あれはたしかもう30年以上前のことなんだけど、ぼくは何者にもなれず、何者にもなりたくなく、ただ日々をイラついて過ごし、しょっちゅう大量飲酒を繰り返していた。
20代半ばの日々。
ある冬の日、寒さと孤独に耐えかねて、友だちに電話して一晩をデニーズで過ごした。
Yくんはぼくよりも2歳か3歳年下で、要領よく実入りの良いアルバイトを見つけて、なんとなくリッチそうだった。
SくんはYよりさらに2歳か3歳年下で、高校を中退して大検受験を目指していた。
ぼくはと言えば、卒業する見込みのまったく立たない大学をやめようかどうしようか、出ない答えを探してぐるぐると同じところを回っていた。
そんな3人が集まった冬の夜。
話なんてない。話すことは何もない。
恋人なんて誰もいない。今みたいにスマホもない。
みんなぶ然として、ただひたすらに煙草に火をつけ、お代わり自由のコーヒーをがぶ飲みしていた。
そのうち、だれかが気がついた。
おい、きょうってクリスマスイブじゃなかったっけ。
見まわすと他の客席は、しあわせそうなカップルや夫婦、家族連れでいっぱいだった。
店内にはクリスマスソングが流れていた。
デニーズに入ってからすでに2時間ばかりが経っていたけど、3人のうち誰ひとりとしてそのことに気がつかなかった。
クリスマスなのにいっしょに過ごすガールフレンドもいねえのかよ。
知らねえよ。お前だっていないじゃないか。
オレは良いんだよ。いないんじゃなくてあえて作らないんだよ。お前とはちがうんだよ。
そんなこと言ったって、こうしてデニーズにボケッとしているのは変わりねえじゃねえか。
だからマインドがちげえんだよ。マインドが。
そんなことを繰り返し言い合っていたのをおぼえている。
どうやって家に帰ったのかはおぼえていない。
たぶん、どうでもいい与太話を繰り返したあげく、深夜か明け方に寒さに震えながら家に帰ったのだろう。
ほどなくYくんは仕事を見つけて他県に移っていった。
Sくんは自宅で受験勉強に励んでいると風の便りに聞いた。
ぼくはと言えば、いい加減留年を繰り返してもいられず、卒業しておいた方がいろいろ有利だろうという打算で、気が進まないまま大学に復帰した。
彼らと会うことも連絡を取りあうこともなくなった。
Sが焼身自殺を図ったと聞いたのは、それからしばらく経ってからだった。
Sはいつしかこころを病んで、精神科に通っていたという。
どこかで深く絶望して、自らに火をつけて自殺を図ったと、例の店のマスターから聞いた。
ときどきは店に来ていたけど、受験も将来もうまくいかず、将来が見えなくなっていた。
親からのプレッシャーもあり、苦しんでいたようだったと。
家は焼け、彼は助からなかった。
ぼくが彼の死を知ったときには、もう葬儀はすべて終わっていた。
マスターは彼の両親から連絡を受け、彼の葬儀に立ち会ったという。
その際に遺品をいくつかあずかってきたという。
これ、お前にやるよ。Sの形見だ。持って帰って弾いてやれ。
そう言ってマスターはぼくに、Sのギターをくれた。
オービル・バイ・ギブソンの、ダークチェリーレッドのSG。
出火元から近かったのだろう、ネックは一部が焦げて塗装に火ぶくれができていた。
ぼくはそれを近くの楽器店に持ち込み、修理を頼んだ。
これ、火の影響でネックの内部もダメージがありますよ。ネックごと交換した方が良いですよ。
いや、このままでいいんです。焦げもそのままにしてください。弾きにくいところだけ再塗装してくれればそれでいいんです。
冬が近づくたび、ぼくは彼のことを思い出す。
彼と彼の死と、いまも家にあるオービル・バイ・ギブソンのダークチェリーレッドのSG。
ぼくは彼のことが好きだった。
才能のある男だった。ぼくよりも年下なのに、ギター歴も浅いのに、味のあるブルースギターを弾くことができた。
言葉の端々に、ハッとするような鋭い批評と洞察が込められていた。
ブルースや古いフォークミュージックばかりのぼくの界隈で、彼は実験的なダンスミュージックにも精通していた。
直接は見たことはないけど、画が達者で美術の才能もあったと聞く。
生きていたらきっと、もっと彼の才能は花開いていただろう。
もしも叶うなら、もう一度あの夜に戻りたいと思う。
男3人が押し黙ってタバコをひたすら吸い続けた、あのクリスマスイブに。
ぼくはその時間が好きだった。楽しかった。
彼らと過ごす時間は、何も話さなくてもこころが落ち着いた。ささくれだった気持ちをひととき忘れることができた。
彼らも同じ気持ちだったのだろうか。分からないけれど、きっとそうだったと思いたい。
あのクリスマスの夜が永遠に続けばよかった。
30年以上の月日が経った。
Yはいまも独身だと聞いた。あのデニーズはリニューアルして、3人で座ったあの席はもうない。
ギターを修理した楽器店はとうにつぶれた。そこに楽器店があったことを知る人も、だんだん少なくなってきた。
ぼくはと言えば、こうしてデニーズに来るたび彼のことを思い出し、後悔をしている。何を後悔しているのか、自分でも分からない。
でも12月が来るたび、思いだし、後悔し続けるのだろう。
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