道を歩き出した。自分が依存症であり、こんど飲めばどういう結果になるのか正確に分かっていたにもかかわらず。

BBではこれを「狂気」と描写している。そのとおり。そして2017年現在の依存症の科学に照らして言えば、ジムがおちいった罠の正体はインセンティブ・サリアンスだろう。
ジムのグラグラになった飲酒の引き金は、「お腹もいっぱいだし、ミルクにウィスキーを垂らしても大丈夫なんじゃないか」というふとした考えによって、あっけなく引かれてしまった。
きっとwantingが押し寄せたとき、彼の頭の中では関連したドパミン活性が高まって、結果を合理的に類推することができなくなっていたんだろう。
それを狂気と呼ぶのは、正常ではないという意味では正しい。ただ、実際に脳の中でwantingやら渇望やらが生じているときに、それを意志の力でコントロールするのは無理だろうとも思う。
BBでは、最初の一杯に対する防御はハイヤーパワーだけがもたらすという。ハイヤーパワーのことを科学がどう解釈しているのかは知らない。だが、BBにせよ科学にせよ、少なくとも「自分の力ではどうしようもない」と言うことだけはたしかだ。

上に挙げた論文には、後段になって怖いことが書いてある。
コカイン、覚せい剤、ヘロイン、アルコール、ニコチンなどの薬物乱用により過敏化された(sensiteized)ドパミンシステムは永続的に続く。中脳辺縁系の過敏化は上記薬物のくり返し大量使用により発生し、いちどそうなれば、おそらく半永久的に残る。

上記の説は、人によっては受け入れられないかも知れない。じっさい自分も含め、多くのAAメンバーはそうかんたんには再飲酒しない。ジムのような経験を外食するたびに繰り返していたら、命がいくつあっても足りない。ソブラエティが長引くにつれて、再飲酒の引き金はそうやすやすとは引かれないようになってくる。ありがたいことに。

だがその反面、引き金の軽さ(インセンティブ・サリアンス)が残るという上記の説が正しいんじゃないかとも、感覚的に感じる。
われわれが再飲酒せずに済んでいるのは、AAプログラムを身につけたからであり、仲間との支えがあるからであり、飲酒刺激がやってきたときの対応策をいろいろと学んできたからである。つまり、引き金に触らない方法、引き金にカバーを掛ける方法、引き金にかけた指をゆるめる方法を身につけてきたからであって、引き金の軽さそれ自体は変わっていないような気もする。
うまく逃げる賢さを学んだのであって、酒を克服する強さを手に入れたわけではないのだ。

そう考えると、われわれは常に用心する必要があるし、「依存症は過去のこと。あんなひどい状態にはもう二度と戻るわけがない」と考えるのもまちがいだろう。もちろん、解決方法がAAでなくてもかまわない。AAをきっかけに飲酒問題を解決し、いまはミーティングから離れてしあわせに暮らしている元メンバーを何人も知っている。彼らが彼らなりの方法でインセンティブ・サリアンスの罠をうまく回避して、その人らしく生きているのなら、それは僥倖である。
ただ、問題は常に残っている。科学者が言うように過敏化された引き金が半永久的に残るのであれば、備えを続けるのが当然だ。そう言う意味では、プログラムを続け、仲間と支えあい続けるのはごく自然なことだ。まさに、人を助けることで自分も助かる。自助グループの自助グループたる本質の部分だろう。

それにしても、酒をやめ続けることで何が変わり、何が変わらないんだろう。
やめ初めのころよりも気持ちは安定した。飲んでいたころ、やめ初めのころのような感情のぶれは少なくなってきた。また、激しい飲酒欲求にさいなまされて苦しむこともなくなった。
でも、たぶんインセンティブ・サリアンスは残り続けるし、何らかの依存症的な特性は残り続けているんだろうと思う。それはたとえば「一度飲み始めたら元に戻る」という肉体的な特性かも知れないし、依存症的な思考のゆがみみたいなものなのかも知れない。
いずれにせよ、科学は進み続けているものの、まだまだ未知の領域は多い。変わらない部分を何とかしようとするより、自分にできること、気づきを得て自分を変えられることに集中した方が良さそうだ。

それにしても、ジムはその後どうなったんだろうね。無事に酒をやめられたんだろうか。

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2017年2月 7日 (火)

Women's march - 多様性と民主主義 -

少し前になるが、米国新大統領が就任した翌日、2017年1月21日。ワシントンDCでの大規模な市民行進に参加してきた。

Women's March on Washington

ある女性の呼びかけがきっかけで、全米、ひいては全世界中での同時開催になったこの集会。
日本では「反大統領集会」と報道されているようだが、少しちがう。
この集会の主張、意味を、当日あの場所にいたひとりとして伝えておこうと思う。

前日の就任式は、近辺の地下鉄は閑散としていた。余裕で座席に座れ、混雑もない。翌日のWomen’s Marchも同じだろうと高をくくっていた。が。
駅の構内からして、ただならない人出である。電車に乗り込むと、あり得ないほどの人混み。日本の通勤電車並みだ。
乗客はみな一様に、この集会の参加者であることを示すピンクのニット帽をかぶり、手には思い思いのプラカードを持っている。
男女比は、6:4くらい。女性の方がやや多いが、女性ばかりというわけではない。人種は白人が7割、残りがアフリカ系アメリカ人、中東、アジアンと言うところだろうか。
雰囲気は明るく、平和的だ。コンサートに向かう人たちの集まりという感じで、見知らぬ同士が談笑している。
行進のスタート地点近くの駅に着く。ピンクのニット帽をかぶった参加者で、東京駅並みの人混み。
あまりの人混みに、メイン会場には近づけず、目的地がどこなのかもハッキリ分からない。
右を見ても左を見ても、プラカードを掲げた大勢の人たち。
主張はさまざまだ。
「賃金を上げろ」
「移民、避難民を排除するな。私たちは彼らを歓迎する」
「女性の権利を守れ」
「LGBTQに権利を」
「多様性を守れ」
「温暖化対策を守れ」
「オバマケアに触らないで」
そしてもちろん、新大統領をこき下ろすプラカードも。

予定では、メイン会場で2時間ほど代表者のスピーチがあり、それから行進が始まるはずだった。
が、スピーカーの方々がみな興奮して話が延びまくる。
「ボーリング・フォー・コロンバイン」で有名なマイケル・ムーア監督も、異様に力を入れて(長々と)スピーチをする。
2時間の予定が3時間を過ぎ、シンガーのアリシア・キーズの演奏が終わったあたりからまわりがじれてきた。
We want march! We want march!の大合唱が始まり、メイン会場の行事が終了していないにも関わらず行進が始まる。
個人的にはマドンナのパフォーマンスが見たかったのだが、まわりに押され、自分も人波に飲み込まれる。

大通りに出ると、首都を埋め尽くす勢いの、大量のピンク帽である。
これだけのデモだと反対派とのいざこざがあるのではないかと心配したが、非常に平和的だった。
ちなみに、大統領に対するプラカードやシュプレヒコールも、揶揄はあっても「死ね」だとか、人格を否定するような文言はない。この辺はとても安心できる要素だった。

大勢のピンク帽にもまれ、山ほどのシュプレヒコールを聞き、プラカードの文言を読んだ。
彼らは、単に新しい大統領とそのやり方に反対しているのではない。
堕胎をふくめた女性の権利、LGBTQをはじめとするマイノリティの権利、環境問題、移民の強制排除、色んな問題が混じり合っている。
でも、根っこのところでは、アメリカの国民性そのものである「多様性」と「民主主義」が脅かされつつある。それに対する抗議であり意思表示だと、ぼくはとらえた。

アメリカは多様性の社会である。
それは、日本人が日本で使う多様性という言葉と、少し意味がちがう。
もともと今のアメリカ合衆国は、ヨーロッパからの移民が作った。フランス、イギリス、オランダ、ヨーロッパ各地のさまざまな他民族が集まって建国し、そこにアフリカ系アメリカ人が加わり、南北戦争があり、いまのアメリカ合衆国が生まれた。
多民族国家としてはじまったアメリカという国は、最初から「ちがう人たち」の寄り合い所なのである。
生まれも文化も価値観もちがう人たちが寄り集まってできた国アメリカ、そこでは「自分と他人はちがう」と言うこと自体が価値あることだとされている。
現に、アメリカの教育場面では、とにかく「人とちがうアイディアを発想し、ちがう角度からの意見を積極的に述べること」がよしとされている。
「他人と同じであること」は、アメリカではネガティブなことなのだ。この国では「空気を読んで周囲に同調すること」には、なんの価値も置かれない。どんな問題に対しても賛成なら賛成、反対なら反対、別意見なら別意見と、誰でもしっかり意思表示する。他人の発言をなぞるだけのひと、独自の意見を持たないひと、発言を求められてなんの意見も表明できないひとは「何も考えてない人」と見なされるである。
そういう多様性が重視され、ひととちがうことが良いこととされ、色んな意見をわあわあと述べ合って問題解決を図るのが伝統とされる国で、新大統領のやり方は反感を招いた。
それは彼のやり方が、多様性を否定し、反対意見との対話を拒んでいるようにしか見えないからである。
多様性と民主主義、対話の否定は、アメリカ人のアイデンティティの根幹に関わる問題である。だからあれほど大勢の人たちが、この抗議集会に参加したのだと思う。
もちろん地球温暖化の否定、性の多様性の否定、移民の強制排除、特定の宗教の背番号制など、国際協調や人権を否定するような個々の問題も大きい。
しかしこの反対運動のうねりは、米国のアイデンティティに根ざしているのだとぼくは思う。

それにしても、新大統領の矢継ぎ早の新政策には驚かされる。
今のところ暴力的な事態は起きていないが、このまま不満が高まっていけば目に見える形での衝突が生じないとも限らない。
閣僚もまだはっきり決まっておらず、個々の政策が実務レベルで機能しているようには思えない。
早く混乱が収まってくれるのを願うばかりである。


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2017年1月28日 (土)

できないことを認める

異国に暮らしていると、「できないこと」に直面してばかりだ。
例えばいま、上司にミーティングキャンセルのメールを書いた。このメールを書くのに1時間かかった。
1時間も何をしていたのかと言えば、業務進捗状況の確認に15分、自分の感情と折り合いをつけるのに40分。メール書きは5分だ。
なにせ、上司からの課題が遅れに遅れている。すでに数ヶ月。とうに仕上がっていなければならない。しかし、そのためには大量の書類を読み、分からないところがあれば知っていそうな人に問合せ、書類の草稿をまとめ、また訂正という作業を繰り返す必要がある。
これを英語でやるというのは、非常につらい。
つらい上に、アリが這うほどの速度でしか進まない。そしてできた英文の文書は、自分で読んでもいやになるほどクオリティが低い。
日本にいて、日本語で、日本人の同僚に同じことをやるのは造作もないことだ。ちょっと、ここ分かんないんだけど、知っていたら教えてくれないかな?いま詰まっちゃってるんだけど、どうしたらいいかな。ちょっとこれ、読んでみてもらえる?
しかしいまは人にものをたずねるにも、質問事項をまとめ、英語の言い回しを考え、その上で話を持って行かなければならない。頭に浮かんだことをそのまま口に出すということができない。
そして往々にして、そうやって求めた返事も、何を言っているのかよく分からない。
会話の質が低く、聞き漏らしが多い。母語なら当然の、考えながら話す、聞きながら考えるということができないからである。

昨年末から、フィンランドから別の担当者が来た。
フィンランドでは、かなりの人が英語を自由に使えるらしい。
彼は、ぼくが1年ちょっとかかってやってきたことを難なく数ヶ月で達成し、さらにその上を行っている。
彼は英語の文書が苦もなく大量に読め、大量に書け、周囲と込み入った会話ができる。
ぼくはその脇で、ひたすら黙って辞書を引きながら込み入った文章を解読している。
全体会議では流れについていくのがやっとで、意見など言うヒマなどはない。あるいは、意見を頭の中で英語に直している間に、あっという間に話題は飛び去って行ってしまう。

いま、ぼくはこの職場環境で「いちばん貢献していない人」である。
そして、それを解決する見通しが見えていない人である。認めざるを得ない。
自己憐憫に陥るものかと思いつつも、気がつくとまわりと自分を比べている。
無力である。
そして、無力を認めるというのは、こんなにもきついものなのかと思う。
期せずして、酒をやめたばかりのころを思い出す。

無力を認めるには、代わりになる何かが必要だ。
AAでは、アルコールに対する無力を認めれば自由に生きられる、アルコールなしの新しい生き方が手に入ると言う光が見えた。それは、AAにつながりつづけている仲間の姿から感じることができた。そして、彼らの助けの手があった。
ただ単に無力を認めろと言っても、認められるわけがない。その代わりになる希望、酒をやめたあとにある光が見えなければ、とてもできるわけがない。
「無力を認める」のと「解決がある」ことは、同時に示されなければならない。
どんなに進歩しても、酒をやめたあとの希望、酒を手放すに値すると思える生き方、笑顔、よろこびを医学は提供しない。それはやはり、自助グループと仲間だけが見せることができるのだ。

と、AAのありがたみを再確認したところで、きょうも孤立無援の職場でがんばるわけです。
12のステップとハイヤーパワーがあれば、きっとだいじょうぶ。

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2017年1月25日 (水)

献金のおつり

きのうのミーティングでのこと。
参加者は7名ほど。
当グループは献金箱がないため、ミーティング終了後に係の人に直接献金を手渡す仕組みだ。
ぼくは細かいお金がなかったので、5ドル札を手渡した。
「ちょっと待って」
そう言って献金係の彼女は、ぼくにⅠドル札を3枚返した。
ううむー。
AAにつながって十数年。献金で「お釣り」をもらったのは生まれて初めてだぞ。
色んな国のミーティングに出てきたけれど、どこもお釣りはなかったな。
なかなか得がたい経験でした。

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2017年1月24日 (火)

新大統領就任式、取り残された人たちの声

2017年1月20日、大統領の就任式を見てきた。
会場はワシントンDCの中心地、国会議事堂とその前に広がる広大な敷地、ナショナル・モールである。
チケットを持ってれば国会議事堂でオバマやトランプを間近に見れるのだが、市民権がないとチケットが取りにくい。
と言うことで、ナショナル・モールの広大な緑地帯で就任式を見た。

ワシントンDC市内は何重にもフェンスが張られ、すべての交差点を軍が警備している。
Isisもテロ予告しているし、まあ当然の措置だろう。

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歩行者の導線を制限しているため、最寄り駅からナショナル・モールへは、大きく迂回路を通らなければならない。そしてチェックポイントで手荷物検査を受ける。
手荷物検査は厳しいと言えば厳しく、甘いと言えば甘い。
すべてのバッグは徹底的に検査される。デジカメは係員の前で撮影して見せて、偽装品でないことを証明しなくてはいけない。スマホ、タブレットも同様。小包の類いは、爆弾の可能性があるため持ち込み厳禁。
その一方で、ポケットの中身などはチェックされなかった。これで大丈夫なのかと思う。
まあ、大統領やVIPからは遠いからなのかも知れないが。
チェックポイントを通過して会場に入ると、中はガラガラ。思った以上に人がいない。
が、これはチェックポイントの荷物検査が厳重なこともあるだろう。事実、ぼくと妻は1時間以上行列に並んでやっと会場に入れた。
ぼくたちよりあとに並んだ人たちは、式の半分以上進んでからようやく中に入れたと思う。

巨大スクリーンに、前大統領の顔が浮かんだ。
いくつかの引き継ぎの儀式のあと、新しい大統領のスピーチがはじまる。
ゆっくりと話し、単語も分かりやすい。画面下には字幕も出る。おかげで内容がよく分かった。
会場にいるのは、ほとんどが新大統領の支持者だ。みなおそろいの赤いキャップをかぶり、思い思いのアメリカ国旗をモチーフにした服を着ている。

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スピーチが進む。
いままでアメリカの主体はワシントンだった。ワシントンDCの少ない人たちが国の意志決定をしてきた。それをいま、あなたたちに返すことを私は約束する。
沸き上がる歓声。
これからはアメリカが第一だ。なぜ自国の富を、ほかの国にまっさきに分け与えないといけないのか?私はアメリカのしあわせを優先する。
こぶしを突き上げ、USAコールを繰り返す支持者たち。

ここにいると、自分の立ち位置を考えざるを得ない。
新大統領のスピーチは、もちろん保護主義的であり、一国主義であり、前大統領の国際協調路線とは意を異にする。
しかし、この大統領を支持する人たちは、アメリカの国際活動の割を食って自分たちが損をしていると、腹を立てている。
富が余っているならほかの国に分けるのもいいけど、自分たちが職を失い、世帯収入が下がり、あるいは収入の伸びから取り残され(アメリカはここ10年で物価も賃金も上がっている)、以前ならできた仕事も移民に取られている。なぜなのか?政治は俺たちを見捨てるのか?
彼らの叫びは、ぼくにはそう聞こえる。

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客席がひときわ大きな歓声を上げたのは、新大統領がアメリカ各地の名前を挙げたときだ。
ネブラスカ、デトロイト。どちらもラストベルト、つまりかつては工業地として繁栄し、いまは衰退した地域である。
新大統領が予想を覆して得票したのも、ラストベルト地帯だ。
これらの地域は衰退の波に呑まれ、貧困と失業にあえいでいる。かつてはアメリカの繁栄の象徴だったのに、いまは企業が工場を移転し、広がる廃工場の風景の中にたたずんでいる。
しかしそう言う人たちの不満の声は、ともすれば人種差別と揶揄される。
アメリカには色んな人種が混在している。中でも「中産階級未満の白人」は事情が特殊だ。
彼らは白人であるがゆえに、人種がらみの不満が言えない。不満を言えば、白人による差別ととらえられてしまう。
デトロイトなどは特に、かつては自動車工場で繁栄していたにも関わらず、いまは米国有数の犯罪都市だ。日本に自国の自動車産業がつぶされた、あるいは移民に仕事を奪われたと感じるのも致し方ない面がある。
新大統領は、この層の支持を得た。
ネブラスカやデトロイトのような地域、ここの人たちを自分は見捨てないと、彼は声を強めた。

ぼくは日本人で、アメリカに車を売っている国から来ている。
ぼくから見れば、むちゃくちゃな保護貿易をしかけたり、相手のおごりで国境に壁を作れと言ったり、特定の宗教の信者に背番号を義務づけるような公約はとても受け入れがたい。多くのリベラル層からも、新大統領はすこぶる評判が悪い。
しかし彼を支持する人たちの声なき声、彼の政策に怒りとともに大きくうなづく人々。星条旗を身にまとい、新大統領に熱い視線を投げかける人々。
そこにぼくは、アメリカの光と影を見たように思う。

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2017年1月 2日 (月)

米国アマゾン返品UPS drop off

米国は返品大国である。レシートがあれば、たいがいのお店で返品が効くし、1,2回使った程度なら問題なく返品可能だ。
洋服店などに行くとレジのほかに返品専用のカウンターがあって、ひんぱんに返品の客が受け付けている。通販も同様で、最大手アマゾンも気軽に返品を受け付けている。
が、外国人には返品発送の手順がよく分からない。どこでどう発送すれば良いのか?送料はどれくらい?お金はどう返ってくる?
今回、米Amazonの返品してみた。

返品したブツは、Line 6のワイアレスシステムだ。
到着して気がついた。これはギター側の送信機(トランスミッター)だけだ。受信機がないとなんの役にも立たない。受信機の単品販売はしていないのになぜ送信機だけは単体で売っているのか、意味不明だが、よく調べずに購入したのは自分である。
さいわい、段ボールは開いたものの、中の商品には手をつけていない。十分に返品可能である。
Amazonのアカウントサービスのタブから返品を試みた。
アカウントサービスのタブからrefundを選択、返品の理由をチョイス。さらに進めると発送ラベルの印刷ページにたどり着いた。
それを印刷して切り貼りし、段ボールに貼り付ける。

切り貼りする箇所は3つ。
・宛名ラベルを切り取って発送する箱に張る。
・リチウム電池が入っている旨を記載したラベルも箱に張る。
・バーコードのついたラベルを、箱の中に入れる。
そしてこれをUPSに持って行く。

発送方法の追加説明
・ほかの追跡ラベルが箱に貼っていないことを確認。危険物以外の発送であれば、危険物入りのラベルをかんぜんにはがすか覆うかすること。
・発送ラベルをきちんと小包に貼ること。以前の発送ラベルは完全にはがすか覆うこと。
・小包をUPSに持って行く。最寄りのUPS所在地はwww.ups.comでdrop off ロケーションを見つける。
・Amazon返品には、品物をもともとの製造者のパッケージに入れる必要がある。もしもとの箱が使えないなら、輸送は損が生じないよう、クッションを入れた段ボールに入れること。

さて、問題はUPSの手続きだ。UPSのサイトで調べると、UPSの受付は有人営業所と無人受付の2種類があるらしいことが判明した。有人の営業所は数が少なく、無人受付はあちこちにある。
drop offというのは無人受付のことで、上記Amazonの文章は「無人受付でOK」と読める。
ここで疑問が発生。
・ラベルを貼って無人受付に置いてくればそれでいいのか?送料は?
・着払いか元払いか、どこでその指定を行うのか?

UPSのウェブサイトでアカウントも作った。web上でクレジットカード決済の上、元払いで発送できることも知った。しかし、これをやると、Amazonの発送ラベルのほかにもう一通、自分で作成した発送ラベルを作ってしまうことになる。ひとつの小包にラベルを2枚貼るのはどう考えても不自然だ。だいたい、Amazonからはそう言った指示はない。

こういうときに自分で余計な気を回すと、たいがい不正解になる。Amazonが「ラベルを印刷して箱に貼り、UPSのdrop offに持って行け」というのなら、そのとおりにするのが正解である。深読みは禁物だ。

さて、UPS無人受付に行ってみた。
建物と建物の狭いすき間に、その無人受付は存在した。
それは受付などというものではなく、単なる「ポスト」であった。


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ポストのハンドルをつかんで手前に引き、発送物をスロットに入れる。ハンドルを戻すと、発送物が滑り落ちていく音がする。
割れ物あつかいとか上下指定とかは、いっさい効かない。封筒やはがきと同等のあつかいである。
これがアメリカの宅配便集荷か…。

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投函してから二日後、Amazonからメールが届いた。荷物が無事到着したので、Amazonギフトカードで返金するという。
金額を確認すると、商品代金+税金。ありがたく頂戴しよう。

と言うわけで、アメリカ国内からのAmazonの返品手続きの紹介でした。

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2016年11月29日 (火)

サンクスギビング明けのミーティング

サンクスギビングデイは一大連休シーズンだ。公的には祭日は一日だけだが、多くの人が一週間ほどの休みを取る。だいたいは家族と旅行に行ったり、家族親戚の家を訪れたりするようだ。
そういうわけで、サンクスギビング前後のミーティングは人が少ない。
きょうはぼくとJだけだった。
二人ミーティングをやるような気分も盛り上がらず、ぽつぽつと話をする。
サンクスギビングデーの由来。ブラックフライデーの狂乱ショッピング。
Jは、サンクスギビングデーは感謝、協働、分かち合いの日だという。
ヨーロッパからアメリカに渡った人々がインディアンに助けられ、暮らしを立てることができるようになった。感謝の意を込めて、収穫物をインディアンたちと分かち合ったのが始まりだという。
だから分かち合うことのたいせつさを知る日なのだと。
だが多くのアメリカ人には、ターキーを食べてショッピングをする日になってしまった。
自分は家族とターキーを食べて、静かに過ごした。

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コロラドに生まれ、近くの山でスキーをして育ったJは、現代のアメリカに上手くなじめていない印象だ。
皮肉なことに、サンクスギビングデーはJのような精神主義的な考えとは逆の、物質主義的な、消費社会の象徴的な側面が大きくなってしまったように思う。
サンクスギビングデーの翌日はブラックフライデー。国中のショッピングセンターが年に一度の大幅値引きをし、買い物客が殺到する日だ。開店時間は年々早まり、いまや夜中の0時、日付が変わると同時に28時間の突貫営業に入るところもある。
ぼくも物見遊山で行ってみたけど、あまりの混雑に、クルマを駐めることさえできずに帰ってきた。
Jは、そんな消費社会をクレイジーだという。
消費行動は、満足するということがない。ひとつを手に入れれば、もっと多くのものが欲しくなる。
消費しきれないほどたくさんのモノに囲まれて暮らすのがしあわせなんだろうか?
おれはそう言うものに荷担したくない、と彼はいう。
ブラックフライデーもきらいだし、クレジットカードもきらいだ。あれは借金なんだと言うことをみんな忘れている。なぜ感謝と分かち合いの日に、そんなものに振り回されなくっちゃいけないんだ。と。

ぼくは興味深く彼の話を聞く。
いうまでもなく、現代の消費主義社会はアメリカが作り出したものだ。それをアメリカに生まれて育った人がどう見ているのか、かねてより興味があった。
Jのように、過剰な消費行動に疑問を持っている人がいるのだということに、ちょっと驚いた。
もちろん多様性の国アメリカでは、人の数だけ考え方がある。Jのような精神主義的な考えの人もいれば、家族で元気いっぱいにブラックフライデーのショッピングモールに突入していく人たちもいる。
どちらが良いとか悪いとかじゃない。要は自分次第、自分がどの考えを支持し、基準とするかがたいせつなのだ。

ふだんのミーティングもたいせつだけど、対話で人の考えを知るのもいいね。
それにしても、祭日の本来の意味が失われて消費社会のイベントと化していくのは、日本のクリスマスによく似ているなと思いましたよ。
Happy Thanksgiving day to you.

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2016年9月13日 (火)

またまた久しぶりに

またまた久しぶりの更新になってしまいました。
なんとか元気でやっています。みなさんは、元気ですか?

早いもので、いつの間にか夏が終わりかけている。
先々週まではひどい暑さだったんだけど、先週くらいから朝晩が涼しくなり、駅のプラットフォームにセミの遺骸が目立つようになってきた。今週からはぐっと気温が下がり、通勤する人々も長袖がちらほら。
秋なのである。

AAの方は、あいかわらず週1ペース。3人ほどのメンバーが、いまは5人前後まで増えた。ミーティング会場も、地下室→野外(公園のベンチ)→会議室、と、転々とした。ちなみに今日のミーティングはまたまた野外だった。まあ、野外もいいんだけどね。そばを通行人がよくとおる以外は。
ミーティングのテーマは、ほとんどフリートークだ。今週は自己憐憫と神の意志に沿うこと、についての話が多かった。
先日、誰かがこんなことを言った。「孤独はわたしたちのまわりに透明な壁を作り、ほかの人たちから孤立させてしまう」と。
誰かが自分を孤独にさせるのではない、自分が自分で孤独を作り、他の人との間に壁を作り、孤独に追い込んでしまう。
考えてみたら、自分もそうだった。壁があると感じたときは、往々にしてその壁は自分が作っていた。
いまもそうだ。
あいかわらず英語に関しては劣等感が強くて(というよりは恐怖感、おそれかな)、なかなか他の人に話しかけられない。アメリカは自分が困ったときに「まわりが察してくれる」ということは100%ないので、何かがあったときは自分からまわりに働きかけていかないといけない。英語で。これがつらい。
で、「なにか困ったこと」は、しょっちゅう起こるんである。
クレジットカードによく分からない引き落としが発生する。スマホがある日突然つながらなくなる。同僚にプロジェクトの進捗状況をメールで問いあわせたけどまったく返事をよこさないので、直談判に行く。
身振り手振りを交えてつたない英語で用件を話すが、たいがい「ふん?」みたいな対応をされる。ガックリ落ち込んで、我が身の英語力のつたなさを呪う。
しかし考えてみたら、萎縮する必要はないのである。萎縮してビビればビビるほどに話は伝わらなくなり、コミュニケーションは行き詰まり、劣等感はさらに深まっていく。

ここでひとつ、思い切って断言しよう。
アメリカ人は、テンションが高い人が好きである。
とくに何もなくても、2割増しくらいのテンションで「ハーイ!」と会話を切り出すと、とりあえず何とかなる。ような気がする。
わざとらしいくらいの笑顔で、相手の目をしっかり見て、はきはきと切り出すといい。
疲れるんだけどね。

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と言うことで、日々を仕事の壁、習慣の壁、言葉の壁に苦しみながら過ごしている。
アメリカ人はおしゃべりが大好きで、放っておくとずーっとおしゃべりをしている。そういう国で言葉が不自由だというのは、なかなか忸怩たるものがある。

けど、壁なんてしょせん、自分が作っているのである。ミーティングで仲間が言ったとおりだ。
壁なんてあると思えばあるし、ないと思えばない。「ぼくの言っていることが分からない?じゃああとでメールしてね」くらいの勢いでいいのである。
少なくとも、自己憐憫におちいって立ちすくんでいたら、一歩も進まない。
アメリカは助けを求める人には誰かしら助け船を出す。だったらどんどんコミュニケーションを求めれば良いのである。

そんな感じで、ミーティングで気づきをもらい、日常生活で疲れ果て、また気づきをもらい、のくり返し。
考えてみたら、日本でやっていたのと同じだね。
そんな感じで、なんとかしぶとく生きのびています。

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2016年7月12日 (火)

ローン・ウルフ型とローン・パック型のテロ

ここんところ、物騒な事件が相次いでいる。
フロリダ州オーランドではナイトクラブで50人以上がテロの犠牲になった。ルイジアナとミネアポリスでは警官が丸腰の市民を射殺し、それに怒った若者が警官7名を射殺し、立て続けに血なまぐさい事件が続いた。
日本大使館からも、在外邦人向けの注意喚起メールが届いている。いわく、週末に人の集まる場所に近寄るな、デモを見かけたら興味本位で近寄らず、身の安全を確保せよ。
ニュースを見ていて思うのは、銃による事件は非常に唐突だと言うことだ。
平和な日常のある瞬間、突然銃撃が始まり、あっという間にまわりが死んでいく。同僚が死に、友人が死ぬ。楽しいドライブの最中に、となりの恋人が突然に血まみれの死体に変る。二度と戻ることはない。
そういうことが日常的に起こりうるのだということを、一連の事件は見せつけた。

きょうの朝刊で、となりの州でテロを企てた男が逮捕されたというニュースを読んだ。
犯人は、テロのターゲットとなる建築物を撮影していたところを捕まったという。この男は、Twitterでイスラム国への共感や、テロを思わせる発言をしていて当局から目をつけられていたそうだ。
先日同様に逮捕された男の、どうやらシンパらしい。二人組、いわゆるローン・パック(孤立部隊)型だろう。

昨今のテロリズム事情は、悪化しているように思う。
皮肉なことに、イスラム国の本体が弱体化するとともに、オーランドの事件のようなローン・ウルフ(一匹狼)型、あるいはローン・パック型のテロは増えている。
彼らは組織化されず、イスラム国との直接の関連もない。なにせ一人ないし数名程度なので意志決定は早く、活動を事前に察知することも困難だ。

組織化されていない、イスラム国への共感を示す、一人か二人のテロ活動。防ぎようがないと思う。

テロとの戦い、と言う言葉をはじめて聞いたのは、ジョージ・ブッシュ政権の時だろうか。ぼくが最初にこの言葉を聞いたとき、かすかな疑問をおぼえた。われわれはテロリストとそうでない人を、いったいどのように区別するのだろうか。
たとえ銃を持たなくとも、潜在的なシンパ、例えばテロリストに自分名義の携帯電話を貸す人はテロリストだろうか。それを黙認する家族もテロリストだろうか。
あるいはまだなんの行動も起こしていないけど、こころの中でアメリカや西側諸国にはげしい嫌悪感を感じている人は、潜在的テロリストだろうか。

テロリスト、テログループ、イスラム国、そういった人や集団は、われわれとはちがう、狂気の集団。奴らをやっつければ悪は消え、世界は平和になる。そんなカリカチュアライズされたイメージを、テロとの戦いという単純な言葉の影に感じる。背景にあるのは、非常に単純な善悪観、二分法だ。ハリウッド映画、たとえばエアフォースワンのように「悪いテロリスト」と「それ以外の善意の人たち」がはっきりと別れていれば、こんなに楽なことはない。
でも現実には、テロリストとそうでない人との境目は非常にあいまいだ。悪人をやっつければ世界に平和が訪れるというのは、アメリカという超大国がずっと昔から持っていて、そしてずっと失敗し続けているマインドセットだ。幻想と言ってもいいだろう。

今回逮捕されたローンウルフ型の犯人は、アメリカ人だ。彼の先祖は中東の出身かも知れない。名前も先祖にあやかって中東風の名前がついている。でも、アメリカで生まれ、アメリカの市民権を持つものはすべてアメリカ人だ。もし犯人の父母が中東出身だからと言う理由で、彼をアメリカ人ではないと断じれば、アメリカはアイデンティティを失うだろう。この国ではネイティブ・アメリカン以外の人間は、すべて移民か移民の子孫なのだから。
つまり、イスラム国やテロとの戦いは、どこか遠くにいる悪いテロリストが攻撃してくるのではなく、いまやアメリカ人がアメリカ国内でアメリカ人に銃を向け、引き金を引く。そういうものすごく分かりにくく、あやふやな戦いに変質してしまった。
潜在的テロリストとは、アメリカ中に散在している「こころの中でイスラム国への共感を抱いている者」「こころの中でアメリカを憎悪している者」たちだ。そんなものを一人残らずあぶり出すことが可能なのだろうか。
テロとの戦いとは、いまや内戦ですらない、「人の心のありよう」という、観念的で内面的な問題になってしまった。

今回、となりの州で未遂犯が捕まった事件は、Twitterのつぶやきが決め手だった。しかし、不用意なTwitter使用が逮捕につながると報道された以上、同じ手は通用しないだろう。残りのローン・ウルフたちは黙って銃を手に入れ、現場を選定し、引き金を引くだろう。
アメリカはどうするんだろうか。
最適解は分かりきっている。銃を規制すること。そして中東出身者やイスラム教徒への風当たりや弾圧がないように呼びかけること。調和と平和の方針を強く打ち出すこと。
でもおそらく、銃による大量殺人が起こるにつれ、銃の購入は増えるだろう。そして某大統領候補のように、イスラム教徒排斥を公言する人も増えるだろう。
疎外され、不当に差別されていると感じれば、それは怒りにつながる。アメリカ社会に対する不満や怒りが募り、そこに簡単に自動小銃が入手できる環境が加われば、あっという間にローン・ウルフ型テロリストのできあがりだ。

なんとなくなんだけど、オーランド事件の犯人や今回となりの州で捕まった犯人は、崇高な理念を持っているようには思えない。イスラム国へのシンパシーなんてのは後付けで、結局は社会に対するフラストレーションが犯行の直接の原因ではないだろうかと思う。
アメリカに来て感じるのは、この国の独特のコミュニケーションスタイルだ。
この国では、みずからコミュニケーションを求めるものにはみな応えてくれる。しかし、コミュニケーションを求めない人、コミュニケーションが不得手な人、内向的で人に話しかけられない人には冷たい。
いや、冷たいというのとはちょっとちがうな。
自分からアクションを起こさない人、人に話しかけない人には「誰も気がつかない」のである。そこにその人がいること自体が忘れられ、あたかも存在しないかのようにあつかわれる。もちろん、誰も悪気はない。悪気はないんだけど、黙っているだけで誰かが気にかけてくれる、などということはあり得ない。
そういう社会にあっては、積極的に人と関わるのが苦手な人は、あっという間に社会からこぼれ落ちて行ってしまう。人が生きていくためにはなにがしかのアイデンティティが必要だ。そしてイスラム国は、周囲を憎む者にその怒りの正当性を与え、イスラム原理主義(ですらないのだけど)という新しいアイデンティティを与える。そして、テロリストが生まれていく。
突き詰めるところ、オウム真理教に惹かれていった若者たちと共通した心理なのではないだろうか。
だとしたら、銃規制とともに、テロリスト予備軍へのサポーティブな働きかけが必要だと思う。
ちゃんと仕事があり、話し合える家族や友人がいて、社会に参加している実感が持てれば、人混みに向けて銃を撃つなどと言うことはなくなるのではないかと思う。
甘い?そうかも知れない。しかし少なくとも、イスラム教を弾圧したり、イスラム風の名前を持つ者を白眼視すれば、今後ますますローン・ウルフたちは増えていくだろう。そして安価で軽くて精度が高い銃の販売は、次の大量殺戮を引き起こすだろう。
平和的な解決策が執られることを願ってやまない。

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2016年5月14日 (土)

アメリカの食べ物

たまには食べ物の話題など。
アメリカに来る前はこう思っていた。
「アメリカの食べ物がまずいなんて、昔の話。これだけグローバル化が進んでる時代なんだから、どこでも美味しいものが食べられるだろう」
去年シアトルに出張したときも、食べ物がまずいという印象はまったくなかった。ホテルの食事もレストランも、美味しかった。世界は確実にグローバル化しているのである。

だが、いざ生活をしてみると現実が見えてくる。
まず第一に、外食代は高い。前にも書いたかも知れないけど、ちょっと軽く食事をするだけで13ドルくらいする。それにチップと税金が上乗せだ。

第二に、日本のような「定食」がない。せいぜいマクドナルドのセットメニューくらいだ。
席に着く店でメインディッシュにコーラにサラダなんて頼んだら、余裕で30ドルは行く。夫婦二人で60ドル。とても気軽に行けない。
安い店を探すと、必然的に中華かピザ、ハンバーガーなどに行き着く。あとはベーグルとか、どこにでもあるチポトレ(メキシカンの店)か。和食は高くて食べられない。
ああ、大戸屋がなつかしい。吉野家、松屋、サイゼリヤ、デニーズ。

第三に、コンビニがない。
いや、あるのはあるんだけど、品ぞろえが悪い。日本のような優秀なコンビニスイーツなど望むべくもない。オレオクッキーとかコーラとか激甘ドーナツとか、そんなんばっかりである。やれやれである。
シアトル滞在中の印象は、あくまで旅行者だったからなのだろう。
いざ住んでみると、アメリカの食生活のバリエーションの少なさに驚く。

だが、そんなアメリカでも美味しいものはもちろんある。
筆頭がハンバーガー、ホットドッグだ。これはもう、アメリカの国民食と言っていいだろう。
どこで食べても、外れがない。いまの流行りは値段が高く、ハイクオリティなもの。
写真は、うちの近くの某有名ホットドッグ。厳密に言えばチリドッグか。

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ぷりぷりのソーセージに、挽肉たっぷりアツアツのチリソース。付け合わせのチップスもさくさくしていてとてもうまい。
値段は4ドルくらい。大きさ的にはもうひとつ食べられそうなくらいだけど、重たい食事はちょっと、というときにうってつけだ。

写真二つ目は、ニューヨークに行ったときに食べたファイブナプキンバーガー。

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写真で見るとよく分からないが、お皿もフレンチフライも、そしてもちろんバーガーも巨大。
でも肉汁たっぷりで、ボリューム満点。上のバンズが重ねてないのは、自分で好みのケチャップやマスタードをかけて食え、と言うことなんだろう。
ちなみにファイブナプキンの由来は、食べるときに肉汁がこぼれすぎて、ナプキンが5枚必要になるから、出そう。なるほど。
好きなだけ塩こしょう、ケチャップとマスタードをかけてかぶりつく。肉汁がマスタードとともに流れ落ちる。手がべたべたになるけど気にしない。

郷に入れば郷に従え。
よその国にケチをつけても始まらない。安くて美味しいものを探しに行きましょう。

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2016年5月13日 (金)

チケットマスター、アメリカの音楽興行システム

アメリカで楽しみにしていたことのひとつが、音楽ライブである。
安い、日本では滅多に見れないアーティストが見れる、ライブハウスがたくさんあって有名ミュージシャンも小さな箱でやってくれる。などの日本にはないメリットがある。
事前情報を得てワクワクしていた。
じっさい、こちらにきて何度かライブハウスに足を運び、アメリカのライブの良さを堪能している。さすがロックの本場だ。

きょうは音楽とは少しちがうこと、アメリカの音楽興行業界のことを書きたい。
アメリカの二大音楽興行業者と言えば、TicketmasterとLive Nationだ。
ほとんどのライブが、この二つのどちらかを通じてチケットを売っている。オンラインを通じて購入を行う。
アマチュアバンドのライブでもほぼ同じ。この二社のどちらかを通じてチケットを発売し、完売しなければ当日窓口で発売する。この二社、日本で言えばチケットぴあとローソンチケット、あるいはイープラスと言ったところか。
が、この両社、どうもダフ屋とつるんでいるようなのである。

先日、ブルース・スプリングスティーンのツアーが発表になった。うちの近くにもツアーが来る。
チケット発売日、開始時間と同時にパソコン2台態勢でチケットマスターのHPにアクセスした。
2時間近くリロードを繰り返すも、結局ゲットできず。完売。まあ、人気のライブだから仕方がない。
と思ったら、ソールドアウトする前から、続々とダフ屋(Scalper)のサイトにチケットが出品されているではないか。
それも、あきらかに個人のレベルではない。100枚単位、それも一列丸ごととか、1ブロック丸ごととかの単位で転売されている。
あり得ない。あきらかに、発売元とダフ屋とがぐるになっているとしか考えられない。
最終的には、たとえば転売サイトStubhubでは、スプリングスティーンのチケットがニューヨークでは軒並み5,000ドル(55万円)、最高7,100ドル(77万円)まで上がった。元値はせいぜい150ドルと言ったところである。

New York targets ticketers after Springsteen prices soar

瞬間ソールドアウト。同時にダフ屋サイトで数百枚、数千枚の転売。同じ現象は、有名シンガーのAdelでも起きた。こちらは2,000ドル(22万円)。
Ticketmaster cracks down on scalpers for Adele, Springsteen concerts | Toronto Star

チケットマスターは以前にもダフ屋とぐるになっている疑いでFBIの捜査を受けているが、状況は改善していない。

さらに先日。
また別のライブのチケットを取るため、チケットマスターに発売と同時にアクセスしたら、Tickets Nowという転売サイトに飛ばされた。
また瞬間ソールドアウトだから、自動的に転売サイトにリダイレクトされたんだろう。転売価格がそう高くなかった(元値が70ドルくらい、転売99ドル)ので、そのまま購入。
転売屋から買うのは気が進まないが、ぐずぐずしていると、転売サイトの価格もどんどんはね上がる。
が、数日後に別のサイトに行ったら、なんとチケットはまだ余っていた。それもかなりの数である。つまり、チケットマスターはまだ席が残っているにもかかわらず、転売サイトにリダイレクトを飛ばしたのである。
(チケットマスターが興行を仕切る場合、そのライブは全席がチケットマスターの管轄だ。あるいは複数の興行会社が仕切っている場合でも、お互いのシートを融通しあっているようである。日本のように複数の興行会社がそれぞれにちがうブロックの席を握っていると言うことはない)
買い直そうかと思ったが、転売サイトは返品が効かない。TIckets nowで自分が転売するという手もあるが、ダフ屋に手を貸すなんてまっぴらである。

ちなみにチケットマスターは、自分でもリセール代行をやっている。ライブに行けなくなったファンのチケットを代行販売していると言うのが名目のようだ。
それにしたってずいぶん高い。ライブに行けなくなったファンのシートを買い上げて二次販売するのなら、元値プラスいくばくかの手数料、くらいが妥当だと思うのだが。

ダフ屋問題にはさすがにアメリカ人も黙っていないようで、「チケットマスターとライブネイションはダフ屋行為をやめろ!」というfacebookのサイトもできている。まあ、誰だってそう思うだろう。

Ticketmaster and Live Nation need to END scalping NOW!

まあしかし、FBIの捜査を受けても改善しなかったんだから、苦情程度で治るわけがない。ほんとうに行きたいライブは我慢してダフ屋から高額で買うか、さもなくばあきらめる、というのがアメリカの実状である。
こういう状況を体験すると、日本はまだ健全だと痛感する。チケットぴあが転売業者とぐるになって人気ライブのチケットを数百枚単位で横流ししたりしたら、きっと会社がつぶれるくらいの大問題になるだろう。

何でもお金次第のアメリカ。有名アーティストでも40ドルくらいで見れるのに、スプリングスティーンのライブはダフ屋で買わないと見れないアメリカ。

ちなみにアーティスト側にも動きがあるようだ。Adelはチケット購入時のクレジットカードと写真付きID(運転免許証やパスポート)を持参、照合するシステムを導入した。たいへんな手間である。お金も人手もかかるだろう。それでも断行するところに、彼女の強い意志が見える。
しかしほかのアーティストの動きは鈍い。きのうきょうの問題ではないはずなのだが、おおっぴらに声を上げる人は少ない。音楽業界全体の、何か表に出しづらい事情などもからんでいるのだろうか。アーティスト側も相応のキックバックをもらっているとか。勘ぐりすぎかな。
日本では優先チケットの横流しがばれたらファンクラブ会員権剥奪など、相応に厳しい処分が取られているようだ。
カオル個人の意見としては、程度にもよるだろうけど、個人間の売買は多少目をつぶってもいいと思う。
けど、瞬間ソールドアウト→同時にダフ屋サイトで数千枚発売、これはダメでしょう。
しかしどうも音楽興行業界の考えはちがうらしい。「自由市場」(アメリカの大好きな「自由」「民主主義」)の原則が左右するのだから、アーティストが価格をコントロールしようとするのはおかしい、と言う理屈だ。
自由市場って、アメリカ人はみんな株やトレーディングのように、最初から転売利益を得ることが目的でチケットをゲットしているのだろうか?音楽興行業界のCSRはどうなっているのか?

アデルは1週間に300万枚以上のアルバムを売り上げることができる、世界で最もビッグなポップスターの一人であるにも関わらず、このようなチケットの販売方法についてコントロールできる部分はほんの少しに限られている。「画期的な解決策はないんだ」と、See Ticketsのウィルムシャーストは語る。「会場には様々な契約上の関係があり複雑だ。厄介な世界なんだよ」。
中略)
再販業者らは、アデルの戦略について、チケットセールスにおける自由市場を操作しようとしていることが問題だと指摘する。需要が多ければ供給は減り、価格は高騰する。アデルのチームが、どんなに50ドル~150ドルという定価のままの価格範囲を順守しようともだ。「そのような目標が市場のなかで達成されることはないだろう」と、StubHub社長のスコット・カトラーは語る。

アデルとダフ屋の総力戦、その内幕 | Rolling Stone(ローリングストーン) 日本版

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2016年5月11日 (水)

回復の定義とは? "What Is Recovery?"

おもしろいサイトを発見。
回復の定義を決めちゃおうっていうサイト、その名も”What Is Recovery?” (回復ってなんだ?)。

http://whatisrecovery.argintranet.org


トップページにはこう書いてある。
「アルコール・薬物問題の回復には、今日に至るまで一致した見解がありませんでした。ある人は薬物・アルコールを完璧に絶つことと言い、別の人はちがうといった具合です。私たちが知っているほとんどのことは科学者や有識者から得た知識で、回復者からではありません。”What Is Recovery?”プロジェクトは実際に回復を経験し、いま回復を生きている人からの知見をもとに回復を定義する試みです」

と言うことで、回復の定義がはっきりしていないことにもやっとした思いを抱えているのはぼくだけではないようだ。
このサイトは、実際の回復者の意見を得るために、Webベースの調査と電話調査をやっている。
まだ結論は出ていないものの、現在はこんな意見が出ているそうだ。

・回復とは、自分に正直になること。
・回復とは、かつてのように酒やドラッグを使わずに人生を楽しめること。
・回復とは、社会、家族、自分自身の向上などのために貢献できること。
・回復とは、人が頼るような存在になること。
・回復とは、与えられたものを別の人に贈ること。
・回復とは、自分の時間とエネルギーを費やす活動の中で、信念と価値観を一貫させるために努力し続けること。

などなど。
いまのところ、大別すると5つの領域に意見が寄せられているそうだ。

http://argintranet.org/whatisrecovery/?q=node/6

1.断酒・断薬に関して
2.回復の必須条件
3.「豊かな」回復
4.回復の霊性
5.共通性の低いもの

うーん、おもしろそう。
1.の断酒・断薬については、「酒を飲まない」「処方薬を乱用しない」「処方薬以外は使わない(売薬を使わない)」が88%- 94%で一致している。
逆に共通性の低いものとしては、「心身が健康で、霊性・宗教に問題がないこと(65%)」「タバコを吸わない(65%)」「宗教を持つ63%)」「問題にならない程度の飲酒・薬物使用(43%)」があげられている。うーん、たしかにAAメンバーでタバコを吸っている人は多い。アメリカでも多い。禁煙を回復の条件にしてしまうと、かなりの人が非回復者に分類されてしまいそうだ(笑)。
ちなみにこの試みをやっているのは、カリフォルニアの公衆衛生研究所 (Public Health Institute)。
Lee Ann Kaskutasと言う先生がやっておられるらしい。
いまのところまだ中間報告しか出ていないけど、おもしろい試みなので、ぜひ結果をまとめて欲しい。
意外なのは、感情のソブラエティに関する項目が入っていないこと。まあ、感情の安定性みたいなものを定義し出すと切りがないからね。ぼくも日によって気分がグラグラして安定していないし。

ちなみにぼくも回復の定義を考えてみました。
酒をやめ続けていること、は前提条件みたいなものだと思うので、あえて回復の条件には入れませんでした。

1.ケンカしても仲直りできること。
2.ごめんなさいが言えるひと。
3.こころがしなやかなこと。信念と柔軟性の両方を持っていること。
4.家族を泣かせない。
5.たまには親孝行。
6.くじけてもよし。へこたれてもよし。泣き言、グチもよし。でもまた立ち上がれること。

うーん…仕事中に30分も頭を抱えて、この程度しか思いつかなかった…スケールちっちぇ…がーん。。。

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2016年4月22日 (金)

車内百景

アメリカは自由の国である。
どれくらい自由かと言うと、電車に乗るだけでごきげんにエキサイティングな人たちに会える、そのくらい自由である。
きょうは、アメリカの電車の中で出会った自由な人たちについて書き記したい。

1.車内で爪を切る人
ある日の午後、電車に乗っていると後ろの席からパチン、パチンと言う音が聞こえてきた。後ろを振り返る。おばさんが一人、背中を丸め、淡々と爪を切っていた。もちろん爪はその辺に飛ばしっぱなしである。自分の服に飛んでこないことを祈りつつ、目的地に着くのを祈るのであった。

2.車内で懸垂をする人
ぼくの住む地域の電車は、基本的につり革というものがない。代わりに、電車の天井付近に金属の棒が設置してある。電車の背も低いため、基本的に立っている人はこの棒か、ドア付近に設置してある垂直の棒につかまる。天井の棒は、もちろんかっこうの懸垂棒である。きょうも調子に乗った若者が仲間とともに懸垂を繰り返す。がんばれ。アメリカ人は太りやすいから、今のうちに運動の習慣を付けるんだぞ。

3.スマホのスピーカーで音楽鑑賞をする人
日本では昔から「ヘッドフォンの音漏れ」が話題になっていた。音漏れしない構造のヘッドフォンも開発されてきた。しかしここはアメリカ。ヘッドフォンどころか、スマホの内蔵スピーカーから堂々と音を出して音楽鑑賞をしている人がいる。10回電車に乗ると、1回くらいは出会う。
もちろん、うるさい。スピーカーから音楽鑑賞をする方はクラシックやアンビエントミュージックなんて聞かない。ビートの効いたEDMかヒップホップである。
あまりうるさい時は注意しようかと思わないでもないが、ここはアメリカ。先日も電車内で射殺事件があったばかりである。
ちなみにその射殺事件、若者が若者を撃ったんだけど、理由が「目が合ったから」であった。
目撃者によれば
「お前、さっきからオレのこと見てるけどオレのこと知っているのか?あ?」
「え?なに?何のこと?」
「バーン」
といういきさつだったそうだ。目が合っただけで撃たれるご時世、若者の音楽鑑賞の邪魔などしようものなら、どんな目に遭うか分からない。駅に着くまでの数十分を騒音に耐えて命が長らえるなら、こんなにたやすいことはない。
と言うことで、ひたすら耐えるのみ。まあ、タクシーに乗ったってラジオが流れてるもんね。

4.ラッパー乗務員
次の駅の案内や車内の注意事項は基本的に乗務員がマイクで放送する。が、どうもちゃんとしたマニュアルがないようなのである。一定の共通パターンはあるものの、乗務員によってアナウンスはバラバラだ。中にはノリノリのラップ調で車内案内をしてくれる乗務員もいる。これは楽しい。
が。
最初の数駅のラップで興奮しすぎてしまい、だんだんテンションが下がってくる乗務員もいる。
駅が経過するごとにラップのテンションが下がり、ついには次の駅の案内すら投げやりになってしまう。
だから最初に飛ばしすぎるなと言ったろうが!
乗客の心が一つになる瞬間である。

5.ラッパー構内アナウンス
乗務員に較べて、駅の構内アナウンスはあまりファンキーなことはない。決まった文句を読み上げるだけである。が、ここはアメリカ。
先日、電車を待っているとどこからともなくゴキゲンなビートが聞こえてきた。駅の構内スピーカーからであった。良く聞くと、音楽ではなく口ドラム、いわゆるヒューマンビートボックスだ。
どうも駅員が練習中で、スピーカーのスイッチを切り忘れたらしい。
電車が来るまで、口ドラムはずっと続いていた。ひたむきな練習を繰り返している様子がダイレクトに伝わってきた。何ごとも練習が大事だよね。うん。

6.車内でサキソフォーンを吹く人
これはイベントの帰り。車内でサキソフォーンを吹く人に出会った。ミュージシャンらしい人がまわりの乗客に請われて、サキソフォーンを吹き出した。
上手い。さすがである。しかし、近くでロックコンサートとアイスホッケーの試合が終わったばかりの時間帯。車内は立っている人もたくさんいる。この状況でソプラノサックスを吹くのはどうなのか。
演奏をリクエストした人たちは手を叩いてよろこんでいるが、ほかの人たちは割とクール。と言うかムッとしている。
さすがに空気を察したのか、途中で楽器をしまうサックスおじさん。何とも言えない沈黙が車内を支配する。

7.番外編 駅および電車そのもの
電車が時間通りに来ないのはまあふつうなんだけど、どこの駅でもエスカレーターがしょっちゅう故障している。そのたびに止まったエスカレーターを、えっちらおっちら登らなくてはならない。駅によってはものすごーく深い地下にプラットホームがあるため、地上に出るころには太ももがぱんぱんになっている。
故障のアナウンスなんて、もちろんない。「ご迷惑をおかけします」なんて台詞ももちろんない。エスカレーターに差しかかったら、単に動いていないだけ。
それでも誰も文句を言わない。みな淡々と止まったエスカレーターを登りはじめる。大人の対応だと思う。あるいは「そういうものだ」と最初から思っているからか。期待がない分、失望もないのかも知れない。

そんな大人の対応のアメリカ市民であるが、電車のドアが開かないときはさすがに少し感情がぶれるようだ。
駅に電車が到着する。でもドアが開かない。じっと待っているうちに、電車は次の駅を目指して発車する。こういうことがしばしばある。
ドアの前で待っていた乗客の顔が失望に歪み「オゥ…」「ダムン」などの言葉がもれる。中には軽くドアを蹴る乗客もいる。
それでも大半はあきらめて(あきらめるしかないんだけど)次の駅で降りて折り返しの電車に乗る。
こう言う体験を何度かすると、電車が駅に着いてドアが開くかどうか、すごくドキドキする。
しばしの沈黙の後にドアが開くと、それだけでこころの底から「良かった」と思える。
電車のドアが開くだけで安堵の気持ちが湧いてくると言うのは、良いことなのか悪いことなのか。

そして言うまでもなく、しょっちゅう運行は乱れる。都市部の電車にもかかわらず、「次の便は25分後」なんて案内が電光掲示板に出ていたりする。あきらめてベンチに座ると、2分後に電車が来たりする。メチャメチャ。
日本の鉄道会社がこんなことをやったら叩かれそうだけど、ここではこんな状態がずっと続いている。いままでもそうだったし、これからもきっとそのままだろう。
適当でも何とかなるという、一つの証拠にはなる。のかな。

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2016年4月19日 (火)

欠点を最小化する

相変わらず英語のスキルが上がらない。
仕事は何とかこなしているものの、AAミーティングや雑談では、集中して聞いていないと文脈がつかめない。集中力がとぎれると、いきなり会話について行けなくなる。
このままヒアリングが良くならなかったらどうしよう。そう思う反面、最近は「自分はこの国では外国人なんだから、フルセンテンス聞き取れなくて当たり前」とも思えるようになってきた。
まあ、開き直りですね。「おお、なにやら異国の人が異国の言葉でペラペラしゃべっておるな。よしよし」
という感じ。

英語ならではの面白さもある。
きょうのミーティングでは、「性格上の欠点をminimizeする」という表現が出てきた。BBにも載っているのかも知れないが、合理的な表現にハッとさせられた。
minimize、つまり「最小化する」と言うこと。
日本でも「性格上の欠点を取りのぞく」とか「少なくする」「減らす」という表現はよく聞くが、最小化という言葉はよりぴったりくる気がする。
われわれはAAプログラムで自我を収縮することができる。欠点を少なく、小さくすることはできる。でも完全にゼロにはできない。
最小化、という言葉は、少なくする、減らす、と言う言葉よりも的確だ。少なくする/減らすのは、あくまで方向性の表現であるのに対し、最小化と言う言葉は、目標水準を表現している。
目標、つまり「最も可能な限り小さい状態」をめざすこと。

AAプログラムのほかの要素と同様、最小化がどの地点なのかは、人によってちがう。わずかな進歩で満足するしかない場合もあるだろう。でも、それがその人の最小化の状態を目指しているのであれば、それでいいんだと思う。
完璧を目指すのではない。人と較べてもしょうがない。「自分にとっての最小」を目標にすること。

さて、ぼくの性格上の欠点は最小化されているんだろうか。
分からない。
アメリカに来てから落ち込んだり自己憐憫を感じる回数は多くなった。そのたびに、答を探し回っている。
まだまだ回復途上と言うことなんでしょう。

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2016年4月 7日 (木)

4人ミーティング

またまた久しぶりの更新。
今回は、ミーティングについて。
いつも二人ミーティングを繰り返しているマイホームグループだが、先日なんと、合計4人という快挙を成し遂げた。イェーイ!
しかし、二人ミーティングに慣れた身には、何かと調子が狂う。いつもBBの個人の物語の読み合わせをしているんだけど、案配が分からず一人で半分以上読んでしまう。
逆に、自分の話はキンチョーしてすぐに終わってしまう。
慣れている人はいいんだけど、初対面の人にはどうしても「不正確な発音や文法で、ちゃんと聞き取ってもらえていないんじゃないだろうか」という不安がつきまとう。
さらに、どうしても初対面の仲間の話は聞き取りにくい。
ミーティングでの話がつぶやき調になるのはどこの国も変らないようだ。で、モゴモゴしたつぶやき口調は、聞き取りが非常に厳しい。
また通常の二人ミーティングでは、相方がぼくに気兼ねしてゆっくりはっきりしゃべってくれる。難しい単語も避けてくれる。感謝である。
が、米国人4人のミーティングとなると、超スピードになって聞き取り率ががた落ちする。
ネイティブ同志の短く鋭いコミュニケーションは、ほとんど聞き取れない。

とは言え、人数が多いのはやはりうれしい。
このまま4人で定着してくれることを祈るばかりだ。聞き取りも、いずれ慣れるだろう。
肝心なのは中身なんだから、コミュニケーションばかりに気を回しすぎても仕方がない。
それにしても、米国版の個人の物語は非常におもしろい。女性のネイティブアメリカン、ゲイ、肝移植など、バラエティに富んでいる。
マイノリティならではの苦労もあるんだけど、葛藤を乗り越え、最終的には回復の道を歩き出す。
個人の物語のバリエーションが多いのは、とても良いことだと思う。社会全体で見れば、アルコール依存症というだけでマイノリティだ。そこからさらにマイノリティを生み出してはならない、どんな仲間もドロップアウトさせてはならないという、そういう意志を感じる。
各章とも短くて読みやすい。ミーティングでも使いやすい。
何よりも、ビッグブック本文にくらべたら格段に読みやすい、現代の平文で書いてあるのがうれしいです。

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2016年2月12日 (金)

Maybe禁止令

となりの部署に親切な人がいて、ときどき話をしに来てくれる。
いまの仕事はひたすらパソコンに向かっているだけなので、なかなか周囲とコミュニケーションが発生しにくい。大歓迎である。

で、先日彼女と話をしていたときのこと。内容はぼくの業務と、それに関する日本の状況などだ。
しばらく話をしていたら、彼女が突然、真顔でこう言った。

「maybeという語は使うな。その言い方をしたいのならI’m sureを使え」

突然のメイビー禁止令。
理由は分からないが、ネイティブの彼女が使うなと言うのであれば使うべきではないのであろう。
そう言えば、maybeと言う語は、自分とは関係のないことを話すときに使う、という受験英語の記憶がよみがえってきた。
帰ってからwebで調べる。やっぱりそう書いてある。
明日は雨になると思うよ。だったらMaybe it will be rain tomorrow.でいい。
が、明日は仕事が終わると思います。をMaybe I will finish my work tomorrow.(分かんないけどあした仕事が終わるんじゃないかな)では具合が悪い。
Maybe our company will increase our sales in next quarter.(分かんないけど来期は社の売り上げが伸びると思います)とかね。

学校教育のせいにするわけではないが、ぼくが学生の時は、maybeは「たぶん」と習った。言いやすいし、日本語では「たぶん」を使う機会はものすごく多い。謙遜というか、強い断定口調を避けるため、8割方確定していることでも「たぶん」「おそらく」を多用する。必然的に、日本人が英語を話すときにmaybeが使われる頻度は多くなる。
しかし、まわりのアメリカ人のトークを聞いていると、maybeはあまり出てこない。それどころかperhapsもprobablyも出てこない。I’m sureはちょくちょく出てくる。
でも、いちばん多いのはふつうの文法、つまりただの言い切りだ。
「来期の売り上げは倍増すると思います」だったら The sales in the next season is expected to be double.となり、ごちゃごちゃmaybeだのprobablyとか文頭や文末につけない。先の話をしているんだからあくまで不確実だと言うことはみんな分かっている。

そう思ってmaybeを使わないようにしてみると、いかに今まで自分がその言葉を多用していたかが分かる。ここ数日は、maybeと言いかけて「メイ…うぐっ、ぷ、ぷろばぶりー」と言い直すことがしょっちゅうだ。
英語を学ぶと言うことは新しい言語を学ぶことなんだけど、こういう「和製英語」を切り離していくことも必要なのである。
(と言い切ってみる)
教えてくれた彼女にはほんとうに感謝です。

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2016年2月 5日 (金)

英語をいかにして習得するか

さて、英語をいかにして習得するか。これが目下の懸案課題である。
いまやっている英語のトレーニングはいかのような感じ。

・iKnow!で語彙力強化。週6時間目安。毎日1時間やって、週1日はお休み。
・オンライン英会話を毎日一コマ(25分)。が、あまりできていない。月17回程度。
・週1回、夜間有料イングリッシュクラス。2時間半。今週からスタート。
・週2回、夜間無料イングリッシュクラス。1回2時間半。今週からスタート。
・リエゾン(音のつながり)学習のため「モゴモゴバスターズ」を週1回、30分から1時間。

イングリッシュクラスは宿題がきつい。授業時間以外に予習復習で2,3時間は取られる。
加えて、最近はじめたこととして
・1日最低3人に話しかける。
・会議やミーティングでは最低1回発現する。

これを心がけている。

…で、どのくらい効果があるのかというと。

分かりません。


でも、きのう久しぶりに話したとなりのセクションの人に「最初に来たときより英語うまくなったね」と言われたので、多少は良くなっているとは思う。
お世辞は言わないタイプの人なので、こういうことを言われるととてもうれしい。

英語のトレーニング、自分でも上に書き出してみて、ちょっとやりすぎかなと思う。日本の本社から持ってきた仕事に取り組む時間がゼンゼンない。ギターを弾く時間もないぞ。とほほ。

週2回の無料のイングリッシュクラスはとてもありがたいんだけど、続けるかどうか思案中。夜7時から始まるので、ちょうど渋滞ラッシュにつかまる。往復の時間が痛い。
加えて、レベル的にあわない気が。今さらbe動詞の活用や完了形を学ぶのも、まあ復習になって良いのかも知れないけれど、往復の時間などを考えるとちょっとどうなのかという気がする。クラスメイトはぼく以外はすべてヒスパニックで、授業中も休み時間もずーっと母国語(スペイン語)でおしゃべりしている。

有料クラスは割にレベルが高いが、こちらはこちらで、自由にスピーチをさせて文法や発音のミスがあれば、先生がすぐさまストップをかけて修正が入る形式だ。
実にしばしば話を停められる。萎縮しちゃってみな無口にならざるを得ない。
そう言えば、昔習ったピアノの先生がこんな感じだった。とにかくミスタッチの修正にキアイが入りすぎてて、音楽を奏でる楽しさみたいのはあまり感じられなかった。

うーん。
インプットはiknow!と有料イングリッシュクラスのみにして、アウトプットはオンライン英会話に集中すべきか。
オンライン英会話は、最初のころは知らない講師の方とSkypeで話すのがどうにも苦痛だったが、10回ほどやったらすっかり慣れた。講師がこちらのトークを引き出してくれるので、むちゃくちゃな文法や発音でものびのび話せる。
ただ、スクールに較べると最大のデメリット、つまり「自分で積極的に継続しないと、いつの間にかやらなくなってしまう」という点が心配だ。世の中の人のどれほど多くが、会費だけ払って英会話レッスンをまったくやっていないことか。
スポーツジム、英会話、ダイエット。世の中の大半のものごとが、自分で続けるのがむずかしい。その点では、英会話スクールは「スクールに行かなくちゃいけない。宿題をやらなくちゃいけない」という、縛りのメリットがある。

これだけやって、どれだけ英語力が延びるのかは、まさに神のみぞ知るである。
ただ一つ言えるのは、何のトレーニングもしなければ何も変わらない、ということだ。
アメリカに住んでいれば英語が話せる、聞ける、読める、書けるようになるというのは、完全に幻想である。
こちらにきて数年、あるいは数十年経ったという非アメリカ人と何人も話した。中にはネイティブとしか思えない人もいるが、多くは限定的なボキャブラリーと、矯正されていない強いなまりで何とか日々を過ごしているという印象だった。
もちろん、それで不自由がなければそれはそれでいいのだと思う。しかし、込み入った内容のこと、概念的なことだって話したい。アメリカ人同士の会話、独特の言い回しやイディオム、リエゾン多用でペラペラッとしか聞こえてこない会話にも切り込んでいきたい。
環境まかせで、「いつか自然にできるようになる」はあり得ない。
今の英語力では、ミーティングや話し合いで重要なポイントをつかみそこねるリスクが非常に高い。
可能な限り早く、英語力を高めていきたい。


先日、女性の同僚がペラペラっと何か言った。聞き取れない。ソーリー?またペラペラ。またまた聞き取れない。大事な内容かも知れない。聞き逃してはならない。あー、ソーリーソーリー、アゲイン、プリーズ?


「私はトイレに寄るから先に会議に行ってて、て言ってるの!!」

えー、こういうことは避けたいわけですよ。やっぱり。

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2016年1月25日 (月)

東海岸、ブリザード吹き荒れる

先週の火曜日あたりから大雪のことは話題になっていた。
同じブースの同僚から「スノーストームが来るよ」とは聞いていたが、あまり事情が飲み込めていなかった(飲み込める英語力がなかった)。
が、20日水曜日あたりから事情が急変。過去最大級のブリザードがやってくる、州も郡も非常事態宣言になるらしいとの情報。
木曜日、ついにオフィスのおばちゃん(正式な役職名が分からない)から「あすは職場に来るな。来ても帰れる保証がない。食料と生活必需品を買って家にこもっていろ。とにかく来るな」と脅された。
おばちゃんはまだ穏やかな天気にもかかわらず、スノーブーツとダウンコートというスキー場みたいな格好をしてぼくに脅しを書け、そのままお昼には帰ってしまった。完全に休む気満々だ。

と。ふとまわりを見渡す。
ほとんど誰も出勤していない。いつにもまして静かなオフィスだと思っていたら、おばちゃんだけでなく、みなスノーストームに備えて欠勤しているのである。
ただならぬ事態である。
あわてて仕事を切り上げ、買い物に出かける。
たいへんなことになっている。スーパーに人が詰めかけている。様子は定かでないが、ふだんは混み合わないスーパーなのに駐車場にさえ入れない。
何とか食料品などをそろえ、引っ越し荷物の中から懐中電灯を引っ張り出す。
テレビでもwebでも、厳戒態勢を呼びかけている。
こんな感じだ。

・外出するな。道路は雪で封鎖される可能性が高い。電車もバスも金曜の午後から止まる。乗客と従業員の安全が最優先だ。
・食料品、懐中電灯、電池、ラジオを用意せよ。
・電気が止まるかも知れない。防寒着を用意せよ。
・水道が止まるかも知れない。水を用意せよ。
・一酸化炭素中毒に気をつけろ。火を使った煮炊きは推奨しない。
・何かあったら911(日本の119)に電話せよ。
・今回の暴風雪はシャレにならん。とにかく外に出るな。落ちた電線で感電するぞ。

てなことで、金曜日の朝から完全にインドア態勢に入る。
果たして金曜の午後から天候が荒れ始め、土曜日から日曜日にかけて暴風雪が吹き荒れた。
さいわい水も電気も止まることなく、無事に冬の嵐は去った。
やれやれ。

日曜日、外に出てみる。
見事な雪の山ができている。雪を握ると、固まらずにさらっと指の間から流れ落ちる。パウダースノーだ。
立ち並ぶ洋館。漫画みたいなつらら。見慣れた風景だ。まるで猫魔やグランデコにいるかのような錯覚をおぼえる。そう言えばスポンサーといっしょに、安比にも行ったっけ。ずいぶん遠い昔のような気がする。

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妻とふたり、カメラをぶら下げて表通りを歩く。
よく晴れた日曜日。車はほとんど通らない。いつもは人でにぎわう大通りも、きょうは人影もまばらだ。
不思議な気がする。現実じゃなくて、夢の中の風景のようだ。
たまにはこんな日もいいね。

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2016年1月20日 (水)

新年明けまして

ブログの更新が遅くなりました。
気がつけば2016年。新しい一年がはじまりました。
すっかり更新頻度が落ちている当ブログですが、今年もボチボチペースで続けていくつもりです。
読んでくださっている方、今年もどうぞよろしくお願いします。

渡米して3ヶ月が経った。
少しずつ、ほんとうに少しずつ周りが見えてきた。
職場のこと、生活環境のこと。
ぼくは当初、自分の職場の大半はアメリカ人だとばかり思っていた。
アメリカ生まれの生粋のアメリカ人が、職場を仕切っているのだと。
ところが、案外そうでもないと言うことが分かってきた。

先日、職場のクリスマスランチパーティがあった。
うちの社は、夜に飲み会だの食事会だのはやらない。ていうか、外食はエライ高くつくのでみなあまりやりたがらないのだと思う。
ぼくもパーティに参加した。周囲は若手の白人ばかりだ。どうせみなペラペラペラペラ高速英語をしゃべるのだろうと想像すると、それだけで気が重かった。
ところが、隣に座った若者は、なんとイランから来たという。前に座ったきれいな女の子はスペインが母国だ。まわりの話を良く聞いていると、生粋のアメリカ人は数えるほどしかいなかった。
別の女の子がずーっと下を向いてiPhoneをいじっていたので、英語の苦手な非アメリカ人だと思って話しかけたら、なんとフロリダ生まれのアメリカ人だった。
こうなると、誰がどの国籍かなんてほとんど分からない。分からないというか、そこにこだわるのはあまりいい意味がない。
みんなペラペラ英語をしゃべるのも、それぞれが母国語で話していたら話にならないから、共通言語を使っているに過ぎない。
誰だって苦労して外国の言葉なんて覚えたくない。覚えたくないけど、それが使えないと日常生活も仕事もままならないから、がんばって使えるようにしているのである。

そう気がついたら、すこーし気持ちがラクになった。
スタートラインはみな同じ。や、もちろんアルファベットを使う国の人はアドバンテージがあるだろう。カナダ人みたいに、もとからフランス語と英語のバイリンガルなんていううらやましい人もいる。でも、大多数はカタコトからはじまって、苦労しながら外国の職場に適応していくのである。
千里の道も一歩から。いきなり英語ができるようにはならない。
地道な積み重ねが最終的には良いアウトカムにつながる。そう、酒をやめるのと一緒だ。
焦らず、キレず、周囲をうらやまず(うらやましいけど)。
自分のやるべきこと、やれることをやっていくのだ。

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2015年12月19日 (土)

待てないアル中さん

アルコール依存症者は「待てない」「すぐ結論に飛びつく」というのは、昔からよく知られている。
白黒思考という言葉は最近あまり聞かなくなったが、依存症者の特徴をよく現していると思う。
結論を急ぐのは、結局のところ、待つことが苦手なんだと思う。少し待って状況が改善してからあらためて判断したり、じっと自分の判断を抑えるのがむずかしいのだ。

こんな論文を見つけた。

「ヤングアダルトの異時点間選択傾向:年齢、アルコール、家族歴との関連」
(Intertemporal Choice Behavior in Emerging Adults and Adults: Effects of Age Interact with Alcohol Use and Family History Status)

アルコール依存症は今すぐの報酬を選択する傾向(Now)が知られている。断酒が続いてもこの傾向は残るため、慢性アルコール依存症の後遺症か、そもそも依存症になる人に特徴的な傾向なのかも知れない。Now傾向は18歳から25歳のヤングアダルト(emerging adults)にも見られるため、年齢による可能性もある。
本研究は1)Now傾向が成人全般に較べてヤングアダルトに高いかどうか 2)Now傾向はアルコール多飲とどう関係するか 3)Now傾向は一親等の飲酒問題と関連するかどうか を調べた。
237人の対象者(18歳から40歳、半分は女性)に対して異時点間選択課題を使ってNow傾向を調べ、飲酒問題はAUDITを使って程度を調べた。
Now傾向は年齢に反比例した。が、大量飲酒者では年齢と無関係だった。AUDITとNow傾向は関連がなかったが、AUDITとNow傾向は26歳から40歳では比例した。さらに、一親等に飲酒問題がある人はそうでない人に較べ、よりNow傾向が高かった。Now傾向はアルコール依存症の遺伝に特徴的なのかも知れない。

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26635580

まとめると
・アルコール依存症は少し先の大きなごほうびより、目先の小さなごほうびに飛びつく(Now傾向、Nowバイアス)。
・これは18-25歳の若者でも見られる。若者は歳を取るとこの傾向が小さくなる。
・が、アルコール依存症は年齢が増してもこの傾向が小さくならず、それどころか飲酒問題がひどくなるとどんどん大きくなっていく。

・アルコール依存症は断酒しても、この傾向はあんまり変わらない。

はい。
アルコール依存症の人は「心理学的に子ども」「目の前のちっちゃなごほうびにすぐ飛びつく」
というデータがまた出てしまいました。
さらに、断酒してもこの傾向が残る、とも書いてある。まあ、分かる。お酒が止まると、だいたいわれわれはすぐに焦って仕事を探したり、あたふたし始めるもんね。

回復の道のりは、だいたいこの逆だ。
いまはじっと依存症の回復に専念すること。第一のものは第一に。
自分を越えた大きな力が、いずれ健康な心に戻してくれると信じること。そのためにミーティングに参加したり12ステップを踏んだり、やるべきことをやること。
一足飛びの回復はなく、少しずつ回復の歩みを着実に進めていく必要があること。

まあ、こういうことをニューカマーに言うとそっぽを向かれちゃったりするんですが。でも真実だよね。

すぐに結果を出したがる。未来の結果、未来の回復が信じられずに目の前のちっちゃなごほうびに飛びつく。そしてそれは、ただ断酒歴を重ねたからといって変わらない。
それは病気がもたらした心理傾向、一種の「症状」なのかも知れない。あるいは上の論文にあるように、もとから依存症になりやすい人に共通した傾向なのかも知れない。
いずれにせよわれわれは、その傾向に気づき、それを手放すようにしていかなければ。

え?AAに来ればそれは直るのかって?
それは、周りにいる回復した先輩を見れば分かると思う。いい感じのソブラエティを得ている仲間は、みんな元気で感情的に安定していて、目先のことに一喜一憂しない。少なくとも、そうなろうとしているように見える人が多い。
専門書を読むと、AAプログラムは認知行動療法やサイコセラピーなど、ほかの治療法と同等の効果を持つと書いてある。同じ効果を持つのなら、くり返したくさんやれば効果が上がるのは目に見えている。
認知行動療法と同じ効果のものを何年もずーっとやっていれば、そりゃ効果はあるよね。

たしかに、待つのは苦しい。忍耐が要る。
たとえ小さいごほうびだと分かっていても、目の前の結論に飛びつきたくなる。白黒はっきりさせて、イヤな気持ちを逃れたい。
ぼくも目先の苦しさに負けて、異国の職場なんてどうせなじめなっこない、上司を説得して日本に帰っちゃおうと思うことがよくある。毎日のようにある。
でも、やっぱりそれは目先の考えだ。目の前のちっちゃなごほうびにすぎない。AA流に言えば「病んだ頭が考えた、病気の考え」だ。

こういうときに「今日一日」という考え方は良く効く。上の研究の言う「Now傾向」を先人はよく知っていて、それを乗り越えるために作ったマインドセットが「今日一日」という概念じゃないかと思う。

明日が今日よりましかどうかなんて分からない。半年先、一年後も分からない。
だけどぼくたちは、地道な努力を続けていけば成果につながることを知っている。少なくとも知識としては知っている。
感情に振り回されて目先の結論に飛びつかないこと。今日一日の先にあるものを信じること。自分を越えた大きな力が、私たちに健康な心を取り戻してくれると信じること。
だいじょうぶ。ぼくたちには最強のプログラムがあり、世界中に最高の仲間がいるんだから。

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2015年12月17日 (木)

食べ物がデカい!の巻

渡米してからというもの、外食の回数がぐっと減っている。
理由はふたつ。
ひとつは、単純に値段が高いから。
こちらの外食は、カフェテリア形式の安めのお店でもだいたい一人一食10ドルから12ドルくらいかかる。日本円にして1,200円から1,500円くらい。そうそう気軽には食べれない。
もうひとつは、量がハンパないから。
タコスのお店でタコスとコーラとトルティーヤチップのコンボで9ドルちょっと位なんだけど、タコスが腹ははち切れるくらいのボリュームで出てくる。
アメリカの人たちはこんなのふつうに食べているのか?!
驚いて周りを見渡すと、二人で分け合って食べていたり、包んで家に持ち帰ったりしている。そうか、そうだよね。さすがにこんな量は食べられないよね。
しかし。
アメリカ人でも食べきれないくらいの量が一人前というのは、ちょっといかがなものか。
半額にして量も半分にするのがフツーの考えではないのか。
うーん。

日本の定食が懐かしい。大戸屋が恋しい。
多くもなく少なくもなく適度なボリュームで、小鉢やらミニサラダがついているのはすばらしい。

ちなみに日本食も売っているんだけどやたら高い。スーパーの総菜売り場で寿司セットが売られているが、15ドルもする。日本のコープの寿司セットと同じような中身と量なのに、円に換算すると3倍もする。あああ。とても買えない。
あとケーキ類も基本スポンジばっかりである。アメリカ人はカップケーキとかドーナツとか、粉もんが大好きだ。日本みたいにクリームやフルーツがたっぷり入ったケーキはあまりない。
写真は、その貴重な日本風ケーキを売っているスーパー。
なぜオレオをケーキに載せるアメリカ人。
日本で言えばハッピーターンを大福に載せるような暴挙だぞ、それ。
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2015年12月16日 (水)

洋服が縮んでいくの巻

たまには気軽なネタも書きましょう。
アメリカは文化や風習に加え、さまざまな環境が日本とはちがう。
たとえば、洗濯物を外に干す習慣がない。洗濯物は、室内の乾燥機のドラムに入れてごんごんと回すのである。
ぼくのアパートメントにも洗濯機と乾燥機がしつらえてある。アメリカのアパートメントは洗濯機、乾燥機、冷蔵庫は備え付けの場合が多い。数年程度しかいない外国人にはありがたい習慣だ。
で、乾燥機を使って洗濯物を乾かすんだけど、これがまた驚くほど洋服が縮む。
妻のルームウェアはすそが床に着く長さだったんだが、いまやクロップパンツ。くるぶしよりも上にすそが来てしまっている。
ぼくの衣類も、どんどん縮んでいく。Tシャツもズボンも、洗うたびにぴったりサイズになっていく。
Tシャツなんて、いまやほとんどチクビの形が浮いて見えるではないか。

これはまずい。

まあ、いい点もある。日本でオーバーサイズで着にくかったTシャツも、数回洗濯すればジャストサイズになる。でもそういう場合はごく少数で、大多数の洋服はどんどん縮み、サイズが合わなくなってくる。
外に干すわけにはいかない。そもそもうちのアパートメントにはベランダがない。あったとしても州の決まりで外干しはダメっぽい。
コマッタ。

こんなこともあろうかと、日本から洗濯物干しを4つばかり持ってきた。洗濯ばさみがたくさんぶら下がっている、ふだんわれわれが日常的に使うアレである。ちなみにアメリカでは売ってない。
よかった。これを鴨居に引っかけて洗濯物を干せば問題ない。OK。

が。
アパート内に鴨居がないんである。
ドア枠はあるんだけど、上部分に洗濯物干しを引っかけるだけのスペースがない。アメリカの製品は、たいがいのものは無駄に巨大に作ってあるのに、こういうところだけなぜかスリムに作ってある。
むー。

結局、縮んでは困るもの(Tシャツやズボン類)はむりやりに自然乾燥。縮んでも許容できるもの(下着や靴下など)は乾燥機と、分けて干している。ありがとう妻よ。
乾燥機自体がはじめてなんでよく分からないんだけど、日本の乾燥機は縮まないんだろうか?
まあ、こんなにおもしろいように縮んでいく話は聞いたことがないんで、きっとだいじょうぶなんでしょうね。メイドインジャパン。

アメリカ人よ、もうちょっとお手柔らかに乾燥機を作ってくれ。
一抱えの洗濯物が20分で乾くとか、なぜそんなに強力なのだ。
多少時間がかかってもいいから、縮まないように乾かしてくださいよホント。

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2015年12月 9日 (水)

self-pityのワナ

ここ一ヶ月ほどは、週一ペースでミーティングに行っている。
が、ぼくの行っているミーティングは、なんと常に二人ミーティング。ぼくともう一人のみ。
さいわい相方はとても良い方で、いろいろ気づかってくれる。二人ミーティングなので、だいたいすぐ終わってしまう。後は雑談とか、ちょっとした情報交換だ。

え?もうちょっと色んなミーティングに行った方がいいって?
そうです。そのとおりです。
そうなんですが、はっきり申し上げて、夜に外出するのがちょっと怖いんですね。
ぼくが済んでいるあたりは治安の良い部類に入るけど、それでも人気のないあたりを徒歩で歩くのは勇気が要る。
クルマも手に入れたけど、夜間の右側運転、それも都市部となるとちょっと自信がない。
そういうワケで、職場に近い二人ミーティングのみしか行けていないのであります。

で、その二人ミーティング。
BBの読み合わせをやっている。なんと、個人の物語のところだ。
アメリカ版BBの個人の物語は、収録作品がとても多い。その上、一編一編が短くて、文章も簡単な表現が多く読みやすい。
(ビルの書いた本体部分の読みにくいことと言ったら。。。)

きょう読み合わせたところは、生まれつき目の見えない女性のアルコホリクの話だ。
self-pityという言葉が飛び込んできた。自己憐憫。
たしかにその女性のアルコホリクは不幸だった。望まれずに生まれ、生まれついてのハンディキャップを抱え、望まぬ結婚をした。飲む理由、飲むことを正当化する理由は山ほどあった。

でも彼女は自己憐憫から抜け出した。AAに来てプログラムを行い、酒をやめた。生き方を変えた。
自己に同情するのをやめ、自分を変えることにした。

読んでいて、自分が恥ずかしくなった。
ぼくはいま、self-pityに陥っている。アメリカを恨み、アメリカ人の不親切なビジネス習慣を呪い、英語力のない自分をさげすんでいる。
これじゃダメだ。これではいけない。
自己憐憫から得るものは、何もない。そこから生まれるのはとめどない被害者意識と、自分が変わらないことへの自己正当化だけだ。結果、立ち上がる力を失ってしまう。

ぼくたちにはAAと12ステップがある。酒をやめた、アルコール問題をくぐり抜けたという実績がある。そして世界中に仲間がいる。
言葉が通じないのは大きな問題だけど、それを越えた共通の経験がある。
いま抱えている問題、いま直面している問題も、きっと乗り越えられる。
そのためにはself-pityを手放すこと。手放せるよう、祈ること。おっとその前に、まず自分がその問題を抱えているってことを認めなくっちゃね。
もう一度、12ステップに帰ろう。

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